3.取り憑く島から逃げ場もない
ヒトミとの同居生活を始めて早くも一週間。
食費という点でなかなかの痛手を受けてはいるものの、生活は至って順調なもの。
加えて仕事に関しても同様、前年通り某映画会社からの依頼を受注。
来期から本格的に始まるその広告制作には、部長の意向もあって私も携わる予定となって話が進んでいる。
しかし、そういう時こそ何が起こるか分からないというのが現実。
いかに日々の調子が良くとも、安易に楽観視出来るほど私の心内は平静としていなかった。
なにせ、いかに神と言えども側に居るのは貧乏神。
当人もとい当神がどうであれ、彼女が意図せずして何かが起こり得る可能性が0とは言い切れない。
まして毎朝毎晩暑苦しくも抱き付かれていれば、ふといつの日か身の内に溜まっているかもしれない不幸の因子が放出されてもおかしくない。
割と強くそう思う。
とはいえ、無邪気にまとわりついてくる彼女を無下に扱うのもなかなか心苦しく、
「1人は寂しいんですよ~」
なんて言われれば尚更。
それに彼女も気付いているのだろう。
最近では多少冷たい言葉を吐いて引き剥がしても、
「それ灰汁取り~」
なんて訳の分からないことを言って再び抱き付いてくるくらいだ。
「だれが灰汁まみれだこら」
「そんなぁ、悪ですよぉ悪ぅ」
結局のところ、どんなにイントネーションを駆使されても言葉だけでは本当に何を指しているかは分からない。
とりあえず今言えるのは──
「しかし…うっふふぅ…麻衣はやっぱり温かいですねぇ~」
こうなってしまってはもうどうしようもないということ。
正直、下手な酔っ払い上司より鬱陶しい。
「暑苦しい離れろ。私は今から仕事だ」
と、朝はそうやって逃れられるから良いのだが夜は別。
今からこんな調子では夏が思いやられるというもの。
「うぅ~」
と不機嫌そうに声を漏らしつつも彼女は
「早く帰って来てくださいね?」
と私より更に低い目線を上げてうるうると上目使ってくる。
それのなんと悪魔的に女性らしきことか。
されどそれに屈してはなるものかと今日は
「それより居候…お前は炊事か洗濯か、それくらい出来んのか?」
と話を変えて逃げおおせる。
が、
「質が低くても良ければ」
なんて不思議なニュアンスの答えが返り困惑。
「それと先に住んでたのワタ」
「質?」
ふと質問を返すと彼女は頬を膨らませた。
小声で後半スルーなんですねなどと呟いているがまぁ無視。
「で、質とは?」
と改めて聞き直すと
まさかの
「ご飯に毒とか」
発言。
「故意だろ」
質うんぬんの問題じゃねぇと思いつつも迫り来る時間を見やり、仕方なく言葉を飲み込む。
そうして側に用意していた必需品らを携えると、足早に部屋を後にした。
「いってらっしゃーぃ」
背に微かに彼女の声が当たった。
世に言う通勤ラッシュに身を投じて30分ほど。
さっそく疲労めいた溜め息をこぼしながらも目的の駅にて下車。
そこから10分ないし通勤路を競歩気味に歩き、人混みを裂きに裂いて会社に到着した。
それがおよそ就業開始時刻30分前の事。
「おぅ山村ぁ、今日も早ぇなぁ」
割と時間ギリギリに到着する人が多い中で、いくらか年配の先輩とは出社が被る時がある。
やはり年を取ると無駄に早く起きてしまうものなのだろうか?なんて考えは胸の奥に納め、
「いえ…おはようございます」
とあまり人付き合いに慣れていない私は淡々と抑揚薄く返すが先輩達の多くは気にしない様子。
それが個人的には気楽で居られる要因として、ほぼコミュ障だった私を二年も会社に繋ぎ止めるほどの結果をもたらしている。
自らが属する部署に着き、専用のデスクに荷物を置いて直ぐ今日1日の仕事に必要な資料を取り出し整理する。
その間に庶務方の子がお茶を用意してくれるというのがいつもの流れ。
「ありがとう…ございます」
途中で切ろうとしたが切りきれず。
結局またこれもいつもの様に
「もぉ~別にそんなかしこまらなくていつも良いって言ってるじゃ~ん」
と肩をつつかれてしまう。
「は、はは…」
とどうにか苦くも笑みを浮かべながら
「すいません…」
とこぼす。
そこでこれまたいつもの流れで
「麻衣ちゃ~ん!おっはよぉーぅ」
と抱き付き魔が現れる。
「喜多ぁ!また私の麻衣ちゃん虐めてたでしょー?今度こそテメェの顔面ハコフグにすっぞぉ~」
物騒な言葉は吐くがこれが多賀谷先輩なりのコミュニケーション。
私にはレベルが高過ぎて実践出来そうにはない。
「別に虐めてませんー!」
「んだとぉ、反抗すんのかこらぁ?」
よくもまぁ朝から元気な人達である。
とりあえず私は多賀谷先輩の胸の内で、なおかつ2人の間に挟まれ心情的に息苦しい現状を打開せんと
「多賀谷先輩…暑いです…」
と口にする。
が案の定、
「そうよぉ、愛って熱いのぉ~」
とより強力に抱き込まれてしまった。
「多賀谷ぁ、見ててこっちが恥ずかしいわ!静かに座ってろ!」
そう不意に傍らから助け舟は出されるのだが
「良い年して朝っぱらから変な事考えてんじゃないわよ」
と彼女は反論。
それから徐々に加熱していくのもまた慣れた光景といえばそうであるが、朝から同僚達の口喧嘩コミュニケーションなど出来るなら遠慮したいものである。
とはいえ普段ならば私は蚊帳の外に居て構わない身故、黙って事が過ぎるのを待っていれば良いだけなのだが──今日は違った。
「そういえば山村さん」
と不意に声をかけられ、
「随分リッチみたいだけどさぁ…親、何してる人ぉ?」
と不可思議な質問を投げかけられてしまった。
「え、リッチ?…立地?」
それからの皆の話題の切り替え、展開、発展は思わず目を回してしまわんばかりのもの。
いかに両親の職業が普通であると言おうとも信じて貰えず、しまいには多賀谷先輩を筆頭に家宅訪問の流れが出来上がり、仕方なく私は必死の覚悟で口を開く。
「実はうち…曰わく付きなんです!」
と。
途端、多くが目を丸くしてざわつく中で、ガタッと急に席を立った1人が一風変わった反応を見せた。
「望むところだ!」
目に闘志染みた火を灯し、誰より家宅訪問に乗り気を見せ始めた彼の名は島。
年上ではあるが同期であり、普段はまるでおとなしいが、確か噂で一度かなりのオカルトマニアであるというのを聞いたことがある気がする。
このままではまずいと苦し紛れに
「あの、あれ…幽霊とかじゃなくて…神様ですよ?」
と虚偽を放つが
「むしろ大歓迎だ!」
と火に油を注いでしまった様子。
「いつなら良い!?そっちの都合に合わせよう!」
最早これは止められそうにない。
それを悟ると同時、私は大きく溜め息をこぼした。