反抗期の始まり ―2―
そして授業が全て終わり、僕は自宅に帰ってきた。
頭の中から今日のことが消えない。
僕のラブレター。
それが1週間後に公表されるだって?
嫌だ。
絶対に嫌だ。
くそ、胃が痛い。もう消えてしまいたい。
くそ、くそ、くそ!!!
ベッドに寝転んでから、ずっと同じ考えがぐるぐると回ってる。
どうすることもできない。
イライラがどんどん積み上がっていく感じ。
しばらくすると、部屋のドアが開いて、お母さんが入ってきた。
「ねぇ万ちゃん。私の爪切り知らない?」
お母さんが聞いてきた。
僕は帰ってきてからはずっとベッドに寝転がっている。
爪切りなど知るわけがない。
「……知らない」
「えええ、変だわね。どこにやったのかしら。ちゃんとポーチに入れておいたのに」
「……知らないよ」
「おかしいわねぇ。いつも同じところに直してるのに。変だわ。知らないわよね?」
「……知らない」
「うーん、全部探したのに見つからないの。あなた、たまに私の爪切り使ってどこかにやっちゃうでしょ?」
「知らないって言ってるだろ!!消えろよババア!!!」
やってしまった。
今日の出来事で、イライラが溜まってしまって、
何度も同じことを聞いてくるお母さんに更に苛立ちを覚えて、暴言を吐いてしまった。
反抗期と言ってしまえばそれまでなのだが、たまにこういったことがある。
大したことでも無いのに、むかついてお母さんに暴言を吐いてしまう。
「あ、ごめん」
そう言って、ドアの方を見た。
そこにはお母さんがいるはずだった。
「…え?」
10秒足らずだろうか?
それまでお母さんは扉のところに立っていて、僕に何度も同じ質問をしてきていた。
それが、お母さんの姿がない。
「え?お母さん?」
僕は自室から廊下に出た。
静まり返った廊下。
誰もいる気配が無い。
「お母さん!?」
返事はない。
「お母さん!!」
更に大きく、家全体に聞こえるぐらいに声を出した。
でも、誰も返答しない。
僕は怖くなった。
何で?
どこかに出かけた?
いきなり?
「ピンポーン」
「ひっ!?」
いきなり鳴ったインターホンの音で、僕は半泣きになった。
もしかしてお母さん!?
階段を降りて、廊下を走って急いで玄関に向かうと、扉を開けた。
その先に立っていた人物はお母さんではなかった。
「よっ」
「ス、スリー?」
突然の来訪者は僕の親友だった。
彼の名前は解野木 参。
参という名前からスリーと言うあだ名がついていて、スリーもこのあだ名を気に入っている。
「どうしたんだよ?元気無いな」
僕の青ざめた顔を見て、スリーは心配そうにしている。
そうだ、スリーならばこの現状を何とかできるかもしれない。
スリーと僕は小学校からの仲で、
度々困っている僕を助けてくれるヒーローみたいな存在だ。
運動神経は悪くは無く、勉強もそこそこできる。
こう言ってしまうと、何か平凡な男だと思われるかもしれない。
だけどスリーにはある力がある。
それは『閃き』だ。
何か困ったことがあると、それを解決するための案を次々に提示して実行できるスリー。
どうしてそんなにポンポンと良いアイデアが出るのかとても不思議だ。
僕はスリーを部屋まで案内すると、今の現状を話すことにした。
まずはお母さんが突如、消えてしまったことだ。
僕が「消えろ」と言ってしまった瞬間に、お母さんは消えてしまった。
もし、僕のせいでお母さんが本当に消えてしまったなら、
僕はとんでもないことをしてしまったことになる。
「……はぁ?お前、頭大丈夫か?中二病か?」
「な、なんだよそれ?」
確かに僕達は今、中学二年生だけど…。
「人に『消えろ』って言って、本当に消えるなんてある訳ないだろ。
どこかに出かけたんじゃねぇの?」
僕は改めて、冷静になって考えてみる。
確かに、こんな突拍子じみた話、ありえる訳が無い。
今日は色んなことがあったせいで、
一種のパニック状態になっていたのかもしれない。
「そ、そうだよね…」
僕はスリーから視線を外して言った。
「大丈夫か?顔色は悪いし、汗ばんでるぞ?
