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第一三話

オトラント公、義憤を叫び総督の無実を訴えんと欲す。

さて、叛乱軍の首魁に対して一介の人間が手ぶらで話を持ち込むという事は可能だろうか?


まあ、ナポレオンにしてみればフーシェならばやるだろうと確信できるに違いない。

或いはタレーランでも離れ業でやってのけるかもしれないともナポレオンは知っている。

知っているからこそ、あえて確信できるのだ。

実績に裏打ちされた連中の実力を。


現実は時に、虚構すらも凌駕する、と。


オトラント公爵は若かりし頃散々密偵稼業に手を染めたもの。

侵入して密かに接触というのもお手の物と言ってしまってもいいだろう。

だが、そのような方式で接触してくる手合いというのは容易には信頼されないものというのをフーシェ氏は経験則で知っている。


誰だって、夜中に暗がりの中訪れてくる胡散臭い使者の言葉を真っ当に信じえようか?

陰謀するにしても、囁き声で疑心暗鬼に陥れるのがせいぜいだろう。

当たり前といえば、当たり前だ。


そんな胡散臭い相手の、重大な通報といって信じられるわけがない。

だから、信用される必要があるのだ。


“この人間ならば、本当のことを伝えるメッセンジャーである”と。


古今東西、外交メッセージを伝える担当者ほど信用というものが大切な職業もないだろう。

だからこそ、職業外交官という職業は非常に重要な専門職として扱われる。


実際のところ、フーシェ氏は専門は内務であって外務でないだけに外交官としての技量はそれほどでもない。

そう、オトラント公爵として世に名を轟かせたフーシェとて全てに卓越しているわけもないのだ。

外交に関して言うならば、どうしてもタレーランやメッテルニッヒといった外交の専門家に一日の長があるのは認めなければならないだろう。


なにしろ、ある意味で当たり前だがフーシェはあくまでも有能な官吏だ。

陰謀情熱に身を焦がされる、一介の官吏である。

だから、できることとできないことがあるのは当然なのだ。


そう、彼は優秀な外交官たることはできない。


だが、逆に言えば信用を偽装することができる程度には謀略に卓越しているというべきだろう。


なにしろ、ナポレオンを手玉にとって勝手に英国と講和しかけた張本人である。

しかも、偶然の事故で露見した際も損害を最小化することを彼は心がけられる。

競争相手であるべきタレーランをはじめとした大臣連中も彼を咎めるどころか称賛したほどなのだ。

それは、フランス帝国にとって利益が出るプランだとして。


故に、フーシェの主たることほど難事もないだろう。

有能でありながら、彼はたった一つ、忠誠心という言葉だけが抜け落ちているのだから。

なにしろ、フーシェの陰謀情念と策動を誰よりも知りぬき、断じてその忠誠を信じなかったナポレオンという一個の傑物。

彼でさえも、ついに最後の瞬間までフーシェという政治的な怪物を飼いならすことには成功しえなかったのだから。


とまれ、それでもフーシェ氏は信用を人から得ることができる。

なにしろ、彼の報告は嘘偽りだらけの中から事実を見出すことが可能だからだ。

その報告が、フーシェにとって都合の良い事実だけが書かれているとしてもフーシェの能力は信用に値した。


だからこそ、誰も彼を首にできないのだ。


それだけでも、オトラント公爵ジョゼフ・フーシェ氏は悪魔よりも悪魔的といえるだろう。


そして、悪魔的でありながらあるまじきことにフーシェ氏は実に勤勉であった。

彼ほどに、陰謀を愛し、陰謀のために、策動のために職務に奮起した秘密警察の長というのも古今に稀だろう。





「…ふむ、やはり警備は厳重の用で素人か。」


幾重にも総督府を取り囲むように展開している軍団兵ら。

インペリウムご自慢の高い規律と組織で運営されている彼らは、一見すると万全の護衛と警備に見える。

だが、フーシェに言わせればそれは正規軍相手の防御陣地として見た場合の話だ。


