満月と、名前をくれたひと
その夜は、満月だった。
たすくは納屋の片隅で毛布にくるまり、うつらうつらと夢の境をさまよっていた。
だが、夜更け――
きぃ、と木の軋むような音に、ふと目を覚ます。
(……誰かが外に?)
寝ぼけ眼をこすりながら、そっと布団を抜け出す。戸をそっと開けると、冷たい夜気とともに、銀色の光が舞い込んできた。
月明かりが、村をやさしく照らしている。
そしてその中に――
ぽつんと立つ、ジローの背中。
丘の上。
ジローは高台に立ち、じっと空を見上げていた。
たすくは足音を忍ばせ、彼の隣へと近づく。
「……お前、なにしてんだよ。そんなに月、好きだったか?」
ジローは、少しだけ顔をしかめた。
「……好きじゃねぇよ。俺、満月は――大嫌いだ」
「じゃあ、なんで見てるんだよ」
問いに、ジローはしばらく黙っていた。やがて、ぽつりと呟くように言った。
「……満月の日に、俺を飼ってたじいさんが死んだんだ」
たすくは、言葉を失ったまま黙って耳を傾ける。
「じいさんは、優しかった。魔物扱いなんてしなかった。ちゃんと名前で呼んでくれた――“相棒”ってな」
「名前はなかったけど、それで充分だった。名前より、“一緒にいる”って感じが……ちゃんとあったから」
風が丘をなでる。
たすくは、そっとジローの横に並んだ。
「……じゃあ、俺も“相棒”って呼ぶか?」
ジローは肩をすくめ、少しだけ笑った。
「……いいよ。でも、もう俺には“ジロー”って名前があるだろ」
「――あんたが、つけたやつだ」
その時だった。
丘の下、木陰から小さなしゃくり上げる音が聞こえた。
目を向けると、風の精霊がそこにいた。
ヒョウ柄の袖で目元をぬぐいながら、じっと二人を見上げている。
「……そんな話、ズルいわ……」
誰にも気づかれないように泣いていた。
けれど、その涙は月明かりにきらめいていた。
*
翌朝。
たすくは、いつものように畑に立った。
そこには、土をならすジローの姿。
そして少し離れた草むらには、膝を抱えて空を見上げる風の精霊。
誰も、何も言わない。
でも、その空気は――昨日より、すこしだけやさしかった。
名前をくれた人のことを、
誰かと語れる日が来た。
それだけで、満月の夜が、
ほんの少しだけ、あたたかくなる。




