序幕 夢と本と不思議な図書館
――そこは、世界のどこからでもいける場所。
――そこは、世界のどこにも存在しない場所。
――そこは、あらゆる知識が詰まった場所。
――そこは、探し物を抱えた者が、最後に頼る場所。
神秘と秘密を司る天使、ラジエルの名を冠したその場所は……。
――――――――――* * *――――――――――
――夢を見ていた。
なぜか夢の中にいると理解できる、変な夢だ。
それは、古い思い出。小さい頃にした不思議な経験。
わたしはまるで映画を見るように、その時の光景を見ていた。
もっとも、映画のように画面越しではなく、画面の中に入り込んだような状態ではあるけれど……。
どうやら今のわたしは、幽霊みたいなもののようだ。自分の手に目を落とすと、その先の床が透けて見えた。
自分の状態を確かめた後、わたしが見ている夢の舞台についても、改めて確認してみる。
そこは、洋館の貴賓室を思わせるような造りの部屋だった。だけど、家具らしい家具はほとんど置かれていない。唯一の家具と言えるのは、部屋の中央に置かれたテーブルだけだ。
部屋の雰囲気に合わない、簡素な木製テーブル。その上には、宝箱のような木箱が置かれていた。
そんな、どこかチグハグしたというか、とにかく奇妙な部屋の中に、幼い頃のわたしがいた。
――何となく、思い出してきた。
この部屋にいる小さい頃のわたしは、どうしてここに来たのか、どうやってここに来たのか、そういったことをまったく覚えていない。気が付いたら、この部屋にいたのだ。
「やあ、いらっしゃい。小さなお嬢さん」
幼いわたし以外に、誰もいない部屋。
なのに、どこからともなく声が聞こえてきた。
その声は少年のように高く、まるで笑っているように楽しげだった。
「だーれ? どこにいるの?」
小さなわたしが、首を傾げながら部屋の中を見回す。
だけど、部屋の中には当然誰もいなくて、オロオロするのみだ。
そうしたら、さっきの声がもう一度、部屋に響いた。
「ぼくはここだよ。君の目の前だ」
「めのまえ?」
言われるままに目の前を見る小さいわたしと、それに倣う今のわたし。
すると、テーブルの上に置いてあった宝箱の蓋が、ゆっくりと開いていった。
「あれれ? ふたがかってにあいた」
不思議そうに首を傾げた小さいわたしといっしょに、宝箱の中をのぞきこむ。
そこに収められていたのは、一冊の本だった。
歴史を感じさせるような重厚感。だけど、決して古びているわけではない。
革製と思われる茶色の表紙は、今日設えたと言われても信じてしまいそうなくらいの光沢がある。
そんな不思議な本だった。
「やあ、お嬢さん。はじめまして。良ければ君の名前を教えてくれないかな?」
「うん、いいよ。わたしのなまえはね、かんだしおりっていうんだよ」
「しおり、か……。うん、いい名前だね。とてもかわいい」
「えへへ、ありがとう! 」
名前を褒めてもらった小さいわたしが、とってもうれしそうに笑う。
見ているこっちまで明るくなってしまうくらいの、満面の笑顔だ。
小さい自分のことをこう言うのもどうかと思うけど、なかなかかわいらしい。
「ねえ、ほんさん。あなたのおなまえは、なんていうの?」
「ぼくはセファーラジエル。とある天使によってこの世の神秘を記された、知識の宝物庫だよ」
「せふぁーらじえる? へんななまえね」
幼いわたしが、おかしそうに笑う。人様(と言っても、本だけど)の名前を聞いて、笑い出すとは……。幼さとは恐ろしいものだ。
「ねえ、せふぁーらじえるさん。ここはどこなの? なんでわたしはここにいるの?」
戦々恐々としているわたしを尻目に、幼いわたしはセファーラジエルと名乗る本へ、次々と質問を飛ばす。
その質問に、セファーラジエルと名乗る本は一つ一つ丁寧に答え始めた。
「うんとね。まず一つ目の質問、ここがどこかということだけど……。ここはラジエルライブラリ。神秘と秘密を司る天使の名を冠した、探し物を抱えた者が最後に頼る拠り所さ。この部屋は、その最深部にして中心部だよ」
「ふえ? らじえるらいぶらり? よりどころ?」
「あはは、ごめんごめん。言い方が少し難し過ぎたね。要するにここは、ちょっと不思議な図書館ということだよ」
難しい言葉が多くて、目を白黒させている小さいわたし。
その様子を見かね、セファーラジエルが笑いながら謝り、言い直した。
「次に第二の質問、君がここにいる理由の答えだけどね。それは君が、この図書館に選ばれた人間だからだと思うよ」
「ふーん。よくわかんないけど、そうなの?」
「おそらく、だけどね。ぼくが見た限り、君はこの図書館の利用者じゃないようだし……。とはいえ、この図書館に招かれたにしても、君は幼すぎるね。それに、いきなりこの部屋へ一人で来てしまうというのもおかしいな……。――ふむ、ちょっと待っててね」
そう言うと、セファーラジエルはどこかと連絡を取るように、ブツブツと小さな声で何かをつぶやき始めた。
何やら大切なお話のようなので小さなわたしが大人しくして待っていると、彼(?)は不意につぶやくのを止め、小さなわたしに声をかけた。
「お待たせ。やっぱり君が今ここに来てしまったのは、ラジエルライブラリの手違いだったようだ。――というわけで、せっかく来てもらったところで申し訳ないけど、今はおうちへお帰り。そして、君が真の意味でこの図書館に招かれる日を待っていてくれ」
「ほえ? まねかれる? わたし、またここにこれるの?」
「うん! 今、ぼくはこの図書館とお話ししていたのだけど、君がこの図書館に選ばれた存在であるのは確かなようだ。だから君の力が必要になった時、この図書館への扉が再び君の前に現れるはずだよ」
「そうなんだ! わかったよ、せふぁーらじえるさん。わたし、まってる!」
小さなわたしが元気よく言う。
うん。あの顔は、言われていることを全く理解していない顔だ。自分のことだから、手に取るようにわかる。
とりあえずまた来られるということだけわかって、喜んでいるのだろう。
と、目の前にいる幼い自分の思考を推理していると、不意に引き上げられるような感覚を覚えた。本と部屋、それに小さい頃のわたしが急速に遠退いていく。
――どうやらわたし自身も、夢から覚める時が来たようだ。
「時が満ちれば、君は再びこの図書館を訪れることになるだろう。その時が来るのを、楽しみに待っているよ。迷い人達の希望の光、新たな図書館司書候補よ」
夢から覚める直前、セファーラジエルが何か言ったような気がした。
夢から覚めようとしていたせいか、残念ながらその言葉を聞き取ることはできなかった。
でも、まるでクリスマスプレゼントが届くのを待つ子供のような、楽しげな感情だけは伝わってきた――。
* * *
目を覚ましたわたしは、寝転がったまま部屋の天井を見つめ、さっきの夢を思い出していた。
今では思い出すこともできなくなっていた、幼い頃の不思議な経験。
なぜ今頃になってその夢を見たのか。
その意味を知るのは、それから数日後のことだった――。