はっきり言えば、軍隊というのは出入りする人間を完全に締め出せねばどこかに穴が必ず付きまとうもの。


そして、従軍商人という商売はいつの時代ですら一定の需要がある。

御用商人の出入りを止めたが最後、物資に困窮するような軍隊も珍しくもなんともない。

いや、曲りなりにも行政機構と後方兵站組織を持つインペリウムの軍制はまだ自律的だろう。


少なくとも、兵站だけとはいえ曲りなりにも独自行動を可能にし得る程度のインフラは有しているのだ。

それだけでも、明らかに卓越した組織力だといわざるを得ない部分があるに違いない。

だが、逆に言えばそれだけだ。


彼らの防御は、攻撃してくる軽騎兵には有効だろう。

だが、商売に入ってくる連中相手には厳しくするといっても限度がある。

無論心得たもので、商人側も自粛するところがあるのは事実だ。

しかし、それでも限度はある。


だからフーシェ氏は軍隊にとって貴重な首都の情報を持った首都帰りの商人団に紛れ込んで平然と二~三日商売をやってのけた。


さすがに、総督府の内部にまでは入れないがそこは加減の問題だ。

大体の場合、総督とつながっている100人隊長辺りを見つけ出してしまえば話は早い。

なまじ、兵卒の評判が高い総督だけに、部下の軍人とのつながりというのも又簡単に見つけられるものだ。


ここまでくれば、あとは実に単純明瞭な手管だ。


偶然を装い、100人隊長の前で手紙を落し慌てて見せれば事足りる。

曰く、『殿下のご明察通り、総督閣下は真に忠義の臣であらせられました』と書き記しただけの書状。

途方に暮れた風情で、その辺で手紙を探すふりをして先方から声をかけられるのを待つだけの簡単極まりない仕事。


たったそれだけ。


如何にも、偶然に助けられたという態で彼は総督府に護衛付きで招き入れられるのだ。


後は、簡単だ。

フーシェは真実と『真実』を知っている。

だから、『真実』を知っていることを明らかにし、ヴェルター殿下側近であることを語るだけ。


たったそれだけだ。

人間の信用というのは、たったそれだけで構築しえる。

だから、フーシェは人間を信じない。

信用とは、しょせんその程度のものだと信頼しているがために。


あっという間に、フーシェ氏はそれとなく総督に呪いの言葉を誠実に囁く機会を得るのだ。



ひれ伏し、あくまでも誠実其のものといった仮面を被りオトラント公爵としてフーシェは微笑む。

そこにあるのは、悪意や陰謀を超越した純粋な善意だ。

きっと善意で苦しみやがては朽ちるだろう相手のことを思えば、フーシェは幾らでも善たるつもりである。


「ヴェルター殿下は全て、ご存じなのです。クレトニウス総督閣下。」


「どういう事かな?」


訝しげに訊ね返してくる相手。

その何と、何と哀れなことだろうか。

きっと、苦悩しているに違ないないのだ。


固くこわばらせた表情。

クレトニウス総督は、上手に苦悩のあまり不眠の兆しがあることを覆い隠している。

だが、それはオトラント公爵にしてみれば見慣れたもの。


さぞかし、心労がたまっていることに違いない。


「総督閣下、どうか殿下の謝罪をお受け取りください。」


だから、その苦しみから別の苦しみへと苦しみを変えてやろう。


苦悩しているであろう、誤解されたという憤りを。

インペリウムを想い苦吟する思いを。


全て汲み取り、理解されていると安堵させてあげよう。


「殿下は、宮中の陰謀がインペリウムの忠臣である総督閣下に波及したことを深く嘆いておられます。」


それは、真実であり『真実』だ。

フーシェにしてみれば、クレトニウス総督叛乱を起こす意図がなかったことなどあまりに自明。

おそらくは、総督本人以上にその無実を知っている。


なればこそ、彼は確信をもってクレトニウス総督に微笑めるのだ。


あなたは、罪びとではない、と。


「私は、叛徒だ。オトラント公、それも、悪逆非道なね。」


「おお、信じてはいただけませんか。ですが、言葉だけでもお聞き下さい。」


頑なになる態度の裏で、どのように苦悩したことだろうか?

