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第九話

オトラント公爵、辺境騒乱を憂う。公、護国の盾たらんことを、謳う。

その日、総督任命の宣誓式を経て民会から承認を得たヴェルター皇子は遅い昼餉を済ませたところだった。


辺境情勢を勉強しなければという、素直な心構え。

若さから来る生真面目な部分で彼は熱心に辺境情勢を勉強していた。


寝台に横になり、果物を摘みながら赴任地となるガリアに関する元老院の報告書に目を通す。

報告書、情勢分析、関連書籍を読み漁るのはもはや日課だ。


だが、さすがに疲れていた。


しばし、気分転換に馬でも駆けさせるか?と考え始めたその時。


顔色を変えて、礼儀すら忘れて飛び込んできたオトラント公爵。

彼に、ヴェルターの思索は打ち破られた。


ヴェルターにとって公は信を置く臣下。

とはいえ、一瞬、何事かと問いかける口を開きかけようというものだ。


だが、その口を開きかけた瞬間。

飛び込んできたオトラント公爵はとんでもない一報をもたらす。


その、もたらされた知らせ。

それによって、彼は飛び起きる羽目になった。

いや、気が付けば飛び起きていたのだ。


「は、叛乱だと!?」


囁かれた言葉は、短く単純。

飛び起きたヴェルターにとって誤解の余地がないほど、明瞭。

だが、それでも思わず聞き返すほどに衝撃は大きかった。


宮中の陰謀ならば、いやというほど耳にしている。


だが。


誰だろうとも、愕然とせざるを得ないだろう。


叛乱だ。


属州の叛乱は、インペリウムを割る内戦を意味する。

皇位継承の陰謀ではなく、国家存亡の危機。

だからこそ、幾多の将軍が、宰相が、皇帝がそれだけは避けようと努めた事態。

それが、唐突に何の火種もなく燃え上がり始める?


現の出来事なのだろうか?


思わず、ヴェルターをして自問自答させるほどの衝撃的な知らせ。


だが、その衝撃すらも次の知らせは凌駕してのけた。


「御意、私の手の者が昼夜を駆けて掴んだ最新の一報によればガリアで叛乱が。」


「よりにもよって、ガリアで!?」


愕然とする思い。

俄かには、到底信じがたいとしか思えなかった。


気が付けば。


ヴェルターは力なく寝台に腰を下ろし、頭を抱えていた。


ガリアは属州だ。

しかも、元老院管轄下の碌に正規軍すら配属されていない後方の属州。

そもそも、蜂起しえるだけの戦力がどこにある?

蜂起したところで、リメスの軍団に制圧されるのは時間の問題だろうに。


「虚報ではないのか?公爵、卿の手の者を疑うわけではないが…。」


故に、彼の口から紡ぎだされるのは常識的な見解。

ありうべからざる事態が起きたとき、それが事実かどうかを疑う見識。

その意味において、第四皇子は極々まっとうな理性と常識を有している。


だが、彼はまだ若い。


政治においては、常識など時に一晩もすれば紙くずになるのだ。


「残念ながら前総督クレトニウス閣下は軍をもってインペラトールを称されております。」


逆説ながら、若いヴェルター皇子はそれを知らない。

そして、彼は唯一事態を解き明かせそうな臣下に問うしか知らなかった。


「何故!?いったい、クレトニウスは何を血迷ってそのような愚行に走った!?」


ありうべからざる事態。

軍も持たない属州の総督だ。


いたとしても、せいぜいが2000にも満たない小規模な軍。

それも、インペリウムに忠誠を誓った衛士が大半の警備軍だ。

碌に叛乱に組しそうにもない部隊だろう。


なによりすぐ近隣にはリメスのライネ軍団が駐屯している。

蜂起し、勝ち得るはずのない状況だ。

まだ、蛮地に亡命する方が生きながらえることだろう。


それとて、リメスを防備するライネ軍団の精鋭の前にはいかほどの意味もあるだろうか?


