14.音の神の怪異と御礼の林檎
──この場所に君の存在を刻む
──代償は分かってる
──俺に払えるものはもう…この僅かな命しかないだろ?
──余命ひたすらに死を待つくらいなら俺は、ヒトミに居場所を残して逝きたい…
病院への道すがら、ふと胸の内に響いてくる聞き慣れない声。
それに感じるはずのない懐かしさを抱きつつ
「是が非でも取り返さんとな…」
と決意の程を呟く。
「(麻衣…もう大丈夫だから…)」
脳裏に流れ込む他が視界が動き、その思念が伝う。
「移動するかも…」
背後に居るらしき弁天に伝える様に声を吐き捨て、私は不安と焦燥を胸に、赤色と切り替わる目前の信号機に苛立ちの如き眼差しを送った。
その時、街中にいくつものクラクションが響いた。
傍らの車を覗き見るに、なにやら誤作動が起きていると見受けられる。
しかしそれは視界に映るだけでない付近全てのモノに生じているのではないかと思われるほどに辺りを満たしていた。
「(ん…?)」
病院はもう目と鼻の先。
だからか、彼女の元にまで異変が伝わった事実によって私は状況を悟り、
「助かる」
と一言、完全に機能停止した路道を突っ切った。
直後、辺りは何事も無かった様に静まり返った。
脳裏には窓辺から覗く大十字路の車道の姿。
それへ釣られるように次第に映像は迫り動いてゆく。
「(事故…?)」
不意に流れ込んでくるのはそう恐怖と不思議とにとらわれた感覚で。
身に覚えのないことにさえ罪悪感を抱いてしまいそうになる脆い心境も伝わってくる。
──黒闇姉様…
足取り早く急いだ病室までの道のり。
辿り着くと同時に覗ける部屋の内を見やり、真っ先に脳裏へ伝わってきたのは傍らの彼女のものと思わしき声。
それに返るのは
「(え!?)」
と驚愕を示す一音。
「(弁ちゃん…?)」
と不思議を追って180度転換した映像は真っ先に私を捉え、泳ぐ様に僅か揺れる。
「(麻衣…)」
そんなせわしなく流れ込んでくるあらゆる感覚をよそに私は嘆息を吐いた。
(やはり私からは見えんか…)
この目に宿る病室の風景にも、脳裏の映像にも、求めた彼女の姿そのものは映らず。
ただ伝わってくる借り物の感覚が余計に悲しさを助長していた。
「…ん?麻衣ちゃん?」
不意に名を呼ぶ声が耳に。
それに気付いて視線を送れば、丁度上体を起こそうとしている島さんの姿があった。
「…もう、良いんですか?」
と私は驚きを秘めながら彼に近付き様子を問う。
「ん~、少し気怠いけど大丈夫だろ。…ところで、もしかしてお見舞いに?」
残念ながら今回の目的はそれではない。
だがそんなことは言えぬと
「はい」
と頷いてしまった。
挙げ句、その嘘に実をつけんと備え付けの冷蔵庫へ手を伸ばし
「昨日見舞いの品に持ってきたんですけど…もう食べました?」
と問い掛ける。
「いや、今初めて起きたから」
「…それにしては随分冷静で」
「いや~鮮明に事故の瞬間が残ってたからねぇ。目ぇ覚まして、周り見て、やっぱりって思っちゃった」
不適に笑みがこぼされる。
「…ごめんなさい」
思わず私がそう口にすると彼は、それは何の謝罪?と問いを返し、私は恐る恐る
「あの…怨霊の…件…。私がもっと…ちゃんと拒んでれば…」
と答えながら、更に肥大化していく罪悪感と後悔とに身を焼かれる様な心境。
しかし、そんな事など知ってか知らずか彼は
「馬鹿だなぁ」
と笑って一蹴した。
「そういうのは付き物なんだよ。いわば名誉の負傷。生きてたんだし何の問題もない」
と声高々に。
その言葉を聞いて私は咄嗟に安堵する。
「良かっ…た…」
そう震える声と共に思わず涙が溢れた。
「え…?そんなに心配してくれてたの?」
「え…いや…そうじゃ、なくて…」
「いやいや、少しは心配しろよ」
「ハハッ…」
と取り留めのないやり取りに笑い声を漏らしつつ、その場に塞ぎ込み、戻らない表情を隠す。
