バカを強要してくる毒親とDV婚約者から逃げ切るために本気を出したら、『星の王子様』に見染められました
その時の私は、路地裏にいる飢えた子供のようだったに違いない。
部屋の隅っこで、私は本を読んでいた。目で貪るように。
装丁の古い書物のページをめくる。視界を文字が占領し、私の世界は物語だけになる。
下の階で何か声が聞こえた気がしたが、構わず先へ進む。面白い。もっと知りたい。その欲求を食欲のように優先していた。
だから気づかなかった。迫りくる足音に。
「ペディア!」
本が、手からもぎ取られた。
瞬間、世界が奪われ、私はハッと顔をあげた。そこには、怒りに震える母の顔があった。
「何度言えばわかるのですか、『知識は女を殺す』のです!」
私は母親に抱え上げられ、ドレスごしに尻を叩かれた。二十歳にもなってお尻ペンペンなんて。
違和感と羞恥心がないまぜになって、頭の中がごちゃごちゃになっていく。
……前世の記憶がよみがえったのは、十五の夏のことだった。
階段を踏み外したショックで、頭を割られるような激痛に襲われる。気づいたら、脳に一冊の百科事典が詰まっていたのだ。
二十一世紀の日本。親しい友人から私は、「歩くWikipedia」なんて呼ばれていた。
医学、化学、歴史、言語学、経済学。すべてが頭に詰まっていた。だが、その知識をひけらかすことはなかった。
ただ、読書が好きだった。知ることが好きだった。
ひとりで遊ぶロールプレイングゲームでレベルアップしていくような、密かな楽しみ。
前世では、ある大企業の事務職として働いていた。いわゆる「お茶くみ」。
ある日、商品開発の会議の場でお茶を出していた時、私はつい口を挟んでしまった。
社員たちからは「お茶くみが出しゃばるな」と批難されたけど、上座にいた社長は違った。
その提案が気に入ったらしく、私を専属の社長秘書として抜擢してくれたのだ。
私は断るつもりだったけど、それすらも許されなかった。
女子社員たちの嫉妬が敵意に、そしてすぐさま「事故」に変わった。
階段で、背中を押されたのだ。
落ちていった。何度も何度も、体が階段に叩きつけられた。
意識が遠くなり、気づくと別の世界で、別の人間に。
落ち目の「工貴族」の男爵令嬢の娘になっていた。
転生した世界、ラトリア王国は、完全な男社会だ。
女は何をしようとも、地位も富も得られない。『女は男を引き立てる装飾品、もしくは召使い』。それが常識としてまかり通っている。
私が生まれたルフホン家は、かつては工貴族として栄光を誇っていたらしい。王家から『出版権』を与えられ、本の出版による利益を得ていた。
だから家には本がいっぱいあった。私は前世の記憶が蘇る前から、それらの本を欲していた。
だが『知識は女を殺す』という格言があるくらい、女性は勉学を禁じられていた。
本を読んでいるのを見つかると、両親からひどく罰せられるのだ。
だから隠れて読んで、見つかって、罰せられるまでがワンセット。
しかし今日は運が良かった。いや、悪かったのかもしれない。
罰の真っ最中に、父が飛び込んできたのだ。
「ペディア! クソオス様が、お前をもらってくださるぞ!」
顔を上げた。父親の顔は、歓喜に満ちていた。
「クソオス・ブレオチル様だ! 商貴族の子爵様で、なんと『交易権』を持っていらっしゃる方だぞ!」
『交易権』というのは、海外での貿易を許される権利のこと。
大型の帆船が発明されて『大航海時代』を迎えようとしているこのご時世においては、願ってもない玉の輿といえる。
母ももちろん大喜び。
喜色満面の両親の顔を他人事のように見つめながら、私は考えていた。
なぜ、落ち目の男爵令嬢なんかを嫁にしたがるのか。
その答えはすぐに出た。
クソオス様は我が家の『出版権』が欲しいのだ。
『出版権』は王家から出されるもので、取得は容易ではない。
おそらくクソオス様はこれからの大航海時代に備え、異国のことを……いや、自分の活躍を本にして喧伝したいのであろう。
『出版権』を手に入れたら、私なんか用済みになるのは目に見えている。
それとなく両親に伝えてみたが、馬に念仏を唱えるほうがまだマシだと思えるくらい聞き入れてくれなかった。
「これで我が家も安泰だ!」その一言で終わり。
あ、そうだ、そうだった。
