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5 選ばれた花嫁


冬の王国の神殿──通称、氷の神殿と呼ばれる真っ白な外観の神殿の中は、張りつめた沈黙に包まれていた。


 水壁には、すでに神語の名が浮かび上がり、

 それを神官が声高々に告げるにはすべての神殿との照合が終わらなければならない。

 神託は絶対であると同時に、それゆえに慎重でなければならない。

 こうした手続きがあるからこそ神の言葉に絶対の信頼性がある。


 神官たちは水盆を囲み、春の王国、夏の王国、秋の王国、そして帝国中央神殿との神語の照合を行っていた。王太子ユリウスは、ただ沈黙の中に立ち尽くしていた。


 もう逃げることはできない。

 もう戻ることもできない。

 

頭上で神殿の大鐘が鳴り響いた。

国中に神託があったことを告げる鐘だった。

この鐘が鳴るということは照合が終わったということだ。


セラもこの鐘の音を聞いているだろうか。


神官長が壇上に進み、厳かに告げる。

「神の御心は、こう示されました――」

 短く、静かに。


「王太子ユリウス殿下の花嫁の名はセラ・エルグラン」


その名が響いた瞬間、ユリウスは頭が真っ白になった。自分の心が望み呼んだ名なのか、区別がつかなかった。

願っておきながら全く信じられなかった。


父である王が立ち尽くすユリウスの肩を叩いた。

「エルグラン家には申し訳ないが王太子妃としてこの上ないご令嬢だな、ユリウス。っておい、どうした」


振り向いた我が子を見て父王が戸惑ったのはしかたのないことだった。ユリウスの瞳からとめどなく涙が溢れ出ていたからだった。

「陛下、あぁすみません」

ユリウスは涙をぬぐう。

「大蛇を撃った時でも飄々としていたお前が花嫁の名を授かるのに緊張するとは」

「……よく知っている名だったので、緊張の糸が切れてしまったようです」

心の底から願い続けた人の名だとは言わない方がいい気がした。不正が入り込む余地はなくともこの立場にある人間の些細な言動はどんな波紋を呼ぶか分からない。

それから王族から祝福の挨拶を受けて、一人になるとまだ水壁に残る神語を見つめた。


神よ、

神よ、

神よ、

この私の願いを掬い取って下さってかどうか分かるはずもありませんが心からの感謝を捧げます。


同姓同名の女性ということはあり得ないとはっきりとわかる。この王国、いやこの大陸でエルグラン家といえば一つしかないからだ。

「殿下」

神官長がユリウスに声をかけて来た。

「殿下、お疲れさまでした。緊張なさったことでしょう」

ユリウスはまだ涙で濡れた瞳で神官長を見つめた。

「神官長、本日はありがとうございました。より一層国と神にこの身を捧げて尽力することを誓います」

ユリウスは丁寧に神官長に頭を下げた。

「有名な家門のご令嬢ですから殿下もよくご存じですね?」

「はい、彼女は……学苑の同級生です」

神官長は目を細めて頷いた。

「これからセラ殿に遣いを出します。その後本日中にセラ殿は王宮に入られます」

「セラにはいつ会えますか?」

今日の何時かという意味で訪ねたユリウスに、

神官長は信じられないことを言った。


「そうですね、最初の顔合わせはひと月後になります」


──ひと月後?


「え、え、だって今、今日中に王宮にと」

「はい、花嫁の御身を保護するためにお連れいたしますが、これからセラ様はセラ様の、殿下には殿下のすべきことが、これから結婚式の半年後までに山のようにあります。どうぞすべきことに身をお任せになり、いずれ来る時をお待ちください」


はい、と力なく返事をすると神官長はユリウスに目を細めた。

「殿下、よろしゅうございましたな」

「神官長…?」

「私がこれまで見てきた数々の王族の神託の中で初めてのことです」

ユリウスが涙を流した意味を神官長は見抜いたのだろうか。想う人が神託で選ばれるのは初めて見たと、そう神官長は言いたかったのだろうとユリウスは再び頭を下げた。

本来なら簡単に頭を下げることは良しとされない身の上だったが神に感謝を尽くすようにせずにはいられなかったし、神官長もその思いを汲んで畏れ多くも黙ってその礼を受けているのだった。


ユリウスが水壁の文字に後ろ髪を引かれるように神殿を後にしようとした時、あまりの日差しの強さに今日がすばらしく快晴だということにようやく気が付いた。朝もこんなに青空だったんだろうか。


