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第二話

オトラント公爵、豚を売りに野に出る。

オトラント公、ジョゼフ・フーシェ。

彼はその人生を激動のフランス革命期で過ごした政治家の中で最も同時代から畏怖され、嫌悪された政治家である。

いや、彼は政治家というべきではないかもしれない。


ジョセフ・フーシェとはフランス史上最も有能な警察長官として記憶されるべきだろう。

あるいは、恐るべき秘密警察を組織しフランス全土を網羅した舞台裏の黒幕。

バルザックほどに至り、ようやく理解しえるほど深い闇に隠れた男こそがフーシェなのだ。


そのフーシェは決定的な帰属を忌避する。

彼は、その人生の始まりオラトリオ会への所属具合からして両天秤具合を物語る。

僧衣を纏い半分の足を第一身分に突っ込みつつも、半分は第三身分に残しておいたのだ。

フーシェにしてみれば、明瞭な立場ほど危険なものはない。

彼が激動のフランス革命時代生き延びたのは、常に『多数派』の『一人』たらんとしたからだ。


言い換えれば、彼は『無標』であることを望む。

目立ちたくないのだ。

歴史に、政治の檜舞台に、立ちたくないとは言わない。


だが、本質は陰謀と謀略を愛し舞台裏で策動することが本領である。

大衆を前に演説する力は乏しくとも、一人囁き惑わすことにかけては天稟の才に恵まれた。

そして、危機と陰謀に関する嗅覚はフランス革命を通じて徹底的に磨き上げられている。


それ故に、陰謀と策動の機会は呼ばれるや否や嗅ぎ付けた。

嗅ぎ付けた瞬間には、もう平然と乗じるべく彼は心無いことを離宮が四阿で不遇の皇子に囁いている自分に気が付くのだ。

後は、単純明瞭な話に落ち着く。






オトラント公という篤実な仮面。

仮面の背後に冷たい本性を隠しきり、同情し共感する臣下を演じ切る。

道化であるが、道化に遊ばれることを知らぬを嘲笑するもまた一興。




その結果がオトラント公爵を信じ切った若きヴェルター第四皇子の姿。

ヴェルター皇子に信じられる臣下という地位を演じる程度、オトラント公爵にとっては児戯にも等しい。

いや、簡単すぎてつまらないものを内心では覚えつつある程だ。


だが、フーシェ氏は勤勉である。

謀略のためならば、労苦を、それこそ犬馬の労を惜しむことはない。

故に、篤実なオトラント公爵の仮面の裏で喜悦していることを彼は皇子に悟らせずに語らせた。


いかにも深刻そうな表情を保ったまま現状を聞き出した成果は、まさに労働の成果というにふさわしいもの。

宮中の政治状況は、混沌としているという他ないないだろう。

つまるところの結果は、フーシェをして思わずわが身の幸福を言祝ぎたいほどに理想的だった。


策謀、裏切り、謀略の三重奏曲。


「なんと、何たること!…よほど、事態は深刻ですな。」


一瞬、余りの楽しさに我慢できそうにないほど素晴らしい状況。

混沌と仕切った政治情勢。

敵味方定かでない混戦状態。


そして、聞くだけでも想像がおおよそつくような水面下での抗争だ。

さぞかし、割って入るには知恵を傾けなければならないだろう。

それこそが、フーシェにしてみれば楽しくてたまらない。


動揺した態。

頭を抱える振りで人間味を見せつつフーシェは平然と事の推移を予期してのける。


病床に倒れた皇帝。

昏睡しきった彼は、もう長くないだろう。

当然、インペラトルの座、至尊の座を欲する愚者が群がっているに違いない。

崩御したが最後、パンドラの箱が開くことだろう。


