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第五話

オトラント公、多重債務者を絞らんと欲す。

古の類似例曰く、生かさず殺さず搾り取るべしとのこと。

ゴーデン商業銀行といえば、為替商ならば聞いたことがあるくらいには有名な銀行だ。


中堅規模の手形・為替取扱を行う堅実な商売で知られた帝都の銀行。

資産運用などは取り扱っていないがために、大貴族層をこそ顧客に持ってはいない。

そのため、規模の面では大手の老舗に及ばずにいる。


だがある程度、融資や送金の面倒も見てくれるということもあり顧客の評判は悪くない。

加えて、政治にそれほど手を突っ込まないためにお取り潰しのリスクも左程高くないとされている。


何より、代々積み重ねてきた取引先との信用は低くなく小切手の信頼性はなかなかのもの。

ある程度の資産の積み立てを頭取一族が行っていることもあり、資産の健全性にも定評がある。

それでいて、頭取一族の生活は少し裕福な市民と大差がないので浪費とも無縁のようだ。


そういう意味で、マリウス亭をはじめとして取引先が安心して他人に進められる銀行の一つでもある。

実際、ヴィルがミーシュにここを紹介したのも安全だからというのが大きな理由だ。

長い年月を培って養った信用、それを大切にした顧客からも信頼されるという最高の保証。

知名度こそ、商売に携わる人間に限られているとはいえ安全な銀行の一つとされている。


そのゴーデン商業銀行が商談用の来客室。

差し出されたお茶を有り難く頂戴しながら、フーシェはソファーの上で捉え様のない笑顔を浮かべる。

ヨーロッパにその名を轟かせたオトラント公爵にとっては児戯に等しい遊び。


だが、この世界において自前の組織も密告者も有していないフーシェにとっては有意義な下準備。

策動するために必要な資金と、手足を確保するためには勤労の精神を働かすしか方策がないのだ。

それゆえ、誠実な仲買人の仮面を被ったミーシュとして彼はこちらを見つめる頭取に微笑み返す。


いかが?と。


「ふむ、不良債権を買い取りたい…というお話ですか。」


「ええその通りです。ゴーデン頭取。」


ミーシュと名乗ったフーシェの身形は、ごくごく普通の商人といった服装。

だが、身に着けた礼儀作法を隠す必要が無ければさすがに公爵である。

貴族階級に近い臭い程度ならば、観察眼に長けた銀行家には勘付けるだろう。


実際、紹介があったとはいえ飛び込みで入ってきたミーシュなる得体のしれない行商人に頭取が相対してくれているのだ。

ゴーデン銀行の堅実な評判通り、客の背後をある程度察することができる人間を置いているのだろう。

まず、フーシェの仮定通り踏み込んだ話が最初からできるとみて間違いない。


自分のことを貴族だとは考えずとも、その意を汲んだ騎士階級ないし高位の従者とは見做しているのは態度から明らかだ。

まず、世慣れている銀行家の一人として無難に世の荒波を泳いで来たといえる人間。

だからこそ、フーシェにしてみればそこそこ踏み込んだ話し合いができると考えている。


「債務奴隷になさるお積りならば、お勧めしませんぞ。売れない理由のある層ばかりなのですから。」


言葉でこそ、言葉でこそ一介の商人に対する善意の助言。

だが常識的に考えれば債権を買い取るのは高利貸しか、身内を奴隷から解放する親族・友人だ。

最初から、債務故に奴隷に身分を落そうと考えて債権を買いに来る人間は珍しい。


奴隷がほしいならば、何も債権を買占め奴隷身分に落とす手間を取らずとも市場で買えばよい。

若い労働力の補充に売られてくる戦争捕虜などをうまく見つけられれば、債権を買い求めるよりもはるかに楽だ。

しかも、目利きができれば掘り出し物を見つけることも可能に違いない。

なにしろ、奴隷を買うときには健康状態を見極められる医者や軍人を連れていけるのだ。


しかし、売りに出されずにいる債権を買占めて奴隷を得るとなると概ねの場合は面倒事しかない。

売る価値すらない連中か、或いは売ることのできないやんごとなき事情ある方々のどちらか。


だから、口では素人の商売人を心配する善意の素振りに徹しつつもゴーデンは相手の裏を探る。


「評判通り、誠実なお方のようですな。騙して押し付ければよろしいものを。」


どうみても、単なる素人とは思えない世慣れたそぶりを見せるミーシュという行商人。

わざわざ助言を頂き、感無量だという表情を浮かべているその内心。

ミーシュが一体何を考えているものか、多くの顧客を見てきたゴーデンですら読めなかった。


嬉しげにお茶のお代りまで頼み、田舎者を演じている行商人。

だが、手つきは完全に飲みなれた人間のそれだ。

ゆったりとくつろぎ、お茶を楽しむスタイルは自然に身についたもの。


砂糖に目もくれず、まず香りと味を試すに姿勢に至っては此方の懐を探るような意味深な行動にすら思えてしまう。


「長い商売では、信用が第一。ここで貴方や皆様に損をさせては世からの信を失いかねませんからな。」


やんごとなき方々すら、平然と蹴り飛ばせるだけの権力を持った主の意向かどうか。

ゴーデンが一番気にかけているのは、ミーシュという男が何を意図して不良債権を購入したいのかというその目的だ。