女の私の声など、最初から耳に入っていなかったんだ。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
婚約の話はトントン拍子に進んだ。
クソオス様は、現代でいうところのDV気質の男だった。
女を使い捨てのペットのように扱う男で、それを武勇伝のように語る。
ペットのように扱われるのが今世の私の運命なのかと、いまからゲンナリしていた。
そんなある日のこと、私はクソオス様に連れられ、『ストレージ・オークション』に向かった。
『ストレージ・オークション』とは、貸倉庫の利用料延滞などで権利が失われた倉庫の中身を、オークションにして丸ごと売るというものである。
オークションでは倉庫内に立ち入ることは許されず、外から倉庫内を眺めて品定めをしなくてはならない。そのため、相当な目利きの力が必要とされるのだ。
リスクも大きいのだが、商貴族にとってはお宝発掘の場である。そして多くの商貴族が集まるので、彼らの社交場でもあった。
私はそこでクソオス様の婚約者として、商貴族の仲間たちに紹介された。
その場で私に望まれるのは、『女らしさ』。そう、美しさと慎ましさだけ。黙って微笑んで、夫となる男を引き立てること。
それはとても疲れることで、グッタリしていたらいつの間にかクソオス様とはぐれてしまった。
彼を探しているうちに、人もまばらなストレージのオークションの前を偶然通りかかる。
それは古家具の詰まった倉庫で、誰も入札していない。家具はどれも見た感じ古くさく、価値がなさそうに見える。
現在の値段は2千¥まで下がっていて、前世でいうところの2千円くらい。
あまりに買い手が付かないので、オークショニアもヤケになっているのか、子供の小遣いでも買えるくらいの値段になっている。
そこで私は、負けてしまった。好奇心というやつに。
つい、落札してしまったのだ。
落札の瞬間、私はオークショニアから救いの女神のように感謝され、周囲の貴族たちからはさんざんバカにされた。
「おいおい、あんなものを落札するなんて!」
「あんな古家具、タダでもいらないぞ!」
「本当に見る目がないな、これだから女ってやつは!」
「なあに、このくらいのほうが可愛げがある!」
そこで私は、また負けてしまった。自制心というやつに。
つい、言葉が口をついて出てしまったのだ。
「机の上を見てください。あれは、蜜蝋のワックスの空き缶です。蜜蝋のワックスは、高価な家具にしか使われません。私はこの古家具を、由緒あるアンティークだと判断しました」
周囲が一瞬、静まった。
落札後は倉庫は落札者のものになるので、倉庫内に立ち入ってもよいことになっている。
私が倉庫に入ってみると、貴族たちもいっしょに入ってきて品定めしはじめた。
「こ……これは……! 初代王家の書斎机ではないか!」
「なんとこっちは紋章つきの食器棚だ! こんなすごいもの、値段が付けられんぞ!」
「な……なんだ!? 1¥の価値もない古家具ではなかったのか!? これは宝の山じゃないか!」
ぐうの音も出なくなった貴族たち。
外にはちょうどクソオス様の姿があったので、私は彼に駆け寄った。
「クソオス様、ごらんになってください! 私が……!」
喜んでもらえると思った。
だから、なぜ拳が頬にめりこんだのか、理解するのに時間がかかった。
「私に、恥をかかせおって……!」
クソオス様の顔は、地獄の鬼が乗り移ったのかと思うほどに、真っ赤っかだった。
これは後で知ったことなのだが、このストレージが不人気だったのは、クソオス様がこう言ったからだった。
『1¥の価値もないボロ家具ばかりだな!』
そのクソオス様の言葉を信じ、貴族たちは誰も入札しなかったのだ。
しかしとんでもないお宝だとわかり、クソオス様は逆ギレ。私に恥をかかされたと思っていた。
クソオス様は馬車を呼び寄せると、倒れた私を引きずり起こして無理やり乗せる。
私はわけがわからないまま、ストレージ・オークションの場を離れることになった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
それから夜になり、私は縛られて舞台のような所に上げられていた。
会場に漂う異様な雰囲気に、私はすぐに察する。
