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警察兼入国管理局職員の1日の始まりは、まず自分が今日どちらの担当なのか知ることから始まる。
片方の職員が軽く手を上げると、船から降りたばかりの観光客は、キャリーケースの傷だらけのタイヤをゴロゴロと床のタイルに響かせながら、流れるようにパスポートを提示する。
チャルは、そこそこ質の良いブースの椅子に座り、その無機質な作業を繰り返していた。パスポートを専用の機械に読み込ませた後、写真と本人を比較する。次に、旅の目的や滞在日数など、形式的な質問をいくつか投げかけ、最後にシステムに送られてくる荷物検査のX線データを軽く確認する
それだけの簡単な仕事だった。今日のチャルは入国管理の担当として、午前中はただこうして椅子に座り続けている。
レヴィアス島には空港がない。それゆえ、入国にあたっては近隣2カ国から出航される船に乗るしかないのだ。繁忙期である今でも一日に出る便の数は3つ、2カ国あるからそれでも計6つの便しかやって来ない。一日に訪れる観光客の数は、せいぜい4桁がいいところの小さな島なのだ。
観光客のプランは驚くほど画一的だ。明るい時間帯に遺跡ツアーに参加し、午後は巨大な水族館を訪れる。あとは名物料理を食べれば、もうやることはない。1日2日もあれば、島の有名どころは全て回れるため、長く滞在する人は少ない。この便の数が需要的にちょうどいいバランスを保っていた。
本日最初の便における最後の客、白いTシャツにリーフ柄のハーフパンツの浮かれた背中を見送り、チャルは思いっきり背伸びをした。あと一本、お昼頃に到着する二番目の船便をさばけば、今日の仕事はほとんど終わりである。
「朝ごはん食べに行こうぜ」
同僚の誘いに頷き立ち上がる。一応自分の担当ではなかった人たちのデータも確認し終えたところだ。そこまで大きな異常はない。
床に何か落ちていないかを確かめ、荷物検査のX線モニターとベルトコンベアの方へも軽く視線を走らせるが問題はなさそうだ。観光地定番の、顔をはめるウェルカムパネルも寸分変わらぬ位置にある。
癖で腰のホルダーを触ってしまうが、ちゃんと銃にセーフティーもかかっている。携行が義務付けられているものの、中身は致命傷を与えない麻酔弾なので、そこまで怯える必要もないのだが。
「平和だな〜今日も」
間延びした口調で男は言った。
「いいことだな」
同僚の言葉に、チャルは小さく頷く。この島には、武装した兵士もいなければ、厳重な検問もない。ただ、海に愛された男の「威厳」だけが、最大の防壁となっているのだ。自分たちの警備などあくまで形式的なものに過ぎない。
人魚はこの島では絶対に悪事を犯さない。人間もせいぜい盗みや、無銭飲食がいいとこだ。殺人など今の今まで発生したことはないはず。いくら人口が少ない島とはいえ、異常なほど治安がいい。人々が無意識のうちに何か巨大な力を感じ取っているとしか、チャルには考えられなかった。
人魚からはよく生存本能が死んでいると揶揄されることが多い、自分たち人間という種族だが、この島では本能的な自制心が働いているように見える。
「にしても、チャルのその癖、直んないな。そんなに腰の麻酔銃が心配か?」
同僚が笑いながら、チャルの癖を指摘した。
「ああ。習慣だからな。念のためだよ」
チャルは笑ってごまかした。彼はこの形式的な仕事の中でも、常に「何かが起こる可能性」を意識している。かつて運悪く荒れた海に足を滑らせた経験が、彼をそうさせているのだ。銃如きで対処できるとは思っていないが、やはり無いよりはマシというやつだ。
「まぁ、撃つとしたら、強盗くらいだろうな。こんな小さな島なんかで悪いことすればすぐにバレるのにな」
同僚はそう言って、入国管理棟の扉を開け、外の明るい日差しへと二人を誘った。外に出ると、港の喧騒が広がる。潮の香りが体を包み、観光客の明るい話し声が響いていた。
12:00 第二便到着
第二便が静かに港に着岸した。入国管理棟に差し込む光は真上からの強い日差しに変わり、ブースの空気は午前中よりもわずかに熱を帯びていた
ほんの少しの違和感だった。チャルはパスポートの顔写真付きのページを何往復もする。顔は本人、髪型は違うが、骨格やほくろの位置から見て、本人であることは間違いないだろう。
ただどうも安っぽいのだ。チャルの勘がそう告げていた。パスポートというのは、その発行国の信用度を示す、硬質な芸術品でなければならない。そういうものをチャルは手にする時、ひんやりとした感覚をおぼえるのだ。
本当に証拠のないただの個人的なものだが、心なしかホログラムも本来は控えめで奥ゆかしい光沢を放つべきなのに、少しギラギラと派手すぎる気がする。
全体的に品がないのだ、このパスポートには。
「滞在日数は」
「大体1週間くらいです」
赤毛の男は淀みなく答える。1週間というのはいささか長めではあるが、そこまでおかしな話ではない。パソコンに送られた荷物のデータをクリックする。
「ダイビングをする予定ですか?」
「はい。海に来る時は毎回潜ります」
画面にはウェットスーツと推進器が大きく写っている。大分本格的なものだ。他には衣類とペットボトルの水、あとは何かしらのケースだろうか。
「うちでのダイビングは厳しいルールがありますが、承知の上ですか?」
チャルは椅子に深く座り直し、男の顔から目を離さなかった。視線一つとっても重要な判断材料である。
この島ではあまりマリンアクティビティが盛んではない。理由は明確だ。一つは遺跡ツアーが日中行われるため。二つ目は、島民の重要な収入源の一つである漁業を守るため。あまり海でうろちょろされては潜水艦や船の行き来に邪魔なのである。
島のつくり的にも浅いビーチがほとんど存在しないため、サーフィンやダイビングには向かないのだ。一歩海へと踏み出せば、すぐに底の見えない群青が顔を出す。
「はい。時間帯とエリアは確認しています」
「滞在先は」
「ザ・マリンクレストに泊まる予定です」
男は、チャルの探るような視線に晒されながらも、努めて冷静に答えた。彼の声は若干上ずっているが、情報は淀みない。
第一便にも似たような客がいたのをチャルはふと思い出した。データをさっと見ただけだが、同じようにキャリーケースにウェットスーツを入れている人物がいたはずだ。急いで履歴を確認するが、デジタル上ではこのパスポートが本物かどうかまではわからない。
ただ泳ぐのには適さないこの島に、ダイビング目的、ましてやウェットスーツと推進器まで持参する人は少ない。彼らと目の前の男は本当に別のグループなのだろうか。
チャルの勘は怪しいと告げていだが、彼はボスの命令を優先して、大人しくパスポートへスタンプを押した。
「良い旅を」
「ありがとうございます」
男は緊張から解放されたように、にこりと微笑んでキャリーケースを転がしっていった。
「怪しそうな男は通せ。もちろん報告は忘れるなよ」それがボスの指示だった。パスポートを偽造する奴なんて大体が他所で指名手配を食らっているから、少し泳がせてその国に直接引き渡す方が外交的に美味しいそうだ。
チャルは同僚とボス宛にメールを送り、パスポートの画像を添付した。おそらく彼の、彼らの処分はボスが下すことになるだろう。そんな予感を胸に抱きながら、次の人を迎えるために片手を上げた。