仮に、債権を政治闘争の種に使われれば貸し手としての信用が些か損なわれる。


無論、不良債権など借り手に責任があるというのは誰もが等しく認めるところ。

故に売ったからと言って、処罰されるかといえばされることはないだろう。

だが、はっきり言えば不良債権に対する対応として貴族のソレを売るにはコネが絶対に必要だった。


問題は、そこだ。

ミーシュという相手が、そつなく債権を処理できるバックを有しているかどうか。

言い換えれば、大貴族との伝手があるが故の買い取り申し入れなのかである。


大貴族相手の商売を行っていないゴーデン商業銀行では、コネが限られていた。

一応、売ることは可能ではあるだろう。

だがルートが限られるうえに利益よりも手間が先立つ。


それ故に、やむを得ず融資して損益扱いにした事例が少なからずあり売りたいことは確かだ。

ただし、安い金を取り戻すためにごたごたに巻き込まれるのも御免蒙りたい。

ゴーデンにしてみれば、そこの見極めが何よりも死活的に重要となってくる。


「ははは、ご安堵を。それくらいは弁えておりますとも。」


「ふむ、曰くつきのある債権というのははっきり言えば特権的な方々。踏み倒されても知りませんぞ?」


貴族というのは、いや騎士階級でもそうだ。

借金を返す義務はあっても、強制的に取り立てられることは極めて稀。

なにしろ、借り手よりも貸し手の方が立場は弱い。


たまに、大貴族が乗り出してきて回収することもあるにはある。

だが金策を汚らわしいと表向きだけではあるが、忌避する素振りを見せるのが貴族らだ。

そんな当たり前のことを知らぬミーシュという男ではないだろう。


だから、答えで見極めなければならない。

一体この男は、どう答えるのか。


一方で、凝視されるフーシェにしてみればゴーデンの葛藤は大変理解できていた。

取引に応じれば、金を手に入れ散々悩みの種であった貴族らにもささやかながら報復できるだろう。

ゴーデンにしてみれば、金もさることながら細やかな復讐の美酒も魅惑的に違いない。


まあ、その期待には応えられるだろう。

ゴーデンが借金を踏み倒していた連中はフーシェに絞られ、しゃぶりつくされるのだから。


「だからこそ、貴方は不良債権を二束三文で売り払ってくれる。」


口では債権回収によって利潤を設けているという建前を騙り、目では迷惑はかけませんよと微笑む。


ご期待にはそぐいますよ。

貴方には、ご迷惑をお掛けすることもない。


そんな共犯関係を匂わすちょっとした手管。


「うまくどなたからか回収できれば、私は一儲け。そうは思いませんかな?」


「まあ、それは。」


言葉通り、平和的に回収するとはゴーデンとて思ってもいない。

だが、売ったときに相手が普通の商人だった言い訳できるような口実があれば心理的な制約は外れる。

なによりも、債権の売り買いというのは完全な合法行為。


ただ、厄介ごとを恐れて貴族連中の不良債権に手を受けられていなかっただけなのだ。


「実際、もう損益扱いなさっていることでしょう。どうです、0よりは1でも2でも元を取られるべきでは?」


「ミーシュさん、あなたは商売がお上手だ。」


それを、いかなる目的かは不明にせよミーシュは買い取り問題も起さないと請け負って見せた。

ゴーデンとしても、いい加減溜りに溜まっている不良債権を処理できれば処理できるに越したことはないのだ。

屋台骨を揺るがすほどではないにしても、損益というのは運営にとってよろしくない。


元を僅かでも回収できるのであれば、早めに損を切っておきたかった。


「それにしても、貴方には債権を回収できる自信がおありの用。一体、どうなさるお積りか。」


だから、種について尋ねる。

マトモに答えてくれるとは思えないにしても、だ。

なにがしかの手がかりくらいはつかめるだろう、と。


「いえ、簡単なことでして。」


「ふむ?」


「口さがなく言ってしまえば、ヴェルギンニウス帝がお隠れ遊ばされるのは時間の問題。」


そして藪をつついて蛇を出してしまったことを、咄嗟にではあるがゴーデンは悟ってしまう。

動揺に揺れて即座に顔色を変えなかったのはゴーデンにとって幸いだった。


いや、フーシェにしてみれば散々ギロチンで王党派や貴族を刑場の露とさせてきた身である。

せいぜい皇帝の病状が重篤であり、そのうちにくたばるだろうという簡単な前提を説明したつもりにすぎない。

どうせ皇帝が死ぬ以上、それを前提に経略しているにすぎないのだ、という世間話程度のつもり。


だが、フランス革命は一つのターニングポイント。

言い換えれば、フーシェですらも価値観に大きな影響を受けざるを得ないでき事だった。

しかしだ、それ以前のフランスにおいても国王の生死を平然と語りそれを織り込む商人とは珍しかったに違いない。


当然、革命などとは程遠いインペリウムの人間にしてみれば衝撃的な見解である。


淡々と、インペラトルが死ぬことを前提としてことを論ずる商人がどれほどいるか。

それを話慣れている人間というのは、何処に立っているのか?


…皇帝の生き死によって影響を常に受ける人間らの傍に侍る商人じみた男?


