編みかけのセーターと、甘い豆
雪が深々と降る、静かな午後だった。
たすくの家の戸が、バンバンと激しく叩かれた。
扉を開けると、そこには雪まみれのふくの姿があった。肩で荒く息をしながら、必死に叫ぶ。
「たすくさん! はつえさんが……!」
その声に、たすくの胸がざわめいた。
足元にあった薪を蹴飛ばしながら、外へ飛び出す。雪を踏みしめ、風を切り、真っすぐに――はつえばあちゃんの家へ。
小さな家の、畳の間。
布団の中に横たわる、もっと小さくなったはつえばあちゃんの姿があった。
その傍には、まごじい、ドマじぃ、そして村の人たちが集まっていた。
誰もが沈黙し、ただ、時を止めたように見つめていた。
「末裔の秘伝の薬を……っ、使えんのか!?」
誰かの切羽詰まった声に、ドマじぃが首を振った。
いつも飄々としていたその顔には、深い陰が落ちていた。
「……寿命には……効かん。命の火が尽きる前には、もう何もできんのじゃ……」
「……そんな……じゃあ、どうすれば……!」
たすくの声が震えた。
受け入れたくなかった。
もっと話したいことがあった。
まだ、春になってもいないのに。
そのとき――
「……あら、たすくちゃん……いらっしゃい……」
はつえばあちゃんが、ゆっくりとまぶたを持ち上げた。
その瞳は、雪のように澄んでいて、やさしく揺れていた。
「……そこにね……甘い豆、煮てあるから……食べなさいな」
その言葉に、思わずたすくは笑いそうになって――でも、喉の奥がつまって、笑えなかった。
あのときと同じ、いつもと変わらない声。
だけどその声が、あまりに儚くて、怖かった。
「……セーターね……まだ編めてないのに……」
そう呟いたあと、はつえの手が小さく震えた。
たすくはそっとその手を握る。
冷たかった。けれど、まだぬくもりが残っていた。
「……あぁ、なんだか……眠くなってきたよ……」
「ねぇ、たすくちゃん……ちょっとだけ……ちょっとだけ、眠ってもいいかい……?」
たすくは、言葉を返せなかった。
強くなろうとしても、喉が詰まり、声が出ない。
ただ、はつえばあちゃんの手を、いつまでも――いつまでも、離さなかった。
そして、その日は――
はつえばあちゃんには、訪れなかった。
⸻
それから、いくつもの夜が過ぎた。
村には、まだ冬の名残があったが、空気はどこか柔らかくなっていた。
雪解け水が土を潤し、遠くから春の足音が聞こえてくるようだった。
たすくは、はつえばあちゃんの家を訪れた。
もう、そこに彼女の姿はない。
けれど、机の上には――ひとつの包みが残されていた。
ふくがそっとそれを差し出す。
「……これね、はつえさんが最期まで、編んでたの。あなたに、って」
たすくは黙って受け取り、包みを開いた。
中には、途中まで編まれたセーター。
不揃いな目、ところどころ緩んだ毛糸。
でも、それは――とても、とても、あたたかかった。
「……未完成、だけどね」
ふくがぽつりと呟いた。
たすくは、そのセーターを抱きしめた。
「未完成なんかじゃねぇよ」
その手のぬくもりも。
言葉も、笑顔も、甘い豆の匂いも。
全部、たしかにここに残ってる。
「……ありがとな、はつえばあちゃん」
そして春が来た。
モールには、人が集まり始めていた。
かつての仲間たち、希望をもう一度信じたいと願う者たちが、働き、笑い、暮らしていた。
たすくはその入口に、ひとつの看板を追加した。
「はつえの部屋」――村いちばんの知恵袋の名を残して。
みんなが迷ったとき、ここで話せば答えが見つかる。
そんな、小さな相談所を。
たすくは今日も、胸の奥にあの言葉を抱いている。
――「ちょっとだけ、眠ってもいいかい?」
うん、もう少しだけ眠ってていいよ。
でもいつかまた、夢の中でも話そうな。
セーターの続きも、甘い豆のレシピも――
俺は、ちゃんと覚えてるから。




