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第四話

オトラント公爵、無聊を持て余し火遊びを欲す。


統治の正当性は、何処から湧き出でるのだろうか?

マキャベリに曰く、世襲君主はその歴史の積み立てが正当性を自ずと担保するという。

王権神授や、国民公会に代表される二つの概念もアイディアとしてはそれぞれ独自の説を有する。


だが、動乱期にあって正当性を何処に求めるかは深刻な危機を引き起こしかねない要素たりえる。

その正当性が持つ強みは、一転すれば正当性にとって最悪の弱点とも化すからだ。

大体において、簒奪者は自らの正当性を実績や血統に求めざるを得ないだろう。


血統がなければ、或いはあったとしても比較優位を確保できない場合は、実績ありきだ。

当然のこととして、実績というものは永遠の成功が約束されているわけではない。


マレンゴの一件は、典型的な教訓の事例だろう。

執政官としてフランス共和国に法による安定と、外敵の撃退により平和をもたらしていた第一統領ナポレオン。


1800年6月14日、イタリア北部ピエモンテ州アレッサンドリア近郊の町マレンゴ。

かの地で、彼の指揮するフランス軍はミヒャエル・フォン・メラス率いるオーストリア軍に敗北しかけた。


ルイ・シャルル・アントワーヌ・ドゼー・ド・ヴェグー将軍が援軍。

事実、それがあと数時間遅れていれば敗北は免れえない情勢だった。


『もう一度戦って勝つ時間はある!』


そう叫び、戦局を押し返すべくドゼー師団が参入しなければ。

ドゼー将軍の攻勢に、フランソワ・エティエンヌ・ケレルマンの軽騎兵隊が呼応出来ねば。


ボナパルト将軍は、一敗地にまみれていたに違いない。


そして、敗北しつつあるという一報がパリに齎されただけでボナパルトの失脚は確定しかけていた。

常勝将軍、最高の執政官、秩序の回復者としてのナポレオンが正当性は、戦勝によってのみ担保されていたのだ。

彼が、一敗地にまみれた瞬間に、すべての反動勢力が動き始めたのである。


しかし、皮肉なことにボナパルトは逆転した。

最後の最後に、ドゼー将軍を失うという高すぎる犠牲を払いながら。

辛うじてではあるが、マレンゴの地において勝利したのだ。


暗躍していた、彼の敵対者らは顔面蒼白とならざるを得なかった。

またも勝利した将軍が、裏切り者どもに内心のはらわたを煮えくり返らせながら帰還するのだ。

…フーシェ・タレーランのように証拠の隠滅に成功していなければ、無事にはすまなかったに違いない。

なにしろ、フーシェもタレーランも、自分のことはどこ吹く風で他の『裏切り者』を平然と告発してのけていたのだ。


武力でもって、至尊の座を取った者というのは『ナポレオン』という一個の天才であっても正当性に悩まざるを得ない。

これほど混沌とした政治情勢にありながら、頭一つも抜き出し得ない無能共ではその座を保ちえないだろう。

だから、フーシェはお人形遊びをしながら辺境部でこの世界での遊戯法を勉強していればよいのだ。



なに、焦ることはない。




フーシェが地方で悠々自適に遊んでいるうちに、奴らは勝手に骨肉の争いを繰り広げた挙句自滅してくれることだろう。


血気盛んなヴェルター皇子には、適当な仕事と役目でも囁き情熱を発散させてやればよい。

辺境防衛という任務でも宛がわせ、適度に勤労を楽しませてやるべきだろう。

ついでに、辺境にフーシェの手足となる監視網でも作ることも行える。

対外情報の収集を後回しにする理由はない。


加えて、時間と資金を見繕うことができるのは大きな利益をフーシェに齎す。

暗躍に必要な情報網の整備は、特に重要な案件の一つだろう。

趣味のたぐいではないが。必要な場合に備え手置くことも大切である。


まず、亡命先と工作資金を用意しておくことも忘れてはならないだろう。


だが。


そのためにも、まずは策謀の拠点たるべき属州を見つけなければならない。




さて、何処で遊ぶべきか?






