表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/3

出会い

基本的に「変身ヒーローもの」です。

シリアス、災害の表現などあります。

 少女は、森のなかを走った。

 まわりの木々が風に飛ばされるように流れていく。太陽は頭の上にあるはずだが、森のなかは夕暮れのように暗かった。

 背後から、十数体もの〈コボルド〉――犬の頭をした半獣人の魔物が追ってきていた。

 息があがる。じんわりと背中にかいた汗が冷えてきた。避けきれない固い木の枝が、強く頬をなぶっていった。

 振り返ると、コボルドの追手は数体にまで減っていた。

 このまま行けば逃げ切れる。少女はやっと安堵した。

 少女の名はセリシア。森に囲まれた村〈トコリ〉の狩人だ。剣と盾の神〈イディーン〉を信奉する神官戦士でもある。

 剣の腕なら、村の男にも負けない。コボルド程度の魔物なら、数体でもいっぺんに相手をする自信がある。

 とはいえ、十体を超えるとなれば話はべつだ。コボルドの持つ武器は手入れなどされておらず、血と錆で汚れきっている。切れ味は悪いが天然の毒のようなものだ。斬られたところから病気になって死ぬ者もいる。

 前方に、明るい空間が見えた。村へ続く道に出たのかと思ったが違った。そこは木々の切れ間の広場のようになっていた。

「……あっ!?」セリシアは目を見張った。

 広場のまん中に男がいる。姿からして旅人のようだ。どこかの民族衣装だろう、変わった服装をしている。

 男は何をするでもなく、日の光を受けながら空を見上げていた。

「逃げて! 魔物が追ってきている!」セリシアは叫んだ。

 しかし、男は空を見ているばかりだ。

「ほら! はやくっ!」

 セリシアは駆け寄って男の腕をとった。が、引っ張っても男はびくともしない。それどころか、力なくしゃがみ込んでしまった。

「何してるの!?」セリシアは声をあげた。

 男は、か細い声でいった。

「は……、腹がへって……。体が……動かない……」

「魔物が来るのよ!?」

 セリシアは振り返った。

 木々の間を抜けて、コボルドたちが近づいてきていた。

「……仕方ない!」

 セリシアは、肩にかけていた道具カバンを投げ捨てた。腰に帯びた白い鞘から、細身の剣をすらりと抜いた。銀色の刃が、日の光を受けて眩しく輝いた。

 セリシアはコボルドに向かって、まっすぐに剣をかまえた。


 1体のコボルドがセリシアに近づいた。背負っていた大ぶりの太刀を抜いて斬りかかる。血錆びで汚れた刃先が目の前に迫った。

 セリシアは、すばやく一歩を踏み出して、刃をかわした。風圧がほほをかすめる。同時に剣を降り下ろした。

 肉を斬るにぶい感触を剣先に感じた。

 ――ギャギャッ!

