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パンと、生きる力を

冷たい風が、頬を刺す。


 


たすくとサクは、ようやく国のはずれ――

廃墟が連なる区域の一角にたどり着いた。


 


目の前にあるのは、壁も扉も崩れかけた建物。

瓦礫が積み上がり、もはや“住居”とは呼べないような場所だった。


 


「……ここが、お前が言ってた“隠れ家”か」


 


たすくが呟くと、サクは静かにうなずいた。


 


中にいたのは――子どもたちだった。


 


でも、その姿はあまりにも静かで。

声もなく、動きもなく、ただそこに“置かれて”いるようだった。


 


ひとり、裸足のまま膝を抱える子。

ひとり、布切れの下で微かに震える幼い子。

唇は紫色に近く、目はどこも見ていない。

まるで、生きることすら、もう忘れかけているようだった。


 


「……っ」


 


たすくは、すぐに荷車を下ろした。

サクも無言でそれを手伝い、包みに手をかける。


 


そして、たすくはパンをひとつ、目の前の少年に差し出した。


 


「……ほら。食えよ。あったかいぞ」


 


でも、少年は動かなかった。

手を伸ばすことすら、もうできなかった。


 


たすくの手が震える。


 


「……なんで、こんな……」


 


そのとき、サクがそっと言った。


 


「ただ渡すだけじゃ、伝わらないんです。

“食べていいんだ”って、教えてあげなきゃ」


 


たすくは、もう一度、少年のそばに膝をついた。

そして、自分の手でパンをちぎり、そっと口もとに運ぶ。


 


「……ほら、あったかいから。……食べてくれ」


 


唇に当たった瞬間、少年がピクリと反応した。

ほんのひとかけら、ゆっくりと、口の中へ。


 


その目に――かすかに、光が戻った。


 


「……食べられる……の?」


 


かすれた声が、空気を震わせた。


 


「おう。いくらでもある。……おかわりだって、していいんだ」


 


たすくが笑う。

サクも荷車を開き、パンをひとつずつ、子どもたちの前へ置いていく。


 


「さあ、朝食の時間だ。あったかいうちに、召し上がれ」


 


ゆっくりと、子どもたちが手を伸ばし始めた。

指が震えていた。

でもその先には、確かに、生きるという行為が戻りつつあった。


 


たすくは、胸の奥が熱くなるのを感じていた。


 


――パンで、命がつながった。


 


それは魔法じゃない。

でも、確かに奇跡だった。


 


 


そんな中、一人の少年が歩いてきた。

年の頃は、十歳くらい。


 


頬はこけ、骨ばった肩。

ボロボロのシャツには、かろうじて袖が残っているだけだった。


 


たすくとサクの前に立つと、少年は一瞥もくれず、地面をにらんだままつぶやいた。


 


「……哀れだってか?」


 


たすくが動こうとしたその時、少年が顔を上げた。

その目は、鋭く、そして深く、何も信じていなかった。


 


「……俺たちが、そんなに惨めか?

パン? 施し? あんたら、善人ぶってるだけだろ。

自分に酔ってんじゃねーよ」


 


サクが少し眉を寄せる。

たすくは、黙って聞いていた。


 


「バカじゃねーの。……毎日毎日、俺たちだって必死なんだよ。

飢えに耐えて、凍えて、泣く暇もねぇ。

なのに“パンあげます、あったかいです”だぁ?」


 


声が震える。怒りなのか、寒さなのか、もうわからない。


 


「……変な希望、与えんなよ。

中途半端な優しさなんて、一番痛ぇんだよ。

……だったら、最初から――ほっとけよ」


 


 


 


沈黙が落ちる。


 


でも、その沈黙を破ったのは、たすくだった。


 


彼は、ゆっくりと前に出た。


 


そして――怒鳴った。


 


「ほっとけねーよ!」


 


少年がびくりと肩を揺らす。


 


「俺は、今日この場所に、“パンを配りに”来たんじゃねぇんだ。

“命をつなぎに”来たんだよ。

お前たちを、助けに来たんだよ!!!」


 


目を見開く少年。


 


たすくは、静かに、でもはっきりと言った。


 


「だから――お前がどんな言葉をぶつけてきても、俺はここにいる。

腹が減ってるなら、食え。

怒ってるなら、怒れ。

でも、生きろ。それだけは、譲らねぇ」


 


少年の喉が、ごくんと鳴った。


その目に、うっすらと涙がにじんでいた。


 


「……うるせぇよ……」


 


少しだけ沈黙が落ちた――そのときだった。


 


「おい、そこで何をしている!」


 


怒声が響く。

振り返ると、軍服を着た兵士たちが2人、こちらに向かってきていた。


 


「あいつ……! また来てやがったな」


 


その視線の先には――

さっきの少年がいた。


 


兵士の一人が少年の腕をつかみ、もう一人が手に持っていたパンに目をとめる。


 


「また盗みか? こいつ、前にも食料庫を――」


 


パァンッ!