『スレイブ・オークション』だ。
それは、本来ならば非合法な人身売買をするオークションで、貴族たちの裏の社交場と言われている。
クソオス様は舞台上で、私がいかにダメな女かをこき下ろしたあと、「婚約破棄だ!」と三くだり半を叩きつけてきた。
「お前のような女は、この国にとっての害悪だ! いまから、異国に売り飛ばしてやる!」
ムチャクチャだ。私はもちろん抗議した。
「こ……こんな婚約破棄の仕方ってあります!? それにこんなことをしたら、ただですむわけが……!」
「ただですむのだ! いまや飛ぶ鳥すらもひれ伏す、私の前ではな!」
クソオス様は私の髪を掴んで、眼下の貴族たちに言った。
「女には子宮さえあればいい! だが、この女は脳みそというコブが付いている! 完全な不良品だから、安くするぞ!」
「ひ……ひどい……!」
「味見がしたいか!? いいだろう、好きにするがいい!」
クソオス様は、私を舞台から突き落とした。
「きゃぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーーーーーーーーーっ!?!?」
私の人生が、終わりを告げようとしている。
これから私は、釣り上げられたばかりの魚のように床に這いつくばり、男たちに陵辱されたあと、奴隷として売り飛ばされるのだ。
想像するだけで身の毛がよだつような体験の連続が待っている。
その始まりは、固い床との激突……。
では、なかった。
まるで羽毛に包まれたみたいな、ふんわりと温かい感覚。
私が目を開けると、見知らぬ男性が、私をお姫様抱っこしていた。
誰……?
その答えは、壇上から降ってきた。
「お……お前は、アストラ……!?」
驚愕に満ちた、クソオス様の声。
あ……アストラ……様……?
アストラ・シャリーアンヌ。ラトリア王国で、最も有名な人物の一人だ。
士貴族の伯爵様で、わずか二十四歳で憲兵隊局長となったエリート中のエリート。
長い金髪の碧眼で、その美貌からファンも多く、『星の王子様』なんて呼ばれるほどだった。
見た目は王子様なのだけど、敵国からは『ラトリアの蒼き隕石』と恐れられているほどの猛者である。
そんな、星のように美しく、隕石のように恐ろしい男性が、私を抱きとめている。
まるで宝物のように、雛鳥のように。
彼がいまどんな顔をしているのか、私からは見えなかった。
でもなんだかウットリしてしまった。それほどまでに、彼の腕の中は甘美だった。
そしてせっかくの心地良さも、割り込んできたクソオス様の声で台無し。
「ノコノコ単身で乗り込んでくるとはバカなやつめ! お前のことは目障りだったんだ! ちょうどいい、やってしまえ!」
クソオス様は用心棒たちを呼び集めようとする。
しかし誰も集まってこなかった。
誰もが、アストラ様に怯えていたのだ。
たったひとりなのに、用心棒の大男たちをたじろがせるなんて……。
アストラ様はいま、どんなお顔をなさっているのだろうか。
「くそっ、どいつもこいつも腰抜けが! なら、私がやる!」
クソオス様は懐からあるものを取り出し、アストラ様に向けた。
「昨日仕入れたばかりの最新式の武器、『銃』だ! 引き金をひけばどんなに強い男でもイチコロだ! 冥土の土産にちょうどいいだろう!? 地獄の鬼に、鉛玉の味の感想を聞かせてやるんだな!」
引き金が引かれ、銃口から爆音がほとばしった。
鉛玉はたしかに、アストラ様を撃ち抜いたはずだった。
しかし……アストラ様がかざした手、その指には、鉛玉が挟まっていた。
クソオス様の顔が凍りついた。
「ば……ばかなっ!? 銃弾を、指でっ!?」
アストラ様は告げた。
「隕石に銃弾が効くと思うな」
その声は静かだったが、燃える炎のような熱気を帯びていた。
アストラ様が指で弾いた鉛玉が、クソオス様の眉間に命中。
「きゃいん!?」
まるで負け犬のような悲鳴をあげ、もんどり打って倒れるクソオス様。
同時に、会場内に憲兵たちがなだれこんできた。
「動くな! お前たちを全員逮捕するっ!」
気がつくとクソオス様はアストラ様に向かって泣きすがっていた。
「た……助けてください! そ……その女は差し上げますから! あっ、た、足りませんよね!? なら全財産を差し上げます……! だから……!」
アストラ様の声は、極寒だった。
