表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/3

共に

 ――バァン! と音がして、空気が割れたように揺れた。

 咆哮でまわりにいる者を動けなくする、アークの特技だ。

 高い音圧でセリシアの体が震えた。自由がきかない。

 コボルドも、ある者は腰を抜かし、ある者は四つん這いになって動けないでいた。

「オオオオオオオオオオォォォォォッー!!」

 咆哮は続いた。

 地鳴りがするのを足元に感じた。見る間に、セリシアの前で世界が揺れはじめた。揺れは次第に大きくなる。

 ついには、立っていられないほどの振動になった。

「あっ!!」

 セリシアは地に伏せた。暴れ馬に乗っているかのように、地面から振り落とされそうだ。体の下で大地が踊っている。

 セリシアは、アークを見上げて驚いた。空に向かって吠えるアークの体が大きくなっている。上半身は、服の下から筋肉が盛り上がり、普通の人間の倍ほどにふくれていた。

 見る間に肌が黒くなっていった。動物の体毛のようなものが伸びて、全身をおおっているのだ。顔も変わっていった。鼻先と口が前に飛び出し、大きく裂けた口からは長い牙がのぞいた。

 犬――いや、狼だ。

 アークは、狼の魔物になっていた。

「――オオオオオオオオオオォォォォォッー!!」

 甲高い咆哮は、さらに続いた。

 空気と地面の揺れが、ますます強くなっていった。大地が狂ったように暴れている。アークだけが地面に根を張ったように動かない。

 突然、爆発するような音がした。目の前の地面が裂けていた。大地が揺れに耐えきれなくなったのだ。暗い口を広げた地割れが、いくつもできていく。体勢を崩したコボルドたちが、叫びながら転げ落ちていった。

 まわりの建物が揺れた。力尽きたように土台から崩れていった。土ぼこりが舞いあがり、あたりが一瞬で暗くなった。

 奥にある大きな建物も生きているように左右に揺れた。耐えきれずに、派手な音を立てながら崩れ落ちていった。

 さらに、まわりをかこむ砦の防壁がグラグラと揺れると、次々に倒れていった。

「――オオオオオオオオオオォォォォォンッ!!」

 咆哮が止んだ。

 次第に揺れは収まっていった。しかし、セリシアには、いつまでも世界が揺れている気がした。

 土ぼこりが収まると、あたりの様子が明らかになった。

 砦は瓦礫の山になっていた。

 建物の残骸が丘のように連なっている。砦としての役割を為すものはなかった。

 その場で動ける者は、セリシアと狼の魔物になったアーク、ほこりをかぶって体の色が変わったようなトロールだけだった。


 アークは、全身が真っ黒な毛に覆われていた。背丈はセリシアの倍ほどもある。あり得ない形に盛り上がった筋肉といい、見るほどに人間とはかけ離れていた。

「はぁっ……はぁっ……」アークは体を上下させて息をした。

「アーク、あなたは……」

「セリシア! 怪我は!?」

「え? あ……、い、いたたた……」思い出したように鋭い痛みを肩口に感じて傷を押さえた。「へ、平気……。血止めの薬があるから……」

「うぉっ……! ぶはぁっ……!」突然、アークは、気持ち悪そうに息を吐き出した。

「どうしたの!?」

「久しぶりに変身したから……酔った……」

「よ、酔うんだ……」

 ガラガラとまわりの瓦礫を崩しながらトロールが立ち上がった。あたりを見渡すと、うなるように言った。

「オレの……砦が……」

 無生物のような目でアークを見据えると言った。「建国の功臣、四侯がひとり、ルーン・フェンリル――。その末裔には人間の血が混じり、力を失ったと聞いていたが……。噂ほど当てにならんものはない」