冬の王国の夏は短い。

いつも惜しむように夏を見送りすぐに来る雪の季節に備えることになる。が、ユリウスは冬が待ち遠しかった。半年後、もっとも雪が深い季節を迎える頃に結婚式を挙げることになるからだ。


その時、

「神官長!」

水盆を清めていた神官が大声で神官長を呼んだ。

「帝国の神殿からです!」

ユリウスはその声を背中に聞いて、振り返った。なんとなく胸がざわつく感じがした。


神官たちが水盆に集まっていた。

ただならぬ雰囲気にユリウスは再び神殿の中に足を踏み入れた。

「どうかしたのですか?」

ユリウスが尋ねると、神官たちの視線が一斉にユリウスに注がれた。それから神官たちは神官長の反応を伺った。

神官長は水盆の中をしばらく見つめ、顔を上げるとユリウスの前に来た。

「殿下に関わることですから申し上げましょう」

ユリウスは無言で続きを促した。


「帝国のレオニス皇太子殿下が、セラ殿は自分の花嫁だと主張されています」


レオニスが、なんだって?

レオニスの20歳の神託はちょうど一月後のはず。

俺は目眩のような感覚に襲われて目頭を押さえた。友人のエヴァンが「大丈夫か」と支えてくれたのが分かった。


「皇太子殿下の主張はこうです、

1年前の誕生日に非公式ながら花嫁の神託を受けた、と」


1年前?昨年の8月に神託を受けたというのか?

なんのために?


「待って下さい。花嫁の神託は大陸中の全ての王族と皇族が見守るのが慣例ですよね。私はそれを見ていません」

そう、自分はその神託に立ちあっていない。

ユリウスが主張すると神官長はゆっくり首を振った。

「ですから非公式なのです。今日の殿下のように20歳の成人の儀の一環で行われる神託には各国の神殿に王族みなさまもご列席されますが」

「なら!非公式なら無効でしょう?」

「儀式としては非公式ですが、神託は本物です。内容の大小に関わらずに全ての神殿に同じ神託が下され、そしてそれを記録しています」

神官長は神託の記録をめくり、ここですとユリウスに掌で指示した。

「実は本日の神託を発表するまでに確認に時間がかかったのはそのためでもありました。1年前にセラ殿の名前を神託で告げられたことは記録を見るまでもなく、全ての神官が覚えておりますから」

神託の記録は公式文書ということで帝国語で記録されていたがユリウスには難なく読めた。

たしかに、セラの名前だった。


同姓同名ではないのか?

一瞬の考えを頭を振って打ち消した。エルグラン家はこの大陸に一つだと、さっき自分は歓喜したばかりではないか。


「神殿側はどのように判断するのでしょうか」

ユリウスは指先が冷たくなるような心地がした。

「神はその時その時で最適な答えを授けて下さいます。神はセラ殿の名前を二度告げたわけですが、世界の状況が変わり、ユリウス殿下に相応しいと神が判断したのだと、我々はそう判断いたしました。ですからそう発表したわけです」


「しかしながら帝国の皇太子殿下から待ったがかかってしまいましたので、神のご意志を我々は改めて協議しなくてはなりません」


「それは、私に下された神託は保留に、場合によっては取り消しになるのでしょうか……」


「いえ、殿下の花嫁はセラ殿です。神が今下された最新の神託が神のご意志と私どもは判断いたします」


「帝国の皇太子殿下から待ったがかかっておりますので、高位神官で神殿側の統一見解を文書で皇太子殿下にお伝えすることになります」


「レオニスが納得しない場合どうなるのでしょうか」


「私が知る限り、神が一人の女性の名を2度告げたことはないと思います。前例がないことですから慎重にすすめたいと思います」


「セラはどうなるのでしょうか」

本当なら、冬の王国の王太子妃になるべく忙しくやるべきことに追われて過ごすことになるという話だった。

それはどうなるのだろう。


「セラ様にはお伝えせねばなりませんが、まずは殿下の花嫁として神託が下されたことをお伝えしなくてはなりません。予定よりも随分と遅い使者を遣わすことになりましたが、慣例に従って予定通り王城で保護していただき、我々から事態のご説明申し上げる所存です。気を揉まれるでしょうけど我々にひとまずお任せ下さい」


「よろしくお願いします」


神よ、一度喜びを与えておきながら俺からセラを奪うおつもりなのですか。いや、セラを奪うのは神ではない。レオニス──君は一体どういうつもりで……


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