ゴーデンとしては完全に、誤算だった。

せいぜい、業突張りな大貴族の手先と見積もっていたが毛並みが違いすぎる。



「…それで?」


だが、急に緊張しきった声色で答えた時点でその動揺はフーシェに理解される。

突然相手の声色に緊張の色が混じるのだ。

フーシェほどの政治的動物相手にはそれは、動揺した内容が筒抜けとなるも同然。


フーシェは、そこで即座に悟る。


自分は何かミスをやらかしたらしい、と。


「・・・騎士階級や貴族に下賜される物に期待ですね。」


だから、ゆっくりと口を開くふりをして時間を稼ぎつつ相手の様子を観察。

その僅かな時間と、限られた情報を吟味しつつ対応策を講じるべく頭をまわす。


さて、相手は此方のカバーに違和感を抱いたに違いない。

ミーシュという商人に、ゴーデンは不信感よりも危機を感じているのだ。


だが、フーシェにしてみればそれはそれで話が早いという思いも生まれてくる。

相手が、こちらを畏怖しているのであれば交渉というのはある意味で楽。


思わぬ誤算ではあったが、結果論で言えば許容できる範疇のことだ。


「さて、これ以上は勘弁願えますかな?私も、さすがに商売の種をこれ以上開示するのはつらい。」


こちらへ都合の良い誤解へ誘導するのは破棄。

ゴーデンが、自分の背後に政争の匂いを嗅ぎつけたのならば少々買い取り額が高くなろうとも結構。

そのように誤解させ、買い取ることをフーシェは先決に会話を打ち切るそぶりを見せる。


早い話が、これ以上は探り合いに応じず価格交渉に入りたいという意思表示。


「それで、お売りいただけますかな?」


「はっきり申し上げると、厄介ごとに巻き込まれたくないのです。」


だが、ゴーデンとしてはなおさら判断に迷わざるを得ないところ。

権力闘争の道具を提供することの、余波は彼にとって想像が付きにくい。

仮に、仮にうまくいけば恩をどこかのお偉方に与えられるうえに、金も取り戻せる。


だが、下手をすればその対立派閥に疎まれた挙句に報復されかねない。


「分かりました。では、最初なので影響力の乏しい騎士階級のものでいかがですかな?」


しかして、だ。


フーシェにしてみれば、何も別に貴族本人お首根っこを押さえずともやりようはいくらもである。

そして、影響力は乏しくともあちこちに出入りし情報が集まるならば誰でもいいのだ。

放蕩しているために金策に走る下級貴族や騎士階級の連中。

この手の連中というのは、あちらこちらに顔を突っ込むために存外情報源として役に立つことをフーシェは知悉している。


そして、ゴーデンにしても報復の恐れがほぼない階級。

落としどころを探すとすれば、そこらへんに落ち着くというところへ話をフーシェは収斂させる。


「騎士階級の債権を、ですか…ううむ、それならば額次第では。」


「よろしい…額面2割、それでいかがですか。」


本来ならば、遥かに安価に買いたたくつもりだった。

だが、相手が不安がり後退しかけているときに当初方針に拘泥するはばかばかしい。

何もかも、おじゃんになるくらいならば想定外の出費によって対応すべきだとフーシェは割り切れる。


不良債権の額面2割など、ぼったくりもよいところ。

自分で、価格操作でもやらかすつもりのタレーラン位しかそんな値段で買う人間はいないだろう。