漸く希望が見えてきたヴェルター第四皇子。

彼にとって、急きたいところで引き止められるのは些か以上にもどかしい。


「オトラント公よ、やはり権を握るならばライネ軍団を手中に収めるべきではないか?」


彼にとって、辺境で軍権を握るという発想。

それは、内心にある英雄願望を湧きたてられてやまない。


なにより、踏みつけられ続けられた彼の心は名声を渇望してやまないのだ。

そしてインペリウムが、最前線に位置するゲルマニクス属州のライネ軍団。

歴戦の軍団兵らを指揮し、蛮族らからインペリウムを防衛するというのは彼の心をくすぐってやまない。


だが、彼にとってたった一人の腹心であるオトラント公爵。

公はヴェルターの心を知った上で、なお反対を唱えてくるのだ。


「殿下、恐れながら軍権の任免はインペラトルがもの。元老院の一存で左右できるものではございません。」


実際、軍団の指揮権はインペラトルが伝家の宝刀。

元老院が有している指揮権は、属州の補助軍団程度。

それも、正規軍付きではない予備戦力扱いの部隊だけだ。


原則的に、帝国軍は帝都外延部に張り巡らされたリメスに軍事力を張り付かせている。

各属州の州都や、造幣局を有するなど格別の理由により兵力を駐屯させている地域。

それらを除いてしまえば、属州に戦力はさほども置く必要性がない。


故に、帝都に取って返すための力を欲するヴェルター第四皇子にしてみれば。


どうしても、手元に正規軍の軍団がほしい。

それこそ、手から喉が出るほどに軍権がほしくてたまらない。

何しろ、彼自身の手元にある戦力は皆無。


このような状況下でありながら、子飼いの戦力がないのだ。

臣下といえるのは、オトラント公のみだろう。

ヴェルター皇子にしてみれば、なんとしても正規軍を味方につけねばならない。


「父帝の意識がはっきりしているときに、許可さえ得られれば。」


ライネ軍団の指揮権を得ることは、決して不可能ではない。

なにしろ、父ヴェルギンニウス帝も若かりし頃辺境勤務を経験している。

息子たちに対して、軍務を経験するように口を酸っぱく説いていた父帝だ。


教えに従い、軍務に従事したい旨を申し上げれば認められる公算は高い。


「それだけはいけません、殿下。」


だが、ヴェルターの方策を耳にしたオトラント公の反対はますます強くなるばかり。

そればかりか、軍権を握るために父帝の力を借りたいということを口にした瞬間には眉すら顰める始末。

彼とて不確実だとは理解しているが、逆転の契機を見出したのだ。


成功すれば、帝都を離れて軍権を握ることができる。


それを、何故?

何故、オトラント公は散々反対するのだろうか?