固く閉じられた表情の背後にどのような感情とためらいがあることだろうか。


まったくもって、この瞬間を楽しむためだけに陰謀をに練りに練る甲斐があるというものである。


「殿下は、はじめ総督閣下が叛逆されたと耳にされたとき、そんなことがあるのかと三度にわたり確かめられたのです。」


誰にとっても、特にインペリウムを憂うる人間にとっては違和感のある話。

宮中の魑魅魍魎共は、その政治的な感覚故に違和感を覚えない話。

だが、古強者としてのクレトニウス総督を知る面々からしてみれば違和感がある。


「それが、事実であると知ってなお、ヴェルター殿下はそれには隠された背後があるのではないかと臣に調査を命じられました。」


なまじ、虐げられる側にあったためにヴェルター殿下は宮中において陰謀の犠牲者として見做されている。

フーシェにしてみれば、そもそも反撃する力も知恵もない英雄志望の愚か者だが、それだけに使い勝手は悪くない。


だから、あくまでも彼は善良な皇子に使える巧妙ながらも善良な一臣下の仮面を被れるのだ。


誰の手の者かという事で、誰もが臣下の性格までもを推し量るのだから単純だろう。

あの人の、あの者の、あの方の、信頼する使者とは良い人だろうという先入観。

判断を自らではなく、世評にゆだねる愚かな陥穽。


「それで、結果はどうだね。オトラント公。」


だから、彼らは言葉を繋いでしまう。

フーシェの策謀は、言葉なのだ。

言葉と、文字をもっての闘争なのだ。


つまるところ、口をきくという事はフーシェの舞台に上がるという事。


「許しがいたい不正義がなされておりました。」


其処において、名優や主演者はことごとくが舞台監修者であるジョゼフ・フーシェ氏の手の内。

自らが躍らされているとも、予定調和の中にあるとも知らずに彼らは演じるのだ。

フーシェという稀代の演出家の欲したシナリオの範疇で、若干のアドリブで演出家を喜ばせながら。


「叛徒は、不正義ではないのかね?」


「総督閣下を、あえて叛逆に追い込むことを不正義と私は呼びます。」


叛逆者として、忠誠を誓ったインペラトールに剣を向ける構造はさぞかし苦痛だろう。

だから、フーシェは優しいオトラント公爵としてクレトニウス総督が感じているであろう良心の呵責を和らげる。


「…私は、自分の意志で叛逆したのだ。」


「閣下、どうかご自身を偽るのはおやめください。私共は、調べました。」


それは、貴方の責任ではないと。


「総督閣下の横領という濡れ衣と、その告発者の暗殺。すべてが疑わしきは、宮中であると示しております。」


貴方が、忠誠を誓っている帝国には貴方の無実を信じる人がいると。

つまるところ、貴方の忠誠は決して無意味などではないのだ、と。

貴方の貢献は、帝国への忠義は、インペリウムは断じて軽んじていないのだ、と。


「一体、どうして弁護士を傭兵団が襲いましょうか。一体、なぜ傭兵団を即日衛兵が捕縛しえましょう。」


論理と情実でもって、帝国は貴方が愛するに足る存在だと存分に思い知ら閉める言葉。

そこにあるのは、すべて事実だ。

事実という重みこそが、嘘偽りの悪意に晒されている人間の心を解きほぐす。


偽りの弾劾を、虚偽の罪状を、事実でもって否定する使者。


それこそが、義憤に駆られるオトラント公という仮面を被ったフーシェが演じるもの。


「其ればかりではありません。何故、閣下のもとに元老院から刺客が送られねばならないのですか!?」


怒りと悲憤。


そこにある感情は、本来ならばクレトニウス総督自身が感じているものだ。

だからこそ、だからこそ感じている憤りを言葉にされることで彼は揺らがざるを得ない。


「心ある者は、みな知っております。これは、陰謀だと。インペラトルに対する悪意ある何者かによる反逆だと。」


「・・・私は、剣を振りかざしたのだ。オトラント公。形はどうあれ、私は反逆者だ。」


「本気で仰っておられるのですか!?リメスを維持せんと、今なお義務を忠実に果たされている閣下が、叛徒と!」


クレトニウス総督にとって、それは理解の言葉。


それは、欲していた言葉。


