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急遽決まったミッションを、ルギーは何度も反芻しながら、ついに最後の水槽の前に辿り着いた。S型水槽。そう、ルギーの骨折の原因となった、危険生物が管理されている水槽である。あれからまだ、ボスに立ち入ることを許されていない。
大小様々なスティロドンが、巨大な箱の中を動き回る。まるでピノキオのように伸びた角は、陶磁器のように滑らかでツルツルとしている。長さ30センチはあろうかというそれに、刺されれば間違いなく病院行き。当たりどころを間違えれば即死。
しかし、彼らの真の恐ろしさはその槍の鋭さではない。それを打ち出す圧倒的な瞬発力である。攻撃の瞬間、長い鼻がギュッと押し込められると同時に、まるでバネのように一気にその圧力が放出される。
突進前の予備動作で、体内の特殊な器官には、周囲の水圧をはるかに上回る凄まじい内圧がかかる。その圧力は一気に血管系へと伝わり、結果として、彼らの鱗の下にある微細な発光層が、摩擦熱と化学反応によって一気に加熱されるのだ。
静止している時は地味な色に過ぎない鱗が、時速100キロメートルを超える最高速度に達した瞬間、過熱された血液が全身を駆け巡り、内側から爆発するような黄金の閃光となってアクリル越しにも突き刺さる。
物理的な衝撃よりも先に、網膜を焼くようなその輝き。
当然水槽の掃除やメンテナンスには、水の中で自由自在に動くことが出来る人魚が投入される。重い酸素ボンベを背負い、水の抵抗に翻弄される人間では避けることは難しい。不可能と言ってもいいだろう。
ルギーは、古傷の疼きを無意識に抑えながら、水槽の分厚いアクリルパネルを見上げた。
「……今日は機嫌がいいと助かるんだけどな」
無機質な照明の下、スティロドンたちの鱗が冷たく光る。彼らは水槽の前に現れる自分とは違う存在を見下ろしながら、時折悪戯に加速してみせる。その動きはどこか研ぎ澄まされた刃物が空を切る音を連想させた。
ルギーは、慎重に水槽の隅に設置された最後の一つとなる袋に手を伸ばす。
その瞬間だった。
ゴッ!という、鈍い衝撃音が水槽内に響く。
一匹のスティロドンが、ルギーの動きに反応したのか、それとも単なる気まぐれか、信じられない速度で突進し、水槽を内側から突いたのだ。透明な壁越しとはいえ、目前まで迫った鋭利な牙の迫力に、ルギーは思わず息を呑む。
ヒビは入っていない。そりゃそうだ。ここのアクリルは巨大な水族館の中でも随一の厚さと強度を誇る。一突きで傷が入っては、到底彼らを収容することなど出来ないだろう。つい錯覚してしまうが、見た目以上に彼らと自分たちの間には絶対的な距離があるのだ。
しかし体は嘘をつかない。ルギーの心臓がバクバクと音を立てる。ギョロっとした瞳が厚いアクリルの向こう側からルギーの顔をじっと見据えている。その視線には、一階の魚たちが向けるような、餌をねだる愛嬌など欠片もない。ただ、侵入者を排除しようとする野生の、それでいて冷徹な知性が宿っていた。
ルギーは生唾を飲み込み、視線を逸らさずに袋を掴み取る。水中では彼らに歯が立たない、ちっぽけな人間の少しばかりの意地だった。
かつて腕の骨を砕かれたあの瞬間、視界を埋め尽くしたのは彼らが興奮時に放つ、暴力的なまでに美しい黄金の発光だった。死の予感と、神々しいほどの輝き。
近くにいた彼女が、咄嗟に体を引き寄せてくれていなければ、間違いなく致命傷になっていただろう。
「綺麗だったなあ」
自嘲気味に呟きながら、ルギーはその場を後にする。恐怖は消えないが、同時に、いつかまたあの黄金の光の只中へ、という渇望が胸の奥で燻っている。
これで、一階から地下までのすべての票が揃った。サンタのように、嵩張った袋を抱えつつ、スタッフ専用通路へと戻る。カードキーを翳すと、プシュと空気が抜ける音がする。
観客の声も、深海の轟音も届かない、冷房の効いた静かな部屋。そこには数台のコンピューターと、大きな作業机が置かれている。
「よし、やるか」
ルギーは大きく伸びをした。 関節が小さく鳴る。 机の上に、各地から回収してきた袋を一つずつ並べていく。袋の口から覗く色とりどりの投票用紙は、来場者たちの熱量の結晶だ。
セーラが愛してやまないシアンインカーの票も、自分を脅かしたスティロドンの票も、そして絶対女王ブーケシェルの票も、ついに集結した。
これと、ネットの票も合わせて集計し、ランキングを作り、企画書を練る。 ルギーの仕事はまだまだ終わらない。