「何故だ?」


「殿下、それはあまりにも、あまりにも目立ちすぎます。敵意を一身に受けかねません。」


対して、オトラント公の答えはどこまでも手堅いもの。

渋々、本当に渋々だがヴェルターは口をつぐむ。


「今は力を養うとき。ならば、何も軍団にこだわるべきではありませぬ。」


一方で、諮問を受けているフーシェ。

彼は、表向きこそ丁重に答えているが内心では無意味な英雄願望に辟易としている。


どう考えても、辺境に強大な軍権を持った皇位継承者など政情不安定な情勢下で歓迎されるわけがないのだ。

古くはオスマントルコの内紛に始まり、苛烈な皇位継承戦争の歴史を紐解けばそれは自明すぎるほどに自明。


この情勢下で軍権を欲するのは、権力欲を自白するような自殺行為。

競争相手たらんとみなされているからこそ、放置されているに過ぎない第四皇子。

そのヴェルター皇子が剣を欲するのは、ダモクレスの剣の下に首を差し出すようなもの。


「では、帝国西方か?確かに、帝国西方は経済の中心ではあるが…。」


「それも、得策とは申し上げられませぬ。」


そして、経済的に裕福な属州への赴任もまた論外だった。

まだ、直接的な軍権を望むよりはましだろう。

望んだところで、今日明日に処刑される危険性は乏しい。


しかしながら、致命的なことには変わりがない。


元老院の管轄属州。

そして、数少ない高位ポストなのだ。


どう考えても、そこに約束された莫大な利権は元老院議員らにとって垂涎の的だろう。

権力争いの舞台を、宮中でしか経験していないヴェルター皇子だ。

完全に元老院議員の心理に無頓着に行動されてしまっては、元老院を敵に回す。


「オトラント公よ、否定ばかりは勘弁してくれぬか。」


「お許しを、殿下。」


貴様が、愚かでなければ。

このように、時間の無駄をせずに済むというのだが。


内心で嘲笑し、吐き捨てながらも神輿がこれしかないのがフーシェの不運。


穏やかな表情の裏で、軽蔑の罵倒を飲み込みフーシェは言葉を囁く。

その姿は、物わかりの良い生徒に喜んでものを教える教師の姿勢。

フーシェにしてみれば、手慣れたものだ。


なにしろ、若いころ彼は教師として物理を熱心に学生たちに教えていた。

その気になりさえすれば、物わかりの悪い生徒を指導することも得意である。


「しかし、元老院管轄州の中でも豊かな西部諸属州は元老院の重要なポストです。」


実際西方諸国、とくに絹や香辛料といった莫大な富の流れる西部諸属州のポストは極めて重要なポストだ。

リメスが遥か後方にあるため、喫緊の課題がない一方で経済的には極めて富裕。

赴任し、手堅くやるだけで一財産が構築しえる垂涎のポストだ。


また、魔導院が東方諸国の文献を買い漁るがために文化の発展も著しい。

赴任した総督連中にしてみれば、帝都と変わらぬ水準の生活で蓄財できるのだ。

いや、神官連中も総督に勝らずとも劣らずこの地域で権益を謳歌している。


なにしろ、商業規模が大きい。


パイが大きければ切り取れるパイの取り分も、また他に比を見ない多いのだ。

こんな権益が入り乱れたところのポストを手にするには、極めて稠密な前準備を必要とする。

なるほど、時間さえあればフーシェならば赴任してのけることも困難ではあるが可能だ。


カルノーから政府主席の座を奪い取り、挙句ナポレオンが去った政府をルイ18世に高く売りつけたフーシェの手腕。

それをもってすれば、西方諸属州で各勢力の権益に調整をくわえながらうまい汁を啜ることも可能。

だが、それには相応の準備期間と組織が絶対に不可欠だ。


「仮に殿下が望まれたとして、希望が叶うか、また叶うとしてもどれほどの時間を要するか余りにも不確実です。」


不確実性の高い賭博。

それを思うだけで、フーシェの表情には嫌悪すら浮かびかける。


謀略というのは、一切を稠密にすべて詰め不確実性を排するもの。

全てが予定調和を為し、予定通りの結果で世間をあっと言わせてこそだ。

運が良いと囁かれるような結果の裏に、水面下で散々調整したフーシェの姿があるのである。


元老院を敵に回した挙句、何一つとして得られないというのは無様にも程があるに違いない。

これで、この皇子を破滅させることによって利益が得られるならばフーシェとしても盛大に焚き付けたことだろう。

その果てに、敵ばかりを増やして追いつめられる姿を笑い転げる気持ちで見遣ったに違いない。


だが、今は面倒でも人形劇をきちんと運営しなければならない事情がある。


