第三話
オトラント公、平穏に失望し、転じて災いの種を捲く。
ついでに、フーシェにしてやられて喉が痛いんで明日の更新は微妙な感じで。
フーシェにとって、信じられるのは自分だけだ。
第三者の視点が入った報告はバイアスの塊。
たとえ、当事者からの情報だろうとも複数からのを比較検討しなければ安心できない。
常に複数の予備を用意しておくこと。
最悪に備え、いくつものプランを用意しておくこと。
彼は出立に際して、持ち出せる情報を極力ヴェルター皇子から引き出してきた。
その中に含まれている帝国の軍事機密や、内々の闘争は最悪第三国に亡命するときの手土産たるだろう。
亡命せずに済むならば、それはそれで別の使い道もある。
そのためにこそ、カードの価値を知らねばならないのだ。
だからこそ、ヴェルター皇子に用意させた資金を調査に注ぎ込む。
そしてフーシェはカバーの身分としてミーシュなる行商人を演じていた。
まず手始めとして数日を費やし、インペリウムの帝都を散策。
街道は全体的に整った印象。
なにより、驚いたことは活発な交易と大勢の買い物客で市場が満ちていたことである。
フーシェが得意とした『偶発的な暴動』を誘発するには全く望ましくない環境。
フーシェの所感としては、政情不安という割には存外生活が安定しているというものだ。
祝祭日と、平日を比較しても大差がないこともその考えを補強するもの。
少なくとも、フーシェの知るジロンドやモンターニュの確執が生んだ空気とは無縁の庶民生活。
聞き及ぶ限りにおいてだが、インペリウムにおいて革命が起きる余地は乏しかった。
ヴィルという若者に案内させ訪ねたパン屋のパンは、比較的手頃な値段。
品質も良好であり、少なくとも白パンが手の届かない価格ということもない。
補助金で価格が安定しているというよりは、単純に生産が十分なようである。
公衆浴場の賑わいと、近くで催されている演劇やオペラといった娯楽を見る限りではサーカスまで十分。
パンとサーカスだ。
「今日のコースと、ワインを。ワインは、適当に合うものを見繕ってくれ。」
食糧事情調査を兼ね入ったビストロ。
そこで、満足げに日々を暮らしていると思しき民衆を一瞥しフーシェ考える。
不穏の種、革命の友たるルサンチマンは、影もなし。
そうなると、革命の機運というのはあまり情熱的にはならないとみざるを得ない。
火種が燻っていなければ、大火を引き起こすのは難儀だ。
無論、オトラント公爵ともあろうものにとって扇動や破壊工作といった嗜みは必須の嗜み。
扇動し、市街地で蜂起を誘発する手段を取れないことはないだろう。
だが労力に見合った成果を期待できない以上、それは完全な無為に近い。
小火を起こし、自分の存在を優秀な番犬に嗅ぎ付けられれば堪ったものではないだろう。
また、精肉場のにぎわいもフーシェにとっては想像を遥かに上回っていた。
言い換えれば、中流家庭が肉をそれなりに口にできる環境が整えられているということ。
実際、ビストロの食事は基本的に安価か手が届く範囲。
多少贅沢しても、1デナリウスもあれば十分に手が届く。
アルコールは若干制限されているようだが、こちらは単純にギルドの権益なればこそ。
品質に問題は乏しく、品質管理のためにギルドが監督しているという構造のようだ。
生活不安の要素が乏しく、比較的安定した食糧事情というのは扇動者にとっては最悪に近い。
反体制派でも都市部に居れば、フーシェにとって陰謀というのはごくごく自然に成し遂げられるだろう。
だが、陰謀が多数派の中ではなく少数のグループの中に限定されてしまうと手間がかかる。
まず、陰謀を探り当てることからして少し探りにくい。
もちろん、どこからかは探れるのだろうが時間が必要。
そして、探りを入れる手段を探ったときフーシェは階級制に直面することになる。
ゲームが、その参加資格を平民に認めていない世界。
探った限りでは帝国は完全な階級制が社会にいきわたっていた。
ただ、厳格な階級制という割に階級間の流動性が担保されてもいる。
つまり判断の難しいことに、厳しい階級制ながら上昇機会を抜け目なく構築している柔軟な制度である。
ゲームに参加したければ、時間はかかろうとも既存秩序の中で登録はできる世界だ。
言い換えれば、本当に能力がある人間が不遇に不満を抱きクーデターを引き起こす可能性が乏しい。
