序章
目を開ければそこは青一色だけの世界だった。
だから僕は、ここが世界の果てなんだと思ったんだ。
「体痛い……」
上体を起こして痛む背中をさする。どうやら長い間コンクリートの上で眠っていたらしい。あたりを見渡してみると、すぐ右手に半壊した鉄筋コンクリートの壁が佇んでいた。昔ここに建物でも建っていたのだろうか。
振り返った先にもやはり、同じような半壊したコンクリート壁。崩れた壁の先からひん曲がった金属の棒が飛び出ている。錆びついてボロボロになったドラム缶がいくつも転がっている以外は、特にこれといったものもない。
僕は立ちあがって尻の砂を払い落とした。
ここはどこだろう。どうしてこんなところで寝ていたんだろう。眠る前は――ダメだ、思い出せない。
痛むこめかみを手で押さえていると、コンクリート壁に開いた穴――窓になるはずだった穴から風が吹いた。その中に混じる潮の香り。海が近いのだろうか?
僕は風の吹いた方へ歩き出した。ざりざりとコンクリートが足の裏を擦って痛い。そういえば、どうして裸足なんだろう。
何気なく上を見上げた。真っ青な雲ひとつない青空が広がっている。目を覚ましてはじめに見た景色。この場所と同じで、何もない。
廃コンクリートの群れを抜けた先には、思った通り海が広がっていた。だけどそれだけじゃなかった。
この場所と海を遮るように、コンクリートの地面の終わりに沿って金網が延々と続いているのだった。そびえ立つ金網を見上げる。白い太陽が目に飛び込んできて、僕は思わず手で顔を覆った。もう一度ゆっくり見上げる。金網の上部にはご丁寧に有刺鉄線まで張り巡らされている。
この島から出るなと言わんばかりの包囲網。
まるで監獄みたいだ。
なんなんだろう、この場所は。
そんなことをぼんやりと考えていた時だった。
いきなり、ぐるんと視界が回った。驚く間もなく右肩に激痛が走る。気がつけば誰かが僕の体に馬乗りになっていた。
「いっ……」
誰かの手が僕の首を絞めた。太陽がそいつの顔に影を落とす。涙で視界が滲んで、顔が余計に分からない。
声が出ない。苦しい。息ができない――!
ぱっ、と、突然首から手が離れた。
僕は思いっきり咳き込み、芋虫みたいに地面に転がって何度も息を吸い込んだ。
なんなんだここ。本当になんなんだ。
早く逃げないと、殺される。
地面を這いずり、必死でその場から逃げようとした。だがすぐ目の前で、ざり、とコンクリートを踏む音が聞こえた。恐怖で息が止まる。
握りしめた左手に伸びた影を目で辿る。日に焼けた剥き出しの足がこちらを向いている。ああ、もう逃げられない。僕はこいつに殺されるんだ。
ぎゅっと目を瞑ってしばらく経った。覚悟していた痛みはやって来ない。恐る恐る目を開けると――
「わっ」
手を引かれ、思いきり引っ張り起こされた。
僕はその手を振りほどき、フェンスまで引き退った。背中が当たってカシャンと音が鳴る。金網の壁が、もう僕には逃げ場がないことを知らせてくる。
「あの、ちょっと待って、まず話し合いをしよう」
かろうじて言葉を絞り出す。震える声ではあまりにも説得力が低いと、言いながら自分でも思う。そいつはじっとこちらを睨みながらじりじりと近づいてくる。
「暴力はよくないよ。なんの解決にもならない。そう、僕が死ぬだけだ」
何を言ってるんだ僕は。もっとマシなことを喋らなければいけないのに。
そいつはついに僕の目の前までやってきて、その恐ろしい瞳でじろじろと僕を見渡した。そして右手を徐ろに振りかざし――僕の左手を取って、ぎゅうっと握ったのだ。
「あ、握手……」
少年は握手をしていた。僕と、握手を。驚きすぎて腰が砕け、ゆるゆるとその場にへたり込んでしまった。
「――――――」
「え?」
少年が何か喋った。だけど、何を言っているのか聞き取れない。違う国の言葉だった。
僕が首を傾げていると、少年は少し困ったように眉尻を下げた。だがすぐに「思いついた」というような顔をした。
少年は自身の顔を指差して、
「トビオ」
と言った。
「トビオ……君の名前はトビオ?」
少年は少しはにかんで、何度か頷きながら「トビオ」と繰り返した。次にトビオは僕に向かって指をさした。
「ああ、僕の名前。僕は『ロビン』」
僕も自分を指差してそう言った。
「ロビン、ロビン」
「そう。ロビン」
それしか通じる言葉がなかったから、僕たちはしばらくお互いに名前を呼びあった。いつの間にか相手に対する恐怖心も消えていた。
こうして僕らは出会ったのだ。
コンクリートで固められた、この奇妙な島で。