第156話 おにいのママ
「いや、俺の母さんって……」
母さんは俺が2歳のときに病気で死んだ。
そう俺に教えたのは父さんだ。
その父さんが、四宮春桜を俺の母親だと言うのは意味がわからなかった。
「驚くのはわかる。俺はお前に母さんは死んだって言った。けど、それはある意味本当で、春桜は母親なんてできる人間じゃないんだ」
「じゃあ、本当にその四宮春桜って人は俺の母さんなの?」
「ああ」
母さんが生きていた。
しかし喜びよりも、まずは疑問がたくさん頭に浮かんだ。
「確かに春桜はお前の母親だ。それは間違い無い。けど、さっきも言った通りあいつは母親ができるような人間じゃない。お前を産んだ母親を悪くは言いたくないが、これは本当のことなんだ」
「それって……どういうこと?」
「うん。まずは俺と春桜の出会いから話ほうがいいな」
父さんと母さんの出会い。
そういえば母さんは死んだとしか聞いておらず、人となりや父さんとの馴れ初めなんかは聞いたことがなかった。聞いても父さんはいつも話をはぐらかして教えてはくれなかったのだ。
「あいつと出会ったのは本当に偶然の出来事だった」
「偶然って?」
「うん。道端に倒れているあいつを仕事帰りに見つけたのがきっかけでな」
「た、倒れてたって、なにかの病気で……」
「いや、腹を減らして倒れていただけだ」
「腹を減らしてって……そのとき母さんはもう良い大人だったんでしょ?」
「大学を卒業してすぐだったな。しかし就職はしないで家に籠って妙な研究ばかりしていたらしい。親父さんが厳しい人らしくてな。働きもしないあいつを家から追い出したそうなんだ」
「へ、へー……」
これだけ聞くと、母さんは怠惰なダメ人間でしかないのだが。
「放って置くわけにもいかないから俺は春桜を拾って飯を食わせてやった。行くところも無いって言うから、しばらく俺の家へ住まわせてやることにしたんだが……」
「そのまま仲良くなって結婚したの?」
「いや、息子のお前に言うのもなんだが、俺と春桜は結婚をしていない。仲良くなってしばらくして、春桜のほうから誘われてな」
「そ、それはつまり……」
「まあそういうことだ。春桜は綺麗な女だったし、俺も今より若かった。けど軽い気持ちだったわけじゃない。責任は取る気だったよ」
「けど結婚はしなかったの?」
「ああ。それからしばらくして春桜がお前を身籠った。もちろん俺は春桜との結婚を考えた。けど……」
父さんはそうしなかった。
それには恐らく、なにか深い事情があったのだと思う。
「お前が産まれてから春桜はとんでもないことを告白してきたんだ」
「とんでもないこと?」
「胎児だったお前になんらかの実験を施したとな」
「じ、実験?」
「それがどういうものかはわからない。わかったことは、春桜は俺に好意があったわけじゃなく、実験をするために胎児が必要だったから俺を誘ったということだ」
「そんな……」
衝撃の事実を聞いて俺は驚きと同時にショックを受ける。
俺を産んでくれた母さんがどんな人だったのか?