宮中の百官による闘争は、やや新しみが欠けるために期待外れもよいところ。

耳にする限り、ごくごく無難というか平凡だった。

タレーランのごとき妖怪じみた連中でもいない限り、遊び相手にすら欠くだろう。


しかし、魔導師なる連中と神官団というアクターはフーシェにとって新しい要素だ。

きっと楽しく、見たこともない陰謀を演じられることだろう。

フーシェの知らない謀略を、権謀術策を尽くしてくれることを期待したい。


概略を、素人から聞き及ぶだけでこれほどまでに奥深い悦楽が透けて見えるのだ。

気持ち踊る策動と謀略の残り香を嗅ぎ分け喜びが声に出かけるほどに胸が躍る。


「オトラント公、私はどうすべきだ。この苦境、いかにすれば私は脱しえるのか?」


「殿下、畏れながら判ずるにたる情報が足りませぬ。今は、情報を集めなければ。」


だが、焦ってはならない。

こんなにも楽しい舞台である。

ルールを、ゲームのルールをフーシェは学ばなければならない。


配られているカードを迂闊に捨ててしまうことも、カードの意味を理解しないうちは危険だろう。

だから、フーシェはひとまず『ヴェルター第四皇子』というカードの価値を見極めるまで温存する。

本来であれば、没落し少数派に転じているように思われる皇子などフーシェにとって価値はない。


だが、いかんせん判断材料が限られている状況下において拙速は許されないだろう。

フーシェとしては、マレンゴでボナパルトにしてやられた記憶から学んでいる。

確定していない予想で、行動することは大魚を逃しかねない。


それを思えば、孤独な皇子相手に笑顔を浮かべる程度は大した手間でもないだろう。

当然、自分にとって無価値とわかるまでは皇子が健やかであってもらわなければ困る。

いうまでもなく、軽挙妄動されてはたまらないのだ。


だから、御身を案ずるという態で釘を刺す。


「御身に事があっては、それこそ臣の立つ瀬がございません。」


「しかし、公よ。卿にとって此処は異郷の地。情勢を如何にして探れるというのか。」


ある意味で、至極もっともな言葉。

情勢を探るというフーシェの提言も、探り方を知らねば如何ともしがたいだろう。

まあ、フーシェにしてみればそれは得意中の得意なのだが。


蛇の道に通じるどころか、その道の第一人者たるフーシェは知っている。

情報など、どこからだろうと必ず漏れてくるということを。

自分の口から出してしまった秘密は、もはや秘密でもなんでもないということを。


人は、弱い。

付け込めない人間など、フーシェにしてみれば皆無だ。

あのボナパルトやタレーランですらも、フーシェの前には秘密を暴かれたのである。



彼は、自分が知らない陰謀があるということが我慢ならないのだ。

フーシェにとって、知らない秘密や企みごとを見つけ出すのは殆ど本能に等しい。



だが、それを知らない人間にしてみればどうか。

30代程度で病的な外見のフーシェは無害なだけの取るに足らない存在だ。



実際にヴェルター皇子から見たフーシェですら、篤実な公爵の仮面をかぶった書斎型の人間。

剣を取り、自ら行動するという姿は思いもよらないだろう。


力は、強くないだろう。

魔法も、使えない世界から来たと本人は口にしていた。

財貨も、兵力も、権力も、オトラント公は自らの土地に置いて来たのだ。


そのため、ヴェルター皇子にしてみれば臣下が良き意図を持つとはいえ注意せざるを得ないと感じている。


そもそもどこから、情報を手に入れるというのか。

この世界で異邦人たるオトラント公爵だ。

勝手が違うのであろうし、そもそも伝手を彼は有していないのというのにどうする気か、と。


