モーさんとの朝。搾乳と、初めてのミルク
朝――
納屋の隙間から差し込む冷たい光で、俺は目を覚ました。
胸元には、白くて丸いモフモフの温もり。
「……ぴぃ……」
つぶらな瞳でこちらを見上げたその子は、俺が昨夜“タロー”と名付けた魔物。
「……お前、起き抜けに乗ってくるのやめろ。重い……顔はやめろって!」
ぐぅぅ、と俺の腹が鳴った。
「……腹減ったな……昨日から何も食ってねぇし……」
隣では、タローもごぅ……と腹の音を響かせる。
「なぁタロー……俺たち、今日どうすっか……」
そんなときだった。
コンコン、と納屋の扉がノックされた。
扉を開けると、そこには一人のおばあさんが立っていた。
白いエプロン姿に、包み込むような笑顔。だけど目元には芯がある。
「私は“ふく”。この村で一番の料理上手……って自分で言うのもなんだけどね。
じいさんと二人で、ずっと村の食と畑を支えてきたのよ。じいさんのことは“まごじい”って呼ばれてるわ」
「昨日、あんたを“村長にどうだ”って言ったの、うちのじいさんなのよ。頑固だけど、見る目だけはあるから」
「そして、村長さん。朝はまず、“モーさん”よ」
「搾乳してあげないと、おっぱい張って痛くなっちゃうのよ。あの子、昔から繊細だから」
「……あ。牛……!」
昨日、村の人に言われた。
この納屋――俺が寝ていた場所は、元村長の家だったと。
そして、そこには鶏と牛が飼われている、と。
(そうだ……この家の命も、引き継いだんだよな、俺)
俺はタローを抱きかかえ、ふくさんの後ろについていった。
*
納屋の奥、扉を開けると、木の小屋の中にいた。
のっそりと立ち上がった、大きな牛。
全身は淡い灰色。落ち着いた目が、静かにこちらを見つめている。
「この子が、“モーさん”よ。村長さんの……相棒だった子ね」
「……でか……」
思わずつぶやいた声に、モーさんが鼻をふんと鳴らす。
「ぴぃぃぃぃっ!!」
横からタローが突撃した。
→ 次の瞬間。
ぺろん。
モーさんの舌が、タローの顔面をベロォンと舐めとった。
「ぴぃぃぃ……!?!?」
タロー、ベッショベショで硬直。
「……お前、また負けたのか……」
笑いをこらえつつ、ふくさんがバケツを差し出した。
「じゃ、村長さん。搾ってみる?」
「いや、無理無理無理……どうやって?」
ふくさんが横に座り、軽く実演して見せてくれた。
モーさんは動じない。むしろ、気持ちよさそうに目を細めている。
「ほら、次はあんた。手をこうして……」
恐る恐る、モーさんに触れる。
ほんのりあたたかくて、柔らかくて――
ゆっくりと手を動かすと、バケツに白いしずくが落ちた。
「……出た……!」
コツを掴めば、意外とスムーズに搾れるようになった。
ふくさんも満足そうに頷いてくれる。
「昔ね、村長さんは毎朝モーさんに『おはよう』って声をかけてたのよ」
「……おはよう、モーさん」
俺が言うと、モーさんが一度だけ、静かに「モォ」と鳴いた。
(あぁ……本当に、この子は俺の家族なんだな)
*
納屋に戻ると、タローはようやくベロベロショックから復帰していた。
絞ったばかりの牛乳を小さな鍋で温め、湯気の立つカップに注ぐ。
「タロー、いくぞ……これが、俺たちの朝ごはんだ」
ぴぃっ!(きらきら)
俺はゆっくりと口に運ぶ。
あたたかくて、ほんのり甘い。
空腹だった腹に、優しく染み込んでいく。
「……うまい……」
それは、ただの牛乳じゃない。
自分で絞った、自分たちの命をつなぐ、はじめてのごはんだった。
「タロー……ちゃんと、生きてるな、俺たち」
タローがぴぃっと鳴き、俺の肩に頭をあずけた。
――こうして、俺たちの村長としての朝が、始まった。
次は、鶏たちの番だ。
(鶏にご飯……あげないとな)