幕間 2-2 ☆
「あのさ、エノク君。――ちょっと聞いてもいいかな?」
「うん? どうしたのだ、急に改まって」
突然改まった様子で問い掛けてきた詩織を前に、エノクがきょとんとした顔になる。
そんな彼に向かって、詩織は続く言葉を紡いだ。
「――エノク君ってさ、いつからこの図書館にいて、どうして館長さんになったの?」
真剣な中に好奇心を秘めた瞳で、詩織がエノクを見る。
この半年ずっと聞きたかったけれど、どんな事情があるのかわからず、何となく憚れる気がして聞けなかった質問だ。
だが、今なら聞ける。
先程、エノクの浮かべた表情から、詩織はそう判断したのだ。
「ああ、なんだ、そんなことか」
詩織の質問にエノクが肩をすくめる。
そして……、
「まあ、隠すほどのことでもないからな。時間もあることだし、教えてやるとするか」
そう言ったエノクが、過ぎ去った日々を懐かしむように天井を見る。彼はそのまま、自らの過去を語り始めた。
「――オレがこの図書館の司書になったのは、……もう数千年も前のことだ。オレの前の館長からこの図書館を任されたのは、確かその数年後のことだったかな」
「司書になったのが数千年前って……。エノク君、そんなに長生きしているの? っていうか、エノク君、もしかして人間じゃないの⁉」
何ということはないという態度でさらりと告げられた事実。
子どもでありながら館長をしているのだから、事情があるとは思っていたが……。まさか数千年もこの図書館で館長をしていたとは、さすがに想像していなかった。
詩織の驚きに満ちた顔からそんな考えを読み取ったエノクは、実に愉快といった態度で彼女を笑い始めた。
「ハハハ。まったくお前は、本当に失敬なヤツだな。――安心しろ。オレはれっきとした人間だ。それと『長生きしている』というのもちょっと違うぞ。正確に言うなら、オレは自らの時間を止めて、何千年もの間過ごしてきたのだ」
「時間を……止める?」
エノクの返答に、詩織が首を傾げる。
エノクの言っていることの意味がわからない。言葉にはせずとも、彼女の表情はその気持ちを余すことなく代弁していた。
そんな彼女の様子を見て取って、エノクは先生のような口調で説明を付け加えた。
「わかりやすく言うとな、オレは館長になる際、この図書館の創始者と彼の創造物であるセファーラジエルの力で、世界の時間の流れから外してもらったのだ。――っと、そう言えばお前は、まだセファーラジエルのことを知らないのだったか?」
「ううん、知ってるよ」
詩織がセファーラジエルとの経緯を、以前立川にしたようにエノクにも説明する。
エノクは立川のように驚くということはなく、むしろ納得したという面持ちでその話を聞いていた。
「そうか……。ならば話を続けよう。――世界の時間から外れた結果、オレの人間としての時間はそこで止まり、年を取ることなくなった。おかげで、こうして何千年もの時間をこの図書館と共に歩めるようになったわけだ。もっとも、時間を止めた代償として、オレはラジエルライブラリの外へ出ることができなくなってしまったがな」
この図書館から出られないという言葉に、詩織が思わず息を飲む。
それを見たエノクは「まあ、そこら辺は些細なことなので、まったく気にしていないがな」とおどけた様子で笑い飛ばした。
そんなエノクの姿を見て、詩織の中にもう一つ、新たな疑問が芽生えた。
「ねえ、エノク君。エノク君は何で自分の時を止めてまで、この図書館と歩んでいくことにしたの?」
「それはな、この図書館の創始者から二つの願いを托されたからだ」
詩織が問いかけると、エノクはうれしそうに、そして何より誇らしげに答えた。
「創始者さんのお願い?」
「そうだ。彼はこの図書館を離れる際、館長のお役目とともに二つの願いをオレに託していったのだ。――あの御方に代わり、セファーラジエルと共にこの図書館を守り続けること。この図書館を頼りにしてくる者達を助け続けること。この二つの願いを果たすため、オレは自らの時を止めることを選んだ」
そこで言葉を切ったエノクは、書庫への扉を見つめた。その目に宿っているのは、慈しみの心だ。
「この図書館は彼の――いや、今ではオレやセファーラジエルにとっても、かけがえのない宝なのだ。オレとセファーラジエルはこの図書館を守りながら、――そして彼との約束を守りながら、彼が戻ってくるのを待ち続けているのだ」
「そう……だったんだ……」
自らの時を止めて、この図書館の中だけで生き続ける。
それは、口で言うほど容易いことではないに違いない。楽しいことだけではなく、時には辛いことや悲しいこと、心が折れそうになることもあったはずだ。
だが、エノクの顔に後悔の色はなかった。そこにあるのは、自分の生き方に対する満足と充実。ただ、それだけだ。
エノクが見せる揺るぎない心に、詩織は素直な尊敬の念を抱いたのだった。
「まあ、オレの話はこんなところだ。オレは数千年前からここにいて、図書館の創始者に託された願いを果たしながら、彼が帰ってくるのを待っているというわけだ。――どうだ? お前が聞きたいことの答えになったか?」
「うん。十分だよ。話してくれて、本当にありがとう」
感謝の意を込めて、詩織が深々と頭を下げる。
と、その時……。
「おやおや、二人そろって、何のお話ですか?」
不意にあらぬ方向から声をかけられ、詩織とエノクが振り返る。
二人の視線の先、再び開かれた書庫への扉の前に立川が立っていた。どうやら他の閲覧室の手伝いが終わって、こちらへ戻ってきたようだ。
立川の姿を捉えた詩織は早速扉の方へ駆けていき、彼を出迎えた。
「立川さん、お帰りなさい。今、この間のレファレンスの記録をつけ終わって、エノク君に確認してもらっていたところなんです。その後、ちょっと雑談を……」
「そうでしたか。報告書の作成、ご苦労様です。で、どうでしたか? 自分のレファレンスを客観的に振り返ってみた感想は」
「すごく……、はずかしかったです……」
「ハハハ、そうですか。――でも、その失敗もいつか良い思い出になりますよ」
再び顔を真っ赤に染めた詩織の頭をポンポンとなでながら、立川が励ましの言葉をかけた。
「あはは……。本当にそうだといいんですけど……」
頭を撫でてくれる立川を仰ぎ見て、詩織が曖昧な笑みを浮かべる。
すると、いつの間にか詩織の背後に立っていたエノクが、彼女の背中をパシンと叩いた。
「新米なんていうものは、得てして失敗から学び、一人前になっていくものだ。お前もそうして成長していけばいい」
「エノク君……。――うん、そうだね。いつまでもクヨクヨしてないで、今回の失敗を明日の成功につなげないと!」
(――それでわたしも、エノク君のようにこの図書館を守る一人になりたいから!)
一人新たな決意を胸に秘めた詩織。
それを知ってか知らずか、エノクと立川も彼女を温かく見守った。
「そうと決まれば、早速お勉強です。次の利用者さんが来るまでに、少しでも成長しておかなければ!」
「ええ。その意気ですよ、詩織さん」
「まあ、気負い過ぎずに頑張ることだ」
「了解! それじゃあ立川さん、よろしくお願いします!」
エノクと立川からエールをもらい、詩織のやる気に火がついたようだ。
すっかり前向き思考に戻り、彼女は今日も張り切って司書の勉強に取り掛かるのだった――。