それどころではなく、逆に体制に与えられた権益を擁護するための強力な体制側の人間たりえてしまう。
まあ、どのように優秀な人間だろうともギロチンの露と消えた革命の経験者からすれば誤差の範疇ではあるが。
そういう意味では、ひどく上手に飴と鞭が組み合わされている社会でもある。
実際、現宰相のオルトレアン伯爵など元は騎士階級の出身。
官僚機構の中で頭角を現し、現在の地位まで実力で上り詰めている。
宮中は、一定程度までは実力が公平に評価されるらしい。
無論、事なかれ主義の横行は甚だしいようでもあるのだが。
神官団も、実態はどうあれ名目上は広く門が開かれることになっていた。
見えないガラスの天井は一定程度あるようだが、やはり実力次第で上り詰めることは可能。
まあ、信仰心ではなく現世における実務能力が実力を測る時点でずいぶんと愉快ではあるのだが。
最期の魔導院だが、こちらは少々特殊だ。
実力があれば誰でも入れるが、その実力は先天的な才能に依拠している。
しかも、原則的に彼らは政治に介入する立場にない。
策動するには、最低でもどこかに足がかりを得なければならないだろう。
フーシェとしては、自らの手足を縛るつもりはなくともまず魔導院は諦めるほかにない。
なにしろ、フーシェは唯人だ。
魔法についての知見を得る必要がある段階で、そこに飛び込むのは無謀というもの。
敵地に入るときは、敵情を知り尽くしてから入るべきものなのだ。
しかし、そのためにはその情報を持つことが意味のある立場でなければだめだ。
下男が知っていたところで、さしたる脅威たりえない情報。
だが、しかしオトラント公爵が知っているとなれば全ヨーロッパを震え上がらせうる。
しかして、だ。
そのためには、最低でも騎士階級以上でなければゲームに参画できない。
「お客さん、此処においておきますね。」
「ああ、すまないね。後は、勝手に楽しませてもらうよ。」
ありがとう、とフーシェは運ばれてきたビストロのワインを味わいながら笑う。
大衆が餓えずに済むのは、統治階級にとっては安寧の基本。
同時に、既存の秩序に愛着を抱く連中だ。
さぞかし、優秀な密告者たりえてくれるだろう。
問題は、どのような経路でゲームに参加するかということになる。
一番、堅実なのは騎士階級をめざし平民から上り詰めていく方法だろう。
門戸は開かれており、フーシェの能力をもってすれば道は確実だ。
ただし、政治的闘争でごたついているとはいえ平民の昇格速度はフーシェにしてみれば耐え難いほどに遅い。
曲りなりにも有能であったナポレオンが下で働くことが辛うじて耐えられたフーシェだ。
彼にしてみれば、自分よりも無能な連中の下で営々と働くということは望むところではない。
次に、考えられるのは知己であり誑し込んだヴェルター第四皇子経由で参画するという方法。
こちらはどうかといえば、フーシェにとって馴染みがある上に比較的面白そうだった。
舞台裏の監督という役割ならば、ロベスピエールをギロチン送りにした日から演じなれている。
フランス革命期半ば以降では、自分の存在を知っている連中が執拗に舞台裏まで覗き込んでくれた。
だが幸いにして、インペリウムが舞台で自分のことを知るのは彼の皇子のみ。
しかも、自分が踊らされる予定であるということを一切気づいていない間抜けな道化。
パペットとして、黒幕の自分に害が及ばないように踊ってもらうことは可能か?可能に決まっている。
問題は危うい身の第四皇子にどの程度寄りかかるか、になる。
フーシェとしては、あの皇子と運命を共にする意志は微塵も持ち合わせていない。
そうである以上、どこまで踏み込み、どこからは保険を掛けるかを考えねばならないのだ。
しかし、概ねはこの方針でいいだろう。
さてこれこそが、これこそがジョゼフ・フーシェが愛してやまない策動なのだ。
激怒したボナパルトの罵詈雑言に晒され、顔色一つ変えないフーシェがただ愛してやまない陰謀。
妻と家族以外には、ただ一つ愛し続けてやまない謀略。
陰謀情熱は、彼に新しいゲームへの憧憬を懐かせて燻り続ける。
そして、それこそが傍観者たる悪魔を歓喜させてやまないのだ。
さあ、さあ、ご覧あれ!ご覧あれ!
これこそが、稀代の名調理人、ジョゼフ・フーシェ氏の新作!
妙なる調べと、絶妙な加減!
さあ、さあご期待あれ!
