名もなき怒りに名をつけて
その夜
「すみません、俺たち旅の者で……」
たすくは村の門番らしき男に頭を下げた。
「日中も来たんだけど俺たち金、一切なくて。でも……この子たち(オーク)と一緒でいいんで、一晩だけでも泊めてもらえませんか?」
門番は、ジロリとたすくたちを見下ろした。
痩せた旅人と、ぽっちゃりの豚タヌキ、そしてモフモフした小動物。
「……ふん。弱そうだな」
心の中で男は呟く。
“金も力もなさそうだ。オークを盗もうにも、担いで逃げる体力もないだろう”
「――一夜くらいならいいが、金がないなら明日にはさっさと出ていけ」
「うっす!あざーす!」
たすくは即答し、満面の笑みを浮かべた。
そして夜――
たすくは、繋がれたオークたちの小屋に向かい、そっと声をかける。
「よぉ、こんばんは。隣、空いてる?」
声に応じる者はいない。
だが、たすくは笑って藁の上に座り込んだ。
「ここ……あったかいな。てかさ、寝てるとこ失礼だけど、ちょっとだけ話、聞いてくれない?」
沈黙の中、微かに動いた耳。
それだけで十分だった。
「……俺たち、ちょっとだけ、お前らと一緒にいてもいいかな」
小さな焚き火の火が、たすくの顔を照らしていた。
――パチッ。パチッ。
かすかに火花を跳ねる小さな焚き火の前で、たすくは膝を抱えて座っていた。
その隣には、鎖につながれた数体のオーク。
誰も喋らない。ただ、焚き火の明かりがぼんやりと揺れていた。
「……えーっと、俺、たすくって言います」
誰からの反応もない。
それでも、たすくは勝手に語り始めた。
「俺さ、前はぜんっぜん別の世界にいたんだよ。毎日働いて、怒られて、また働いて。
……でも今は、ちょっとだけ偉い“村長”なんだ」
「ぴぃ(はちゃめちゃな村長な……)」
横でタローが小さく呟くが、誰も聞いていない。
「村には、まごじぃとかふくさんとか、ドマジィとか個性あふれすぎてる人がたくさんいてさ。
……あったかいんだよ、あの場所」
オークたちは何も言わない。
だが、焚き火の火が一瞬、誰かの瞳に反射したように見えた。
「王都ってところもあってさ、全部消えた。いや、“浄化”された、って言った方が正しいかな」
「神ってるやつが腐ったもの全部吹き飛ばしてくれてさ。あれ、タローだったんだけど」
「ぴぃ(照れるって)」
「で、港ではタコと戦って――いや、戦ったのは俺じゃなくて、ポンとタローがね」
「タコの魔獣に捕まってたアイスっていう竜を助けたんだ。すげぇ美人だったよ、アイス」
「ぴぃ(……ドキドキした)」
「くそ…振られたポン」
たすくは、少し笑ったあと、膝に手を置いた。
そしてぽつりと、言葉を落とす。
「……あれ? 俺、けっこう、喋ったな」
沈黙が落ちる。
焚き火の火がゆらゆらと揺れる。
たすくはオークたちをゆっくり見回した。
そして、やさしく声をかけた。
「次は、お前たちのことを教えてくれよ」
その声に、長く沈黙していた老オークが、かすかに唇を動かす。
かすれた声が、ゆっくりと夜の小屋に満ちていった――。
⸻
焚き火のはぜる音だけが、しばらくの間、夜を支配していた。
やがて――
誰かが、小さく呟いた。
「……ここは……もともと、オークの村だった」
たすくが、顔を上げる。
老いたオークの口元が、震えていた。
「ずっと、静かに暮らしていた。狩りをして、火を使い、土を耕して……子を育てて」
隣のオークが、うつむいたまま、低く続ける。
「けど……ある日、いきなり人間が攻め込んできた」
「俺たちは……武器を持たない。戦わないと決めた種族だった」
「なのに、子どもまで……連れていかれた」
声が震えている。怒りか、悲しみか、それとも言葉にできない絶望か。
ぽつり、ぽつりと、オークたちは語り出す。
「俺たちがいつ、人間に危害を加えた?」
「誰かを殺したか?家を焼いたか?……してねぇよ……!」
「なんで……なんで仲間が食べられなきゃいけないんだよ……」
「何をした?俺たちが一体……何をしたんだよ……!!」
火の粉が舞う中で、誰かが、静かに拳を握った。
誰かが、ひそかに涙を流した。
けれど、誰も声を荒げなかった。
それほどまでに、この村での“日常”が、長く、深く、彼らを沈めていた。
たすくは、じっとその声に耳を傾ける。
胸の奥がぎゅっと締めつけられた。
怒りじゃない、悲しみじゃない。
――「申し訳なさ」だった。
人間のひとりとして。
知らなかったことの罪を、今、全身で感じていた。
やがて、たすくはそっと呟く。
「……お前たちが悪くないの、今のでよくわかった」
「ぴぃ……」
「誰かが、おかしいって言わなきゃ。ずっとこのままだ」
焚き火の奥、柵の向こうで、痩せ細った若いオークがこちらを見つめていた。
その目に――ほんの、ほんの少しだけ、“光”が灯っていた。
そしてたすくは、静かに立ち上がった。
「この村――絶対ぶっ壊す。明日、夜明けとともに」
ポンが、鼻を鳴らして言った。
「夜明けに、ぶちかますポン」
「ぴぃ!!」
⸻
夜も更け、冷たい風が野を撫でていく。
焚き火の赤い灯がゆらゆらと揺れる中、ポンが何やら竹筒を取り出した。
「じゃあ、この茶を飲むポン」
「……はぁ? また変なのじゃないだろうな?」
警戒するたすくに、ポンは真顔で頷く。
「大丈夫ポン。副作用はないポン」
「いや、“ある”やつの言い方なんだよ……」
そう言いつつも、たすくは竹筒を受け取り、中の液体をぐいっと一口飲んだ。
――直後。
「ぶはっ……げほっ、しょっぱいっっ!!」
思わず噴き出し、咳き込むたすく。
「な、なんだこれ!? 塩か!?海水か!?」
するとポンが、鼻をピクリとさせながら誇らしげに言った。
「この前のマンモスの涙だポン」
「うぇぇぇぇぇぇっ……!!」
たすくは肩を震わせながら顔をしかめたが、なぜか胸の奥に、じんわりと力が湧くような感覚が広がっていた。
「……でも、なんか……力が……あふれてきたような……」
「それは気のせいポン」
「おい!!」
ポンはケロッとした顔で焚き火を見つめていた。
何が本当で、何が冗談なのか。相変わらず掴みどころのない大タヌキに、たすくは思わず頭を抱えた。