それを考えたことは何度もある。きっと優しい人なのだろう。そんな風に考えていたのだが……。
「これをお前に話すつもりは無かった。けど、春桜がお前を狙っているのなら、話さないわけにもいかないだろう」
「……母さんは今どこにいるの?」
「わからない。お前が産まれてしばらくしてからどこかへ行方を眩ました。もしもあの工藤という奴がプーリアと関わっているのなら、春桜も今は……」
「けど、どうして母さんは今さらになって俺を?」
「恐らく、お前が持っている力に興味を持ったんだろうな」
「俺が持っている力って……」
「お前は頭に血か上ると異常な力を発揮する。あれはたぶん、胎児のころに春桜がお前に施した実験の結果なんだろう」
異常な力。
怒るとなぜあんな力が出るのか不思議には思っていたが……。
「実験の成果が出て春桜はお前を調べたくなったんだと思う。だから今になってお前を連れて来させようと考えたんだろう」
「……」
「春桜がプーリアと関わっているかはまだわからない。けど、もしも巨大なマフィア組織と関わっているなら、力ずくでもお前を誘拐しようとするはずだ。いいか五貴。会いたいなんて思うな。春桜はお前に母親としての愛情なんて持っていない。会ってもお前が傷つくだけだ」
「う、うん……」
母さんに会ってみたいという思いはある。
しかし父さんの話を聞く限り、会うべきではないのだろう。
会う気は無い。
……けど、やはり四宮春桜という人のことは気になった。
―――難波朱里夏視点―――
「がはっ!?」
じいちゃんに顔面を殴られて地面を転がる。
「おい朱里夏、オイラを殺すんじゃねーのか? そんなんじゃ俺を殺すどころか、疲れさすこともできねーぞ?」
「はあ、はあ……」
どんなに殴っても蹴ってもじいちゃんはケロリとしている。
殴ったり蹴ったりするこっちの身体が痛くなるくらいだった。
「じ、じいちゃんって本当に人間?」
「さあな? 地獄の鬼かなにかかもしれねーぜ」
「そうかも」
じいちゃんは人間よりも鬼に近いと思う。
「だったらてめえにも鬼の血が流れてんだ。オイラにかすり傷くらいは負わせられるんじゃねーのか? うん?」
「そんなこと言われても……」
全力で殴って蹴っている。
しかしじいちゃんにはまったく通じていない。これ以上、いくらやってもじいちゃんにはかすり傷すら与えられないような気がする。
「鬼ってのはよぉ、相手を倒すことしか考えてねぇんだ。負けることなんか考えねぇ。相手より自分が弱いなんて考えねぇ。けどてめえはどうだ? オイラには勝てねぇって諦めてやがる。それじゃあ鬼にはなれねぇな」
「別に鬼になりたいわけじゃないし」
「オイラみたいなりてーなら鬼になる覚悟を持て。相手を倒すことだけを考える鬼になれ。勝てねーなんて考えるんじゃねーよ。負けるときは死ぬときだ。命が尽きる瞬間まで敵に食らいつけ。首だけになっても勝て。喧嘩が強いってのはそういうことだ」
「……」
じいちゃんが言っていることはむちゃくちゃだ。
首だけになって勝てるわけはない。けど、言わんとすることは理解できた。
「わかった」
「おう。それじゃあかかってきやがれ」
言われたあたしはじいちゃんに飛び掛かる。
しかし同じように殴り飛ばされる。けど、
「があああっ!!!」
すぐに立ち上がってふたたび飛び掛かる。
「そうだ。その気迫だ。がははっ!」
嬉しそうに笑うじいちゃんに飛び掛かかっては殴り飛ばされを繰り返す。……そして気が付けば、あたしは大の字になって草むらに気絶していた。
「目が覚めたか?」
見えるのは夜空。
側ではじいちゃんが焚火をしていた。
「じいちゃん……」
「オイラに殴られて気絶したんじゃねーぜ。オイラに一撃を食らわせてから、力を使い果たしたみてーに倒れたんだ」
「そうだった……」
あたしは渾身の拳をじいちゃんの脇腹へ打って倒れたんだ……。
「やっぱじいちゃんには勝てなかったね」
「ああ。けど……」
じいちゃんは自分の服を捲って脇腹を見せる。
そこには拳大の赤い痣があった。
「良い拳だった。少しは喧嘩ってものがわかったんじゃねーか?」
「うん……」
成果はあった。
わずかだが達成感を感じたあたしは、自然と頬が綻んだ。
「近くの川で獲ってきた魚だ。食え」
「うん」
焚火で焼いた魚を受け取って食べる。
「お前をあそこまで必死にさせるなんてよ。お前の惚れてる男ってのは本当に良い男なんだろうな。いっぺん顔を見てみたいぜ」
「じゃあ一緒に帰る?」
「うん? うーん……そうだなぁ」
じいちゃんは考えるように空を見上げた。……そのとき、
「足音が聞こえる」
「ああ。こんなところに客たぁ珍しいな」
数は複数。
少しずつこちらへ近づいていた。
「どうする?」
「どうするもこうするもねぇよ。客は歓迎してやらねーとな」
そう言ってじいちゃんは串に刺さっている魚を一口で食べた。
それから寸刻ののち、その客が姿を現す。
「お前は……っ」
長い金髪に黒い眼帯の女。
暗がりで姿ははっきり見えないが、間違いはなかった。
「ひさしぶりですわね。難波朱里夏」
そこにいたのは風間香蓮。
かつて逃げられた金翔会のボスであった。