第一一話
オトラント公、義憤に燃え正義を為さんと欲す。
さて、楽しもうじゃないか。
なに、人助けだ。
偶には、『正義』を為そうじゃないか。
ガリア属州にて、叛乱。
その一方は帝都に、激震をもたらす。
帝国歴226年。『クレトニウス総督』の罷免によって、ガリア、帝都間の緊張は限界まで高まり
同年6月、クレトニウス総督暗殺未遂事件により一気に本格的武力衝突へと発展した。
…誰もが疑わなかった、質量ともに圧倒的に勝るライネ軍団による早期鎮圧…。
だが、当初の予測は大きく裏切られる。
悪化しつつあったリメスの状況。
ライネ軍団は、その主戦力の大半をリメスの防衛に充当せざるを得なくなる。
その間、ガリア属州の状況は一気に悪化。
集結した叛徒の数、実に2万。
達の悪いことに、ガリア属州には横領されたと思しきライネ軍団用の装備が多数隠匿されていた。
退役した軍団兵や、傭兵らを糾合した叛徒の戦力は思わぬ速度で整うことになる。
此処にいたり、戦局は早期鎮圧の見込みを失い既に2週間が過ぎようとしていた。
ヴェルギンニウス帝が辛うじて、抑え込んでいた帝国の問題。
吹き出しつつある破局を抑えるべく、彼は倒れる前にそれでも備えを行っていた。
西部の要衝、ガリアに自らの信が置ける元老院議員を派遣。
東部に至っては、アレクサンダーリア、アナトリーア、ロードスへ有力な軍団と政務官を派遣。
本来であれば、インペリウム内部で騒乱が起ころうともリメスだけは万全に保全されるはずだった。
だが、ガリアの叛乱は事態を完全に想定外な状況へ追いやる。
折悪く勃発する東方での国境紛争と西部での蛮族侵入。
重い腰を上げた帝都は、ついに討伐軍の編成を決断する。
インペラトルが病臥して久しいことから、近衛軍の動員こそ見送られるも直轄州より動員を開始。
さらに、補助軍団の動員と予備役兵への呼集まで開始される。
これらの消費により、一時的に活気づいていた帝都。
その喧騒を他所に、宮中の一角でヴェルターは顔面を蒼白にしたオトラント公を引見していた。
「殿下、……大至急お耳に入れたいことが。」
秘密裏に報告したいことがある。
そう記された手紙を、侍従より受け取ったヴェルター。
オトラント公が敢えて秘密裏に連絡を寄越したのだ。
速やかに呼び出した宮中の一室は誰も近づけないように手配済み。
だが、肝心の案件についてオトラント公から何も知らせがないことは奇妙だった。
時期が時期だけにヴェルターとて事が重大であるのは予想できる。
ガリアの情勢を分析すべくオトラント公を動かしていたのだ。
当然のことながら、現地からなにがしかの知らせは飛び込んできてもよい頃合い。
だが最新の敵情でも把握したならば、それと知らせるはず。
「オトラント公、案件があると耳にしたが…何事か?」
それ故に、問いかける心には少しばかり訝しむ気持ちがあった。
一体、何事だろうか、と。
「謀略です。」
だが、オトラント公の口は思いもよらぬ言葉を紡ぐ。
「何?」
「お聞き下さい、殿下。殿下とクレトニウス総督に対する罠が仕掛けられています。」
一瞬、理解しかねる言葉を吐く臣下をどうしたのかと凝視。
そこで、初めてヴェルター皇子はオトラント公の顔が平静さを装っているに過ぎないことに気が付く。
顔面が能面じみるほどに、激怒を抑えかねるといった心情。
それが、オトラント公の物言わぬ口から滾滾と押えかねる義憤の感情を吐露。
そう、彼は怒っているのだ。
「どういうことだ、オトラント公。」
「調べましたところ、クレトニウス総督に叛意は一切ございません!どころか、あの御仁こそインペリウムの忠臣です!」
こんな不正義が許されるのだろうか?
そう問いかけんばかりの公の絶叫にも近い声。
耐え難い不義に対する憎しみが、一言一句に込められていると感じられるほどにオトラント公は憤っていた。
「叛乱を起こしたのだぞ?曲り間違っても、忠臣と呼びえるのか?」
無論、オトラント公の言葉である。
軽んじるつもりは、ヴェルターとてない。
だが、果たして俄かに信じられるかといわれれば困惑せざるを得ないのが事実。
クレトニウス総督が忠臣?
