表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
海に愛された男  作者:
第一章

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

14/22

14

 足首に当たる水の感覚が変わり、そろそろかとルギーは視線を上げた。白波が形を変えている。程なくして、仰向けで流される男の姿が目に入った。


「一人目ですね」

 男は抵抗することもなくただ流れに身を任せているようだった。ちょうど数メートル先あたりで動きが止まったのを確認し、ルギーはゆっくりとバイクを近づける。顔を覗いてみると、しっかりと視線が交わり、ルギーは思わずびくっと肩を跳ねさせた。意識があるのに、なぜ抵抗しないのだろうか。


 そう思いながらもルギーは、後ろのビート板を沈めて下から掬うように男の体を乗せた。海水を吸い込んだロニールの重みが伝わってくる。その時彼の顔が顰められたのを見て、ルギーはボスの方へ振り返った。


「なんかそこそこ重症じゃないですか?この男」

「うーん?そいつはただこちらに寄越してきただけなんだが」


 困惑したような表情を浮かべたボスが近づいてくる。心当たりはないらしい。その時ボスの後ろからさらに声がした。


「すみません。力加減を間違えました」

 影の中から足音もなくにょきっと現れたのは、彼の部下だった。白いシャツに濃紺のパンツという、オフィスカジュアルのような服を着ていたため、その男だけ浮いて見えた。


「ミス…」 

 嗜めるようにボスが彼の愛称を呼ぶ。


「すみません」

 ミストラスはもう一度謝罪を繰り返した。彼の顔からは感情の起伏が見て取れないが、態度は素直だった。そして手に持っていた袋を手渡す。ボスは数秒彼の顔を睨んだ後、その袋を受け取った。


「流石に綺麗に取ったな」

 中身を確認して、賞賛の声をあげる。袋の大きさからしても相当な数の貝殻が入っているのだろう。ボスは桟橋の端っこにしゃがみ込み、袋から一つずつ丁寧にブーケシェルを取り出していった。


 シェルは誰に言われずとも分かっているのか、一つまた一つと後を追うように、島の中央部へと吸い込まれていく。まるで意志を持った生物のように、白い鱗光を揺らしながら元の場所へと消えていく。



 それを瞬きすら惜しいようにルギーは見つめる。最後の一つが完全に見えなくなるまで見送り、ビート板に乗せられたまま、激痛に顔を歪ませているロニールを指差した。


「じゃあ、この男はどうしますか?このまま台に乗せておきますか?」

「血は流れていなようだからせいぜい骨が折れたくらいだろう。そのまま縛りつけておけ」


 ボスは、ロニールの顔を一瞥するだけで、冷徹に判断を下した。彼の優しい童顔に、一瞬たりとも躊躇や憐憫の色は浮かばない。


「他に物は無かったな」

「はい」

 ミストラスは、白いシャツに包まれた体を微動だにさせず、直立したまま答えた。


「蹴ったのは一発だけか」

「はい、次から投げ飛ばします」

 ボスは空になったペットボトルで、彼の胸元を叩いた。その仕草は、まるで躾をする親のようだった。それにまたミストラスは、「すみません」と口にした。謝罪の言葉は繰り返すものの、彼の瞳はあくまで無感情で、ただボスからの指令を待っているだけだった。


「しょうがない男だ」

 そう言って、ボスは視線を再び海面へと戻した。簪の青い石が、次の動きを予期するように、微かに揺れていた。


 そのまま待機すること、わずか数分。最初にロニールを引き寄せた表面をなぞる水流が、元の穏やかなものに戻ったかと思えば、今度は水塊が押し上げられるかのような圧を感じた。空気がボコボコと浮き上がる。


 強い光を放つ二つのライトが、海面を照らしている。それに続くように、黒いウェットスーツに身を包んだ二つの影が、まるで吐き出されたかのように、海面に打ち上げられた。


「なんだ意識がないのか。俺も力加減を間違えちゃったな」

 おどけた仕草を見せ、ボスは誘うように、指をくいっと動かした。すると波は、徐々に彼らの体を桟橋の方へと寄せていく。


「ミス」

「はい」


 ミストラスは、二人の体をそれぞれの手で一気に引き上げた。水に濡れることなど全く気にしていないようだ。そして慣れた手つきで、アステルから心臓マッサージを始める。


 肋骨が軋むような音が数分続き、アステルは咳き込むような声を上げ、大量の海水を吐き出した。彼のウェットスーツの間から、泡だった水が溢れ出し、桟橋のコンクリートを濡らす。


 体が丈夫なのか、数回のマッサージの後ラスもまた激しく咳き込んだ。


 二人は、死の淵から引き戻されたばかりで、意識は混濁しているようだが、命に別状はなさそうだった。そればかりか、先に感覚が戻ったらしいラスは、目の前に知らない男がいるのを見て、反射的に足を振り上げた。


 その鋭い蹴りは、ミストラスの腹部を正確に捉えるはずだった。しかし、彼は微動だにせず、ラスの足が自分の身体に触れる直前で、その足首を片手で完璧に掴み止めた。


「流石に人魚の血が入ってるだけあるな」

 ボスは軽く目を見開いた。

「縄で縛りますか」

 しかし、人間相手ならまだしも、相手は純血の人魚である。力の差は歴然だった。


「いや…そろそろ」

 彼の申し出を制止し、ボスは辺りを見回すように視線を動かす。視線の先からは軽いエンジン音が聞こえてきた。


「お待たせしました」

 制服に身を包み、銃を携えたチャルがスクーターに乗って現れた。敬礼のような仕草を見せた後、嬉しそうに手を振るルギーにも手を上げて応える。


「ナイスタイミング。そこの二人に頼めるか」

 ボスが確認すると、チャルは無駄な動作を一切せず、銃をラスとアステルに向けた。


 ミストラスによって身動きを封じられていた彼らは、多少みじろぐのが精一杯だった。


「グッ…」


 太ももに強力な鎮静剤が打ち込まれ、体からふっと力が抜けていく。二人は短く呻き声をあげたきり、動かなくなった。


「お疲れ〜」

 ルギーは、楽しそうにチャルに声をかけ、水上オートバイを桟橋に寄せた。彼は、板の上で虚ろな目をしたロニールの隣に、麻酔で眠らされたラス、そしてアステルの順に、濡れた体を次々と横たわらせていく。

 


「よし。じゃああとは運ぶだけだな」

「そうですね、後は任せてください」

 そう自信満々に親指を立てたルギーのポケットに、ボスは二つ折りにした一枚の紙を入れた。これはいつもの相手に渡せばいいのだろう。


 そしてボスはずっと持っていたペットボトルを部下に押し付けた。

「頼んだぞ〜」


 ボスは、満足そうな笑顔を浮かべたまま、優雅な足取りでその場を後にしようとする。彼の紺色のカーディガンが、夜風に揺れた。


「チャル!せっかくなら一緒に行こうぜ」

 突然指名されたチャルは、困惑した表情でボスの顔色を窺った。


「好きにしてくれ」

 ボスは、振り返ることなく、軽く手を振るだけで答えた。


「夜の特別クルーズといこうぜ!」


 チャルは、渋々といった様子で頷いた。制服が濡れるの恐れているのだろうか。彼は、銃がホルダーに入っていることを確認し、ルギーの後ろに跨った。それを合図に、隣国までの道筋を示すように海面が凹む。側から見ると、バイクが水中に沈んでいるように見えた。目線には海が迫る。


 水色の水上オートバイは、海を裂くように静かに滑り出す。ルギーの楽しげな笑い声と、水を吐き出す音が、すごいスピードで遠ざかっていった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