「卿の知己から、宮廷の秘密を聞き出すのとはわけが違うのだ。はたして、うまくやれるのか?」


「ご最もなお言葉ではございますが、なればこそ学ばなければ思わぬ陥穽に堕ちましょう。」


当然、フーシェにしてみればそのようなことは織り込み済み。

はっきりといえば、ヴェルター第四皇子の状況を図り利用するか見捨てるかを見極める時間が欲しいだけだ。

ナポレオンの意中ですら、電光石火で読み取れたフーシェにしてみれば若造の心など手に取るように読めた。


彼は、臣下として君主が望みうる中でも最も優秀な部類に属するのだ。

ただ完璧に思える彼にも一つだけ、その彼が完璧な臣下となれない欠陥がある。

それは、献身だ。


フーシェという人間は、絶対的な献身・忠誠心というものを誰に対しても抱けないのだ。


それ故に、質問の真意を理解していながら微妙にずれた答えをフーシェは返す。

いや、厳密に言えば加工された真実で答えたというべきか。


「加えて、私のことを知る者は殿下のみ。私が動こうとも、殿下にご迷惑をお掛けすることはございません。」










帝都郊外、街道のすぐそばにそびえたつ宿『マリウス亭』。

古くは、インペラトル・マリウスが遠征に付き従った兵士たちが始めたという伝統ある老舗でもある。

そのマリウス亭は、いつもと同じように多くの旅行客があわただしく出入りし忙しない昼を迎えていた。


マリウス亭の売りは、値段こそ、それなりに張るものの帝国軍あがりの人間が運営する宿ということだ。

最近物騒になっている押し込み強盗やら狂じた連中の暴挙も、従業員にしてみれば手慣れたもの。

荒事に慣れきった退役軍人らが運営する宿というのは、安心感もあり特に行商人らに愛用されている。


だから商売道具を運ぶ人間は珍しくはないが、動物を連れているとなればさすがに目を引く。

とはいえ、田舎から家畜を売りに来る行商人が時折訪ねてくることを思えばさほどでもない。

問題といえば売り込みなのか、泊りのお客なのか、だ。


「やれやれ。なんだね、兄さん。要件は?」


じろりと身形に目を走らせた宿の主は、ひとまず相手が武器を碌に持ったこともないと判断。

農民というにはひょろりとし過ぎるようだが、まあ行商人だろう。

年は、30くらいだろうか。

若干顔色が優れないようだが、ポックリ死なれて問題ごとになるような色でもない。


「ああ、すまないね。宿をとれるかな?一晩泊まって、気に入れば4泊程したいのだが。」


とりあえず、泊める分には問題ない客だ。

そう判断した宿の主は、ひとまず空いている部屋を確認。


とはいえ、人の往来が多い時間。

まだ、荷造りを終えていない宿泊客も少なくない。


旅では街道が危ういということもあり、ある程度固まりたいという思惑もあるようだ。

そのため、ある程度目的地を同じくする人間が纏まるまで出立を伸ばす客も少なくはない。


「急だからな、相部屋ならすぐ用意できるが。」


「個室がいいんだ。今晩までにできれば、文句はないさ。」


まあ、そうだろうと思った。

行商人というのは、やはり相部屋というのを嫌う。


一方で、連れている豚数頭を売るだけならばわざわざ4泊もする必要もない。

明日にでも市場に行って、売ってしまえば済む話。

まだ小さな商いか、様子見の部類と思われる。


4泊するのは、帝都の市場を見て回るつもりなのだろう。


「そういうことならば、急ぎで片させれば何とかなるだろう。」


「一泊幾らだね?」


物わかりが早いうえに、単刀直入。

存外、旅慣れていると見える。

地方の巡回商人だろうか?