 コボルドは叫んで太刀を落とした。痛みにもだえて地面を転がった。

 セリシアは勢いを落とさず、もう1体のコボルドに向かって走った。剣先を鋭く突き出す。腹を突き刺され、コボルドは苦しげにうずくまった。

 コボルドたちはひるんだ。

 あと5体。しかし、不用意に動かなくなり、セリシアにとっても攻めにくくなった。

 そこに、遅れてついてきた数体のコボルドが合流した。これで数は10体以上。やはり、不利な戦いになった。

 セリシアは男を見た。しゃがみこんで何かをしてる。

 投げ捨てたカバンを勝手に開けて、なかを探っているようだ。

「えっ……!?」

 保存食を食べていた。こっちは命がけというのに、呆れたものだ。そんなに腹がへっていたのか。

 しかし、たとえ変な人としても、巻き添えで見殺しにはできない。

 セリシアは「剣と盾の神」〈イディーン〉に仕える神官だ。イディーンは、魔物に襲われた旅人を助けたという神話から、「人々を魔物から護る神」として崇められている。

 セリシアは、汗ばんだ剣の柄を握りなおした。

 体の大きなコボルドがセリシアに迫った。太刀が鋭く振り下ろされる。剣で受け止めた。耳を突く金属音がひびいた。

「ガアァッ!!」コボルドが吠えた。

 大きく開いた口から、血で汚れた牙と、真っ赤な舌が見えた。獣くさい息が顔にかかった。

「くっ……!!」

 力が強い。村のまわりに出る並みのコボルドよりも、明らかに強い個体だ。

 さらに、数体のコボルドがセリシアを取り囲んだ。

 一旦、引いてから体勢を立てなおさなくては――。

 セリシアがその場を飛び退くと、コボルドはわずかに体勢を崩した。その隙をつき、再び剣を構えて飛び込んだ。

 と、そのとき、

「――クオオオオォォォォォッッ!!」

 突然、近くで、驚くほど大きな声がした。オオカミの咆哮のようだ。後ろにいる男が発したものらしかった。が、とても人間の声とは思えない。

 音圧に押される。セリシアは倒れそうになるのを、片手をついてこらえた。コボルドたちも、足を踏んばって動けないようだった。

「オオオオオォォォォォッッ!!」

 鳴き声は続いた。

 あたりの草や木が、音を受けて小刻みに震えている。そればかりか、大地までが揺れている気がした。

 セリシアの体も共鳴するように震えた。自由が効かない。思わず、剣を取り落としそうになった。

「オオオオォォォォォンッッ!!」

 鳴き声が止んだ。

 森のなかは物音ひとつせず、かえって異常なほど静けさになった。

 セリシアもコボルドも、あっけにとられて男を見ていた。

 コボルドたちは、戸惑ったように顔を見合わせた。かすれた声で鳴くと、追われるように森へ逃げていった。


 ※


「今の……魔法でもつかったの?」

 セリシアは、男の顔をまじまじとながめた。「魔法なんて、大きな都市にいる高い位の魔法使いや、司祭しか使えないって言うけど……」

 男は立ち上がった。

「魔法じゃない。特技だ」

「びっくりした……。すごい特技ね……」

 指先には、さっきの震えが残っている気がした。見せないように後ろ手を組みながら、セリシアは言った。

「なんにしろ助かったわ。ありがとう」

「いや。俺も助かった」

 セリシアは、落ちていたカバンを拾い上げた。

「勝手に、保存食を食べられちゃうとは思わなかったけど……」

「すまん。もう3日も、まともに食べてなくてな……」

 男の表情には旅の疲れがありありと見えた。道に迷ったのだろう。歳は自分より少し上のようだ。真っ黒な髪と瞳が、異国の人間であることを示していた。

「私はセリシア。あなたは?」

「……アーク」

「どこから来たの? ここらへんの人じゃないみたいだけど――」

「あ……あぁ……」

 アークは、定まらない視線を宙に流した。ゆっくり口を開くと言った。

「東にある大きな港町から逃げてきた。――魔物の大軍が攻めてきたんだ」

「えぇっ!?」

 セリシアは思わず声をあげた。「東の港町って、あのワンヒスでしょ!?」

 ワンヒスは大陸の東端にある港町だ。このあたりでは、王都にならんで繁栄していた。しかし、近海に魔物の棲む島があり、周辺では度々、小競り合いが起きた。そのために町では屈強な冒険者や傭兵を雇い入れ、魔物の侵攻の歯止めとしての役割をしていた。

