第5章 雨宿りの誘惑
数日後の放課後。
俺と白雪ここあの奇妙な関係は、依然として継続中だった。
いや、むしろエスカレートしていると言ってもいい。
学園中の好奇と嫉妬の視線にもすっかり慣れてしまった自分が怖い。
慣れって怖い。
だが、それ以上に気になることがあった。
ここあの行動が日に日に大胆になっていく一方で、時折見せる困惑した表情。
まるで、自分でも自分の行動が理解できずにいるような――。
その日は、朝から空模様が怪しかった。
そして下校途中、ついにザアッとバケツをひっくり返したような雨が降り出した。
天気予報くらいチェックしとけよ、俺。
折り畳み傘なんて気の利いたものは、当然持っているはずもない。
「わっ、すごい雨!」
隣を歩いていた白雪ここあが、小さな悲鳴を上げる。
俺たちは慌てて近くにあった古びた神社の軒下に駆け込んだ。
この神社は、俺が時々読書に来る場所でもある。
誰も来ない、静かで落ち着く場所だ。
石段は苔むしていて、古い石灯籠が並んでいる。
幸い、拝殿の軒下は雨宿りには十分なスペースがある。
「はぁ、はぁ……」
息を切らしながら立ち止まるここあ。
その瞬間、俺は彼女の様子がいつもと違うことに気づいた。
この場所に来て、明らかに表情が和らいでいる。
まるで、緊張の糸が切れたような。
「いっぱい濡れちゃった♡」
ここあが、自分の制服を見下ろしながら声を上げる。
白いブラウスが雨に濡れて、肌にぴったりと張り付いている。
そして、その下に着ている淡いピンクのブラジャーが――うっすらと透けて見えていた。
胸の膨らみが生地に押し付けられ、その形がくっきりと浮かび上がっている。
「悠希くん、見ないでよ♡」
そう言いながらも、彼女は特に隠そうとする素振りも見せない。
むしろ、俺の反応を窺うように上目遣いで見つめてくる。
だが俺は、彼女の表情の変化に注目していた。
この神社に来てから、いつもの完璧な笑顔ではなく、もっと自然な、安らいだ表情になっている。
「ねぇ、悠希くん」
ここあがふと、俺を見つめて言う。
「この場所、なんだか懐かしい感じがする……」
「懐かしい?」
「うん。でも、なんでだろう? 来たことないはずなのに」
その時、ここあの瞳に一瞬、困惑の色が浮かんだ。
まるで、自分でも理解できない感覚に戸惑っているような。
「寒い…………悠希くん、温めて♡」
次の瞬間、白雪ここあは俺の腕に、ぎゅっと抱きついてきた。
濡れた制服越しに、彼女の体温と、信じられないくらい柔らかい胸の感触が伝わってくる。
雨で濡れたブラウスが俺のシャツに張り付き、彼女の肌の温もりがダイレクトに伝わってくる。
「あ……」
俺に触れた瞬間、ここあの表情が変わった。
まるで、長い間求めていた安らぎを得たような――深い安堵の表情。
「なんで……悠希くんに触ると、いつもこうなるの?」
彼女が俺にだけ聞こえるような小さな声でつぶやく。
「こうなるって?」
「心が……静かになる。いつも頭の中でざわざわしてるのが、ぜんぶ消えて……」
ここあは俺の胸に顔を埋めながら続ける。
「怖いの。なんで悠希くんの前だけ、わたし、こんなに……」
その声は震えていた。
甘い誘惑ではなく、本当に困惑し、恐れているような。
「あ、悠希くんも濡れてる。風邪ひいちゃう」
慌てたように、いつもの調子に戻ろうとするここあ。
ポケットから可愛らしい刺繍の入ったハンカチを取り出し、俺の髪を拭こうとしてきた。
その時だった。
彼女がぐらりとバランスを崩し、ほとんど俺の上に倒れ込むような形になった。
「あ…………」
ここあが、潤んだ瞳で俺を上目遣いに見つめる。
二人の顔が、数センチの距離で向き合っている。
彼女の甘い吐息が、俺の頬にかかる。
雨の匂いと、彼女のシャンプーの香りが混じり合って、頭がクラクラする。
その距離で、俺は彼女の瞳をじっと見つめた。
そして、気づいてしまった。
その瞳の奥に、深い孤独が潜んでいることを。
「悠希くんといると…………なんか、変な気持ちになる♡」
彼女の囁くような声。
だが、その言葉の裏に隠された真実を、俺は感じ取っていた。
「変な気持ちって、どんな?」
俺の問いに、ここあは一瞬、言葉に詰まる。
「わからない……でも、悠希くんと一緒にいると、初めて……初めて、『ひとり』じゃない気がするの」
その告白は、あまりにも切実だった。
「ひとり? お前、いつも皆に囲まれてるじゃないか」
「うん。でも、みんな『白雪ここあ』を見てるの。わたしじゃなくて、『完璧なわたし』を」
ここあの声が小さくなる。
「でも、悠希くんは……悠希くんだけは、わたしを見てくれてる気がするの。『白雪ここあ』じゃなくて、わたしを」
雨音だけが響く中、俺は彼女の言葉を受け止めていた。
(そうか……彼女は、ずっと一人だったんだ)
完璧な美少女として祭り上げられ、でも本当の自分を理解してくれる人は誰もいない。
そんな孤独の中で生きてきた少女。
「悠希くん……」
ここあが俺の名前を呼ぶ。
その声は、いつもの甘い調子ではなく、本当に切ない響きを含んでいた。
「わたし、おかしいのかな? 悠希くんの前だと、自分じゃないみたいになっちゃうの。でも、それが……それがすごく、安心するの」
涙が一筋、彼女の頬を伝って落ちる。
ザーザーと降りしきる雨音だけが、やけに大きく聞こえる。
まるで、この世界に俺たち二人だけが取り残されたような、そんな錯覚。
俺は確信した。
この少女の孤独も、俺への異常な執着も、そして俺が彼女に感じる不思議な親近感も――何かが、俺たちを結びつけている。