「故に、貧しくともその分赴任しやすい東部の諸属州への赴任を願われませ。」


故に、篤実なオトラント公爵という仮面の裏で顔を歪めながらもフーシェは跪く。


ボナパルトならば、言わずともそれくらい察しただろう。

理解したうえで、戦争狂が戦場に赴くのはフーシェをして嘆かせたものだ。

だが、陰謀情念と熱狂情念の戦いはまだ面白みもあった。


陰謀を張り巡らせているとき、フーシェは確かに生きているのだ。

それこそが、彼が生きていると実感できるレゾンテールなのである。

言い換えれば、こんな尻に殻のついたヒヨコを導いても少しも面白くない。


「そこまで、かみ砕かれれば否応は言いようがない。わかった、そういたそう。」


「賢明なご判断かと。」


ああ、つまらないものだ。

内心では表情と真逆なことを思いつつ、フーシェは表向き皇子の賢明さを讃えていた。

別段、意識していなくてもこの程度のことは容易い。


だが、陰謀情念を抱く人間にしてみれば退屈というのは酷く情念を動かされる。

ちょっとばかり、暇つぶしに出立前に帝都で悪戯をしていくしかないだろう。







お昼時のマリウス亭。

出立前に食事を取ろうという宿泊客と、今晩の宿を手配する宿泊客でごったがえする時間帯。

従業員にしてみれば、かきいれ時。


だが、こんな時でもキップの良い顔見知りの客人を見違えるようでは見習い以前の問題だ。


「やあ、ヴィル。今日もお世話になるよ。」


ザックと軽装といった身だしなみの行商人。

前回持ってきた商品の豚は、よく脂の乗ったいい肉質だった。

値引き交渉に親方まで参加し、次回以降も宿を使うというところで双方が妥協した人だ。


これで忘れているようでは、二度と信用を得られないだろう。


「いらっしゃいミーシュさん。商売の調子はどうです?」


以前、同じようなことがあったときにお客の名前を間違えるヘマをした仲間は酷く絞られたものだ。

しっかりと、覚えていた行商人の名前に安堵しつつヴィルは挨拶を返す。


商売道具を連れていないということは、売れたということなのだろうか?

とまれ、相手の商売を聞くのは挨拶のようなものだ。

形式ばった長ったるい言葉よりも、気軽ながらも時に有益な情報交換にもなる。


「まあ、そこそこだね。今日も案内してもらってよいかな?」


「もちろんですよ。豚肉を値引きしてもらいましたしね。」


無事に間違わずに、お客の相手ができていることを確認したのだろう。

傍でちらりとこちらを一瞥していた親方が、視線を外したのを感じてヴィルは正解を確信。

ここで間違えても覚えていなければ、きっと後で雷が落ちたに違いない。


商売とは信用なのだから、何事もきっちりやらなければいけないが親方の教えだ。


「頼りにさせてもらうよ。それではすまないが、この辺で信頼できる銀行を教えてもらえないかな。」


「銀行ですか、ミーシュさん。」


だから、できる限り相手の希望を知る必要がある。

例えばインペリウムの銀行には、いくつか種類がある。

高利貸しを行うところから、お金を保管してくれる銀行。

はたまた、手形取引や商売に必要な決済を取り扱う銀行まで様々。


「ああ、そうだな。取引の手形を扱ってもらいたいんだ。信頼できる所を紹介してほしい。」


そして、どうやらミーシュの欲しているのは仕事の必要上使う銀行らしい。

どうしても、信頼できるところが使いたいという彼の希望はもっともなもの。

だから、老舗の宿から安全なところを紹介してくれという頼みだ。


こういう慎重な手合いこそが、親方のいうところのしっかりした商人の基本らしい。

独り立ちに備えてヴィルたちもそつなく学べ、と最近では教えられ始めている。


「分かりました。親方のお知り合いがやってるところを、教えますよ。」


いい勉強になるだろう。

折角なので、ミーシュさんからも学べれば幸いだ。


「それは助かる。おっと、それと今晩泊まりだ。個室をお願いするよ。」


「毎度!さっそく手配します、ミーシュさん。ちょっとお待ちを。」


今日は運がいい。


そう思いながら、ヴィルは宿泊手続きと案内に出る旨を親方へ伝えに走る。

オトラント公爵ですら、下準備がなければ何もできない。

異世界トリップモノはどうしても、序盤は下準備。


まったく、オトラント公爵ほどの政治的怪物でこれだ。

サクサクテンポあげることを何とか考えないと…。

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