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第6章 観察者の視線

 翌日の昼休み。

 俺はいつものように窓際の席で、購買で買った焼きそばパンにかぶりついていた。

 

 これが俺の日常、俺の平和。

 そう信じて疑わなかった、数分前までは。


「悠希くん、一緒に食べよ♡」


 背後から聞こえてきた甘い声に、俺は危うく焼きそばパンを喉に詰まらせそうになった。

 振り返ると、そこには手作りっぽい可愛らしいお弁当箱を持った白雪ここあが、にこやかに立っていた。


 俺は気づいてしまった。

 彼女の瞳に、微かな安堵の色が浮かんでいることを。

 まるで、俺を見つけてホッとしたような。


「なんで俺の席に?」

「悠希くんのいる場所が…………なんか、一番落ち着くの」


 その答えは、いつものような計算された甘さではなく、本当に困惑しているような口調だった。


 ここあは、俺の隣の空いている席(普段は誰も座らない、俺のパーソナルスペースの一部と化している席)に、当たり前のように腰を下ろした。

 その際、制服のスカートが微かにめくれ上がり、ニーハイソックスとの間に見える太ももの素肌がチラリと見える。


「今日も手作り?」


 俺が尋ねると、ここあが嬉しそうに頷く。


「うん。なんでだろう……悠希くんに食べてもらいたくて、朝早く起きちゃった」


 その告白に、彼女自身が困惑したような表情を見せる。

 まるで、自分の行動の理由がわからずにいるような。


 お弁当の蓋を開けると、色とりどりの、いかにも女子力高そうなおかずがぎっしりと詰まっている。

 卵焼き、唐揚げ、ミニトマト、枝豆――全てが丁寧に作られている。


「はい、あーん♡」


 次の瞬間、ここあは自分の弁当から、綺麗に焼き上げられた卵焼きを箸で掴み、俺の口元に差し出してきた。

 教室中の空気が凍りつくのが分かった。


「え、ちょ、ちょっと待て」


 俺は慌てて身を引こうとする。

 その瞬間、ここあの表情に一瞬の――寂しさ?――が浮かんだのを見逃さなかった。


「嫌……?」


 その小さな声に、俺の心臓が痛んだ。

 いつもの甘い調子ではなく、本当に不安そうな声。


「いや、嫌じゃないけど……」


 俺がそう答えると、ここあの顔がパッと明るくなる。


「遠慮しないで♡」


 有無を言わさぬ笑顔で卵焼きを俺の口に差し出してくる。

 甘くて、ほんのり出汁の味がする。

 本当に美味しい。


 それ以上に気になったのは、俺が卵焼きを受け入れた瞬間の彼女の表情だった。

 長い間求めていた承認を得られたような、深い満足感。


 ザワッ…………!


 教室中の男子生徒たちが、一斉にこちらに注目している。

 その視線は、もはや嫉妬を通り越して、怨念に近い何かを感じさせる。


「マジかよ…………」

「なんで春野なんだよ」

「世の中不平等すぎるだろ、おい!」


 心の声がダダ漏れだぞ、お前ら。

 気持ちは痛いほど分かるが。


 そんな地獄のような状況を破ったのは、またしても彼女だった。


「悠希、あんたその子といると、まるで別人みたいになるね」


 いつの間にか現れていた鷹宮凛が、腕を組んで俺と白雪ここあを交互に見ながら、面白そうに、いや、若干心配そうに言った。


「別人って…………そんなことないだろ」

「そう?  いつもはもっとこう、近寄りがたいオーラ出してるじゃない。今はなんか、ただのタジタジな男の子って感じ」


 凛の言葉に、俺は内心ドキリとする。

 確かに、白雪ここあと一緒にいる時の自分は、普段の自分とは違うような気がする。


「それに、白雪さんも」


 凛がここあを見つめる。


「いつもの完璧な笑顔じゃなくて、なんか……普通の女の子みたい」


 その指摘に、ここあがハッとしたような顔をする。


「わたし……変、かな?」


 その不安そうな声に、俺は思わず答えていた。


「変じゃない。むしろ、そっちの方が……」

「そっちの方が?」


 ここあが期待するように俺を見つめる。


「……自然で、いいと思う」


 その瞬間、ここあの顔が真っ赤になる。

 それは演技ではない、本物の恥じらいだった。


「悠希くん、次は何がいい? 唐揚げ? それともミニトマト?」


 ここあはそう言いながら、また箸を伸ばす。

 その手が微かに震えているのを俺は見逃さなかった。


 嬉しくて仕方がない、同時に自分の感情が理解できずに困惑している――そんな複雑な心境が表情に現れている。


 その時、教室の入り口に人影が見えた。

 弓月先生だった。

 彼女は廊下から、意味深な視線で俺たちを観察している。


 弓月先生と目が合った瞬間、俺は背筋に寒気を感じた。

 まるで、実験動物を観察する研究者のような、冷静で計算的な視線。


 ここあが俺の唐揚げを口に運ぼうとする瞬間、弓月先生がかすかに微笑んだのを俺は見た。

 まるで、予想通りの展開を見て満足しているような。


「美味しい?」


 ここあが上目遣いで俺を見つめる。

 その瞳には、純粋な期待と、それから――自分では説明のつかない感情への戸惑いが混在していた。


「ああ、すごく美味しい」


 俺がそう答えると、ここあは本当に嬉しそうに微笑んだ。

 そしてその背後で、弓月先生がまた何かを書類に記録しているのを俺は見逃さなかった。


(何かがおかしい)


 俺の直感が警告を発している。

 この状況、ここあの異常な行動、そして弓月先生の観察――全てが、何かの計画の一部のような気がしてならない。


 ああ、俺の胃袋は満たされていく。

 それと反比例するように、心の中の疑問はどんどん大きくなっていく。


 この甘い誘惑の裏に、一体何が隠されているんだ?

 

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