まあ、そこまで踏み込むのは後からでもよいだろう。


「1デナリウスだ。ただ、急がせる分手間賃をはずんでもらう。」


「手間賃に2アスだそう。代わりと言ってはなんだが、近くにある精肉場とベーカリー、それと公衆風呂を紹介してほしい。」


ごくごく、普通の要求。

まあ、帝都が初めての商人ならば市場を見て回りたいのは当たり前だ。

ついでいうならば、豚を扱う商人なのだから仕事を終えれば風呂にも入りたいだろう。


「それぐらいならお安い御用だ。うちの若いのに案内させよう。」


「わかった、先に2アスだ。夜寝る前に、1デナリウスは払うので良いかな。」


案内した後に気が変わって別の宿に行かれても、案内賃で2アスならば安いものだ。

稀にゴネル面倒なやつがいるのだが、これは大変物わかりの良い客になってくれそうだった。


忙しい時期に、面倒なやつの相手をしている暇はない。

そんなこともわからない人間が、最近は増えているのだ。

おまけに、酷いのになると宿泊費を踏み倒そうとしやがる。


だが、見た限り財布の中は商人としては並み以上に重い。


つまりは、支払は心配せずとも大丈夫。

よしんば踏み倒そうとしようにも、あの細腕を捻りあげるのは難しくはない。


よしっ、ならば仕事だ。


「話が早くて助かる。おい、ヴィル、お客さんの案内だ。」


「はい、親方。どちらまでで?」


駆け出してくる見習いのヴィル。

ちょうど、手すきだったので声をかけたが存外悪くないだろう。


正規軍上がりではないが、短期間補助軍団に勤務していた若者だ。

まあ、若いながらも正直で比較的気も効く良い奴である。


「それは後々話ながら決めてもよいだろう。ここだと邪魔にもなる。」


そして、客人の方も商人らしくそつがない。

こちらが忙しそうにしているのを見て、それとなく気を使ってくれていた。


「おっといけない。お客さん、名前は?」


「ミーシュだ。よろしく頼むよ、ヴィル。」


ミーシュ、個人部屋、1泊ただし延長あり。

手元の宿泊簿にかきこむと、さっさと行けとばかりに手を振りヴィルへ合図。


「ああ、そうですね。では親方、行ってきます!」


「失礼するよ。」


連れ立って出ていく姿を視野の隅にとらえ、出ていくのを確認。

取り敢えず、問題はなさそうだと宿の主は自分の仕事に取り掛かりなおす。


最近は贋金までばら撒かれ、硬貨を検めるだけでもかなり時間を食われるのだ。



一方、案内を主から命じられたヴィルは揚々と街道を進み帝都へと向かう。

豚を引き連れたお客の足とはいえ、特に重い荷物があるわけでもなく石畳の街道を10分も歩けばもう外延部。


と、そこまで歩いた時ヴィルは豚肉を売りに来た客人の目的を思い出す。


「ミーシュさん、屠殺場じゃなくていいのかい?」


豚は、捌くのが素人には難しい。

おまけに、豚肉は傷むと直ぐにダメになってしまう。

ヴィルとしては当然、精肉店よりも専門の屠殺場で切り分けて貰った方が商売は簡単になるように思える。


「ああ、初めてだからね。まずは、豚にどれくらいの値がつくのか知りたいんだよ。」


だが、疑問を口にしたヴィルにミーシュと名乗った行商人は苦笑しながら答えてくれた。

つまり、見本を見せないことには豚肉の値段も買いたたかれてしまうからね、と。


逆に言えば、まあ、それなりに豚の品質に自信がなければできない発言だ。

血色の好い丸々と太った豚ならば、確かに現品を見せて交渉した方が価格の目安もわかりやすいのかもしれない。

確かに補助軍団時代、時々買い付けた豚に比べればミーシュの連れた豚は丸々とよく太っている。


「なるほどね。それで、その豚はどうするんだい?なんだったら、うちで引き取るよ。」


ベーコンなり、ジャーキーなり。

旅行用の携帯食料としてもよいし、なんだったら自分たちで食べてもよさそうだ。

これでも、補助軍団時代に鍋を預かった経験もあり食材の目利きは一目置かれている。


「マリウス亭でかね?」


少し驚いた顔のミーシュだが、まあ、ヴィルだってわからないでもない。

確かにマリウス亭は、普通の宿。

こういってはなんだが、簡単な料理場はあっても豚を捌けるような人間はいないと思っても不思議ではない。


「そうとも、親方は百人隊長だったんだ。豚だって、こうさくっと捌いてくれるとも。」


だが、ヴィルは大丈夫だと保証する。

なにしろ、親方は100人隊長。


豚どころか、イノシシも捌けると聞いたことがあるくらいだ。


「なるほど、そういうことなら値段が折り合えば喜んで譲るとも。」


「ミーシュさん、やっぱりしっかりしてるなぁ…。」


「それは、そうとも。商売だからね。これも。」


そのうち、書けたら更新します。

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