 ワンヒスの港町が魔物に侵略されたということは、セリシアの住むトコリの村にも、その脅威が迫っているということだった。

「それで!? 町はどうなったの!?」

「町は壊滅だ。人間は、残らず殺された。町は炎に包まれて……。俺は、恐ろしくなって、ひとりで逃げてきたんだ」

「たいへんだわ! 村のみんなにも知らせないとっ……!」

 セリシアは、トコリの村の方を見た。

「俺は王都まで行くつもりだった。冒険者の仕事でも見つかると思ってな。だが、夜通し歩いていたら道に迷った」

「夜に歩いたの? それはそうよ……」

「悪いが、近くの町か村に続く道まで案内してもらえないか」

「なら、うちの村に来たらいいわ。小さいけど、一応、宿場町だし。ワンヒスのことも聞きたいしね。ただ、ここからだと歩いて丸一日以上はかかるけど」

「遠いな……。ここに来るまでに食料を食いつくしてしまったんだ」

「ああ、それなら……」

 セリシアは肩にかけたカバンを開いた。アークに食べられたとはいえ、数日分の食料が入っていたはずだった。しかし、カバンには旅の道具以外、入っていなかった。

「全部、食べたの!?」

「うん? 食べたが。もうないのか?」

「あるわけないでしょ……」

「それは困ったな」

「1度に食べちゃうなんて……。何日分の食料だったと思ってたのよ……」

 セリシアは深く息して、肩を落とした。これまでの疲れが、急に出てきた気がした。


 ※


 セリシアは弓を構えた。

 矢じりの先には、生え変わったばかりの茶色い毛をした野うさぎがいた。腕に力を込めて、矢を引きしぼる。呼吸さえも気取られないよう。慎重に狙いを定め――

 と、そのとき、うさぎに向かって、やる気のない放物線を描いて小石が飛んだ。小石は、うさぎの足元に、ぽそりと落ちた。うさぎは焦ったように向きを変えると、跳んで逃げていった。

「何してるのっ!?」

 ――ビュッ!

 鋭い矢が、アークの足元に突き刺さった。

「うぉっ!?」

 アークは叫んで、茂みのなかにしりもちをついた。

「あ、あぶないじゃないかっ! 殺す気か!?」

 セリシアは、無視してまくし立てた。

「なんで、さっきから狩りのジャマばっかりするのかって聞いてるのよっ!」

 これで3度目だった。食料を得るための狩りを、アークが寸でのところでジャマをするのだ。腹が減ったといいながら、この男は何をしているのか。まったく意味がわからない。

「か、かわいそうじゃないか……。あんな子うさぎを狙うなんて……」

 アークは叱られてふてくされる子供のように、モゴモゴとつぶやいた。

「かわいそうって……。子うさぎだから逃げ足も遅くて、狩りやすかったのに……」

 セリシアはがっくりとうなだれた。

「あなただって、お腹が減ってるって言ってたでしょう。どうするのよ、村まであと丸一日以上あるのよ。何も食べないで歩くつもり?」

 アークは「草でも食うか? まずいけど……」と言って、足元の草をちぎって口にいれた。すぐにオエーと気持ち悪そうに吐き出す。

「本当に、かわいそうなのは私の方よ。もうすぐ太陽も沈むってのに。お腹を空かせたまま野宿するなんて……」

「す、すまん……」

 セリシアは、アークに指差して言った。

「とにかく! もうジャマはしないでよ! 今度、ジャマをしたら……本当に……」

「わ、わかった! もうしない!」

 アークは両手をあげた。


 ※


 日が沈むと、森は闇のなかに入った。

 セリシアとアークは、パチパチと火花をあげる、たき火をはさんで座った。次第に広がる、ひんやりとした空気が、ほてった肌に心地いい。

 ホウホウと、ふくろうの鳴き声がした。野生動物は魔物の気配に鋭い。鳴き声がするということは、近くに魔物はいないらしかった。

 闇のなかでは、たき火だけが、ただひとつの灯りだった。その灯りが、かえってふたりを取り残されたような気持ちにさせた。

 たき火の前には、木の枝に刺さった、うさぎの肉があぶられていた。肉は、ぶつぶつと旨そうな油を垂らした。焦げたいい香りのする煙が顔をなでた。

 セリシアは焼き上がったばかりの肉をひとくち食べた。肉は硬いが、十分なごちそうだと思った。

 ちらりとアークを見た。

 先ほどまでアークは、うさぎをしめるセリシアを後ろから恐る恐る眺めながら、時々「うぁっ!」とか「ぎゃぁっ!」だか、よくわからない悲鳴を上げていた。本当に動物を殺すのが苦手らしい。