「アーク・フォウ・フェンリル」

 アークはトロールを見据えて言った。「わかっているなら話がはやい。この地を立ち去って、2度と足を踏み入れないでくれ」

「なにをっ!?」トロールは怒りの形相で睨んだ。「国を捨てた逆賊がっ……! 貴様になど、指図されるいわれはないっ!!」

 トロールは全身の筋肉を盛り上がらせた。胸を風船のように膨らませて息を吸い込む。吐き出すとともに、地の底から響くような声を出した。

「ぐおおおおおおおおおおぉぉぉぉぉっっ!!」

 アークとはちがった、圧迫されるような低い咆哮。セリシアは恐ろしくなって、脚の力が抜けるようだった。

 叫び声に吸い寄せられるように風が吹きはじめた。風は、どんどん勢いを増していく。ゴオオオオッ! と恐ろしげな音がして、目も開けていられないほどの強風になった。

 嵐だ。見たこともない強さだった。

 あっという間に、トロールの頭上に黒い雲が広がっていった。

 セリシアは風で飛ばされそうになった。地面に爪を立てるようにしがみついた。それでも流されそうだ。

「――ぐおおおおおおおおおおぉぉぉぉぉっっ!!」

 トロールの体が大きくなっていった。背丈は人間の3、4倍にもなろうといている。内から破裂せんばかりに筋肉がふくれ上がった。

 あたりの瓦礫が風で浮き上がった。ものすごい勢いでトロールに飛んでいく。ぶつかる直前、滝を逆さまにしたように空へと舞い上がった。激しい上昇気流が起きている。

 瓦礫か小石が飛んできて、地に伏せるセリシアにも容赦なくぶつかった。

「うわあぁっ!」

 強い風に体が浮き上がりそうになる。地面をつかんだ爪がはなれそうだ。

 不意に風が弱まった。見ると、目の前にアークの背中があった。

「おおおおおおおおおおぉぉぉぉぉっ!!」

 トロールの叫びが止んだ。次第に風も収まっていった。

 ドガガガッ! と轟音とともに、空に上がった瓦礫が地面に落ちてきた。

 アークは、セリシアに言った。

「ここはあぶない。離れていてもらえるか」

 セリシアはうなずくと、足を引きながら、そこを離れた。

 トロールは、アークを見据えると言った。

「同族と本気で戦うのは生まれてはじめてだ……!」

「どうしても戦うつもりか」

「国賊に見せる背中はない!!」

「……仕方ない」アークは疲れたように息を吐き出した。「トロール、お前の名前はなんという?」

「……裏切りものに名乗る名などないわあああぁぁぁっ!!」

 トロールが走った。ドンドンと地面が揺れる。まるで山が襲いかかってくるようだ。

 巨石のような拳がアークに突き出された。

 地面が爆発して吹き飛んだ。土くれが噴き上がる。

「アーク!」セリシアは叫んだ。

 土煙のなかにアークの姿はない。

「むっ……!」

 トロールが顔をあげた。黒っぽい影が空を飛んでいる。アークだ。ゆるやかに一回転すると、鳥のように音を立てずに着地した。

「大した力だ」アークは言った。

「その身で思いしれっ!!」

 トロールが走った。右の拳で殴りかかる。

 アークは体をさばいた。アークをかすめて、拳は地面に大穴をうがった。

「ぬうっ!!」トロールは、さらに拳を突き出した。

「フォッ!!」アークが叫んだ。

 回転するように、高い蹴りを繰り出した。

 激しくぶつかる音がして、トロールの太い腕がアークの蹴りで弾き飛ばされた。

 トロールは蹴られた勢いでアークに背中を向ける格好になった。アークも半回転して背を向けた。

「があぁっ!!」

 振り向きざまにトロールが組んだ両拳をアークに叩きつけた。

 が、アークは高く跳んでかわした。

 逆立ちしながら空を舞う。ゆっくり回転すると、トロールのはげ頭に片足で降り立った。

 アークをつかもうとして、トロールは頭上に腕を伸ばした。アークは器用に跳んではかわし、またも頭に着地した。

「ぬがあああああぁぁぁぁぁっ!!」

 トロールが頭を振り回した。

 アークは、それでも張り付いたように立っていた。が、頭を蹴りつけて飛び上がると、離れて降り立った。

 トロールが地響きを立てて、しりもちをついた。

 アークは、鋭く伸びた爪で指さして言った。

「どうした。それが全力か?」

「ぐっ……ぐぶふふ……」

 トロールは不気味に笑った。ゆっくり立ち上がり、背を向けて歩き出した。

 崩れた建物の前に立つと、瓦礫の山のなかに腕を突っ込んだ。ガラガラと瓦礫を崩しながら取り出したのは、人間の背丈よりも大きななただった。分厚い刀身が鉛色の空を映した。