誰だろうと、自らの存在意義を理解してほしいと願わないものはないのだ。


「閣下、どうか帝国軍が相打つ悲劇を真に憂うヴェルター殿下とご会談ください。」


だからこそ、フーシェは喜悦すら覚える悲劇的な結末を期待して完全に善良な壮年の使者を演じ切る。


「何故、インペリウムを憂うる者同士が、相打つ必要がありましょう!?」


相打つ姿、苦悩の姿を見るに至ってもそれはそれでフーシェにとっては別段わるいものではない。

だが、結局のところ陰謀の完成度合いと自らの政治的な力量を発揮できるためには陰謀によって密室で終わらせるべきなのだ。

其方の方が、効果的だし、何よりもフーシェにとっては面白い。


「…公よ、公の言葉は誠に響く。だが、それが真実であるという保証はあるか。」


だから、フーシェは至誠でもって説く。

並ぶもののないほど、誠実かつ無私の心でもって善良なる意図すら信じて内戦を阻止すべく心がける。


だが、それは料理のようなもの。


塩だけでは、味わい深い料理が出来ないではないか。

隠し味の砂糖を少しばかり加える必要がある。


それと同じだ。


陰謀というのは、大部分は善意でもって悪意を少しエッセンスに加えることで最高の結末に至れるのだから。


「疑われるか。よろしい、信頼される方を幾人かお借りしたい。帝都まで駆けましょう。」


だから、信頼されるために善なることをフーシェは全力で行う。

そこにあるのは、この場においてクレトニウス総督の無実を証明するための全力を尽くすという決意ですらある。

なにしろ、実のところクレトニウス総督に叛意があろうとなかろうと、今では関係ないのだから。


彼は、事実として叛乱を起こした。

だから、政治的にみればその意図は無意味なのだ。

つまるところ、どれほどあがこうが彼は叛逆者として苦悩しながらのた打ち回るしかない。


唯一、逃れるすべがあるとすればそれはインペリウムを転覆させクレトニウス総督が簒奪した時だけだろう。

その時、彼は叛逆したのではなくやむを得ず起った改革者とでも称せばいいのだ。


だが、そんな決意もいとも彼にはない。

なにしろ、総督には皇帝と帝国への忠誠が救いがたいまでに根を張っているのだから。


だから、せいぜいフーシェは善良なる使者として無意味な証明のために駆けずり回る労苦を惜しまなければいいだけだ。


そして、真実彼らは駆け抜ける。

検問は、彼らが言って開けさせる。

帝都への門は、あらかじめ事あるときに備えヴェルターの名前で通行令を出してもらっておいた。


別に、嘘でもなんでもない。

討伐軍指揮官のヴェルター第四皇子殿下が、敵情を知らんと放った偵察騎兵らが報告のために帰還するだけだ。

誰が咎めようにも、まっとうな職務の範疇にすぎない。


故に、インペリウムの誇る街道を駆けに駆け、彼らは帝都へと直行する。


こうして、オトラント公爵は躊躇する双方の背中を無理やりに蹴飛ばす。


総督に対しては、その使節らを無理やり引きずり出し。

第四皇子に対しては、総督の使節を見せつけることで。

双方に対し、自らの言葉を『真実』と化させる。


嘘は、一言もついていない。


総督に対し、第四皇子が無実を信じる気になっているというのは嘘ではない。

そして、第四皇子に対し総督が無実だと訴えるのも嘘ではない。


なにしろ、総督閣下の無実を誰よりも信じているのはほかならぬオトラント公爵なのだ。

『真実』からして、彼は無実だろう。

真実、彼は無実なのだ。


だから、心の底から彼の無実を訴えることにフーシェ氏は没頭する。

誰が調べようとも、調べれば調べるほどガリア総督府の無実は自明になるのだ。

だからこそ、逆説的に当初からその無実を信じるフーシェの言葉は重くなる。



その訴えは本質的に無意味と、本人だけが知っているのだが。


『そうだよ、君は無実なんだ!』と優しく囁くオトラント公爵。


善意99%+その他1%で悲劇的結末が生まれるという悲劇!

次回、クレトニウス総督は救われるのか?


乞う、ご期待。

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