第6話 おにいの敵は許さない
「なんだてめえ……お、すげー良い女じゃねーか。へっへっへっ」
俺から離れて藤岡が兎極へ近づく。
「なあ、こんな奴と一緒にいねーで俺たちと遊ぼうぜ。楽しませてやるぜ」
「ああ? 誰がてめえなんかと遊んでやるかよ。くたばりやがれ」
「な、なんだとこの女っ!」
伸びた藤岡の手を兎極は掴む。
「藤岡ぁ。てめえ偉くなったじゃねーか? あたしに手を上げるなんてよぉ」
「あ? なに言ってんだてめ……いだだだだだっ!!!?」
腕を握られた藤岡が叫び出す。
「あたしの顔を忘れたとは言わせねーぞ。おもらし武史」
「えっ? お、俺をそう呼ぶ奴は……い、いやまさか……」
「あたしにボコられて小便漏らしながら土下座して謝ったんだよな? もう一度……お漏らしさせてやろうか? ああ?」
「ひいいっ! ま、まさか……」
「てめえ、なにわけのわんねーこと言ってやがるっ! 藤岡さんを……」
「や、やめろっ!」
掴みかかろうとする取り巻きを藤岡が制止する。
「ふ、藤岡さん?」
「が、学校が違ったって、てめえらも噂くらいは聞いたことがあるだろう? シルバーファングのよ」
「シ、シルバーファング? って、ま、まさかこの女がっ!?」
取り巻きたちは目を見開いて兎極を凝視し、わずかに退く。
シルバーファングの名はここらへん……いや、噂ではかなり広範囲に知れ渡っていたらしい。少なくとも、藤岡の新しいお友達はその範囲内に住んでいたようだ。
「も、戻って来たのかよ……」
「あたしが戻って来ちゃわりーのか? あ?」
「い、いやその……」
「と言うかてめえ藤岡よぉ」
「えっ? ぐおっ!?」
不意に兎極は藤岡が着ているブレザーのネクタイを引っ張る。
「おにいに手ぇ出しやがったら殺すってあたし言ったよな? あ? 今度おにいに手ぇ出しやがったらぶっ殺すってよぉ、嫌ってほどわからせてやったよな? 足りなかったんてならよぉ、もう一度わからせてやろうか?」
「い、いや……すみませんでした」
「すみませんでしたじゃねーだろコラっ!」
兎極がテーブルの足をガンと蹴る。瞬間、藤岡の身体がブルリと震えた。
「おにいに謝れよ」
「えっ? あ、謝るって……ここでですか?」
「ここでだよ。早くしろよ」
「す、すいませんでした……」
俺へ向かって藤岡が頭下げて謝る。
「あ……うん」
正直、謝られたくらいで許したくはない。
けれど今この状況では受け入れるしか選択肢がなかった。
「も、もういいっすか? 俺らもう帰りたいんすけど?」
「まだだよ」
兎極は男らを見回す。
「藤岡と、おにいに手を出してやがった奴は財布を置いてけ」
「えっ?」
「え、じゃねーよ。早くしろ」
取り巻き2人は顔を見合わせ、躊躇する様子を見せる。
「い、いいから出せっ」
「あ、ああ……」
2人はしぶしぶと財布をテーブルへ置く。
「片山、てめえもだよ」
「な、なんであたしも……」
「てめえは小坊のころから藤岡とつるんでやがったからな。てめえも一緒になっておにいから金取ってやがったんだろ? いいから出せよ」
「う、うう……」
片山も兎極にだいぶわからされている。
その恐怖を覚えているのか、兎極に睨まれると財布をテーブルへ置いた。
「じゃあもう行っていいぞ。二度とおにいに近づくな。わかったな?」
「ああ……」
藤岡は恨めしそうな目でこちらを一瞥して、仲間を連れて去って行く。
その目を見た俺は、なにか不穏なものを感じた。
「ご飯代が浮いちゃったねおにい」
「えっ? あ、ああ」
さっきの様子とは一転、兎極は穏やかに笑って言う。
「お前、変わってないな。昔と」
「そんなことないよ。だいぶおとなしくなったと思うけど? 昔だったら全員この場でボコボコにしてたしさ」