皇子から受け取っている資金の大半を使うことになるが、情報源というのはその価値へ十分に見合うものだ。


いや、その程度のはした金で情報が得られるのならばフーシェとしてはいくらでも喜んで手放すつもりでさえいる。


「ご冗談でしょうミーシュさん。半分でも元を取り戻したいのに2割?」


「ゴーデンさん、さすがに5割は吹っかけすぎだ。」


不安という名の洞窟にひきこもりかけてきた相手の対応が変化。

価格交渉に乗ってきたということは、少なくとも金銭欲によって売ってもよいと思える程度には心が動いている証拠。


仮に、交渉する気がなく断る口実を欲しているのであれば別の対応になるはず。

こちらが5割で承諾してしまえば、断る口実がなくなるのだからもう少しうまくやるだろう。


実際、ゴーデンにしても5割というのは交渉のための吹っかけだ。

彼とて商売人である以上、機会を得られるのならばある程度のリスクは許容する。

騎士階級程度の債権であれば、譲渡したところで深刻な報復は回避できるだろう。


その程度の人間の圧力程度ならば、中堅の銀行ともなれば跳ね除けられる。


「ミーシュさん、債権の譲渡ととはいえ、下手をすれば私の評判も傷つくのですよ。」


だが、さりとはいえ、だ。


まあ金貸しなど恨まれる仕事ではあるが、さらに恨まれたくもないという気持ちがないわけでもない。

銀行家という生き物である以上、金勘定が下手ではやっていけないとしても評判も大事。

ミーシュという人間が不気味なところを見せている以上、安全のための保険がほしい。


ある程度のプレミアは交渉において当然得るべき権利だとゴーデンは考える。

信が置ける人間であれば、まだ下げられもするだろう。

だが、未知の部分が多い相手。

ある程度の、不信感分の保険程度は載せさせてもらう。


「ですが危険な道を歩くのは私たちだ。2割5分でも、十分すぎるでしょう。」


とはいえ、フーシェにしても買えるだけ買いたいという思いはある。

余り値上げでもされれば、予算に響かざるを得ない以上ある程度で妥協したい。


「3割5分で。」


「2割7分5厘です。正直、これ以上は難しい。」


本当に苦しそうな表情を双方ともに行い、相手の同情を誘うマネ程度は行う。

もっとも、どちらにしても有効だとは思ってもいない。


やって儲けになれば、儲けもの程度の認識。

だが、折り合いをつけたいという気持ちは双方ともに同じ。

結局のところ、折り合いをつけなければいけないのは妥協点なのだ。


双方の欲望が二重一致する点を探れば、3割というのがぎりぎりの妥結点として浮かび上がる。


「ミーシュさん、3割。これ以上は泣けません。」


結局、恩を着せておくかと判断したゴーデンが3割を飲むという意向を提示。

フーシェにしてみれば予想の中では高い割合に落ち着いたところだが、許容できる範疇だと納得。


「…仕方ありませんな。その分、次のお付き合いに期待させてもらいます。」


屁理屈っぽかったり、現実味が無かったりしたら、突っ込んでください。

基本的に、ご都合主義とか飛んでも展開は少なくしたいので不明瞭なところはビシビシご指摘を。


うまく書けてなかったりしてたら、改善できるように心がけます。

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