第170話 強さの秘密を知るおにい
超人間と呼んだ生物が入っている円柱型の水槽を撫でながら、四宮春桜はうっとりと微笑む。
「あなたはなにを考えているんてすか?」
「言葉通りだよ。世界を科学の力で浄化する。つまり、すべての人間を滅ぼして、わたしの作った超人間に置き換えるのさ」
「に、人間を滅ぼすって……。どうしてそんなことを……?」
「わたしは神になりたいんだ」
「神に?」
「そう。現実には神なんて存在しないからね。わたしが最初の神になるんだ。科学者が神になるだなんて、実に人間らしくて素晴らしいだろう?」
「神になって……あなたはなにがしたいんですか?」
「なにも。しかし世界は平和になるよ。超人間はわたしの言うことに従うからね。誰も争わない。平和な素晴らしい世界になる」
「人類を滅ぼした上での平和なんて……」
「紛い物と言いたいかね? その通りだ。けど別にどうだっていいさ。わたしは平和に興味無いし、神になるという結果だけが得られればそれでいい」
「あなたは狂っているっ!」
「くくっ、よく言われるよ。さて楽しい親子の会話はおしまいだ。超人間計画をより完璧なものとするために、君の身体を調べさせてもらうよ」
「そんなこと……あぐっ!?」
不意に誰かから後頭部を殴られる。
殴ったのが瑠奈だとわかったときには、もう地面へと倒れていた。
……
「うう……」
気が付いた俺は殴られた部分の痛みに呻く。
あれからどれくらいの時間が経ったのだろう?
起き上がって首を巡らせると、俺はなにも無い部屋にいた。
「気が付いたかい?」
見上げた先には四宮春桜が薄笑いを浮かべて俺を見下ろしていた。
「一体……」
「君の身体を調べさせてもらったよ。どうやら君の脳内には特殊な物質があるみたいだね」
「特殊な物質?」
「アドレナリンみたいなものさ。けどアドレナリンよりもっと強力……いや、凶悪と言ってもいい。この物質が分泌されることで、まず脳のリミッターが外れる。そして筋肉が異常なまでに発達する。ごく短いあいだだけなら君の力はあらゆる生物の中で最強となるわけだ。恐らく相手が象やホッキョクグマでも一撃で殺せる」
「そんなことが……」
俺の中にそれほど強力な力があるなんて……。しかし思い出してみれば確かに異常なほどに強い力を発揮してきたので納得はできた。
「けれど強過ぎる力は君の身体を破壊する。異常に発達した筋肉はもちろん、骨や内臓にも負担がかかる諸刃の剣だ。長く使えば自分自身を死に至らしめるだろうね」
「……」
「けどおかしい。力を発揮したのならば相手は死んでいるはずだ。なのに君と戦ったミハイルや瑠奈は生きている。これはどういうことだろう?」
「どういうことって聞かれても……」
「これはわたしの推測だけど、恐らく君は相手を殺さないよう無意識に手加減をしているんだと思う。それと、全力を出して自分自身が死んでしまわないように」
「なら、俺はもっと強い力が出せるってことですか?」
「そうだ。相手の生死を問わず、自分の死も厭わなければね」
「……」
俺にそんなことができるはずはない。
だからきっと全力を出すことは無いと思う。
「ありがとう。君の脳内にある物質を研究して超人間の制作に生かせば、わたしの夢はより確実となるよ」
「四宮さん、そんなことはやめてください」
「そう言われてわたしがやめるなんて言うと思うかね? 無駄なことはしないほうがいい。意味の無いことは無駄だ」
「あ……」
そう言って踵を返した四宮春桜は、部屋から出て行ってしまう。
このままではとんでもないことになってしまう。
しかしあの人を止める手段が俺にはなかった。
「ともかくここから出て日本へ戻らないと」
扉へ近づいてノブを引くも、外から鍵がかかっていて開かない。
窓には太い鉄格子があり、そこからの脱出も不可能だ。
「あの力が出せれば……」
扉や鉄格子も難なく破壊できるだろう。
しかしここを出たとして、一体どうやって日本へ帰ればいいのか? パスポートなんてもっていないし、お金も無い。
「大使館とかに行けばなんとかなるかな? けど、まずここから出られないようじゃどうしようもないんだけど」
あの力は自分の意志で出せるものでは無い。
ここからの脱出に使うのは難しそうだった。
「どうしようかな……」
呆然と扉を見つめる。
日本ではみんな心配しているだろう。兎極や朱里夏さんは下手したらここまで追って来てしまうんじゃないかと不安になる。
それはセルゲイさんが止めてくれるだろうから、大丈夫だと思うけど。
「そういえばもうすぐ兎極の誕生日か」
プレゼントを買うためにせっかく夏にバイトをしたというのに、これでは祝いの言葉すら言ってやることができないかもしれない……。
「うん?」
と、そのとき扉の鍵が開錠される。
四宮が戻って来たのだろうか?