「お前は、許されぬことをした。もっとも売ってはならぬものを売ってしまったのだ。その罪は、八つ裂きにしても足りん……!」
「ひっ……ひぃぃぃぃぃぃぃーーーーーーーーーー―――――――――っ!?!?」
私はこんな時だというのに、眠りに落ちかけていた。
彼の腕が、あまりにも心地良かったからだ。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
次に気がついた時、私は見知らぬ部屋、カーペットの上に敷かれたふかふかのラグマットの上に寝かされていた。
身体を起こしてあたりを見回す。
次の瞬間、私はかつてないほどのときめきに襲われていた。
なぜならそこは、天井まで届くほどの本棚に囲まれていて、壁一面、本、本、本。
私はケーキバイキングに来たハラペコ乙女のような声をあげてしまっていた。
「あ……ああっ……!」
置かれた状況を把握するより先に、私は本を手に取っていた。
クソオス様と婚約してから本を読むのを両親から全力阻止されていた私にとって、ここは砂漠のオアシスのように感じられた。
1冊読み終えてふと顔を上げると、目と鼻の先にアストラ様がいた。
立て膝で座って、私のことをじーっと見つめている。
「ひゃっ!? あ、アストラさまっ!?」
私は驚きのあまり飛び上がりそうになって、その勢いを利用して慌てて平伏した。
「す……すみませんっ! ここは、アストラ様のお屋敷だったのですね!? すみませんすみません、女のクセに、本を読んだりなんかして……! つい、出来心で……!」
憲兵局長の彼のことだ。本を読んでいる女なんて見つけたら、手打ちにするんじゃないかと私は怯えた。
しかし返ってきたのは、驚くほどやさしい声だった。
「この部屋は、キミのために作ったんだ」
「へっ?」
思わず、へんな声が出た。
「なぜに……?」
すると、りりしい顔つきが急に戸惑いを帯びる。
自分でも、自分のしていることがよくわかっていないような顔だった。
「キミのことは、ずっと前から見ていたんだ」
「はぁ……」
「キミを思うあまり、こんな部屋まで作ってしまった。その……喜んでくれるかと思って……」
「はぁ……」
なにがなんだかよくわからないうちに、彼はとんでもないことを言った。
「どうか、そばにいてほしい」
「へっ!?」
アストラ様はしどろもどろになった。
「あっ、いや、おかしなことを言っているのわかっている。すまない、私は女性と接するのに、慣れていなくて……」
さらにアストラ様は、言おうか言うまいか迷うような仕草をしたあと、清水の舞台から飛び降りるような表情で言った。
「実は私には、前世の記憶があるんだ。その中で、どうしても忘れられない女性がいて……それが、キミにそっくりで……」
私は息を呑んだ。
「ずっと好きだった人だ。毎日、そばで見つめていたいと思った。ただ、それだけで良かったんだ……」
アストラ様の瞳が、遠くを見つめていた。
「私は前世で、とある組織のトップをしていた。『社長』と呼ばれる肩書きだ。その会社にいるひとりの女性に、私は惹かれてしまったんだ。だから私は権力を利用して、その女性をそばに置こうとした。だがそのせいで、彼女は私の前からいなくなってしまったんだ……」
「えーっと、その……」
私にも似たような前世の記憶があるのだが、言いだそうか迷っていた。
そうこうしているうちに、彼の手が私の頬に触れる。
「ああ……やっと、キミに触れられた……!」
手を通して彼のひたむきな気持ちが流れ込んできて……気づくと、唇どうしが触れ合っていた。
私は彼に求められていた。女としてだけでなく、人間として。
彼は私が本を読むことを咎めず、むしろその知識を活かし、誉めて、よりいっそう愛してくれた。
私を、私のままでいいと言ってくれたのだ。
前世の記憶と、現世の出会い。
二つの世界を繋ぐ絆の中で、私はようやく自分の場所を見つけたのだ。
このお話が連載化するようなことがあれば、こちらでも告知したいと思います。
それとは別に「面白い!」と思ったら、下にある☆☆☆☆☆からぜひ評価を!
「つまらない」の☆ひとつでもかまいません。
それらが今後のお話作りの参考に、また執筆の励みにもなりますので、どうかよろしくお願いいたします!