「オトラント公、何故だ!?」


本来であれば、フーシェが真実をこたえるはずもない質問。

ナポレオンであれば、このような質問に対して返される答えは信用しえないものとみなす。

いや、そもそもフーシェの言葉を額面通りに受け取ることすら拒絶するだろう。


「臣とて、クレトニウス閣下が叛乱を決断された理由までは理解しえません。」


頭を下げながら、フーシェは誠心誠意真実で答える。

フーシェとて、神ではない。

幾ら彼とて、物事は推測するしかないこともあるのだ。


だから、当然ながら前ガリア属州総督クレトニウスが何を原因として蜂起を決断したかまでは理解しえない。


「お気をお静めください、殿下。」


オトラント公爵とて、全知全能ではない。

そう、悪魔的といわれようとも彼とて人間である。

フーシェとて、知りえることには限界があるのだ。


「事態の把握に全力で努めます。今暫し、お待ちください。」


事態を把握するために情報を収集するしかない。

だから、第一報をもたらした足で取って返して情報収集に努めるつもりである。

そして、その姿勢はヴェルター皇子にも伝わっていた。


「ああ、すまないオトラント公。…期待している。」


「御意。お任せを。」


微かに、だが込められた信頼の言葉。

それに微笑みながら、オトラント公爵は跪き応じる。


・・・内心では、一体どの種が芽を出したことやら、と思いつつ。


だが、内心を表に出さず彼は恭しく退室してのけた。





農夫と同じだ。


フーシェとて蒔いた種までは覚えていよう。

水を撒き、肥料を与えることも怠っていない。

或いは、どの種がダメになったかは発芽する前でもわかる。


だが、どの種が発芽するかまでは観察してみなければ分からないというものだ。



彼が植えつけた疑心暗鬼の種。












そのどれが発芽し、叛乱という大樹に至ったのか?

















