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海に愛された男  作者:
第一章

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 コツコツと音を立てる革靴は遠くからでも気付きやすい。ヴァレンが階段を下り、ドアを開けた瞬間、店内の湿っぽい匂いと夜のひんやりとした空気が混ざった。出迎えたのは、カウンターで駄弁っていた仲間たちだった。彼らの顔は、薄暗い店内の照明に照らされ、高揚感と期待で上気している。


「今回こそは独占かー?」 

 手前にいた男が前のめりになって尋ねた。

「150万丸々ゲットできたらデカいぞ」

 彼の隣では、キースがグラスを高く掲げている。

「俺新しい靴が欲しいんだが」

「ソファもそろそろ買い替えたいな」


 我先にと会話が飛び交う。既に前金の全てを手にした気で、話をしているようだ。酒が既に入っていることもあり、大声で騒がしい。地下じゃなきゃ、今にも文句を言いに隣人がドアを叩いてることだろう。


 彼らの質問の答えとして、ヴァレンはにこやかな表情のまま、人差し指と中指を立てた。


「残念、割り勘です」

 楽しそうな仕草とは裏腹に、冷や水を浴びせるような一言だった。店内の喧騒が一瞬止み、バーカウンターに置かれた氷の溶ける音だけが響く。


「ええっ!?」


「またかよ」


「おいおい欲しい靴高いんだぞ」

 仲間たちは一斉に不満の声を上げる。この報酬の割り勘と不満を言う流れは、もはや恒例行事のようなものだったが、飽きもせず毎回落胆してみせる。確かに利益が半分になると、一気に持分は減るが、むしろ独占できた時の方が少ない。


「マシな方だろう?三分割、四分割の時だってあるんだから」

 ヴァレンは不平不満を浴びながらカウンターに入り、椅子を引っ張り出した。自分も何か飲もうと、一番近くにあったボトルを掴む。




 レヴィアス島をターゲットにする奴らの行動は、大概同じだった。人魚の手を借りるために一軒目に行き、つっけんどんに断られ、ダメ押しのもう一軒。しつこい奴は、なんとかして協力を得ようと各地に赴くこともあった。

 

 そういう経緯があり今のルールが出来た。こういった仕事をしている人魚の間に設けられている二つのルール。一つ目はレヴィアス島への便が出ている、ローグリア及びオルタニア以外の情報屋は、レヴィアス関連の案件がきた時には必ず断らなければならない。そして依頼者について彼に報告すること。


 代わりにこの2カ国の人魚が前金として巻き上げた金を、依頼者が訪ねたところにそれぞれ分配するのが、ボスからの命令だった。


 つまりローグリアで営業している彼らは、レヴィアス島をターゲットにする危機感のかけらもない人間から、巧妙に前金を巻き上げなければならない。そして、その金は協力した人魚たちに公平に分配される。


「それで誰が行くんだ」

 ヴァレンは紙をひらひらと見せびらかしながら、その場にいた男たちの顔を順々に見ていく。


「コバルトラインってめちゃくちゃ遠いだろ。人間ってなんか無駄に元気だよな」

 男は深いため息をつき、グラスに残った氷を噛んだ。ピンポン玉くらいの大きさの氷が、すぐにバラバラと崩れ消えていく。

「寒いの苦手、パス」

 隣で細身の男が大袈裟に身震いしてみせる。

「振込制にならないかなぁ」

 彼らは皆、この配達業務を互いに押し付け合うことに慣れていた。人魚だから全員泳ぐのが好きだと思われては困る。加えて今回のコバルトラインまでとなると数時間はかかるのだ。長い旅路と極寒の気候が、彼らのやる気を削いでいた。


 ヴァレンは、出来上がったばかりのウィスキーを煽る。その喉元が、照明の下で艶かしく動いた。


「仕方ないだろう、毎回文句言うな。それに...」


 ヴァレンは、グラスをカウンターに置き、挑発的な目線を仲間たちに向けた。彼の口角が、吊り上がる。


「あそこはロングヘアの美女が多いらしいぞ。分け前は多くしてやるし、ちょっとしたバカンスだと思えばいい」


 その魅力的な情報に、一瞬、数人の男の目が輝いた。やはり人魚、海に揺蕩うところを想起させるような長く美しい髪の女性が好きな男が多いのだ。ヴァレンの誘いは、彼らの本能を刺激した。


 しかし、その高揚感は数秒でしぼんだ。男たちはすぐに現実に戻り、押し付け合いが再開された。


「美女がいても寒くてそれどころじゃねえよ!キースが行けよ、お前が一番暇だろ!」


「冗談よせ。体温が高いお前が行くべきだろ!」


「前回の依頼は俺が行ったんだぞ。お前ただ酒飲んで遊んでただけだろうか」


「ヴァレン!この前キースが勝手に下の棚の酒飲んでたぞ。あのめちゃくちゃ高いやつ」


 別の仲間が、自分の順番が来ないように、キースの悪行を大声で告発し始めた。店内の空気は、アルコールの熱と金銭絡みの口論で一気に沸騰した。グラスを傾ける音、笑い声、不平の声が混沌と混ざり合い、店内に、再び賑やかな口論が響き渡る。


 ヴァレンは、カウンターに肘をつきながら、この恒例の騒動を、楽しそうに眺めていた。彼は知っている。最終的には、不満を言いながらも誰かが折れて行くということを。

 

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