 トロールは、大鉈の頭を引きずりながらアークに近づいた。

 鉈を振り上げる。ものすごい勢いで降り下ろした。

 ――ビュオッ! と、空気を切り裂く音がして、巨大な刃がアークに迫った。

 アークは飛び退きながら背を反らした。胸の前を刃が通りすぎた。

 鉈は地面を一直線に切り裂いた。

「ぐはははははぁぁぁっ!!」

 トロールが鉈を振り回した。暴風のような打ち込みがアークを襲う。

 無数の攻撃をアークは紙一重で避けていった。

「ほぉ……、はやい攻撃だ」

「余裕を見せたことを後悔させてやる!!」

 トロールは次々と攻撃を仕掛けた。

 大鉈の乱舞に、アークは徐々に押されていった。

 ひときわ鋭い一撃が地面に溝をうがった。

 アークは隙をついて前に出た。狙ったように、トロールが前蹴りを放った。

 アークは高くはね飛ばされた。宙で一回転すると、片ひざをついて着地した。

 トロールは片足を前に出しながら言った。

「……かわしたか」

 アークは立ち上がると言った。

「トロールとは思えないほどの動きだ……」

「貴様こそ、それほどの力を持ちながら、同族を裏切るとは……」

「お前らのやり方には愛想がつきた」

「やり方? やり方だと……。ぐっぶふふ……!」

 トロールは大きく鉈を振りかぶった。

 空気を切り裂きながら、勢いよく鉈を投げた。ブンブンブンと、恐ろしいとともに鉈が宙を滑った。

 大鉈がアークの目の前に迫った。アークは、頭が地につくほど背を反らして鉈をかわした。

「ぐはははははっ!!」トロールが言った。「すばやさが自慢のようだが、それはどうするっ!?」

 大鉈は宙を滑りながら徐々に曲がっていった。その先にはセリシアがいた。

「なにっ!?」アークが声をあげた。

「死ねぇっ!! 人間!!」

「あっ!」セリシアは叫んだ。

「くっ!!」

 アークは体をねじって立ち上がると、放たれた矢のようにセリシアに向かって走った。

 セリシアは立ち上がった。

「うぅっ!?」

 頭がふらつく。傷を負った太ももに力が入らず、思わず前に倒れ込んだ。

 空気を斬りながら、大鉈がセリシアに迫った。

「……っ!!」セリシアは顔を伏せた。

 肉と骨を切るような鈍い音がした。

 が、痛みはない。衝撃もなかった。

 目を開くと、アークの大きな黒い背中があった。

 セリシアの背丈より大きいであろう巨大な鉈は、アークの前で止まっていた。

 ゴトッと音がして、アークの足元に黒い塊が落ちた。腕だ。さらに、手首らしきものが落ちてきた。

「ぐ……ぅっ!」アークはひざをついた。

 見れば胸板にも、まっすぐに大きな傷がついていた。ドボドボと真っ赤な血が吹き出した。

「アークッ!!」セリシアは叫んだ。

「ぐぅはははははっ!!」

 トロールが走った。ドンドンと地を揺らして迫る。覆い被さるようにアークを押さえつけた。馬乗りになると、両手を怒らしてアークの首を絞めあげた。

「ぬうぅっ!!」

 アークは手首のない腕をトロールに叩きつけて抵抗した。しかし、トロールは、いっそう力を込めて首を絞める。

「死ねえぇっ!! 」トロールが声をあげた。

「がっ……あっ……!」

 アークの体から次第に力が抜けていった。

 手首のない腕が地面に落ちると、アークは動かなくなった。

 トロールは、馬乗りになっていたアークから降りた。ゆっくりと立ち上がると言った。

「ぶぅっ……、ぶふぅっ……! 何が四侯の末裔だ……! 魔族の面汚しめがっ! このオレが片付けてやったわ!」

「ア、アーク……!」

「次はお前だ、人間!」トロールはセリシアに向き直った。「脆弱な人の身でありながら、偉大なる魔族に逆らった罪――。その報いを受けるがいい!!」

 巨大なトロールが、セリシアの目の前に立ちふさがった。

「自らの非力さを呪って死ね……!!」

 セリシアは震えそうになる脚に力を入れて立ち上がった。最後まで心だけは負けまいと、トロールを見据えた。

 トロールは見下ろしながら言った。

「所詮、貴様ら人間は、創造の神が〈猛きもの〉――魔族をつくりあげたあとの残りカスでできた、できそこないのクズなのだ……!」

 大きな腕を振り上げ、拳を突き出した。

常世とこよの闇に帰れえええぇぇっ!!」