叛乱を起こした総督だ。
忠臣と、自らが全幅の信頼を置く賢者に評されるのは些か理解しがたかった。
しかしながら、ヴェルターの疑念を感じ取ったオトラント公は苦々しい口調で吐き捨てる。
「かの御仁が、なぜ兵をあげる至ったのかを調べました。」
そこにあるのは、恐ろしい陰謀に対する恐怖の色。
同時に、邪悪さに対する嫌悪の色でもある。
紡がれる言葉から、オトラント公が心底事態を憎んでいることがいやというほどヴェルターには察しえた。
「明らかに人為的な工作の跡が見受けられます。」
語られる傍証。
一見するとクレトニウス総督が不正を為し、査察を恐れて蜂起したかのように見えた。
…一見すると、だ。
しかし、オトラント公が少し調べたところと恐ろしい事実が明らかになっていた。
クレトニウス総督の不正を告発した弁護士は、なぜか殺されていた。
最初は、誰もが口封じと思うだろう。
だが、オトラント公が調べさせたところ押入った傭兵団は翌日には捕殺されていた。
捕殺したのは、アリウトレア第三皇子殿下の息がかかった首都の軍団兵ら。
『強盗団に関する密告』とやらがあり、急行して捕殺したというのが彼らの弁である。
そして、一方でクレトニウス総督の暗殺未遂事件がガリアを騒がせていることも飛び込んできていた。
こちらは、元老院の衛兵上りの傭兵らが行動を行ったという知らせをオトラント公は掴んでいる。
数週間前に、元老院つき衛士隊を退官した衛兵らによるガリア総督暗殺未遂。
…加えて、いわれのない横領疑惑だ。
「…クレトニウス総督は叛乱したのではなく、叛乱させられた、と?」
そこまで説明されれば、宮中の陰謀劇に通じていないものだろうとも同じ結論に至れることだろう。
まさか、というよりも『奴らならば』とヴェルターも思わざるを得ない。
確かに清廉潔白な総督が、属州利権を修正しようとして疎まれるというのはありえた。
そして、インペラトルに忠実な総督が邪魔だと感じる元老院議員は少なくない。
いや、なまじ辺境に影響力を持つ総督。
それを疎むだけの理由がある皇族すらいるのだ。
故に、叛乱を起こしたのではなく起させられたという可能性。
指摘された時、否応なくヴェルターも考え込まざるを得なかった。
そして、一度考え始めた彼の頭脳はオトラント公の言に真実を感じるのだ。
人一番、生真面目と評される総督が何故叛乱を?
そもそも、勝ち目のないような叛乱が何故起きた?
誰かが、この叛乱を望んだのではないのか?
ありえない話ではない。
いや、誰が望んでもおかしくはないだろう。
伏魔殿と化した宮中の化け物どもがそう欲しても不思議でもなんでもない。
「残念ながら、そう判じざるを得ません。」
「何故だ?ガリアの総督を何故、叛乱させる?」
…だが、疑念は残る。
何故か?
ガリア総督の座は辺境であり重要度が低いとはいえ総督だ。
属州の叛乱という内戦につながるような事態を歓迎するのがいるのだろうか?
単純に、クレトニウス総督が邪魔ならば自分が赴任した後に帰還した彼を嵌めればいい。
権限のなくなった元総督を査問する方がいともたやすいに違いないのだ。
故に、クレトニウス総督の排除を目的に叛乱を起こさせたのではないとすれば。
何故わざわざガリアで叛乱を誘発しなければならないというのだろうか?