オトラント公と、初めて出会った小礼拝堂。
待ち合わせの時刻よりも早く赴いたヴェルターは、すでに其処で控えている男に気付く。
内心、戻らないのではないかとわずかに抱いていた猜疑の念を酷く恥じる。
だが、これで彼の者が少なくとも行動において信の置くことができるということは信じられた。
「殿下、ただいま戻りました。」
「よくぞ戻ってこられた、オトラント公。待ちかねたぞ!」
同時にこの穏やかで、自分の数少ない味方が戻ってきたということの安堵。
そして、気が付けばせき込む様に訊ねていた。
「して首尾の方は?」
だが、問いかけを発しながらもヴェルターは気が付く。
苦笑するオトラント公の表情。
それを見て、ヴェルターは自分が焦りすぎていることを悟る。
たった数日、調査の初めに街を調べていたオトラント公に首尾も何もないだろう。
「いや、焦りがすぎたようだ。」
ヴェルターは衒いを込めつつ、それでも信のおける臣下が戻ってきたことを喜ぶ。
そういえば、このように何かを期待して報告を受けるのは久しくなかったことだ。
だが、その感傷に浸る間はない。
なにしろ、ヴェルターは期待以上の答えを得るのだから。
「いえご報告できることも少なくはないかと。」
「ほう!どのようなことだろうか。」
情勢を探るといって、数日出てきたばかりの人間の報告。
いったい、どのようなものかと思わず興味半分期待半分でヴェルターはオトラント公を見つめる。
だが、そのヴェルターの視線を浴びたオトラント公はいつも以上に顔色がさえない様子だった。
それどころか、少しばかり躊躇し、口を開くべきか迷っている気配すら微かにではあるが見える。
待ち焦がれ、声をかけようとしたその時。
決断した、という表情で公が口を開く。
「結論から申し上げてもよろしいでしょうか?」
「無論だ、直言してほしい。」
躊躇したからには、やはり言いにくいことなのだろう。
だが、ヴェルターにしてみればいかなる諫言だろうとも聞くつもりだ。
此処まで、窮したのだ。
生き延びるために、頑なな態度が如何に無謀かは理解できていた。
だからこそ、賢明な助言はすべて聞く覚悟をしている。
「かしこまりました。…殿下、私の見るところ殿下は帝都を離れられるべきでしょう。」
「何、都落ちしろというのか!?」
それでも。
オトラント公が提案してきたものは、ヴェルターにとっては予想外の提案だった。
「御意にございます。」
「公よ、公がそういうからには理由があるのだろうな。」
帝都に。
継承の場に居合わせてこそ。
初めて、第四皇子という身に意味がある。
にもかかわらず、オトラント公爵が都落ちを進める真意。
それは、如何なるところに真意があるのだろうか?
僅かな時間に、いくつもの思いが脳裏をよぎるヴェルター。
だが、その葛藤は。
若者の思考は。
跪くフーシェにしてみれば、予期している範疇のものにすぎない。
「はい、殿下。」
そう肯定し、フーシェは懐から一枚の地図を取り出す。
それは、書店で市販されているレベルのインペリウムが地図。
別段、インペリウムでは珍しいものではない。
だが、フーシェにしてみれば重要極まりない小道具だ。
「殿下、御覧のように帝都周辺が属州はインペラトル直轄属州でございます。」
帝都を囲む複数の属州。
その全てが、皇帝直属の統治領。
本来であれば、ヴェルター第四皇子もその何処かに一度は派遣されることになっただろう。
そう、皇帝が健在であり平時に皇族を派遣して統治させる状況であれば、だ。
「その通りだ。有事あらば、軍団兵が呼集され動くために帝都周辺は直轄地とされている。」
「ですが、現状陛下の統制が及ぶ州は嘆かわしいことに皆無であるのが実態です。」
逆に言えば、皇位継承権闘争において各候補者の武力と経済力の源泉たる存在でもある。
ヴェルター第四皇子は、いまだその何処にも赴任していないという一時でもって請求権があるのだ。
それを行使せることも考えてはみたが、敵を作りすぎる愚策だろうとフーシェは結論付けている。
短い期間であれば、そこから謀略で相争い破滅させるので十二分に楽しめるかもしれない。
だが、せっかくの悦楽ならばできる限り長く楽しみたいもの。
だから、恭しく畏まるフーシェは一番長引く方策を巧みに言葉に包んで差し出す。
そう、恰も直轄州にヴェルターの未来はないかのように。
「…兄上らの闘争か。」
そして、フーシェは正しい嘘のつき方を知っている。
嘘をつくときは、肝心の部分以外は誰にでもわかる真実で固めているのだ。
自分で考え、その通りだと信じた人間は嘘を嘘と見抜きえない。
「ご明察の通りです。まだ、庶民の生活に直接の影響は出ておりません。ですが、その分内々では激しい抗争が。」
各直属州での影響力争い。
次期皇帝の覚えを欲する地方官の策動。
そんな表層的なことぐらいであれば、街の酒場で酔いどれ共さえ知っていた。
宮中で育った皇子にとっては、知り尽くしている話。