その顔じゃ、まだ心配みたいだな」
「う、うん…」
「大丈夫だって。何も悪いことなんか起きやしねぇよ。
人に『消えろ』って言ったら、本当に消えるだって?ある訳ねぇよ。
なんなら、俺に『消えろ』って言ってみろよ?」
「そ、そんな!」
「ほれ!言ってみろって。それでお前の不安も無くなるだろ?」
「……」
「ほれほれ!言えって!」
「……消えろ……」
僕はぼそりと言った。
近くにいないと聞こえないぐらいのか細い声。
僕の目の前にいるスリーは勿論、消えなかった。
「な?」
「う、うん」
「それか、あれかな?もっと気合入れて言ったら消えるか?
もう1度、おっきな声で言ってみろよ」
「え?そんな……」
「大丈夫だって!どんと来い!」
「……」
「ほら早くしろよ」
「き、消えろ!」
「もっと大きな声で!」
「消えろ!!」
「もっと!!!」
「消えろ!!!!!」
僕はお腹からめいいっぱい叫んだ。
でも、目の前のスリーは健在だ。
「はははは!!ほらな!んなことある訳ねぇじゃん」
「そうだね」
僕は安堵した。
よかった。
僕のせいで、お母さんは消えたんじゃ無かったんだ。
「でも、お母さん。どこに行っちゃったんだろう?」
「買い物とかじゃねぇの?心配なら携帯に架けてみたらどうだ?」
「あ、そうだね」
僕は自分の携帯を取り出して、お母さんにコールした。
何コール待っても、お母さんは電話に出ない。
「だめだ。電話に出ないや」
「うーん。そうだな、1時間待って、帰ってこなかったら、
一応警察に相談するか?」
「大げさじゃないかな?」
「心配なんだろ?お前を1人でずっと育ててきた人だろ?」
僕の父は、僕が生まれてすぐに交通事故で亡くなってしまった。
再婚もせずに母は僕を独りで育ててきてくれた。
「うん。1時間待って、帰ってこなかったら警察に電話してみるよ」
「よしっ。じゃぁそれまで、こいつを何とかしてくれよ」
そう言うと、スリーはカバンの中からプリント用紙を取り出した。
「え?それって明日に提出する課題だよね?」
「おう、1週間の猶予があるから舐めてたらさ、
今日の時点でまったく手をつけないまんまきちゃったんだよ」
プリント用紙は20枚綴りになっていて、とても1日で終わらせる量ではない。
それをずっと放置してきていたのか。
まぁスリーらしいと言えばスリーらしいけど。
「しょうがないなぁ。僕の課題を丸写ししていこうか?」
「お、さすがパン!話が早いねぇ!」
そうして、僕とスリーは、ひたすらにプリント用紙に答えを書き写す作業に入った。
黙々と作業を進めて50分ほど経った。
あと10分でお母さんが帰ってこなかったら、警察に電話する。
警察に電話するという行為を脳内でシミュレーションすると、少し緊張してしまった。
「……大丈夫か?」
僕の落ち着きない様子を見てスリーが言った。
「う、うん。警察に電話するって……何か勇気がいるね」
「……俺がそばにいてやるから、心配すんな」
「あ、ありがとうスリー」
「あら?スリーちゃん?」
!?
突如、僕の部屋でお母さんの声が聞こえた。
驚いて扉の方を見ると、お母さんが何事も無かったかのように立っていた。
「え!?お母さん!?」
お母さんが部屋に入ってくる気配なんか、まったく無かった。
まるで、お母さんが僕の部屋に瞬間移動してきたみたいだ。
「お母さん?いつからそこに!?」
「え?んー?何かしら?よく分からない……。
えっと、爪切りを探してたのよ」
「お、お母さんが爪切りを探しに僕の部屋に来て、
そこから1時間ぐらいお母さんはどこかに消えてしまったんだ。
どこに行ってたの?」
「え?変なこと言わないでよ。私はどこにも行ってないわよ?」
「……え?」
「あ、それよりもスリーちゃん。いつの間に来たの?