疑問。
だが、それに対する答えを彼の臣下は探り当てていた。
「何者かが、インペラトルに忠誠を誓う彼の御仁とヴェルター殿下を相争わせることを図ったのです!」
口にするのも汚らわしい。
そう、嫌悪の感情を示しているオトラント公。
彼は辛うじて声の調子を戻しながら報告を続ける。
だが、握りしめた拳と何かを耐えるような肩の震えは彼の内心をヴェルターに何よりも雄弁に伝えてくれた。
「クレトニウス総督を打ち破れば、ガリアやリメスが蒙る動揺と嫌悪が全て殿下の責にされましょう。」
不正を、裏切りを、不義を。
そのすべてに憤りつつ、これを仕掛けた何者かの意図通りに踊らされる不快感。
ヴェルターは、皇子だ。
彼は、宮中の不義を、不正を憎む。
だが、だからこそ、インペリウムのために剣をとる覚悟はある。
そして、その剣はインペリウムの敵に向けられなければならない。
護るべき人々、共に戦う人々に向ける剣は持ち合わせていないのだ。
なればこそ、彼は帝国に反したものを切らねばらない。
其処において、彼は躊躇することが許される立場でないのだ。
「さりとて打ち破れねば、ということか。」
「御意。」
なによりも。
帝国の臣下として、叛徒を撃てねば内戦を封じ込められないことを意味する。
小賢しい元老院、恥を知らない親族が挙って自分を糾弾することだろう。
いや、それだけならばまだいい。
だが、これ幸いと政争に明け暮れた挙句に父帝が護ってきたインペリムすら割りかねなかった。
それを思うだけで、ヴェルターは全身が引き裂かれるほどの苦悩を覚える。
アウレリウス・アントニアウヌス・ヴェルター。
そのアウレリウス家の名誉を担い、アントニアウヌス帝の偉業になぞらえた彼の名前。
そこに込められたヴェルギンニウス帝の思い。
「殿下、速やかにクレトニウス総督閣下に使いを。どうか、皇軍相撃だけはお避け下さい。」
故に、オトラント公の嘆願はヴェルターとしてもその意は理解できる。
否。
皇軍相撃だけは、断じて避けたいと彼もまた願う。
だが、彼には確信が抱けない。
事の重大さ、そしてヴェルター自身の政治的な立場。
そのいずれもが、失敗を許さない。
仮に。
オトラント公爵の推測通り、クレトニウス総督が無実だとしよう。
だが、それでも討伐命令が出てしまっているのだ。
はたして、本当に皇軍相撃を避けうるだろうか?
使いを出したということを、下手に政治的に逆手に取られないだろうか?
あの宮中の伏魔殿具合を考えれば、それすらも相手の思惑通りなのではないのか?
「卿の判断を疑うわけではない。…だが、ことは重大だ。軽挙妄動は、私ばかりかインペリウムの破滅をも意味する。」
自分の態度が、王者としては正しくないというのはヴェルターとて自覚している。
…本来であれば、彼は英雄たらんと願ってやまない。
だからこそ、その願望は皇子をして英雄というものの偶像にふさわしくない行いを恥じさせる。
無論、ヴェルター皇子の中で英雄は迷ってはならないのだ。
父帝の様に、果断に事態に挑み、帝国がために問題を一刀両断にしたいという思いは強い。
その一方で、彼は躊躇してしまう。
これまで踏みつけられてきた者の経験。
それが、彼は宮中が救いがたい悪意をばら撒くことを覚えているのだ。
だからこそ、このオトラント公の義憤を共感しつつも行動に踏み切れない。
本当に、本当に真実オトラント公爵の申す通りであるならば。
英雄として彼は、躊躇うことなくクレトニウス総督の無実を信じなければならないだろう。
だがしかし、彼は自信が持てなかった。
そして、彼にとって幸いなことに公はその躊躇と逡巡を言わずとも理解できる臣下。
「…殿下、どうかわたしをガリアへおやり下さい。」
「オトラント公、自身で向かわずとも。」
口でこそ、引き止めつつもヴェルターはどこかで安堵している自分に気が付く。
同時に、申し出てくれたオトラント公爵の配慮に言葉にできない感謝を改めて覚えるのだ。
「事が重大であるのです。どうか、臣を遣わしください。」
彼が、行ってくれるという安心感。
任せておけば、彼ならば、という信頼感。
オトラント公という臣下は、ただそれだけで彼に安堵を覚えさせてくれる無二の臣下だった。
「・・・相わかった。だが、時間は限られているぞ。」
「御意。ご配慮に感謝いたします。」
感に堪えないという表情で跪く公爵。
その肩を支えながら、ヴェルターは心底オトラント公爵に感謝する。
荘厳な神殿の一角。
信徒たちにとって、祈りの場であるべき神殿の奥の奥。
高位神官のみが立ち入ることを許された区画がそこにある。
神殿騎士らによって、外界と隔絶されたこの区画は魔導院の魔術干渉すら想定されて建材レベルから吟味されたもの。
これほどまでに配慮を施された区画において、高位神官らはそろって頭を抱えていた。
議題は、昨今の政治情勢。
本来であれば、帝都の情勢や皇位継承に関する神殿の見解調整がメインになるはずだった。
だが、さすがにここ最近の情勢は予期されていた事象から逸脱すること甚だしい。
特に、ガリア属州の叛乱は完全に想定外もよいところだった。
神殿の情報網をして、初動においては完全に出遅れるという失態。
ありうべからざる事態であるだろう。
「どうも、何者かの意図が働いているとしか思えない。」
ガリアの叛乱は、目的が分からなかった。
誰かが、意図的に引き起させたのは推測できる。
だがならば、誰が、何の目的で?