 今は渡された肉を手に、もくもくと食べている。しかし、どこか顔色がさえない。

 アークが食べてしまった保存食には干し肉もあった。肉が食べれないわけではないのだろう。

「……肉は、イヤだった?」セリシアは訊いた。

「……うまいよ」アークはぼそりと答えた。

「肉を食べたりしない主義の人?」

「そんなことはない……」

「外の国から来たんでしょ? 珍しい格好しているものね。どんなところなの?」

 アークは昔を思い出すような穏やかな表情をした。

「あぁ……。いいところだ。あまり自由はないが……。活気があって、仲間もいた」

 しかし、すぐに厳しい顔つきになると、たき火の炎をにらみながら言った。

「でも、出てきた。毎日、戦いばかりでイヤになった。もう戻るつもりはない」

「そうなんだ……。どこにでも争いってあるのね……」

 ふたりが静かになると、あたりは動物の声が大きくなった。

 ふっと、セリシアは微笑んだ。

「……ん?」アークは不思議そうに見た。

「ごめんなさい。ちょっと、思い出し笑いをしちゃって」セリシアは言った。「そういえば、私にもあったなって……」

「何がだ?」

「動物を殺してまで食べたくないって泣いたこと。子供のころの話だけど――」

「そうか……」

「何の記念日だったかな。お父さんが卵の産めなくなった、にわとりを食べようって言って。私が世話をしていたものだから、可哀想だっていって泣いて大騒ぎして……」

 セリシアは、たき火の炎を眺めながら続けた。

「あんまりしつこいものだから、とうとう司祭さまに話をしてもらうことになってね。神殿にまで行って、そこで――」

 セリシアは照れくさくなって思わず笑った。

「なんて言われたんだ?」アークはうながした。

「――動物の命を取るのは、たしかに可哀想なことだ。でも、その分、人のため、社会のために正しく生きればいいんだよ――と、司祭さまには教えていただいたわ」

「……ふぅん」

 ――バチッバチッ! と、たき火にくべられた太い薪が、ひときわ大きな音を立ててはぜた。ゴトッという音とともに折れ、火の粉が吹き上がった。

「――でも、動物と魔物はちがうわ。やつらを放っておけば、たくさんの罪もない人たちが殺されてしまう。だから、私は魔物と戦う。それが、正しい生き方だと信じているから……」

