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AI使用、不使用でガーガー言ってるけどさぁ、そんなモノ無意味じゃね? 

作者: くろねこ
掲載日:2026/10/28

 最近、「AI不使用」という言葉をよく見かける。

 小説サイトを覗くと、商品の包装に「無添加」と書いてあるような感じで、作品に「AI不使用」と書いてあるのだ。


 ただ、これを証明するとなると話は別だ。

 私は考えているうちに、だんだん遠い目になってきた。

 まさに悪魔の証明だからだ。


 悪魔の証明というのは、「ないこと」を証明するのがとんでもなく難しい、という話である。


 たとえば私が「うちの冷蔵庫に、プリンは入っていません」と主張したとする。

 これを証明するには、冷蔵庫を開けて、全段をのぞいて、野菜室もチルド室も確認して、ついでに総菜が入ったタッパーの裏も見なければならない。

 それで見つからなかったとしても、「いや、さっき母が買ってきて、あんたが風呂に入っている間に食べたのかもしれない」と言われたら、もう反論できない。

 実際、うちではよくあることだ。


 そもそも「ある」ことの証明なら簡単だ。

 プリンを出して「ほら」と見せればいい。

 実物一個あれば勝ちである 。ところが「ない」ことの証明は、世界中のすべての隙間を確認し終えるまで終わらない。

 しかも終わったその瞬間に、誰かが冷蔵庫にプリンを入れてしまうかもしれない。


 「AI不使用」も、まったく同じ構造をしている。


 「使った」ならば話は早い。履歴を出せば一発だ。

 ところが「使っていない」と言うためには、執筆中の三日間、いや生まれてから今日までの全時間、スマホも、パソコンも、ふと開いたブラウザも、一度も触れていないことを示さなければならない。

 しかも途中で風呂やトイレに立った十分間まで、である。

 んなもの、出来るわけがない、入浴やトイレに入った画像が出てきたら ソレこそ別の意味で大問題、人権侵害物である。

 他の証拠を出そうにも、出せるのは「使っていない証拠」ではなく、せいぜい「使っているところを見られなかった記録」だけだ。

 それは潔白の証明ではなく、ただの「見つかっていない」である。冷蔵庫の中に今のところプリンは見つかっていませんが、というレベルの話で、母のポケットの中までは保証できない。


 そんな証明を求められたら、人間は途方に暮れるしかないのだ。


 こうなったらもう、カンニング厳禁の創作会場を作るしかないのではないか。

 机と椅子と鉛筆しかない部屋に作家を閉じ込めて、試験官が後ろをぐるぐる歩く。「はい、締め切りまであと3日」などと言われながら、小説を書かされるのである。

 想像しただけで、私なら最初の一行で「漢字が判りません」と手を挙げてしまう自信はある。


 いや、さすがに此れは創作ではなくテストだろう。


 なら、大いに妥協して最初の一文を紡ぐところから、ライブ配信をすればいいのだ。

 白紙の画面を前に、ガリガリと頭をかきむしり、麦茶を飲み、麦茶がなくなったのでまた麦茶を入れに行き、戻ってきたらまだ白紙。

 その苦悩を全世界に晒して、「ほら、一文字も裏でGeminiやChatGPTに頼っていませんよ!」と叫ぶ。 


 そこまでやって初めて、「AI不使用」のスタートラインに立てるのかもしれない。


 ちなみに私の苦悩は、配信しても即垢凍結だと思う。

 そもそも挿絵でエロい画像を作成するのにAIをガンガン使うわけだし、ライブ配信中に挿絵の幼女のマッパな女性が出た瞬間に通報され、BAN確実である。

 もっとも、そんなライブを見る物好きも居ないと思うのではあるが。


 ……と、ここまで考えて、ふと気づいた。


 仮にその配信中が奇跡のノーAIだったとしても、である。配信が終わって、カメラのスイッチがぷつんと切れたあとの控室で、こっそりプロンプトを叩いていたらどうなるのか。

 トイレに立つふりをして、トイレの個室でスマホを開いていたら?


 カメラの死角、つまり人類の死角はいくらでもあるのだ。


 結局、潔白というものは、本人にしか見えない。

 しかも本人だって、「あの言い回し、AIに教わったんだっけ、昔読んだ本で覚えたんだっけ」と、だんだん怪しくなってくる。


 そう思うと、生成AIが当たり前に存在するこの世界で生まれた作品は、もう例外なく全部グレーなのではないか。

 AIが登場してから、人類の創作史のページをめくったその瞬間から、私たちは全員、「真っ白」の証明書を没収されてしまったのだ。

 没収した犯人は誰かと聞かれても困る。

 たぶん、時代である。時代は証明書を返してくれない。


 ここまで来ると、「使った」「使わない」と声高に論じ合っているのが、だんだん馬鹿らしくなってくる。

 絵画に例えて見よう。

 みんながギャーギャー言うルールの厳格さだの、プロセスの純潔だの、あれはほとんど「建前」という名の立派な額縁なのだ。

 額縁の細かい傷については、みんなずいぶん熱く語る、でも肝心の絵がつまらなかったら、誰も見ないしソモソモ評価されようがない。


 では、世の中は本当は何を求めているのか。

 答えは、驚くほど身も蓋もない。


 「で、面白い作品が、どれだけ早く読めるの?」


 これである。


 読者というのは、実に正直な生き物だ。

 作者が三日三晩うなって書いたものでも、つまらなければ三秒で閉じる。そもそも選ばれもしない。

 逆に、作者がAIを使い、昼寝のついでに書いたものでも、面白ければ最後まで読む。

 しかも、できれば続きも早く出してほしいと言う。勝手なものだ。でも私も読者のときは同じ顔をしているので、何も言えないのであるが。


 其処から言えることは、つまり作品が面白ければそれで良いのだ。

 AIを使おうがどうしようが、要は、面白い作品が、早い、上手い、安い、の3拍子揃って読者のもとに届けばよいのである。

 身も蓋も、それ以前の収納箱すらない結論であるがソレが真実であろう。


 文字をAIが並べようが、人間を並べようが、はたまたネコがキーボードの上で歩いてランダムで文字を並べようが、そこに読んで面白いように文字が並べば、読者が読んで面白い小説である。

 逆に、人間が何時間かかろうが、読んで面白ろくないように文字が並べば、読者が読んでつまらない小説であろう。


 小説は文字の羅列、其処には 文字の並び以上の物もなく、それ以下の物もないのだから。

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