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『運命の指針』が指し示すその先は、特殊な地形によって形成された巨大な空洞だった。上を見上げれば、島本体の影が天井のように覆いかぶさっている。
「まるで指輪の台座だ」
島というのは本来なら、溶岩が固まり形成されるものだ。当然間に空間などない。しかし、この島はまるで誂えられた台座に島自体が乗っかっているようなのだ。
かつてボスから聞いた話をフィデルは思い出す。この島は「プレゼント」なのだそうだ。婚約指輪か結婚指輪か。まぁどちらでも変わらない。詰まるところ、この島と海は彼のものなのだ。
船内のライトはマックス。浮上してきたことで太陽の光が届き、パンフレットの表紙を飾れそうなエメラルドグリーンが先ほどの恐怖を掻き消す。
窓の外に広がるのは、もはや恐怖を煽る闇ではない。無数の、鮮やかな光の点が視界いっぱいに広がっていた。
この島にしか生息しない、「ブーケシェル」と呼ばれる特別な貝だった。まるで宝石のような貝殻は、赤、青、緑、紫、そして金や銀の光沢を放ちながら、岩壁にびっしりと張り付いている。ライトが当たると、まるで夜空に瞬く星々のように、その光を反射して輝いた。
「皆さま、グランヴィア海中遺跡ツアーの最後の見どころです。ここは、この島にしか生息しない、ブーケシェルの群生地です」
ドルテの声に、安堵の色が滲んでいた。その声は、これまで張り詰めていた空気を優しく解き放ち、乗客たちの間からも、先ほどの緊張とは無縁の、純粋な驚きの声が漏れ始めた。
「ご存知の方もいらっしゃるかもしれませんが、この貝殻は、非常に美しい色彩を放つことから、「海の涙」とも呼ばれています。中には、宝石を宿しているものもあるんですよ。実際にご覧になりたい方はグランヴィア水族館に展示されていますので、是非そちらにも足を運んでみてください」
潜水艦は、ブーケシェルが密集する壁面をゆっくりと進んでいく。一つ一つの貝殻が、まるで生きている宝石のように、微かに開閉を繰り返している。その内側から漏れ出る光は、外側の貝殻の色と混ざり合い、空洞全体を七色の虹色に染めていた。
乗客たちは、ハッと思い出したかのように携帯を取り出し、シャッター音が次々と切られる。彼らの瞳は、久しぶりにキラキラとしていた。
幼い子供は、親に見せびらかすようにその手を窓に向け、指先で光をなぞっている。老夫婦は、肩を寄せ合い、この世のものとは思えない美しさに、ただただ息を詰めていた。
フィデルは、この光景に、心の底から安らぐような感動を覚えた。彼は、この美しい光の海に、自分自身が許されたような静かな安堵を感じていた。恐怖の先にある、この圧倒的な美しさこそが、彼がこの仕事を続けている唯一の理由かもしれなかった。
ネプチューン2号が、空洞の出口、つまり台座を抜けた瞬間、潜水艦のボディは再び太陽の光に完全に包まれた。水面が近いことを示す、水の揺らぎと明るさが、フィデルの顔に反射した。
「これにて、グランヴィア海中遺跡ツアーは終了となります。皆様、お疲れ様でした!」
ドルテの晴れやかな声に、乗客たちは一斉に拍手を送り始めた。
フィデルは大きく息を吐き、乗客が全員降りるまで背もたれに体重をかけていた。巧妙な手口だ。最初にあの恐ろしい銅像を見せてから、最後に綺麗な景色を見せることで、ツアーには好印象を与えるのだ。
もし順番が逆だったならこのツアーはすぐに口コミの悪さで、中止になっていただろう。確かに遺跡としての価値はあるものの、あれは人間が見ていい代物ではないのだ。俺が名前をつけるなら「呪われた三体」にしている。
「お疲れ様です」
若い男はフィデルに軽く会釈をする。まあいい。何はともあれ、乗客に水族館の割引券を配り終えた次の航海士とバトンタッチである。
「ああ。頑張れよ」
ペンダントを残し、男は定位置であるデッキチェアへと戻っていった。
真っ白な雲と、エメラルドグリーンに輝く海。潮風が彼の頬を優しく撫で、耳元で波の音が子守唄のように囁く。
これであとは最後の便でペンダントを回収するまで、好きに過ごすだけだ。海は陸から眺めるのが一番いいと、フィデルは黄金色の液体を喉に流し込んだ。
デッキチェアの背中は太陽の温かさを吸い込み、先ほどまで海中で感じていた底冷えする緊張感をゆっくりと溶かしていく。体の奥底に残っていたゾワゾワする不快な感覚が、ビールの酔いと太陽の熱によって洗い流されていく。
彼は、最後に一度だけ、安堵のため息を吐き出し、深く、静かに眠りの淵へと沈んでいった。




