16.力無き者の定めに伏して
目に移るのは見慣れた景色。
されどまるで別の場所かと思ってしまわぬほど、いつになく空気はピリピリと重く、肌を刺す様に痛い。
疫病神は相変わらずの位置に居て鎮座しているが、どことなく落ち着かない様子が窺える。
だがそれは私達には悪い意味であったらしく、彼は不敵な笑みを浮かべて遂には堪えられなくなったか笑いのままに身を震わしつつ、ゆっくりとこちらに視線を合わせた。
「奴の背後の壁にあるの…」
弁天の呟きに導かれる様にその場所辺りを見つめるも、やはり札らしきものは目に見えない。
──全く視認できないということは無いと思うけど
いいや全く見えない。
──壁と同化
同化というか一体化してないだろうか?
そう思わず眉をしかめてしまう最中、ふと疫病神が口を開く。
「よその神の社にヅケヅケと上がり込んで来ちゃってさぁ…全く、随分と礼儀のなってないウナリ神だよねぇ~」
弁天と貧乏神を前にしても微動だにせず振る舞う様は余裕の表れか?
一見しては、なんとも傲慢な態度と見受けられる。
「盗んだ社にへばりつき、挙げ句我が物顔で悪態とは…。ふあぁ…誠なんと小さき神な事か…。同じ神とあって恥ずかしいのぅ」
わざわざ挑発しなくても、と私が内心浮かべていた折、
「主も滅されたくはなかろう?」
と彼女は続けて脅しかけた。
「大人しく明け渡すというなら、こちらも無用な手出しはせん…。…どうするかえ?」
言い終えて彼女は二本の指を立て右手を前に疫病神へと突き付ける。
されど彼が真っ先に返したのは嘲笑。
「クッ、フフンッ…」
と含み笑う様に声を漏らすと
「分かってないなぁ~」
と言って重い腰を上げた。
「お前達はモノを頼める立場じゃないだろぉ?」
その言葉とほぼ同時に弁天が
「オンソラソバテイエイソワカ!我が名を持ってかが戒めの鎖となさん!」
と語気を強め、早口に文言を放つ。
途端、
「ングッ!」と苦悶の面を浮かべる疫病神。
かと思えば唐突に
「くっ…ふっふ…ふあっは!」
と笑いをこぼし始める。
そのさまはなんとも気味が悪く、背筋を寒くさせた。
その間にヒトミはというと
「オンドゥルゲイエイソワカ!我が身楔て、かが戒め強めし糧となさん!」
と今までに聞いた事もないほど荒げた声を吐いては走り出し、その勢いを持って
「うりゃあ!」
と捨て身に疫病神に突っ込んだ。
「ヌッ!グアッ…ゥ…グッ、ゾ…邪ヴァだ…どげぇ!」
その光景を前に思わず立ち尽くしていると
「麻衣!早く!」
とヒトミが焚き付け、
「急げっ!長くは持たん!」
と弁天が私を急かした。
そんな二人の声に押されながら駆け寄った壁を必死に探るが、札は見当たらない。
「ちょっと、ほんとにあるの!?」
そう焦りつつ手探りベタベタと壁を撫で回す様に調べるが本当に全く分からない。
「そこにある!早くしろ!」
彼女は扉近くに立って動かず指図してくるだけで側に寄って示そうともしない。
「麻衣早くぅー!」
ヒトミはヒトミで疫病神にしがみついて動きを止めるので精一杯と言った感じ。
「うぅ…くそっ…くそっ…」
焦燥感からくる憤りを隠せずに延々バタバタと手探りを続けてしばらくののち、ついに壁にほんの僅かだけれども違和感を見付けた。
「あった!」
と言うもののハッキリと視認は出来ず、それはほぼ透明の身なりで擬態しているかのよう。
だが、それがかえって決め手となった。
「はっ、が…れろぉ…」
壁ごと削りとる勢いでガリガリとがむしゃらにその朧気な札に爪を立てては引っ掻き回す。
しかし焦るせいか手元は思うように動かず、元来の霊感無き無力さ故か欠片も剥がせず、私はただ戸惑い足掻いていた。
「やめ゛ろぉぉおおお!!」
重い空気がその声と同じ方から流れてくるのが分かる。
「はな゛ぜぇー!」
と凄い剣幕の気が背を刺し、余計に空回りしてしまう。
「麻衣…急い、で…」
「ぐっ…もぅ保たん…早くしろっ!」
けれども急がなければと思うほどに手元は狂い、気も狂ってしまいそうになる。
「ぞれを剥がしだらっ!…ゴイヅも…消えでなぐなるんだぞっ!」
気付かなかったのか、考えない様にしていたのか、されどハッキリと提言された今、私はそれを意識せずにはいられなかった。
その時、ふと力みを失った指が偶然にも札の端にかかった。
「あ…」
「奴の話しを聞くな!札を剥が」
と弁天の声が途切れたと同じ時、ヒトミの体が私の側まで飛んで床に落ちる。
音もなく。
そしてそれに続く様にして私自身の身体も力を失ったように倒れこむ。
(あれ…なにこれ…)
唐突に胸の辺りを襲う痛み。
(あ…、そうか…)
代償を払って、それでも生きていて、私は安心しきっていたようだ。
だが現実は甘くない。
(残った寿命が長いとは…限らんよな…)
そう朦朧と薄らいでいく意識の中、痛みに胸を押さえながら、私は目に映る景色をボーッと目に写していた。
(ヒトミ…)
眼前に横たわるその肢体から先程まで送られてきていた情報は、今ではプツリと途切れている。
(もう…切れたのか…)
願いによって通じていた感覚は失われたらしい。
彼女の思考さえ悟れず、身体を動かす事はおろか声を出す力さえ無い今、もはや万策尽きたといったところか。
『ヴーッ、ヴーッ…』
普段なら届いても気付かない様な些細な音にも耳が傾く。
それでもやはり為す術はないし見付からない。
「弁天様がこの程度だなんて、七福神も大したことないね」
と不快な物言いが耳に届いたのも直ぐ後のこと。
「…我に勝った程度で、おごるでない」
視界の外から聞こえるそれらの声に、最も強いはずの味方さえも彼には及ばなかったことがハッキリと分かる。
(まだ、意識はあるのに…くそっ…)
疫病神が完全に札の元を離れた今──今ならば容易く札など剥いでしまえるというのに。
今の私には体の不自由を嘆くことしか出来ず。
(痛みも…分からなくなってきたな…)
段々とどこか心地良い様な、されど胸の奥にはグズグズとした気分の悪い感覚が充満しているようにも思えた。
「んあぁ!」
耳に届く痛しき声に浮かぶのは凄惨な未来だけ。
(皆…死ぬのか…)
「オン、ソラソバテイ…エイ、ソワカ…」
「無駄無駄ぁ!君なんかじゃ僕を止められやしないよぉ!」
(もういい…無理をするな…)
伝える術もなくただ想うだけ。
(せめて楽に…)
それでも私は消え入りそうな意識を繋ぎ止めながら、じっと見守る様に辺りの音を拾った。
「我が身に、留めし…知思よ、主が命を持っテ、カガモトエ…トドケン…」
「ンン─イマサラナカマデモヨンダノカイ─」
(…?)
「シチフク─ンヲ─ルナヨ─」
それからガタンと扉を開く様な音が聞こえたと同時、私は感覚の全てを消失した。