「そ、そうだな」
確かに昔はもっと喧嘩っ早かった。
少しは成長したということか。
「ごめん。俺が弱いせいでお前に迷惑かけて……」
「おにいは弱くないでしょ。昔はわたしがおにいに守ってもらってたし」
「いつの間にか逆転しちゃったな」
銀髪碧眼という日本では珍しい外見の兎極は、小学校低学年くらいのころはよくいじめられていて、俺が守っていた記憶がある。
それがいつの間にか逆転して、俺が守られる側になっていた。
「おにいはやさし過ぎるの。本気を出せばわたしよりずっと強いよ」
「それは無いだろう」
兎極の強さは俺がよく知っている。俺のほうが強いなんてありえない。
「本当だよ。スポーツはなんでも得意だったし、身体も毎日いっぱい鍛えてたじゃない」
「昔はそうだったけど……」
「今でも鍛えてるんじゃない?」
兎極は俺の腕を掴むと、袖を捲る。
「ほら、腕もこんなに太いじゃん」
「まあ……そうかな?」
人とくらべたりはしないのであんまりわからない。
「うんっ。でも、やっぱおにいは喧嘩とかしないよね。やさしいから」
「別に特別やさしいわけじゃ……。まあ、喧嘩はしたことないけどね」
「したことないよね。うん……」
なにやら兎極の表情が曇る。
「どうかしたか?」
「ううん、なんでも……。あーその、怒り過ぎてキレちゃったってこともない?」
「ないけど……?」
藤岡たちや天菜、幸隆には憤りを感じるが、キレるというほどの怒りにはなっていない。いや、本当ならばキレてもいいほどのことをされている。しかし臆病な性格がブレーキになって怒りがそこまで到達できないのだろう。
情けない気もするが、俺なんかがキレて怒ったところでたいしたことはできないのだから、別にいいかとも思った。
「そっか。よかった」
「よかったって?」
「ん、なんでもないよ」
兎極は曇った表情を笑顔に変えてそう言う。
「おにいは怒らなくても大丈夫だよ。嫌なことがあったらわたしが解決してあげるからね」
「えっ? いや、俺も高校生だし、自分のことはできるだけ自分で……」
「遠慮なんていいからわたしに任せて。ね?」
「ま、まあなにかあったら相談はするよ」
兎極はかしこくて喧嘩も強い。実に頼もしい女の子だが、やっぱりあんまり頼るのもみっともないので相談くらいにしとこうと思った。
「なんでも相談してね。特に喧嘩は。藤岡とかがまたなんかしてきたら、あいつら全員ボコボコにしてあげるから」
「い、いやそれはやめといたほうが……。藤岡は昔より身体もでかくなったし、あいつらいつも複数だしさ。いくらお前でもひどい目に遭わされるよ……」
「あんなのでかいだけで弱っちいよ。ぜんぜん強くないから」
「そんなことないと思うけど……」
原チャリとか持ち上げてるのを見たことあるし、強いのは間違い無いと思う。
「まあいいや。わたしが戻って来たからには、おにいのことはわたしが守ってあげる。絶対、誰にも手出しさせないから」
「いや、俺のために喧嘩なんかしなくていいよ。本当に。お前が怪我でもしたら大変だしさ」
「だいじょーぶ。わたし喧嘩すごく強いから」
「それはわかってるけど……」
強いとは言ってもやはり女の子だ。
怪我をするようなことはしてほしくなかった。
それから店を出て雑談しながらしばらく歩く。
どこへ行くのか聞いても兎極は答えず、そのまま繁華街を出て河川敷へやって来ると、不意に兎極が足を止めた。
「どうした? 忘れ物でもしたか?」
「うーん……わたしが忘れたというより、忘れているのは向こうかな?」
「えっ?」
と、兎極がうしろを振り返る。
なんだろうと俺もうしろを振り返ると……
「あっ」
そこにはバットを持った藤岡たちが立っていた。