其ればかりは、観察してみなければフーシェとて分からないというものである。














フーシェは知っている。

属州において、慢性的に燻っている不平不満を。


属州官吏の腐敗。

徴税人による重税と、癒着した統治機構。

別段、フーシェにとっては咎めるべきことでもない。


だが、被統治下の属州民が爆発寸前だとは察しえる。

そして、清廉潔白な正義の人が赴任先の属州に総督として居た。

まったくオトラント公爵ほどの人間にとっては、ここまでくれば何をするかは自明すぎる。

この手の人間が、中央から派遣されてくる有能な汚職官吏を憎悪しぬいていることは明白。

そして、えてしてこの手の総督ほど義務感と情熱で思慮なく突っ走るのだ。


なるほど、クレトニウス総督は人格者だ。

兵士の信頼、属州民の信頼を集める珍しく良心的な統治者だろう。

だから、都合が悪い。


これで、カルノー並に有能か、ボナパルトの兄弟のように無能であればまだ使い道もあった。


悲しいかな、クレトニウス総督は凡人だ。

属州を大過なく統治するも、抜本的な解決に至るには及ばない。

そして、事態を先延ばしにできる程度には有能だ。


それは、果てしなく不都合だった。

次の舞台に際して、酷く邪魔なのだ。

だから、オトラント公爵ジョゼフ・フーシェ氏は彼に退場してもらうことにする。



そして、フーシェは嗤う。

彼にとって、これからが面白いのだ。


彼は知っている。

精鋭無比と謳われるライネ軍団。

その実態は、リメスの防衛で手一杯であるということを。


なるほど、兵員は精鋭だ。

指揮を執る将軍も、ヴェルギンニウス帝に引き立てられた古参ら。

だが、しょせん彼らは5万の定数を割る程度の軍団にすぎない。


言い換えれば、有機的な後方の支援があって初めて十全にリメスを防備しえる。


…皇帝病臥後、政争にまい進する元老院と宮中。


彼らにとって、必要不可欠な兵站と支援。

防衛網の有機的な整備、維持という発想。

それらはヴェルギンニウス帝が倒れた瞬間、一瞬で忘れ去られてしまう。


誰よりも、誰よりも辺境防衛の重要性を理解していた現インペラトール。

大変結構なことだが、悲しいかな、元老院は軍務から離れて久しい。

結果、彼らは経済的な権益と帝都内部での政争に浸って久しくなる。


故に頭でこそ理解していようとも、リメスの維持ということはどこかで忘れられてしまう。

そのつけは、最前線で防備に従事する現インペラトールにもっとも忠勇な将兵らが払うのだ。


なるほど、彼らは精鋭だ。


なるほど、彼らは会戦において15万のサビエニー族を撃退しえた。


なるほど、彼らは賊都を焼き、侵入してきた蛮族を悉く撃ち払ってのけた。


だから、誰もが忘れている。

彼らは、たった5万の精鋭で蛮族すべてを受け止めているのだ、と。


有機的な防衛網の整備と、機動力ある部隊編成。

早期警戒施設群で敵の侵入を察知次第、即応の部隊が迎撃し撃退。

ヴェルギンニウス帝が、心血を注いだ防衛網。


それは、整備抜きには断じて維持しえない精巧な機械に等しい。

いや、軍事施設であり軍隊だ。

曲りなりにも、孤立した状況下を想定し一定程度の期間は組織を維持することも可能ではある。


だが、限られた兵員を活用しての高度な防御網は整備なくしては制度疲労で破たんせざるを得ない。

当然のことながら、正義漢であり常識的なクレトニウス総督だ。

赴任後、しばらくしないうちにそれに気が付くくらいのことは可能だった。

初めのうちこそ、要請に応じる形で行われていた支援も恒常化。


帝都の間抜け共は理解していないが、リメスのライネ軍団はガリア属州に恩義すら感じているのだ。

クレトニウス総督に対する心象も、決して悪いものではない。


相互補完的な関係とでも評すべきだろうか。

最前線に守ってもらい、支援する後背地。

支援を後背地より受け、防衛に従事する最前線。


ある意味で、ガリアはライネ軍団の根拠地と化している。

本来であれば、ゲルマクス属州が果たすべき役割。

あるいは、皇帝が果たすべき役割を、だ。


結果的に、非公式ながら武器庫や備蓄倉庫は軍団規模を扶養できるほどに膨れ上がっているという。

そして、ガリアは退役兵が大量に入植している東部属州なのだ。

通商に重きが置かれた西方と異なり、東方は元々軍団上りの退役兵が自営農として多くいる。


…その多くが今日、蛮族の襲撃に備えを強いられている。


リメスの部分的な機能不全のためだ。

彼らの多くは、リメスの維持を怠る帝都のアホ共に愛想を尽かしていることだろう。


そして、軍団兵は命で上の怠慢のツケを払っているのだ。


当然のことながら、仕事を果たさないで政争に明け暮れる宮中の顕官に対する最前線の心情など察するまでもない。

最悪どころか、古のイエニチェリが戦鍋をひっくり返しかねないほど。

インペラトールへの忠誠心と、インペリウムがリメスを防衛するという義務感だけが彼らを抑制しているのだ。


だから、フーシェは確信している。


只でさえ、蛮族撃退で手がいっぱいのライネ軍団だ。

曲り間違っても、一軍を抽出して鎮圧に赴くなどありうべからざる事態だと。

ましてや、相手は彼らが心情的には殆ど一心同体のクレトニウス総督。


辺境情勢不穏を理由に、傍観に徹するのは目に見えている。

いや、実際に不穏極まりないのだ。

査察官を送ったところで、雲霞のごとく結集しているサビエニー族を目にするだけだろう。


本来であれば、帝都から援軍が出ているべき事態ですらあるのだ。


故に、故に、フーシェが書いた絵に誰もが従わざるを得ない。


不平を抱いた、退役兵。

そして、移住してきた傭兵ら。

これらをかき集めれば、クレトニウス総督は一定程度の戦力を集められる。

せいぜいが、2万も集まればいいところだろう。


たった、2個軍程度の部隊。