そう思ったが、
「あっ」
扉を開けて入って来たのは四宮ではなく、瑠奈であった。
「お前か」
まさか調べ終わって用無しになったからと、四宮の命令で俺を殺しに来たのでは?
そう考えた俺は瑠奈を前に身構えた。
「……あなたは不思議ですね」
「えっ?」
意外なことを言われて俺は呆気に取られる。
そういえばこいつの声を聞いたのは初めてかもしれない。
「なにをしに来たんだ?」
「あなたの不思議を知りに来ました」
「俺の不思議って……なんのことだ?」
「あなたは瑠奈を倒したほどに強いです。けど、今は弱い。なぜ?」
「俺は頭に特異な物質があって、それが分泌されると強くなる……そうだ」
ざっくり説明するとこんな感じだ。
「でも今は弱い」
「その物質が分泌されてないからな」
「どうやったら分泌されるのですか?」
「ど、どうやったらって……」
どうやったらだろう?
力が出るときは誰かが危険な目に遭ってるときとかだけど……。
「あなたは瑠奈が女2人を痛めつけたら怒りました。そしたら強くなった。女を痛めつけられると強くなるのですか?」
「いや、そういうわけじゃ……。大切な人を守りたいって強く思うことかな」
「大切な人を守りたいって思う?」
瑠奈は首を傾げる。
どうやら彼女にその意味はあまりよくわからないらしい。
「どうして大切な人を守りたいって思うと強くなれるのですか?」
「えっ? それは……どうしてだろう?」
大切な人を守りたいって思うとなぜ強くなる物質が分泌されるのかは謎であった。
「あなた、おもしろいですね」
「おもしろい?」
「うん。なんかおもしろいです」
「そ、そう」
なんかおもしろいこと言っただろうか?
おもしろいと言いつつも、無表情な瑠奈を俺は不思議に思った。
「思ったよりも感情があるんだな」
「博士には秘密です。感情があるのは失敗作ですから」
「そうなんだ」
凄惨な仕事をやらせたりするのに、感情があると不都合だったりするのだろう。
「瑠奈は博士の遺伝子も使用して作られました。だからあなたとは兄妹みたいなものかもしれませんね」
「そ、そうなのか?」
言われてみれば四宮に似ているような気も……。
しかし兄妹と言われてもピンとはこなかった。
「他の超人間もか?」
「いいえ。瑠奈だけです」
「そうなんだ。けどどうして自分の遺伝子を使ったんだろう?」
なにか意味はあるのだろう。
あの人がなにを考えているのか、俺にはわからないが……。
「さあ? 博士は気まぐれと言っていましたけど」
「気まぐれか」
本当にそうなのかどうかは四宮にしかわからないことだ。
「なあ、俺をここから逃がしてくれないか?」
「それはできません」
「そ、そうか……」
まあそうだろうな。
ダメもとで言ってみたが、やっぱりダメだった。
「出てどうするんですか?」
「そりゃ、日本へ帰るつもりだけど」
「博士の計画が成功したらみんな殺されます。どこへ行っても死にますよ?」
「そうならないようになんとかしたいけどね」
少なくとも俺ひとりでどうにかできることではない。
とりあえずは父さんたちに相談してみようとは思うが。
「お前だっていつかは四宮に使い捨てられて死ぬかもしれないぞ?」
「それでも構いません。それが瑠奈の運命ですから」
「本当にいいのか?」
「……」
俺の問いに瑠奈は複雑な表情をして黙り込む。
この子には感情がある。
使い捨てられる運命を受け入れてはいても、死にたくはないようだった。