占う明日にもあなたがいるなら 2
翌朝、昨日の灰色の空はどこへやら、朝日が眩しく差し込む。
「先生!観光しましょう!市場で占い水晶も売ってるんですって!」
「ご自由に。わたしはここで本でも読んでます。占いなんかよりよっぽどためになりますから。」
「ええー!?一緒に回りません?」
「詐欺師が権威を振り回す稚拙な国の観光よりも重要ですから。」
「冷たいなぁ…もう。」
…と、いいつつもシエナは宿屋から出て外へと赴いていた。別に占いをしに来た訳では無い。本当に。何があっても。
目的はこの国の掲示板。本を読むのにも飽きたシエナはミリシャが戻ってくるまでの暇な時間小遣い稼ぎでもしようかと見に来たのだが…。
占い師たちが依頼主として並ぶ掲示板。そのどれもが「未来予測の確証作成のための魔術師募集」や「星図補完に必要な魔力協力」などといった、シエナにとっては不合理きわまりない内容ばかりだった。
「未来が見えるのなら、魔術師の力など求めるなと言いたい。」
思わずそう愚痴をこぼし、まともな依頼がないことに大きくため息をつく。大人しく宿屋で昼寝でもしようと思い帰路に着く。通りの雑踏は、占術師たちの声と、甘い香草の匂いで濁っていた。
シエナはうんざりと肩をすくめ、通りを早足で歩いていた。どの店も、どの路地も、「占い」「運命」「未来」……聞くだけで頭が痛くなる。
「……まったく、どうしてこの国の者たちは、あんな根拠のないものに酔いしれるのですか。」
ふと、視界の端に見覚えのある白髪が揺れる。
小さな体が、ふらりとよろける。誰かとすれ違ってもよけもせず、うつむいたまま、歩いているのか、漂っているのかすらわからないほど、不安定な足取り。
ミリシャだった。だが様子がおかしい。顔は青ざめ、足取りはふらふらと定まらない。
「ミリシャ…?」
声をかけた瞬間、彼女は顔を上げた。潤んだ瞳。強張った表情。そのまま、何の前触れもなく、シエナに飛びついてきた。
「……せん、せぇ……っ、いやだ……いやです。ほんとに、いやです……。」
「……ミ、ミリシャ!? ちょっと……、ま、まず落ち着いてください。こんな、往来の真ん中で……」
思わず支える腕に力が入る。シエナの胸元で、ミリシャは嗚咽を洩らしていた。何かが崩れてしまったかのように、細い体が震えている。
「どうして……っ、先生、わたしのこと……ひとりにしないって、思ってたのに……!」
「……は?」
状況が飲み込めないまま、シエナは周囲を見渡す。好奇の視線がこちらに向けられているが、今は気にしている場合ではなかった。
「占い師に……言われたんです……っ。先生は、わたしを捨てて、また、一人で旅に戻るって……!」
「……。」
ようやく理解した。
だからこんな国になど入りたくなかったのだ。
「……はぁ……本当に、どこまでも質の悪い国ですね。」
苦々しい舌打ちを一つ。そんな様子を悟られぬよう彼女にできるだけ穏やかな声で話しかけた。
「ミリシャさん、それはただの……いえ、詐欺師の戯言です。わたしがあなたを見捨てる? あり得ませんよ。あの連中の言葉など空っぽの瓶と同じです。音はしても中身は無い。誰が、こんなにも手のかかる弟子を一人で放り出すというのですか。」
「でも…占いでは、そう言われて…それが、すごく、本当みたいで、怖くて……。」
「……。」
昨日は占いなんかよりわたしの言葉の方が信じられると言ってたのに…。
ミリシャは泣きながらも、シエナの服を強く握りしめている。彼女にとって自分の存在が捨てられること、またひとりぼっちになること、その痛みは、どれだけの重みだっただろうか。最初は呆れたものの彼女を見ている内にそんなことなど頭から抜けていた。
「……なら、どうすれば信じてくれますか?」
囁くように問いかけると、ミリシャは泣き腫らした顔を上げた。涙が頬を伝いながらも、真っすぐに、シエナを見つめていた
「……せんせぇ。」
ミリシャの瞳から、また一粒、涙が零れた。
シエナは小さく息を吐く。まったく、どうして自分はこの子にだけ、こうも甘いのだろう。
シエナの静かな問いにミリシャは顔を上げた。
目にはまだ涙が残っているが、その奥に、強い決意が灯っていた。
「……じゃあ、ぎゅって、してください。ぎゅって、わたしのこと、先生から。」
「は……?」
「わたし、ぎゅってしたけど、先生からは……ぎゅってしてくれなかったですから。ちゃんと、抱きしめてくれたら……信じます。ずっと、信じてます。」
言われた瞬間、シエナの顔にほんのりと赤が差した。
「……まったく。変な要求ですね。占い師に頭まで毒されてませんか?」
そう言いながらも、シエナは彼女の肩をそっと抱き寄せた。
少しだけ強く、確かに、ぎゅっと。
ミリシャの小さな体が震えながらも、彼女の胸の中で落ち着いていくのが分かった。
「……これで、信じられますか?」
「はい……先生の心音、聞こえました……」
「うるさいですね。」
でも、顔はそっと微笑んでいた。
——この国の占いが、当たることは無い。
わたしがそばにいる限り、彼女の明日はまだ、わたしの手の中にあるのだから。