「心配でしたよ…凄く…でしたし…罪悪感もあって…怖、くて…会社じゃ、変な目で…ん…」
そう途切れ途切れに想いを綴り、
「もう…ほんと…」
と言いかけて半ば
「もう良い」
と不意に彼に感情の吐露を押し止められる。
「もう黙ってろ。…で、携帯貸せ。部の奴らに俺が直接物申してやる」
「ゥフッ…一体、何て言うつもりです…?」
「んなもう決まってる。俺は好きで事故ったんだって」
「ハハッ…ハ…グスッ…物好き、過ぎです…。でも…ありがとう、ございます…。でも…ここ、病院です…よ…?」
きっとヒトミと意識を繋いでいるせいだ。
こんなにも感情的で脆くなっているのは。
「ルールは破るもんだろ」
「…守るもんです」
懸命に心を宥めつつ、側の果物ナイフを手に取る。
「林檎は、好きですか?」
「…それは脅しか?」
「はい?」
「…その質問に、はいと答えたら…俺は林檎の様に皮を剥かれるのか?」
「プッ、フッ…」
思わず笑い声を漏らした。
「私…そんな恐ろしい人物に、見えますか?」
と返しつつ、冷蔵庫の中に見つけた林檎をひと掴み。
赤い外皮をスラスラと剥いていく。
「いや…うん…しかし…意外と器用だなぁ」
意外は余計である。
「…家庭的なことも出来るのか」
「も?」
ふと引っかかった部分を言及。
結果、
「仕事もそつなくこなすだろう?」
と褒め言葉をいただく。
その後で
「迷惑だ。もっと失敗しろ」
と悪態をつかれ
顔をしかめて
「は」
と一言、
「嫌ですよ」
と次いで拒む。
だって
「怒られるじゃないですか」
「子どもか!」
「どっちが…」
そう呆れながらも私は淡々と皮剥きを続ける。
その少しのちに
「そういや」
と彼はまた口を開き、
「ヒトミちゃんに会ったよ」
と発した。
「え?」
と私は感嘆を吐くと同時に手を止めた。
「嘘…」
有視領域でない空間で視認出来るはずがない。
と借り物の知識を脳裏に放つ問い。
「霊感あるんですか?!」
「(麻衣!私は幽霊じゃありません!)」
「え?何で霊感?」
まずった、と気付いたのは瞬間的。
それから私は言い訳を考えるあまりに言葉を失っていた。
が、運良く
「ま、そんなことより」
と特に何かに感づいた様子もなく彼が続けてくれる。
「お礼しないとな。なんかやばい川を渡るのを止めて貰った気がする」
「気がする、って…曖昧ですね…」
「いやほんと。実のところ絶対にヒトミちゃんだったという自信もない、ハッハ…!」
それは決して誇らしげに笑うところではない。
「あ、ところでそれは…何だ?誰か入院祝いでもしてたか?」
不意に赤飯の油揚げ乗せへと話題がシフト。
「厄除け?…らしいですよ。縁起物で、神の御加護を、といった感じの」
私がそう説明するも
「うーん、意味はともかく…喜ばれているようにしか思えんよな?」
と彼は不快な様子。
まぁそれはごもっともではあるが。
「一体誰が用意したんだか…」
不覚にも私はそれに答えてしまった。
「アナタの母です」
と。
「………」
「………」
「とにかく今度ヒトミちゃんに礼を伝えようと思う」
どうやら聞かなかったことにしたようだ。
「一緒に見舞いに来てくれると手っ取り早いんだが」
少し言葉を考え、
「彼女、病院恐怖症なので」
と話をでっち上げる。
「ならまた飲み行くかな」
「懲りてないんですね」
「そんな空気の読める人物はやってない」
「…否定はしません」
むしろ頷きたいくらいである。
「まぁ機会があれば、またヒトミと一緒に持て成しますよ」
そう付け加え、切り終えた林檎を側の皿に乗せて差し出しまた一言。
「では、そろそろ失礼します」
借りていた椅子から腰を離し、ゆらりと立ち上がる。
「え、もう?」
「元気な姿も見れましたし、このあと課長との約束もあるんで」
「ふーん、へー、そっかぁ」
「…何ですか?」
「いや別に。いってらっしゃい」
そうして奇妙な笑みに見送られた。