 アークは黙って炎を見つめていた。

「もう休みましょう……。明日は日の出から歩かないと……」

 セリシアは目を閉じた。

 アークは、まだ何かを言いたそうにしていた。しかし、セリシアは、日中の疲れと炎の暖かさに耐えきれず眠っていた。


 ※


 翌朝、あたりが暗いうちにセリシアは目覚めた。

 アークは苦しそうにひざを抱えて、眠りこけている。肩を揺さぶっても、うめくだけで起きようとしない。

 セリシアは言った。

「もう朝よ。ねぇ、起きてってば」

「うううぅ……。うるさい……」

 アークは、とてつもない不幸でもあったかのような顔で言った。

 どこか、森の奥のほうで、糸のような細いものがキレる音が聞こえた。

「……起きろっ!!」

 セリシアが怒鳴ると、アークはビクッと体を震わせた。しかし、そのまま倒れると横になった。

 《このまま置いていこうか……》セリシアは思った。

 試しに、アークの片脚を持って歩いてみた。とんでもなく重い。鉛のようだ。2、3歩あるいたところで放り出した。

 アークは起きなかった。

「どうすりゃいいのよ、これ……」

 セリシアはため息をついた。


 ※


 昼頃、アークはやっと目が覚めたのか、普通に歩きだした。 それまでの幼児と歩くようなもどかしさに、よく自分が耐えたものだとセリシアは思った。

 翌日の夜になって、ようやくふたりはトコリの村についた。

 あたりはすっかり暗くなっていた。しかし、村の入り口には、背丈ほどもある大きな、かがり火がいくつも焚かれ、異様なほどの明るさだった。

 切り出したばかりの丸太を地面に突き刺し、板でつなげただけの柵が村を取り囲んでいる。入り口には、武装した見張りが立っていた。戦いでも始まるかのような物々しさだ。

「おぃぃ!? セリシアか!?」

 門番のひとり、若い男が声をあげた。「無事だったか! みんな、心配してたんだぞ! まさか、本当にひとりでいっちまうなんて……」

「ホルスじゃない! あなたが見張りだったのね!」

 セリシアは近づいて言った。「ごめんね。心配をかけて……。でも、平気よ。偵察に行っただけだから。それより、村はなんともない?」

「村は大丈夫さ。俺が守っているからな」ホルスは、声を落とした。「――で、討伐隊は? 手がかりは、何か見つかったのか?」

「それが……」セリシアはうつ向いて言った。「何の手がかりも……。砦まで行ったけど、見張りに見つかって、なかにまでは入れなかったわ……」

「やっぱり、やられちまったのかな……」

 セリシアは、思い詰めている様子で黙った。

「ご、ごめん……。セリシアの親父さんも……」

 セリシアは首を振った。「……心配なのは、みんな同じだから」

 ホルスは、アークを見ると言った。「……で、こいつは?」

 セリシアは、アークとのいきさつを話した。

「コボルドに襲われたぁっ!? ケガはなかったのか!?」

「大丈夫よ。アークにも助けられたし。ね?」

「ん? あぁ……」

「む。それじゃあ、礼を言わないといけないな」ホルスは、なぜか胸をはった。

「そうだ! ワンヒスの港町が魔物に襲われたっていうのよ! 情報は届いている?」

「あ、ああ……。行商人が来て、そんな話をしていったらしい。尾ひれのついた噂ぐらいに思っていたんだが、本当だったんだな……」

「村の近くに魔物が砦を作ったこととも関係しているのかも……」

「警戒を強めないとな。でも、ワンヒスを落としたような魔物に襲われでもしたら、こんな村、ひとたまりもないぜ……」

 セリシアとホルスは口をつぐんだ。ひんやりとした夜風が肌をなでた。

「あ、アークの泊まるところがいるわね」

 セリシアが思い出したように言った。「お金があるなら宿もあるけど――」

 アークは両手を広げて、「もってない」

「宿には応援の部隊が入っていて、いっぱいだぞ」ホルスが言った。

「そうね。なら――」セリシアが言おうとしたとき、

「セリシアの家はダメだからな。今、親父さんがいないんだから」ホルスが口をはさんだ。

「――神殿がいいって言おうとしたのよ。いいでしょ? 司祭さまに話してあげる」

「かまわない」アークはうなずいた。

「じゃあ、行きましょう」

 アークはセリシアの案内で、村の中心にある神殿に向かった。


 ※


 あたりが暗いせいで神殿の外観は見えなかった。

 セリシアは大きな扉からなかに入り、しばらくして出てきた。神殿の司祭に話をつけてくれたという。セリシアと別れ、アークはひとり、なかに入った。

 白っぽい石壁が燭台の灯りに照らされ、ほのかに明るい。通路を抜けると広間に出た。長い椅子がいくつも並べられている。礼拝堂のようだ。正面の壁には、真っ白い巨大な神像が埋め込まれていた。

 神像は女の姿をしていた。〈イディーン〉は女神だった。右手に細身の剣を、左手には盾を持っている。ドレスのような服を着ており、防具はつけていない。顔だけは面当てのようなもので覆われて見えなかった。

