第151話 プロ選手相手に球を投げるおにい
逸見益羅緒。
大企業である逸見建設の社長が、将軍のような和服を着てそこに座っていた。
「パパっ!」
「おお、覇緒。ひさしぶりだな」
駈け出した覇緒ちゃんがお父さんへと抱きつく。
セルゲイさんも身体の大きい人だが、この人も負けず劣らず大きな人だ。しかしまさか喧嘩まで同じくらい強いなんてことはないだろうけど。
「うん? 真緒、そちらはどなただ?」
「久我島五貴さんですよ」
「おお。君が五貴君か」
「は、はい。初めまして久我島五貴です」
俺は身体をくの字に曲げて挨拶をする。
なんだか企業の面接にでも訪れたような気分であった。
「覇緒やセルゲイさんから話は聞いているよ。さ、こっちへ来て座りなさい」
「し、失礼します」
手招きされた俺は覇緒ちゃんパパの側へ腰を下ろす。
近くで見るとますます大きく見える。
まるでクマのようであった。
「覇緒がいたく君のことを気に入っていてね。一度、会ってみたかったんだ。あのセルゲイさんも君のことをすごく褒めていたし、どんな少年か気になっていたんだよ」
「恐縮です……」
期待を裏切ってしまうような普通の男ですいません。
特に悪いわけではないが、俺は心の中で謝った。
「難波組が我が社の不祥事を探っていた件がなにごともなく収まったのは君のおかげだと、覇緒とセルゲイさんから聞いたよ。礼を言うのが遅れてすまなかったね。覇緒と我が社を救ってくれてありがとう五貴君」
「いや、そんな大層なことをしたつもりは……」
あのときは覇緒ちゃんを助けたかっただけだ。会社を救うつもりなんてなかったので、我が社をなんて言われると戸惑ってしまう。
「覇緒の話では勉強もできて野球も得意と聞いた。将来は野球選手を目指しているのかな? 私も野球は好きでね。君が野球選手を目指しているなら、いろいろと応援させてもらうよ」
「あ、いや、野球のほうは得意ですけど、プロを目指しているわけでは……」
「そうなのかい? ああ、実は今日、このあとプロの選手がうちへ来る予定なんだよ。来年メジャーに挑戦する選手なんだけど、私が彼の大ファンでね。メジャー挑戦をサポートさせてもらおうと付き合いをさせてもらってるんだ」
「来年メジャー挑戦の選手ですか。それはすごいですね」
プロ野球のことはあんまり詳しくないので誰かはわからないけど。
「君も会ってみたらいい。プロの選手と話せば野球に対する考え方も良いほうへ変わるかもしれないよ」
「は、はあ」
断るのも失礼だし、会うしかないか。
プロ野球が好きな人なら大喜びなんだろうけども、
「ほらあなた、お話はお食事をしながらでもできるでしょう。冷めてしまわないうちに食べましょう」
「うん? おお、そうだな」
「そうそう。早く食べようパパ。ささ、久我島先輩、どうぞ食べてくださいっス」
「あ、うん」
食事が始まり、俺はテーブルの前に並べられた料理を箸で取って口へ運ぶ。
……うまい。
びっくりするくらいうまいエビの天ぷらだ。
なにがどううまいのかを表現するのは難しいが、とにかく今までに食べたことがないほどにおいしいエビの天ぷらであった。
それから覇緒ちゃんたちと談笑しつつ、やがて食事を終える。
「へえ。芸能界は大変なんですねぇ」
「ええ。表には出せない後ろ暗いことがたくさんありまして……。あ、このことは他で言ってはいけませんよ」
「は、はい。もちろんです」
話しているうちに覇緒ちゃん両親とはだいぶ打ち解け、緊張はもはやどこかへと消え失せた。食事もとてもおいしく、楽しい話も聞けて夢のような時間であった。
「失礼します。旦那様、木田村様が起こしになられました」
「お、もうそんな時間か。五貴君、例のプロ選手だよ」
