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海に愛された男  作者:
第二章

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19/22

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「発光体の秘密」と名付けられた企画展示エリアは照明が落とされ、深い青と紫の光が支配する、落ち着いた空間だった。前回は「吸盤の不思議」ということで、様々なタコが展示されていたが、今の期間は発光性の甲殻類や底生生物がメインである。静かで神秘的な雰囲気が漂っていた。



 そして、そこでルギーはいつもの顔を見つけた。年間パスポートの所有者であり、著名な海洋生物学者でもあるマルジェッタだ。彼女は、特定の甲殻類の水槽の前で動かず、手元の小さなメモ帳に何かを熱心に書きつけている。彼女の観察は、純粋な学術的探求心に満ちており、この水族館の良き常連客の一人だ。


「こんにちは」

 躊躇することなくルギーは声を掛けた。彼にとってマルジェッタは、まるで親戚のような人だった。老眼鏡に映る彼女の瞳はいつだって暖かい。


「あら、今日はこっちのシフトなのね」

 マルジェッタは、メモ帳から顔を上げ、ルギーを見て柔和な笑みを浮かべた。


「はい。今日の仕事は集計係なので」

 そういって今までに回収した袋を持ち上げた。


「最終日なのね。すっかり忘れてたわ」

 マルジェッタは、ペンのキャップをカチリと閉めた。

 

「先生はどこに投票したんですか?やっぱりブーケシェル?」

 年間パスポートの所有者は、入館する日毎に一枚投票用紙を貰える。もちろん、自分のお気に入りだけに入れることも可能だし、票をばらつかせることだって出来るのだ。


「フフ、内緒よ。でも、私は専門外のものを中心に入れたわね」


 マルジェッタは、甲殻類の水槽に目を向けた。


「ブーケシェルはもちろん圧巻の美しさだけど、人気投票となると話は別。たくさんの人が集まる場で、普段あまり注目されない生物に光を当ててあげたいじゃない?」


 ルギーは、なるほどと頷いた。


「先生らしいですね。確かにこの水槽の生き物だって、サイズこそ小さいけど、自ら発光してるって凄いことですもんね。それに微量ながら電気も放出してますし」


「そうなのよ、ルギー君。そこに可愛らしいエビがいるでしょう」


 マルジェッタは、水槽のガラスを優しく叩いた。


「彼らが発する光の色は青と紫の二色だけ。そして、その点滅のリズム。点と線の組み合わせが、まるでモールス信号や人工的な暗号のように規則正しく繰り返されるでしょう?」


 彼女はメモ帳のページをめくり、そこに記号化されたパターンを見せた。


「彼らの発光パターンは、まるで誰かがプログラミングしたかのような完璧な数列なのよ。これがまた、好奇心をくすぐるのよね。『自然が生み出した暗号』なのか、それとも、『かつてそこに高度な文明があった証拠』なのかってね」


 彼女の言葉には、純粋な探究心と、ロマンが滲んでいた。本当に海洋生物が好きで、学者になったのだろうということがひしひしと伝わってくる。


「へぇ、暗号ですか。愛のメッセージとかだったら、ロマンチックっすね」

 自分があまり研究者気質ではない分、細かい知識についてはさっぱりだが、こういう話を聞くのは好きだった。頭がいい人は、人の好奇心をくすぐるような話をするのが上手だ。


「そうね。何かメッセージがあったら面白いわ。でも、ただ発光しているだけなのかどうかの区別も定かじゃないのよね。生きているうちに解明されるといいのだけれど」


 マルジェッタは、再び水槽の中の光へと視線を戻した。デッキチェアで、静かに海を見つめるフィデルと同じ瞳をしていた。


 この世にはまだまだ未解明のことばかりだ。「何か」に愛され、海を自由自在に操るボスも、魚と会話は出来ないと言っていた。海の話になると白羽の矢が立つ人魚だが、彼らだって精々イルカやシャチが限界だと言っていた。知能レベルの差は簡単には埋まらない。


 しかもレヴィアス島にしか生息しない生物たちは、この水族館でしかお目にかかることが出来ないのだ。詳しくは知らないが、そういう約束を結んでいるらしい。せっせと通い詰めなければいけない研究者たちは、本当に大変だろう。


「きっと解明されますよ。貴方みたいな頭のいい人がこの世にはごまんと居るんですから」


 ルギーは、彼女の情熱を心から尊敬するようにそう言った。


「フフ、ありがとう、ルギー君。その言葉が励みになるわ」


 マルジェッタは、老眼鏡を押し上げた。


「私はもう少しここでこの子たちの光の周期を見ておくわ。あなたも集計、頑張ってね。地下のエリアだってあるんだから、あまり寄り道してたら時間無くなるわよ」


「そうですね。もう結構話し込んじゃったので、ここら辺で失礼します!また明日、先生の解読が少しでも進んでいることを祈ってますよ!」


 ルギーは、ただのスタッフとしてではなく、心から彼女の幸運を願う一人の人間として、親指をグッとたてる。


 あの光の謎が解けたとき、彼女がどんな風に喜ぶだろうか。ルギーは、その場面を想像し、自分も嬉しくなるのを感じた。


「ええ、ありがとう。行ってらっしゃい」


 マルジェッタも柔らかな笑顔でそれに応える。



 ルギーは、企画エリアを後にし、一階のメイン通路へと戻った。回遊魚の円筒水槽からこぼれる銀色の光と、観光客の喧騒が再びルギーを包み込む。彼は、この賑やかな流れに紛れながら、残りの投票箱の回収も、迅速に滞りなく完了した。


 紙だけとはいえ、何千枚もの投票紙が詰まった袋は、物理的な重さこそ大したことはないが、その量ゆえにひどく嵩張った。袋はいびつに膨らみ、ルギーの広い背中からもはみ出しそうなほどの大きさになっている。


「さすがにこれを持って地下までエスカレーターは邪魔くさいな」


 ルギーは、スタッフ専用通路を通り、一度スタッフルームへとUターンすることにした。

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