2 •ありし日の図書室
──回想 王立学苑 ある日放課後の図書室
西日に染まったステンドグラスが、机の上に淡く色を落とす。
静かすぎて、時計の針の音が聞こえるほど。
そんな中、私は向かいに座るユリウスと教科書を開いていた。
けど、正直まったく頭に入っていなかった。
ユリウスの銀髪が夕日に染まっているのがきれいでそっと盗み見る。
盗み見ているつもりが目が合って誤魔化すように言った。
「今日はレオニスはいないの?」
ユリウスは肩をすくめた。
「あぁ、セラに言ってないのか。帝国の行事で今日明日は帝国に帰ってる」
「そ、そうなんだ。レオニスがいないと静かね、なんだか」
「あいつは口を閉じるってことを知らないからな。あれで国民の評判は冷静沈着、才徳兼備なんて言われてんだから」
「いいじゃない、立派だわ、そう思われるように振舞うって」
「まぁ、俺たちは国民に心配させるわけにはいかないからな」
「我が国の王太子殿下も国民は温厚篤実で才気煥発だと大きな信頼を寄せてます」
「そう?ならそう見えるように頑張ってる甲斐があるかな。まぁ俺としては、目の前の人がどう思ってくれてるかの方が興味あるけど」
ユリウスのこういう所がこの頃苦手だ。特に、こういう時の瞳が。
「私?そうね、だれよりも精励恪勤だと思うわ。ユリウス、あなたは本当に努力しているもの」
「真正面から褒められると思わなかったな。聞かなきゃよかった」
そう言ってユリウスはペンを走らせ勉強を始めたようだった。
帝国皇太子殿下がいる時の方が気が楽だなんてどうかしていると自分でも思うけど、ユリウスと二人というのはどうも落ち着かない。
用もなく書架を眺めながら歩いていると、自然と手に取ったのは革装丁の絵本――『創世記』。
子どものころ、誰もが読む絵本だった。
「創世記、読んだことある?」
振り返ると、いつの間にかすぐ後ろにユリウスがいた。
「当たり前、この絵本を読んだことない子どもはいないわ。勇者ライアが魔物を倒して女神ルミナと結ばれて帝国ができたんでしょう?で、ライアと一緒に戦った四体の神獣が四つの王国の最初の王になった。つまりあなたのご先祖ってわけね?」
「まぁ、だいたい合ってるけど、端折り過ぎ」
そう笑いながらユリウスは「ちょっと座ってて」と書架の奥に消え、やがて分厚い本を抱えて戻ってきた。
しかも、なぜか私の隣に腰を下ろす。距離が近い。近すぎる。
「これが本当の創世記、王族や皇族が読むやつ」
「一般人は読んじゃだめなやつ?」
「いや、王族や皇族は子どもの時から読まされるって意味」
彼がページを開くと、びっしりと帝国語の文字が並んでいた。
「帝国語、ハードル高…」
「大丈夫。分からなかったら手伝うから。帝国語B評価でも読めるはず」
「ちょっと?」
「さあ読んで読んで」
セラは仕方なく声に出して読み始めた。
世界が闇に包まれていた時代。
ただ人を守りたいと願いはびこる魔物を討つ旅に出た青年ライア。女神ルミナがその助けにと四体の神獣を遣わした――氷狼ノル、春鹿フレア、火鳥ザン、大熊トゥア。
勇者ライアは大地から魔を一掃し、女神はライアに祝福を与えてこの大地の最初の王とした。
重厚な文体と美しい挿絵で絵本よりずっと生々しく物語が迫ってくる。
セラはチラりとユリウスを見た。
「ん?大丈夫、よく読めてる」
「これをあなたたちは小さい頃に読むなんてすごいわね」
「これで帝国語の基礎を覚えるからね。ここまでが絵本にもなっている部分」
セラは続きの部分を再び声に出して読み出した。
しかしそうした女神ルミナの行動の数々に父なる神は怒り、ルミナは力を奪われ地上に堕とされた。
エルフに保護され人の足では踏み入ることのできない幻惑の森に身を隠した女神ルミナ。
四体の神獣はライアを突き動かしルミナを探す旅に出た。
ページをめくると森の奥深いところの泉で出会う二人。人であるライアが森に踏み入ることができたのは神獣の加護によるものか、あるいはルミナを求める愛の力だったのか。
「私はもう、あなたの力になったかつての女神ではないのです」
震え泣くルミナをライアはしっかりと抱きしめる絵はとても美しかった。
「力がなかろうと構いません、私はあなたをずっと求めていました。あなたを心から愛しています」
二人はその場で結ばれ、その時ルミナに命が宿った。
現在の帝国の皇帝の祖となる命だった。
ライアは周辺民族をまとめ上げ帝国を築いた。
そしてルミナは微かに残る力の全てで神獣を人の姿に変え、荒れ果てた大陸を豊かにするよう王国を築いて王とした。
しかし再び神の怒りに触れる。
神の娘であるルミナの体に人の精を注ぎ込んだライアに対し、また神の血から作られた神獣を人に変えたルミナに対し。
こうした神の怒りを鎮めるために神と人は盟約を結ぶことになった。
女神と神獣の末裔は、神に許された者とだけ結ばれると。
ここまで読んでユリウスが口を開いた。
「だから、王族や皇族は神託で結婚相手が決まるんだ」
天上の神と、地上で跪く皇帝と四人の王の絵を見つめるユリウスの横顔から笑顔は消えていた。
ユリウスはこの物語を私に読ませた理由がわかった気がした。王位継承者が神託で花嫁が決まることを知らない民はいない。それが神との盟約だからだと言いたかったのだろう。
彼が私に友達ではない感情を抱いていることは気がついている。
それでも私はしっかり線を引いてきた。
「あなたはきっと、神託の花嫁を愛して幸せになれるわ」
そう告げると、ユリウスは何も言わなかった。
その沈黙が、胸に刺さる。
「さて、本を戻してくるよ」
そう言うと彼は本を抱え、席を立ってしばらく戻ってこなかった。