「あ、さっき聞いたメジャー挑戦する選手ですね」
「うん。君も来なさい。会わせてあげよう」
「は、はい」
「あ、わたしも行くー」
なんだか今日は社会的に大物な人よく会うなぁと思いながら、俺は覇緒ちゃんと一緒に覇緒ちゃんパパのあとへついて行った。
そして長い廊下を歩いて応接室へ行くと、
「やあ木田村君」
覇緒ちゃんパパがあいさつをした先にはガタイの良い男性がソファーに座っていた。
身長は190cmくらいありそうで、いかにもスポーツ選手という外見であった。
「あ、逸見社長、おひさしぶりです」
立ち上がった木田村さんが深く頭を下げる。
「はははっ、まあそうかしこまらないで。これは私の娘だよ」
「こ、こんにちはっ。娘の覇緒ですっ」
有名なプロ選手を前に覇緒ちゃんは少し緊張しているようだった。
「あ、自分は覇緒さんの友人で久我島五貴です。こんにちは」
「こんにちは。君はしっかりした身体つきをしているね。なにかスポーツをやっているのかな?」
「いやその……」
「久我島先輩は野球がすごく上手なんですよっ」
「へえ。野球をやっているんだね」
「や、やっているっていうかその……」
やっていただ。
前に助っ人で試合に出て以来、野球はまったくやっていない。
「ポジションはどこを?」
「ポジションは……投手ですかね」
まあどこでもやれるけど、投手が一番やって来たと思う。
「投手かぁ。しっかりした身体してるし、速い球を投げられそうだね」
「それなりには……」
「木田村君は3冠王を3回も取った選手だからね。球を見る力は日本一だと思うよ、どうだい? せっかくだし木田村君に君の投げる球を見てもらったら」
「えっ? いやでも……」
「いいですよ。将来、僕と対戦する選手になるかもしれませんしね。投げる球を見て今から対策を考えさせてもらいますよ。はははっ」
「は、はあ」
なぜかプロ選手相手に球を投げることになってしまった。
と言うか、どこで投げるんだろう? まさか庭でなんてことは……。
考えつつ、俺は覇緒ちゃんパパについて行った。
……そしてやって来たのは球場だ。
しかし覇緒ちゃんちの庭でもある。つまり庭に球場があるのだ。
「な、なんで庭に球場が?」
「パパは野球が好きだから、草野球の監督兼選手をやってるっス。ここはそのチームのホームグラウンドなんスよ」
「へー」
草野球で使うグラウンドにしては立派過ぎる。
プロ野球の試合も開催できそうなほど立派な球場であった。
「はっはっはっ。五貴君、そう硬くならないで、胸を借りるつもりで思いっきり投げてみなさい。良い経験になると思うよ」
「は、はい」
球場に入った俺はグローブとボールを渡され、マウンドへと立つ。
目の前では木田村さんがバットを持って左のバッターボックスへと入っていた。
「肩を作ってないので、あんまり良い球は投げられないかもしれないですけどー」
「大丈夫だよ。軽い気持ちで投げてみてくれればいいからー」
「は、はーいっ」
返事をした俺は投球の体勢へと入る。
「あ、投げますけど逸見さん大丈夫ですかー?」
木田村さんの隣にはキャッチャーミットを構えた覇緒ちゃんパパが座っていた。
「大丈夫だよー。これでも学生時代からずっとマスクを被ってるベテランなんだー。遠慮せず思い切り投げて来なさーい」
「思い切りって言ってもなぁ」
まあちょっとした遊びのようなものだ。
木田村さんの言う通り軽い気持ちでなげればいいかと、俺は力まずに振りかぶり……。
ビュッ! ズバァァァン!!
投げるとほぼ同時に、球は覇緒ちゃんパパの構えるキャッチャーミットへと収まる。
バッターボックスにはきょとんとした表情の木田村さんが立っていた。