だからこそ、彼らは苦慮している。
「やはり、アリウトレア殿下の手の者と考えるべきでしょうか?」
得をする人間で考えるならば、この時点で疑うべきはアリウトレア殿下。
辺境勤務の経験が乏しいことを批判される第三皇子にしてみれば、討伐は周囲を黙らせる最高の実績だろう。
なにより、討伐ならば外に出る期間も短期間で済む。
帝都周辺に強い影響力を持つ第三皇子ならば、大軍で討伐を行うことも可能だろう。
「そこが分からない。第三皇子殿下にしてみれば、確かに軍権をご自身が握る好機ではあるのだろうが…」
だが、奇妙なことにアリウトレア殿下の動きは遅いのだ。
このままでは、ヴェルター第四皇子が派遣されるのが確定しかけている。
実際、特に仕掛けることがなければ第四皇子による討伐が時間の問題となっているのだ。
そうなれば、第三皇子は辺境で軍務まで経験した兄弟らと比較され続けるという立場に追い込まれかねない。
「詰めが甘いのか、それとも第三者が暗躍しているのか…難しい問題です。」
だからこそ、奇妙なのだ。
詰めが甘かったがために、アリウトレア殿下の一派がしくじったのだろか?
そのように考えることは不可能でないにしても、本当にそうなのだろうか?
なによりも判断の材料が足りず、猶予時間があまりにも乏しかった。
だからこそ、彼らとしても判断を迷うのだ。
「纏めよう。アリウトレア殿下以外はヴェルター殿下に辺境に赴いていただきたい。」
分かっていることは二つだ。
一つ、アリウトレア殿下は、ヴェルター殿下と比較されるのは避けたい。
だから、辺境勤務ということについて他の皇族方は積極的に推奨されておられる。
「逆に言えば、アリウトレア殿下が討伐を成功させるというのは逆転の発想としてありだろう。」
一つ、アリウトレア殿下にとって討伐は一つの抜け道である。
辺境勤務と軍歴を手にできる機会という意味では、最高の好機だろう。
散々煩く辺境での義務とやらを囀る親族らを一撃で黙らせることも可能。
問題はその抜け道をアリウトレア殿下が採用していないというところにある。
「ですが、我々に事前の働きかけすらありませんでした。…今から、指揮権を取れるものでしょうか?」
なにしろ、自分たち神殿に事前の働きかけすらなかったのだ。
仮に、軍権を握りたいのであればヴェルター皇子への儀礼を妨害してくるぐらいはしなければおかしい。
むしろ、アリウトレア殿下の出征祈願くらいは事前に断りがあってしかるべきなのだ。
秘密の維持を重視しているとしても、ガリア叛乱の一報が飛び込んできて既にかなりの時間が経過している。
其処を見る限り、初動においてはアリウトレア殿下の動きは無関係を疑わせるものとしか思えない。
だが、彼らとて多少の権謀術策の心得はある。
あくまでも無関係を装う人間が如何に多いかは知悉しているのだ。
疑われないために、いくらでも偽装は行える。
だから、神官らは一つの見極めを欲するのだ。
「そこだ。例えば、ヴェルター殿下が倒れればどうか。」
「…なるほど、おもしろい仮定だ。」
…彼らは、概ねにおいて慎重であり適切に対応したといえるだろう。
少なくとも、軽挙妄動をとらずに情勢を分析するという点では古強者の強かさを見せた。
だが、彼らとてさすがにフーシェのことは知らない。
知らないのだから、想定しようもないのだ。
たったそれだけであるが、それ故に彼は判断を誤る。
それを、この時点では知りえる者はいない。
『フーシェ氏の心情が描かれすぎ』『複数の視点』『ディストピア小説は紳士のたしなみ』『この小説の売りは陰謀劇』などなどのご助言を頂戴いたしました。誠にありがとうございます。
そういう次第なので、とりあえずフーシェ氏は最初の数行だけ心情を吐露。
後は、周りの人にしようと思います。
本作は、正義を為す元警察長官フーシェ氏を強く応援するものであります。




