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第七話

オトラント公爵、しばし釣りを楽しみ天下を思う。

フーシェは、釣りが嫌いではない。


静かに。

自分だけの世界で。

邪魔されることのない釣り。


それをフーシェは気に入っていた。


だから今日も、水面にポシャリと静かに餌を垂らして後は獲物がかかるのをゆっくりと待つ。


特定の大物狙いで、じっくりと腰を据えて挑むもよし。

或いは何が釣れるかは成り行き次第に任せ、何が釣れるかを楽しむのもありだろう。

偶には、何も釣れない日があってもそんなことも偶にはあるさと苦笑して楽しむ。


そんな釣りが、フーシェは嫌いではない。


だから、フーシェは気が向けばちょっとだけ仕込みをして釣り針を投じたのだ。

餌は、アンギュー公が半お抱え庭師のジョルジョ君。

希釈したスズランの毒入りしたエールを仕込み、彼が友人の前で嘔吐なり昏倒なりするように調整。


もちろん、殺してしまうなどという手段はフーシェにとってみれば面白くもなんともない。

人間は生きているからこそ、囀りまわることができるのである。

生餌として、盛大に動き回ってくれることを望むばかりだ。


だから、後を引かないように希釈して強くない程度の毒性にとどめてある。



さてさて。


フーシェの予想通り、たった数日のうちに帝都ではある噂でもちきりになっていた。

『アンギュー公のお抱え庭師』が『何か知ってはいけないこと』を知って『毒殺』されかけた、と。

ここまでくれば、フーシェの仕事は下準備から餌を飲み込む獲物を釣り上げることに移る。


まず初めに予期したのは、強盗紛いを装わせた傭兵団がジョルジョを襲撃することだった。

このタイミングでの襲撃があれば、世は間違いなくアンギュー公に注目する。

神官連中と、微妙な緊張関係にあると耳にしたアンギュー公の足元をすくうには絶好の機会。


アンギュー公の敵対派閥が、公に汚名を着せるためには絶好の好機。

いや、或いは加えて神殿に恩を売る機会ととらえてくれても結構。

うまくやれば、アンギュー公という第二皇子ヴェルケルウス殿下が有力な支持者が揺らぐことになる。

皇弟エルギン公辺りと仲の悪いヴェルケルウス殿下だ。


さぞかし、さぞかし醜い足の引っ張り合いでフーシェを失笑させてくれたに違いない。


そうなれば、力の均衡点を求めてさらに陰謀が張り巡らされることになっただろう。


だが期待外れにも、生餌が騒いでいるにも関わらず第一の本命は引っ掛かりすらしなかった。

或いは、誰かが未然に策動して芽を摘んだのやもしれないが。


それどころか、あれだけ下準備をした末に連れたのは小物もよいところの侍女だった。

アンギュー公のところの侍女で、ジョルジョと好い仲になっていると噂された件の侍女。

早い話が、フーシェがそれだけは平凡だから勘弁してほしいと願いたかった鈴付の首輪なのだ。


…単純すぎて、面白くもなんともない。


一瞬、これはアンギュー公側が逆に仕掛けてきた罠かと勘繰り探ってみたが影も姿もなし。

ジョルジョにとっては何とも残念なことに、公のお手付きだったと思しき侍女は監視役だったらしい。


だが、フーシェは面白みがなくとも準備に手を惜しまなければ色々と使いでがあることを理解している。

例えそれが、平凡すぎる監視装置だったとしてもそれに手を食わることにフーシェは手を抜かない。

手際よく件の侍女に接触すると、フーシェはたった一言、二言囁くだけで事足りた。


『狡兎死して良狗煮らる』『次は貴女か。お可哀想に。』


さて、自分の立ち位置が危ういと察した彼女がどう動いてくれるだろうか?

