万色の魔都と薄幸な彼女 終
東の空がうっすらと白み始めた頃、街はまだ静寂の中にあった。石畳の道も、軒先の花々も、夜の冷たさを宿したままじっと息をひそめている。
シエナはマントの裾を握りしめながら、国を覆うように囲う壁のへりに腰を下ろしていた。眼下に広がる街並みは変わらない。けれども初めて訪れた時の感動はもうない。シエナには依然変わらない街並みがまるで違ったようにも見えた。冷たい風が頬を撫でるが、その表情は揺るがない。
背後に広がる街の闇はまだ深く、住人たちは夢の中だ。だからこそ、この時間を選んだ。誰にも見つからず、誰にも止められず、静かに出発するために。
結局のところ昨晩ミリシャのはっきりとした回答を聞くことは無かった。ただ1つ約束をした。
「明日の早朝、日が昇る前にわたしはこの国を出ます。もしあなたがわたしの弟子になると、そう決めたのなら壁の上に来てください。少し待ちます。」
そんな昨日のやり取りを思い出す。ダークブルーのプリーツスカートから伸びる足を壁から投げ出しぶらぶらとさせながら。1時間ほど待っただろうか。
「来ませんか…。」
無理もない。こちらとしても1度は断った身だ。それを咎める事などできようはずもない。シエナは立ち上がり手で汚れを払う。すると少し遠くにこちらに飛んでくる人影を見つける。
シエナは目を細め、暗がりに目を凝らす。
フードを深く被った少女が、こちらへ飛んでてくるのが見えた。肩で息をしながらも、その目には迷いの色はない。
「……間に合いましたか?」
少女は小さく息を整えながら尋ねる。シエナは静かに微笑み、頷いた。
「はい、行きましょう。」
その返答にミリシャはとびきりの笑顔を見せる。やっと見ることのできた本心から出た彼女の笑顔。それを見るシエナの顔は慈愛で満ちていた。
壁の向こうには、まだ見ぬ世界が広がっている。二人は一度だけ振り返り、眠る街を見下ろし、無言のままほうきに跨る。
そして、ひっそりと影に溶けていく。
新しい旅の始まりを告げる鐘の音は、まだ鳴らない。