乾いた音が、空気を裂いた。

少年の頬が、赤く腫れる。


 


「あっ……!」


パンが、手からすべり落ちる。

地面に転がり、雪と泥にまみれる。


 


それを見ていた小さな女の子が、転がるパンに手を伸ばした。


 


「まっ……て、それ……」


 


女の子がパンを拾おうとした、その瞬間――

兵士の足が上がった。


 


「汚いもん触るな、クソガキが!」


 


蹴り上げようとした、その瞬間。


 


「――やめろッ!!!」


 


たすくが、叫びながら駆け出していた。


 


間に合うかどうか、わからなかった。

でも、考えるよりも早く、体が動いていた。


 


兵士の足が振り下ろされる。


 


次の瞬間――

パンの前に、たすくが身を投げ出した。


 


ゴッ!


 


鈍い音が響く。

たすくの肩に、兵士の蹴りが命中した。


 


「ぐっ……!」


 


たすくは痛みに顔をゆがめながらも、パンを庇うようにして動かなかった。


 


「何をする、貴様は……!」


 


兵士が怒鳴る。

だが、たすくは睨み返した。


 


「これが……“盗み”に見えるのか? 目ぇついてんのか、あんたらは」


 


「なんだと……!」


 


「この子たちは、助けを待ってたんだ。

寒さで、飢えで、声すら出せなくなってるのに……

なんで、その足で“踏み潰そう”とすんだよ!」


 


背後で、サクがそっと子どもたちをかばいながら前に出た。


 


「彼らは、自分のパンを落としただけです。証人もここにいます。

……もしそれでも“罪”というのなら、どうか僕たちを連れていってください」


 


兵士は眉をひそめ、たすくとサクを見比べた。


 


たすくの瞳は、まっすぐに兵士を見据えていた。

怒りでも憎しみでもない――ただ、譲れない“命の尊厳”の色だった。


 


そのとき――


 


「……俺のせい、だ」


 


小さな声が割って入った。

顔を叩かれたあの少年が、唇を噛みながら前に出た。


 


「俺が、あの子の分もパンもらって……だから、あいつが怒って……だから……」


 


震える声。


 


「怒るなら、俺だけにしろよ……っ。アイツは関係ねぇんだよ……っ!」


 


兵士が一瞬だけ、顔をしかめる。


 


静かに、空気が止まる。


 


……そして。


 


「……チッ。手間かけさせやがって。……行くぞ」


 


兵士はそれだけ言い捨てて、もう一人の兵士と共にその場を離れていった。


 


その背中を見送りながら、たすくはゆっくりと立ち上がった。


 


腕に、泥と雪がついていた。

でもその手には――パンが、まだ、あった。


 


それを、そっと少年に渡す。


 


「……落としちまったけどな。

お前のだ。……大事に食ってやってくれ」


 


少年は、何も言わずにパンを受け取った。

その手が、ほんの少しだけ、震えていた。


 


その震えが、ようやく“生きている”という証だった。





ーーーーー


子どもたちがパンを手にし、ようやく表情をゆるめたその夕暮れ――


たすくは、崩れかけた壁にもたれかかりながら、サクにぽつりと呟いた。


 


「……なぁ、サク」


 


「ん?」


 


「俺、こいつらに……まだ信用されてねぇよな」


 


サクは一瞬、目を伏せたあと、正直に頷いた。


「……ええ。あの子たち、たすくさんのこと“悪い人じゃない”とは思い始めてると思います。でも、“頼れる人”とは……まだ思ってない」


 


「……だよな」


たすくは苦く笑った。


 


「そりゃそうだ。昨日まで誰にも信じられなかったやつがさ。パン配って笑ってみせたくらいで、何が変わるってんだ」


 


沈黙が、風の音に混ざる。


 


「だからな、村に来いなんて、まだ言わねぇよ。言っちゃいけねぇって思ってる」


 


「……たすくさん」


 


「こいつらと、ちゃんと絆ができたときだ。信じてもらえたって、心から思えたとき。……そのときに、初めて言うんだ。“一緒に帰ろう”って」


 


サクは、たすくの目を見た。


その瞳には、あたたかさと同時に、揺るぎない意志が宿っていた。


 


「……でも、距離がありますよ。毎日来るの、大変じゃないですか?」


 


「精霊に頼むよ」


たすくは壁を蹴って立ち上がり、風を感じる方へ歩いていく。


 


「俺が、“行きたい”って思う場所があるなら――風の精霊は、きっとその道を通してくれる」


 


「道って……」


 


「風の道さ。ひゅーんって、ほら。いつものやつ」


 


ふざけて言ってみせるその背中は、どこまでもまっすぐだった。


 


「毎日、ここに来る。何があっても。少しずつでいい。……こいつらと、ちゃんと繋がりたいんだ」


 


そして、たすくは振り返った。


 


「なぁサク。俺、間違ってないよな?」


 


サクはニヤッと笑って、頷いた。


 


「……はい。めちゃくちゃ面倒くさいけど……最高に、正しいです」


 


 


――そして、風がそっと吹いた。


 


その風は、未来へ向かう道しるべのように、たすくの足元を撫でていた。


 


──つづく。


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