納得したような表情で、ヴェルターが頷いている時点でフーシェの術中にあるのだ。
「しかしだ公爵。それが何故都落ちにつながるのか。」
「順を追って説明させていただきます。」
納得できる前提がある一方で、そこから先が読めないという表情のヴェルター皇子。
言い換えれば、先が納得できればそれを賢明な方策と理解する人間だ。
少しだけ、誘導してやるだけで恰もそれが最善であるかと錯覚する利用しやすい性質。
だから、真実で固めた言葉を少しだけ横に動かすだけでよいのだ。
「まず殿下、恐れながら我らが立場は非常に脆弱なもの。嵐が吹き荒れたとき、近場に寄る辺がないのです。」
我らが、と自分はヴェルター皇子が味方と暗に示しつつフーシェは状況を分析してみせる。
実際、宮中におけるヴェルター第四皇子が立場は非常に弱いものだ。
味方たりえたアレネイア皇女も、シャルロッテ第三皇妃第三皇妃も、ヴェルギンニウス帝も。
誰もが、身動きすらままならぬか、死んでいるのだ。
「だからこそ、帝都で一角を占めるべきではないのか?」
「誠に遺憾ながら、時間がございません。」
これで、皇帝が健在ならばフーシェとしても時間のかかる迂遠な辺境行きを提案することはなかった。
だが、フーシェにとって惜しいことに皇帝はいつ死ぬかも不明な状況。
…せめて、侍医を買収する時間があれば。
もう少し綱渡り的な策謀もできただろうに。
折角の好機であるにもかかわらずフーシェともあろうものが。
みすみす、指をくわえてみているしかない。
こうなると、慨嘆してしまうほど状況に余裕がないのだ。
だから、一度外で嵐が過ぎるのを待つという次善策に走る。
ついでに言えば、フーシェにとって何度もやった方策だ。
あのロベスピエールの支配する国民公会からも。
無能な執政政府からも、逃げ切り没落の憂き目をよけた方策。
「故に、外に雨宿りできるところを探すというのか。だが、それでは帝都に二度と戻れまい。」
だが、焦りを覚えている皇子には片道に思えたのだろう。
安全策ということは理解してもなお、帝都に戻ること、すなわちインペラトルの座に執着してのけている。
・・・分かり易いというよりは、分かり易すぎる。
だから、フーシェはあらかじめ用意しておいた小話を始める。
「殿下、私が以前フランス王国でボナパルト前陛下にお仕えしていた時のことです。」
恰も忠臣として近侍したかのような物言い。
だが、ボナパルトという主君は断じてフーシェなどというジャコバンの蝙蝠を信じてはいなかった。
むしろ、早々と蹴り飛ばし地位から追いたいと願いながらも、フーシェの有能さで躊躇。
結局、最後の最後まで不審の念を抱きながらも使わざるを得ない存在としてフーシェを認識していた。
だが、インペリウムでそのような事実を知る者はいない。
「当時のボナパルト殿下は、外憂を抑えるがために出征し、結果的に内憂が起きたときに巻き込まれずに済んだのです。」
故に、オトラント公爵が語るのは正義と英雄のバララッド。
そして、その物語をオトラント公爵ジョゼフ・フーシェは輔弼の臣下として語るのだ。
「そして、帰還後速やかに新たな王政府に頭を垂れつつ護国のために外敵と戦い続けたのです。」
いかがでしょうか、と微笑んでみせる。
「愛国の誉れではあるな。だが、それでは…インペラトルの座は。」
そして、それを耳にするヴェルターにしてみれば英雄譚に心は惹かれた。
彼とて若く、不遇な立場故に殊更に名声に餓えている。
だから、護国のために内憂から距離を取り、剣を取るというオトラント公の提言に頷ける部分を多々見出す。
しかし、しかし!
一度、至尊の座を覗いえない地に赴けばインペラトルの座は望むべきもない!
「殿下、不義を為し至尊の座を簒奪したボナパルト殿下がご親族は幾度となく相争ってしまわれたのです。」
だが。
オトラント公爵が語るボナパルト王の物語は、ヴェルターにとって実に自分の境遇に類似し共感できる物語。
そう、彼の兄弟・親族もまたインペラトルの座を巡って肉親が相争う状況。
この状況、確かに不義を為す輩が幾度となく相争うとうのは予期できた。
父帝に対し、申し訳ないとも思わず相争う強欲な連中。
確かに、確かに奴ならばならばいくらでも足の引っ張り合いを為すだろう。
オトラント公に言われてみれば、なるほど、公の言うとおりだ。
「結局、臣下一同が推戴したのは祖国にあって護国がために奮戦し、外敵から祖国を守り続けておられた陛下でした。」
そして、ヴェルターが予期した通りの結末。
不遜の輩どもは、結局のところ自らを滅ぼす。
「殿下、この故事に倣われませ。インペリウムが辺境部を守りつつ、時が来るのを待てばよいのです。」
後は、インペリウムを、インペラトルの座を。
自らが、手にするのだ。
「オトラント公!公の英知に感謝をさせてくれ、卿の忠言、確かに聞きいれよう!」
フーシェのターン。
フーシェは、カードを一枚伏せてターンエンド!