「違うっ!!」セリシアは叫んだ。

 打ち出される拳が目の前に迫った。

 あの巨石のような拳が、自分の肉を破り、骨を砕くだろう。セリシアは覚悟を定めて目をつぶった。が、戦う意志だけは永遠に失うまいと心に誓った――。


 ――何も起きない。

 セリシアはまぶたを開いた。

 崖のようにおおい被さるトロールの顔が苦痛で歪んでいる。見れば、トロールの腹を突き破って何かが飛び出している。

 手だ。黒っぽい、鋭い爪のそろった手が、トロールの背中から腹を突き破っていた。

「グッ……ゴァッ!!」トロールは苦しげにうめいた。

「アーク!!」セリシアは声をあげた。

 トロールを背後から攻撃したのはアークだった。鉈に落とされたはずの腕が、いつの間にかもとに戻っている。

「どうも、まだ本調子じゃないな……」

「な、なぜだっ……!?」トロールが言った。

「すまんな。満月に近いほど、死ににくくなる体質だ」

「再生能力かっ……!」

「ん? これは……」

 アークは全身を力ませると、トロールに突き刺した右腕の力だけで巨体を持ち上げた。山のような巨体を高く放り投げた。

 ――ズオオォォォンッ……!!

 地響きを立てながらトロールは背中から落ちた。

 アークの右手は血で汚れる代わりに、黒っぽい金属の部品のようなものをつかんでいた。

「〈魔導機〉を仕込んでいたか」アークは言った。「その様子なら、上半身は首から上以外、すべて機械だな」

 腹に穴を開けたトロールが立ち上がった。傷口のまわりには肉と血のかわりに黒々とした機械類が見えた。

「力を求める戦士なら当然のこと……! 貴様とて、その異常な力! 魔導機によるものだろう!?」

 トロールは落ちていた鉈を拾い上げる。走り寄ると、アークに降り下ろした。

「いいだろう。装者が相手なら見せてやる」アークは静かに言った。

 目の前に迫る刃に向かって、アークは鋭く上段蹴りを放った。

 ギイイィィィン!! と、金属と金属のぶつかる音がして、トロールの大鉈が弾かれた。

 アークの脚の先、かかとから、黒い棒のようなものが伸びていた。

「魔槍――〈グリンドル〉」アークは言った。

 垂直に上げた右足のかかとから飛び出す、黒い金属らしきもの。生物のようにうねった本体。先端だけが人工物らしくとがっている。槍の先のようなものが空に向かって伸びていた。

「それはっ……!!」トロールが声をあげた。

「震えろ! グリンドル!!」

 ――イイイィィィンッ!! と、耳をつんざくような音がして、まわりの空気が震えた。

「あの力! やはり貴様も魔導機を仕込んでいたか!!」

 トロールは、大鉈をアークに向かってなぎ払った。

「仕込んじゃいない」アークは上体を反らして鉈をかわした。「生まれたときからついていた。これは俺の呪いだ」

「先天性の魔装者か!」

 トロールが続けて大鉈を降り下ろした。

 アークは、左足の高い蹴りを繰り出した。脚の先から魔槍が伸び、鉈と激しく打ち合って弾き返した。

「俺はこいつのせいで、幼いころは歩くこともできなかった」アークは言った。

「戦士であれば、誰でも強大な力を望むもの!!」

「ほしいなら、トロール、お前にくれてやりたいぐらいだ」

「よこせ! その身を切り裂いて、えぐり取ってやるっ!!」

「それは困るな」

 トロールは、力任せに大鉈を振り回した。

「がああああああああああぁぁぁぁぁっ!!」

 竜巻のような乱舞だ。大鉈の嵐がアークを襲った。

「うおおおおおおおおおおぉぉぉぉぉっ!!」

 アークも叫んだ。

 踊るように放つ左右の蹴り技で、大鉈の攻撃を跳ね返していく。

 アークの脚は、大鉈の刃を受けても傷ひとつつかない。金属のぶつかる音とともに弾いていった。

 突如、アークは地面に両足をつけた。

「ぬがあぁっ!!」

 その隙をついて、トロールが、アークの頭に向けて大鉈を振るった。

 アークは、迫る刃を見据えて言った。

「割れ! グリンドル!!」

 ゴオオオォォォッ!! と、すごい音がして、アークとトロールの間に地割れが起きた。

 トロールは、巨大な塔が倒れるかのように、ぐらりと大きく傾いた。が、踏みこらえると、アークに大鉈の一撃を振るった。

 ――ギイイイィィィンッ!!