一番面白いのは、機先を制して逆にアンギュー公を亡き者にしてくれること。

こうなれば、この入り組んだ情勢下でさらに面白いようにフーシェは策動できる。


だが、些か不確実性が高いうえに折角の駒を一つ失うリスクも高かった。


不確実性という要素は、陰謀というフーシェのライフワークにおいて歓迎されない。

極力、不確実性を排して物理のように明確な原則と原理に支配された当然の結果がほしいのだ。

その過程においては、予想の範疇にとどめることが望ましい。


だから、フーシェは彼女にそれと無く仕事を変えるように囁いてやる。

後はしばらく放置し、どこか面白いところに誘導してやればフーシェの耳がまた一つ増えるに違いない。


労力を投じた割には、各勢力の勢力把握ができたという程度で成果としては今一つ。

それでも手始めの威力偵察としてはまあ、及第点だろう。

今となっては、アンギュー公こそが宮中での毒殺を首謀したという囁きに満ち溢れつつあった。


物騒な噂になると、アンギュー公こそがヴェルギンニウス帝に毒を盛ったというものにまで膨れている。

おかげで、根も葉もないうわさの出所を潰すと称してヴェルケルウス殿下まで出てきているらしい。

まあ、それはそれでフーシェにとっては結構なことであった。


なにしろ、きらびやかな宮中の中で誰もが新たな政争に気を取られてくれれば別の仕事が楽になる。

今や、第四皇子ヴェルター殿下が東部諸属州への赴任を元老院に希望したというのは完全に話題の外。

もとより注目されていない皇子の動向ではあるが、マークが甘くなっているのは暗躍には最適だ。


そして、宿や旅行客が集まる酒場でフーシェはそれとなく中央の政争が辺境を省みないことを嘆いて見せる。


曰く、第四皇子が辺境勤務を為さるというのに年頃もお近い第三皇子殿下は何を為さっているのだろうな、と。


第三皇子アリウトレア殿下は、有力門閥の母に支えられ中央でもかなり勢威を誇る陣容を構えている。

だから、周辺のインペラトル直轄の属州へは強大な影響力を保持すらする継承レースの有力候補。

それ故に、周囲から盛大に警戒されて足を引っ張られてもいる。


そして下々のくだらない噂話でも、政争に使えると見るや飛びつく出世欲の塊はどこにでもいるものだ。

ましてや、自分たちが糾弾されて焦りを覚えている一派ともなればそれこそ自制心のかけらは吹っ飛ぶ。


『ヴェルギンニウス帝は、辺境の安寧に心を砕かれておいで。』


宮中において、にわかに語られるは皇帝の若き日の苦労。

さも、自分たちもそれに付き従い苦難の日々を共にしたかのように誰もが平然と語る。

皇帝が兵士たちと、前線でチーズとパンにビネガーだけの質素な食事をしていた時。

遥か後方で、銀の食器を楽しんでいたことを彼らは覚えてすらいないだろう。


『そういえば、ご立派なことに第四皇子ヴェルター殿下も辺境勤務を志願されておいでとか。』


今の今まで、気に留めてすらいなかった第四皇子。

だが、負け犬なりにも敗北を受け入れて都落ちするという程度の頭はあったらしい。

適当な形で、帝都から放り出して皇位継承権のレースからも放り出そうかくらいが最初の話だった。


しかしながら、下々のざわめきは使えると誰かが聞きつけてくる。

そう、第三皇子アリウトレア殿下も、同じお年頃で辺境勤務がいまだなし。

有力な競争相手を、中枢から追いやり叩き潰すには最高の口実だった。


『おお、お見事なお心がけ。病床の皇帝陛下も、お心を安んじられることでしょう。』


口でこそ、そのヴェルターの孝心を讃える顕官ら。

だが、その本心は露骨なアリウトレア第三皇子へのあてつけだ。


『さてさて、兄殿下の皆様も辺境の安寧に心を配られておりましたからな。』


『お力を合わせ、インペリウムが安定を図られる。これぞ、ノブレス・オブリージュの鑑であらせられる。』


『おや、そういえば?アリウトレア殿下は、どちらに赴かれるのでしたかな?』と。


こうなると、アリウトレア第三皇子一派は外聞もある。

断固としてヴェルター第四皇子の辺境赴任を阻止すべく動かざるを得ない。

だが、それをみすみす見逃すほど他の競合相手はアホであるはずもなし。


盛んにヴェルター第四皇子のノブレス・オブリージュを称賛した挙句、ガリアかゲルマニクス属州総督への赴任を議論し始める。

もちろん連中とて、軍権に手を付けさせるつもりは微塵もない以上第四皇子を飾りあげて第三皇子への嫌味に使う程度。

だが、だからこそ、第四皇子ヴェルター殿下には帝国辺境属州へ赴任してもらわねばならない一派が主流になる。


そう、都落ちを望む第四皇子は帝都から称賛されながら属州安寧のために赴任するのだ。

ノブレス・オブリージュを果たすためという高貴な理念と目的。

一言も、一言も皇位継承権の断念など口にすることもなく、あくまでも皇子の義務を果たすためという顔で帝都から逃げ出す。


後は、フーシェがあちこち油を注油してやらずとも勝手に歯車は回り始める。

いくら中央において権勢を誇るアリウトレア第三皇子だろうとも、それを押しとどめることは叶わない。

お蔭で、義務を果たさない皇子という陰口すら叩かれ始める始末。


しぶしぶ、ヴェルギンニウス帝が壮健なりしときに辺境勤務を経験させられた皇族らは挙って嘯くのだ。