ごめんね。おもてなしできなくて。
すぐにジュース持ってくるから」
「あ、おかまいなく」
そしてお母さんはキッチンに行ってしまった。
スリーと顔を見合わせる。
「どういうことだ?」
「ぼ、僕が聞きたいよ」
お母さんが何事も無かったように帰ってきた。
それは喜ばしいことだ。
でも、突然すぎる。
瞬間移動してきたみたいに現れたお母さん。
それに対して不安をぬぐい去ることができない。
「ま、無事に帰ってきたからいいんじゃねぇの?」
スリーが微笑みながら言った。
確かに、大事に至らなくて良かったかな。
「終わりよければ全て良しってな」
「……そうだね」
これで良かったんだ。
何も悪いことなんて起きてなかった。
全て今までどおり。
怖がることなんて何もないんだ。
「あ」
じゃない!!!
重要なことがあるじゃないか!!!
お母さんのことですっかり忘れてた!!
恩小路!!!
どうしよう!!?
「どうした?」
僕の驚愕した顔を見て、スリーが言った。
僕は恩小路の言葉を思い出す。
(誰にもこのことは言うなよ?)
恩小路は僕に口止めをした。
誰かに漏らしたことが恩小路にバレれば、僕はもっと酷い制裁を受けることになるだろう。
でも、このまま1人で抱え込んでも、絶対に解決はできない。
「……」
スリーは僕の大切な親友だ。
絶対に信用できる。
僕を裏切らない。
僕を助けてくれる。
打ち明けても、大丈夫なはずだ。
僕はスリーに今日の出来事を話す決心をした。
スリーならきっと、突破口を思いついてくれるはずだ。
「パン、そりゃ無理だろ。」
スリーは笑いながら言った。
僕はまた胃が痛くなってきた。
頼りにできると思っていたスリーが開口一番に無理と言う。
しかも笑いながら。
親身になって聞いてくれると思ったのに……。
「む、無理……かな?」
それでも僕は期待を捨てに再度聞いてみた。
僕の今の顔は、きっと青ざめて泣きそうになっているだろう。
「無理だな……。どうあがいても無理だよ。諦めな」
笑い終えて、少し真面目な表情でスリーは言った。
さっきと意見は変わらない。
やはり無理なのか……。
僕のラブレターが1週間後にクラスで公開される。
これはどう足掻いても変えられない未来なのか。
「……そう……だよね。犯人を1週間以内に捕まえるなんて……無理だよね」
僕はスリーから目線を逸らして言った。
「え?何言ってるんだ?」
するとスリーはびっくりしたような表情で言った。
どういうこと?
さっきスリーは無理って言ったじゃないか……?
「あー、そっちか。違う。俺が無理だって言ったのは上条とパンが付き合うことだ」
「え!?そっち!?」
「ああ。上条は高嶺の花だろ」
僕はうれしくなった。
いやうれしがるのはどうなんだろうと思うけどうれしい。
上条さんが無理だと言いたいってことは、1週間以内に犯人を捕まえるのは無理じゃないってことだよね!?
「山田のブルマを盗んだ犯人を1週間以内に捕まえる。
これは不可能じゃ無いと思う」
改めてスリーは言った。
「本当に!?」
「ああ。とりあえずは情報収集だな。
犯行時間が2日前の美術の時間だけじゃ、情報が少なすぎる」
「で、でも。誰にもこのことは言えないんだよ?」
「そいつが恩小路の狙いなんだろうな。
無理難題を吹っかけて、パンを苦しめて弄ぶ。
ホント、性根が腐ってやがるな」
「どうするの?山田さんにこっそり聞く?」
「いや、だめだ。
お前が困り果てて、山田に直接、話を聞いてしまうことは恩小路も予測してるはずだ。
きっと、山田に対して先に手を回してるはずだぜ。
『パンからブルマが盗まれた件のことを聞かれたら、僕に言え』とかな」
「そ、そんな……じゃぁどうすればいいの?」
「……女ってのは、スキャンダルが好きな生き物なんだぜ」
そう言うスリーの瞳は、とても美しく輝いていた。
そして同時に、獲物を見つけた狩人の瞳にも思えた。