だが、周囲にライネ軍団以外これに勝る兵力はないのだ。

周辺属州の腐敗しきった総督らで、これに対応できるわけもなし。

なにより、兵力が与えられていない。


だから、新総督ヴェルター殿下が鎮圧するしかないのだ。

皇族という血統の正統性でもって。


…そして本来は、与えられないはずの軍権でもって。



だから、フーシェはほくそ笑む。


帝都の情勢を、散々属州に垂れ流すべく努力は怠らなかった。

最前線で防衛に従事している連中ならば、嫌気がさすことだろう。

それに義憤を感じて、内心に溜め込ませるのはあくびが出るほど簡単だった。


商人らに、旅人に、流す情報はすべて『本物』だ。

噂を疑って、帝都を少し調べてみれば逆にザクザク出てくる醜聞に激高してもおかしくない。

逆に、そのまま信じてくれても一向に結構。


後は、風聞が一気に加速して勝手に煙を捲き上げてくれる。


同時に二つのうわさを流す。


一つは、第四皇子殿下が赴任するのは虚偽だという風聞。

帝都が辺境に関心を持っていることを示すための、パフォーマンス。

赴任直前に、病を得て倒れることにする態であるという噂。


これは、単純に巻き返しを図るアリウトレア第三皇子一派がそのうち広めてくれた。

彼らとしては、この形で落ち着くことが最もアリウトレア皇子にとって都合がよいのだ。

それが実現するように、ありとあらゆる手段でこちらの説得にかかっている。


対して、他の殿下らが『ノブレス・オブリージュ』を囁いてくださるのだ。

間違っても、第四皇子殿下がガリアに赴任せずに済ますことのできる気配を彼らは作る気がない。


…だから、一有事あろうとも、ヴェルター殿下以外に派遣できなくしてくれる。



もう一つはクレトニウス総督を解任し、査問するためだけにヴェルター殿下を出汁に使ったという風聞。

後は、スパイスとして『査問』にかけると付け加える。


真面目に統治していたクレトニウス総督は、敵が多すぎるのだ。

まず、従来は袖の下で見逃されていた元老院議員保有の荘園を真面目に査察。

そこからの税で、ライネ軍団の必要な防衛予算をねん出したのは彼にとっては当然だ。

だが、私有財産に課税される羽目になった元老院議員は表向きはともかく本音では堪らない。


また、徴税人らとの癒着を断固として拒否。

結果、元老院に流れるべき裏金が酷く激減。

表向きこそ、清廉潔白さを讃えようとも本音は誰の目にも見えている。


元老院議員は、真面目な総督閣下をそれはそれは、恨んでいることだろう。


なにより致命的なのは、なあなあで済ましてきた神官団の経済的権益に法で対応してしまったことだ。

金銭欲が肥大化しすぎた神官連中は、それこそ、皇族を名目におびき出してでも謀殺しかねないほどである。

魔導院こそ、関与していないにしてもだ。


帝都にクレトニウス総督の味方はいない。


その状況下で、政争にあけくれたあげくアホ共が辺境の安寧を脅かす?


極々常識的な総督が忍耐の限界を迎えるには十分すぎるほどだろう。

単純な人間ならば、兵をあげるに十分すぎた。

だが、正義漢を暴発させるためにフーシェはもう一工夫を惜しまない。


ライネ軍団向け物資の、横領罪でクレトニウス総督を市井の弁護士に告発させたのだ。

その弁護士にはさりげなく、神官団と関係を改善したがっているアンギュー公の線を匂わせておいた。

もちろん、第二皇子ヴェルケルウス殿下やアンギュー公は何も知らない。


だが、ナポレオンに黙って英国との講和一歩手前まで秘密交渉をやってのけたフーシェだ。

市井の弁護士を手玉に取るのは造作もないこと。


功名心に燃える彼は、さる大物から指示されていると信じ込んでくれる。

お蔭で、彼のような芋役者がまるで正義を信じる法務官のように大演説だ。

恰も、まるでガリア総督ほど汚職塗れの人間はいないと滔々と論じたててくれた。


演技指導のフーシェにしても、大変よくできていると評価できるほどに。


そして、弁護士が一世一代の大演説をぶった後に『ガリア訛りの傭兵ら』に暗殺させておいた。

わざわざ、帝都にガリアから出てきた傭兵連中を使ったともいう。

もちろん後腐れの無いように後片付けは済ました。


使い捨ての道具は、早めに捨てておくに限る。

なに、これは次への投資でもあるのだ。

なにしろ、人間というのは自分の行動原理で相手の行動を推し量る。


元老院議員らにしてみれば、人間の清廉潔白な顔など単なる方便の顔だ。


いくらクレトニウス総督が潔白だろうとも、彼らには信じられない。

だから、彼らは深刻な不審の念をもとより抱いているのだ。


そこに、まるでもみ消しのような暗殺劇。


彼らにしてみれば、それは疑念を裏付ける証拠だった。

なにしろ、彼らが告発されればそのように揉み消すのだから。


だから、彼らは疑念を事実と錯覚。

元老院の権益に手を付けておきながら、自分だけ甘い汁を啜っていた総督など許し難いと激高。


フーシェが頼んでもいないのに、本当に査問を決議してくれていた。

後は、適当に油を注いでやるだけ。



それだけで、フーシェが意図したように属州で火の手が上がったのだ。

フーシェにしてみれば、たまらない。


喜悦の表情をこらえるだけで、彼は精一杯。

人知れず、大笑いしてのた打ち回りたいほど彼は現状を楽しんでいる。


燃やすも、消すも彼の自由。

タレーランが、ボナパルトが掣肘しないだけでこれだけノビノビと暗躍できる。

今や、彼の陰謀情念には羽と尻尾が生えたのだ。




そして、それは最高の娯楽を傍観者らに約束する。

オトラント公爵、ちょっと本気を出し始める。

作者、デスマーチから逃亡に成功。(なお、次回のマーチは明後日からの予定。)


明日、更新できれば更新します。


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