『我ら帝族、率先してノブレス・オブリージュを果たしてこそ皇統の血を辱めずに済む』


『インペリウムの男子たる者、義務を果たすことは当然。まして、皇族ともなれば率先してしかるべきでは?』


誇りを持って、恰も辺境の安寧に奉仕したかのような口ぶり。

実際は、辺境勤務など嫌がり極力口実を設けて回避しようとした連中だ。

それを。ヴェルギンニウス帝がほとんど脅迫して送り込んで経験させたのが実態だ。


…だが、誰もがそんな過去を忘れ去り輝かしい義務と奉仕の概念を口にする。


それどころか、神殿すらもこれ幸いと口を挟み始める始末。

曰く、親に孝心を見せるべきだ、と極々まっとうすぎる理でもって。


此処に、『貴様らだけは、断じて言われたくない!』とアリウトレア第三皇子が絶叫したという噂まで実しやかに囁かれる始末。


さて、事態がここまで進展すればフーシェとしては何食わぬ顔で即興劇を楽しめばよい。

もしも俯瞰して事態を見ているものがフーシェに気が付けば、その手際と傍観して楽しむ姿はまさに悪魔的と評しただろう。

実際、傍観者の悪魔たちは、そうした。


曰く、『悪魔よりも、悪魔的な手際だ』と。










その日、元老院において正式に第四皇子ヴェルター殿下がガリア属州総督に任命される。

その知らせは、アリウトレア第三皇子一派以外のすべての貴族から高らかにノブレス・オブリージュの誉れとして告げられた。

いや、アリウトレア皇子とて兄として弟の赴任を祝うという態は保ってはいたが。


だが、実際のところヴェルター第四皇子への称賛は形を変えたアリウトレア第三皇子への牽制。

第三皇子は下手をすれば、肝心の皇位継承権争いの際に外に追いやられかねないという微妙な状況だ。

だから、別段評価してもいない第四皇子を讃える連中の腹など知れている。


それでも、公式には第四皇子ヴェルター殿下は言祝がれ祝福される。

日陰者とされて久しかったヴェルターにとっては久々の晴れ舞台。

当然、彼はそれを喜ぶと同時に其処へ導いてくれた一人の臣下からの祝福を受けていた。


「殿下、ガリア属州総督就任、誠におめでとうございます。」


「何、オトラント公の助言があればこそだ。感謝する。」


眼前で跪くオトラント公。

思えば、いとも理解しがたい出会いを契機に自分の運命が好転し始めていた。

幸運が自分に輝き始めていることをヴェルターは感じている。


「その一言で報われます。」


「いや、公の英知と忠義には真に感謝している。公に兵も財貨もないことを嘆いた私を許してくれ。」


「なんと、そこまで仰っていただけようとは。」


感極まったかのように深く頭を下げるオトラント公爵。

だが、真に感謝したいのはヴェルターの方だった。

異郷の地に彷徨い、そして疑われながらも忠義を尽くす。


その忠義と英知に導かれ、半信半疑で辺境勤務の願い出たことで情勢が好転し始めたのだ。

俄かに与えられた属州総督の座と少しばかりの名誉職。

そして、東方に位置する諸属州の中では重要な部類のガリア属州だ。


東方諸州への交通の要衝にして、各軍団への支援を担う比較的重要な立場でもある。


「だが、事実だ。卿の助言に従い、ノブレス・オブリージュの義務を果たすことを考えてみた。」


そう。


都で、なんとかしがみついていた頃には思いつきもしなかった活路。


自らの矜持に恥じることなく、誇りと名誉に忠実に。

そして、汚い仕事に手を染めることなく王道を歩めるという可能性。


「そして、今得ている俄かな名声。確かに、名誉を保ったまま政争から距離を取れよう。」


まさに、ヴェルターの望むところというほかになかった。

穏やかな表情で祝福してくれるオトラント公に、だから彼は心底感謝している。


…内心で、フーシェが面倒だと愚痴っているともつゆ知らず。


「はい、ボナパルト陛下におかれても内憂で名誉を汚すよりも祖国のために外敵と戦うことを望み、叶えられておりました。」


「耳にしたときは、都合の良い方策があるものかと思ったが。」


「先人の成功に習う。それも、賢者の道でありますしょう、殿下。」


だが、フーシェは相手が英雄願望をこじらせているとしてそれを治癒する意図は微塵も持ち合わせてはいない。

せいぜい、相手の情動と衝動を理解して制御しうまく活用して見せようという程度。

言い換えれば、カードの属性として理解し使用方法を考えるという立場にすぎないのだ。


故に、相手をそれとなく持ち上げ、気分を楽しませてやるくらいはお手の物。

馬に餌を与え、ニンジンをつるすようなものだと認識している。


「そうだな。オトラント公、今後も良しなに私を補佐してくれ。」


「御意にございます。」


フーシェは余り使い勝手がよろしくない手札でも、限られたもち札である以上は使う。

今しばらくは、このカードでゲームを遊ばなければならないのだから。



ようやく、フーシェらしく活き活きとできたかと。


フーシェさん、つまらない毒殺なんてやらかすはずがないしジョルジョは生きながらえてみんなハッピー。


フーシェさん、まじ人道的。

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