 空気を震わす金属音がして、大鉈が宙を舞った。

 アークが繰り出した跳び前蹴りで、トロールの鉈が弾き飛ばされていた。

 鉈はブンブンと回転して空を舞う。地面に突き刺さった。

「がぁっ……!! ぶはぁっ……!!」

 トロールは、汗で濡れた筋肉を上下させながら、乱れた息をした。

「もう、わかったろう」アークは言った。

「ぐぅっ……!! ぐうううぅぅぅっ……!!」

 トロールは奇妙な声でうめいた。そのまま背中を向けると歩いていった。

 アークは向き直ると言った。

「セリシア、村に戻ろう」

 狼のアークは、遠くから見ても優しげに澄んだ瞳をしていた。

「待てっ! 裏切り者に見せる背中はないと言った!!」トロールが振り返った。

 地面に突き刺さった大鉈を引き抜いた。

 大きく振りかぶると、滑らせるように投げ放った。

「死ねッ!! 国賊!!」

 大気を切り裂いて鉈が飛んだ。

 鉈は、徐々に軌道を曲げるとアークに迫った。ブゥンッ! とすごい音を立て、アークの横を通りすぎていった。

 さらに軌道を曲げると、セリシアに向かって飛んだ。

「くっ!」

 セリシアは立ち上がった。

 ――この距離なら避けれる。鉈の曲がってくる反対方向に飛び退けばいい。

 避けようとしたとき、不意にセリシアの体が浮かび上がった。

 重さのなくなった体は、ぐんぐん空をのぼっていく。あっという間に、巨大なトロールを見下ろす高さになった。

 見上げると、すぐそばに狼のアークの顔があった。セリシアは、アークに抱き抱えられて空を飛んでいた。

 投げられた大鉈は、セリシアたちのいたところを、回転しながら通りすぎていった。竜巻に巻き込まれたように木々が断ち切られ、吹き飛ばされていった。

 鉈は円を描くように曲がった。そのまま、トロールのもとに戻るように飛んでいった。

「やめろっ!!」アークは叫んだ。

 トロールは胸を広げて、両手をあげると言った。

「我が名はブラス!! トロール族の勇者、ブラスだっ!!」

 ――ザンッ!! と、大鉈の刃がトロールの首を斬り落とした。


 セリシアを抱き抱えながら、アークは地面に降りた。

 地に落ちたトロールの首が、濁った目をアークに向けた。

「裏切り者に……永遠の呪いを……」

 首を失ったトロールの体が、地響きを立てながら倒れた。

 アークはそれを見据えながら言った。

「呪われているのは、お前だ、ブラス……」


 ※


 ――オーイ……!

 どこからか、かすかな声が聞こえる。聞いたことのある声だ。

 セリシアはあたりを見回した。

 森の中から、セリシアたちに近づいてくる集団があった。

 先頭のいるものが、こちらに手をふって呼びかけてくる。

「オーイ!」

 手をふっているのはホルスだ。

 集団は村の警備隊の若者たちだった。セリシアの身を案じて来てくれたのだろう。

「アーク、村のみんなが……」

「あぁ……」

 セリシアは遠くに、大きく手を振った。

「みんなー!」

 その後、セリシアは行き過ぎた自分勝手な行動を、村のものたちに心から謝った。そして、アークこと、砦で起きた不思議な出来事などを話した。

 特に、魔物から人間の姿に変身して見せるアークについての説明は困難を極めた。

 やっとのことで理解してもらうと、皆とともに、瓦礫の山となった砦をあとにした。

 後日、討伐隊員の亡骸は、村の人々によって地下室から掘り起こされ、手厚く葬られた。


 数日後――。

 セリシアは王都へ旅立つ前に、神殿の司祭のもとを訪れていた。

「おお! セリシア、もう傷はいいのか?」老司祭は言った。

「はい。まだ、ちょっと痛むけど、旅には問題ありません」

「なにも、怪我をしたお前が行くこともないじゃろうに……」

「王都への報告は、どうしても私がやりたいと思って――」

「せわしない娘じゃな」

「はい」セリシアは微笑んだ。


 セリシアは神殿の外に出た。停めていた馬に乗ると村を出立した。

 森のなかの道を歩いた。葉の隙間からこぼれる日の光がまぶしい。

 しばらく行くと、木にくつわを繋がれて休む馬がいた。その下には、幹に寄りかかるようにして寝転ぶアークがいる。

「アーク」

 セリシアはアークの肩を揺すった。

「……ん? もう、時間か……」

 アークは寝ぼけながら言った。

 セリシアは手を差し出した。

 アークは、その手をつかんで立ち上がった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点]  圧倒的な筆力……!見事でした!  素晴らしかったです!  特に1話のドキドキするような伏線の貼り方。いいですね!大好きです!  2話目で「えっ!?」て驚きを感じられるのも超好きです。 …
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