「イディーンは珍しいかい?」

 背後から、間のびしたような声がした。

 振り向くと、白い髭をたらした老人が立っていた。神殿の司祭だろう。顔がゆであがったように赤い。

「人が来るとは思わんかったから、一杯やっていたところだよ」

 司祭は愉快そうに笑った。

「申し訳ない。突然、押しかけてしまって」アークは言った。

「いいよ、いいよ。困ったときはお互いさまだ。セリシアを魔物から助けてくれたんだってな。ありがとう」

「いや、俺も助けられたんだ」

「イディーンの像を見ていたな」老司祭は像を仰ぎ見た。

「俺の国にはなかった」

「あんた、外の国から来たらしいな。どうだい、イディーンに入信せんかね? 若い人は大歓迎だよ」司祭は赤い顔で笑った。

「宗教のことはわからないんだ……」

「イディーンは、この大陸じゃあ、有名な神さまだ」

 老司祭は、真っ白な髭をなでつけながら言った。「人々を魔物から護ってくださる。神官には、優秀な戦士も多い。セリシアも、うちの神官だ」

「魔物と戦う神さまか」

「そうだ。人間の信仰する三柱のなかでも、特に魔物に対して妥協がない。急先鋒みたいなもんだな」

「なら、魔物がこの神を信仰したら、どうなるんだ?」

「んんっ?」

 老司祭は、充血した小さな目を開いた。天井を見つめて、たっぷりと沈黙したあとに言った。

「考えたことがないなぁ……。魔物には魔物の神がおるから、改宗するとは思えんが……」

「魔物にだって、いろんなヤツがいるだろう」

「それはそうだな。人間にだって魔物のようなヤツはおるからな」老司祭は口の端をゆがめた。「……おっと、こんなことをワシが言ったなんて、みんなには言わんでくれよ」

 司祭は真面目な顔になって「そもそも、お前さん、神々の系譜は知っているか?」と、尋ねた。

「けいふ?」

「神さまの家系図だな。我ら人間の信仰する三柱を含む、すべての神は、世界の創造神である〈オズ〉につくられたとされている。魔物の神もそうだ。つまり、人間の神と魔物の神は、親戚の関係になるな」

「知らなかった」

 老司祭は髭をなでながら続けた。「オズは世界を創成するとき、正しい心を集めて人間を、悪い心を集めて魔物をつくったとされている。人間と魔物も、もとをたどれば兄弟みたいなものだったんだ」

「……兄弟なのに、争い合っているのか。神さえも」

「そうだな。しかし――」

 老司祭はアークを見据えると言った。

「どうして創造神は、人間だけでなく魔物をつくったんだろうな。この世界に人間しかいなければ、さぞや住みやすかったとは思わないか?」

「……どうしてだ」アークは訊いた。

「……それは、だれにもわからん。だが、わしは思うんだ。魔物の存在にも何らかの意味があるからこそ、神は人間だけではなく、魔物も創ったのではないか――と」

「意味?」

「そうだ。……おっと」老司祭はまわりを見渡したあと、「こんなことをわしが言っていたなんて、だれにも言わんでくれよ。教団にバレると仕事がなくなっちまうからな。ファファファッ」と、楽しそうに笑った。

「言わないさ」アークも笑った。

「さあ、話していたら遅くなっちまったな。もう寝なさい。部屋は客室を空けておる」

「腹がへっているんだが……」

「おおっ! そうだったな。セリシアにも言われておったわ。簡単だが、食事の用意しもておいたぞ」

「すまない。宿代のかわりに、何かできることがあったら言ってくれ」

「うむ、そのつもりじゃ」

 老司祭は、一転して憂えるように白い眉毛を額に寄せた。

「そうだな。村の者でもないお前さんに、こんなことを頼むのもなんだが……」

「何だ?」

「セリシアのことじゃ。あの娘がひとりで危険なことをしないよう、あんたからも言ってもらえんか。村の者の言うことなど、もう聞きやせん」

「何かあったのか?」

「あったばかりだ」老司祭は深刻そうに声を落とすと言った。

「近頃、村の近くに魔物が〈砦〉をつくってな。討伐隊を向かわせたんだが、ひとりとして帰ってこんのよ。隊にはセリシアの父親もおってな。心配するあまり、手がかりを探すなどと言って、ひとりで砦に行ったらしい。あんたと会ったのも、そこから戻る途中だったらしいな」

「そうだったのか……」

「セリシアは、幼い頃に母親を魔物に殺されておってな。魔物を憎む気持ちは人一倍、強いんじゃ」

「母親を……」

「もう、10数年も前のことだ。そのうえ、父まで失ったとなると……。セリシアが無茶なことをしないよう、見ていてもらえんか。旅の人に、こんなことを頼むのは気が引けるんじゃが……」

「わかった。俺からも言ってみよう」

「うむ。助かるよ。――さあ、遅くなったな。食事にしよう」

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