3・神託
── 現在 冬の王国 神殿
「水壁に、名前が現れました」
そう言った神官は学苑の小学部からの友人のエヴァンだった。儀式だから言葉を交わすことはないけど、エヴァンは俺を見てほんの少し口の端を上げたように見えた。
俺はゆっくりと水壁を見上げて浮かぶ文字を見つめた。水壁に映るその文字は、淡く光りながら揺れている。
神語──俺には読めない。
けれど、その一文字一文字が、俺の未来も、人生も、そして……愛も、変えてしまうものだという確信だけはあった。
神官たちが集まり、内容を確認し合い、さらに他国の神殿と水盆で連絡を取り合う。この瞬間、大陸中の神殿の水壁にも、同じ名が浮かんでいる。
それが「神の御心」であると、すべての神殿で確認するまで、この場は終わらない。
俺は静かに息を吐く。
──これまでの王たちも、こうして水壁の前に立ったのだろうか。
己の意志で選べない婚姻。
愛を諦め、代わりに民を守る覚悟を背負った者たち。
もしかしたら、皆、選ばれなかった誰かへの想いを胸の奥に隠したまま王座に座ったのかもしれない。
そして、嫁いでくる女性もまた誰かを想い続けながら、この運命の輪の中に足を踏み入れるのかもしれない。
俺は水壁を見つめ、ゆっくりと目を閉じた。
神よ……誰の名であっても、この王太子ユリウス、心を尽くしてその女性を愛し、共に歩みます
それでも──
これが人生最後の願い事と思って俺は強く祈った。
それでもどうか、あなたに心があるのなら。
この祈りを捧げる俺に、ほんのひとしずくだけでも情けをかけて下さいませんか。
神官たちのやり取りはまだ続いている。
大陸中の王や皇族が、この瞬間を見守っているのだろう。逃げ出したい衝動と、ただ立ち尽くすしかない現実の狭間で、俺は動けないでいた。
視線の先で、淡く揺れる神語。
その意味は、俺には分からない。
心の中でこれが生涯最後の願いと決めて祈ったのは言うまでもない。
──どうか、その名がセラ・エルグランでありますように。