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第138話 朱里夏と母の深まる溝

「新しく開発された薬物? なんだよそれ?」


 幸隆が興味深そうに問う。


「覚醒剤なんかよりよっぽど気持ち良くなれる薬だよ。依存性も桁違いだ。一度やったらもう抜けられない。これを日本で難波組の独占で売るんだよ」

「そりゃすげーな。けど、どこからそんな薬物が手に入るんだ?」

「中国のマフィアとちょっと関わっていてね。その筋さ。いくらか上納金を収めれば難波組だけにその薬物を卸してくれるって話なんだよ」

「へえ……」


 話を聞く前と違って幸隆は目を輝かせて聞いている。

 反面、無表情の朱里夏さんからは静かな怒りを感じた。


 その理由は聞くまでもなかった。


「その薬物はすぐ手に入るのか?」

「それがちょっとややこしいことになっていてね。薬物の開発者が日本に逃げちまったんだ。作り方はそいつしか知らない。まずはそいつから薬物の製造方法を聞き出さなきゃならなくてね。製薬会社で同僚だった奴の話に依れば、薬の製造に使っていたパソコンはすでに破壊されていて、USBメモリーにだけ記して常に持ち歩いているらしいんだ。それさえ手に入れば薬の製造方法はわかる。そこであんたらにまずやってもらいたいことが……」


 ダンッ!


 と、そこで朱里夏さんが話を遮るようにテーブルを叩く。


「誘拐をやらせる気?」


 静かな怒りを感じる声で朱里夏さんがそう言う。


「……あら? よくわかったね? そう。薬物の開発者には娘がいてね。本人を捕まえて聞き出すよりも、娘を人質にしたほうが製造方法を吐かせやすいんじゃないかってこと。ガキひとりの誘拐くらい軽いもんでしょ?」

「ふざけるな」


 朱里夏さんの声に幸隆と水木さんがびくりと身体を震わす。


「なに? 薬物を売るのが気いらないの? まあ、お義父さんのころは薬をご法度にしていたからね。あんたがうるさく言うのもわからなくないけど……」

「違う。確かにあたし個人としては薬を扱うのは気に入らない。けど、今は水木が組長代行で組を動かしている。あたしは口を出す立場じゃない」

「だったら……」

「あたしが気に入らないのはあんただ。誘拐をやれだって? 難波組は極道だ。半グレ集団じゃない。外道の真似事なんかやらない」

「ふん。あんたは口を出す立場じゃないんでしょ? だったら黙っていたら?」

「立場とか関係無い。これは極道の在り方の問題だ。子供の誘拐なんてやったら、それはもう極道じゃない。外道だ。難波組は外道の犯罪集団に成り下がる。そんなことは許さない」


 ……これほどに怒っている朱里夏さんは初めて見た。

 表情は至って冷静で落ち着いて見える。しかし怒りの雰囲気がひしひしと伝わってきており、今にも爆発しそうな様子であった。


「はあ……。あんたは本当に古いねぇ。世間からすりゃあヤクザも半グレも変わらないよ。どっちも反社のクズ集団さ。人様に迷惑をかけるクズのくせに義理だ人情だなんて言って高尚ぶってるから、目の前の儲けを逃しちまうんだよ」

「黙れ。とにかく難波組はあんたの話には乗らない。幸隆、水木、わかった?」

「えっ? あー……」

「わかったの?」

「わ、わかったよ」

「へ、へい」


 ギロリと視線で睨まれた幸隆と水木さんはしぶしぶといった様子で頷いた。


「そういうことだから。とっとと帰って」

「ここはあたしのうちだよ。出て行くかどうかはあたしが決めるの」

「本当なら締め上げてどこの中華マフィアと関わっているのか聞き出してやりたいところだけど、一応は母親だ。そのよしみでなにも聞かなかったことにする。けど明日までに出て行かなかったら、締め上げて風呂屋に売り飛ばしてやる」


 そう吐き捨てて朱里夏さんは部屋を出て行く。


「あ、朱里夏さんっ」


 朱里夏さんがいなくなったら俺もここにはいられない。

 そう思って俺も部屋を出て行った。


「いいんですか? お母さんにあんなこと言って……」

「五貴君も聞いててわかったでしょ? あれはとんでもないクズなの。極道と外道の違いもわからないのにヤクザのしのぎに首を突っ込むどうしようもない女。それがあたしのママなの」

「……」


 朱里夏さんとお母さんの溝は深い。

 親子なんだし仲良くするのがいいとは思うけど、俺が口を出してどうにかなるほど簡単ではなさそうだ。


「それよりさ。あたしの部屋に戻って続きしようよ」

「えっ? 続きって……」

「わかってるくせに。さ、行こ」

「いや、ちょ……」


 朱里夏さんは俺の手を掴んで部屋へと歩いて行く。


「ま、待ってくださいっ。俺はそろそろ帰ろうかと……」

「ダメ。今日は泊まりなさい。帰るころには男になってるから」

「ど、どういう意味……あっ」


 廊下の先に誰か立っている。

 よく見なくても、その特徴的な外見は一目瞭然であった。


「と、兎極、どうしてここに?」

「おにいの考えることはだいたいわかるの。どうせ、最近来なかったこいつの様子が気になって見に来たとかでしょ?」


 ……まあ当たらずとも遠からずか。気にはなっていたし。

 優実ちゃんの件もあるが、パンツを届けに来たとは言えなかった。


「あ、丁度良かった。今日は五貴君、泊って行くからね。家の人に伝えといて」

「それをわたしが許すとでも?」

「お前が許すかどうかは関係無い」

「あるの」

「無い」

「殺すぞ」

「やってみろ」


 これはいつもの展開。


 ……このあとなんとか2人を宥め、俺は兎極に引きずられるように家へと帰った。



 ―――難波灯視点―――



「まったくあの子は……」


 朱里夏が出て行った障子の先を眺めてあたしはため息を吐く。


 お義父さんにそっくりだ。

 侠客の鏡と呼ばれたお義父さんも極道の在り方にはうるさく、あたしが稼ぎネタを持って来ても、それは極道のやることじゃないって突っぱねられたことを思い出す。


 だからお義父さんの時代は一本独鈷いっぽんどっこで格好だけはつけても、しのぎは少ない弱小の組だったんだ。お義父さんは引退したけど、あたしの言うことを聞かない熊五郎にも嫌気が差し、組の金を持てるだけもってこの家を出て行った。


 もううるさいお義父さんはいない。口出ししてくる熊五郎もいない。

 幸隆を使ってあたしが組を動かしてやろう。うまくいけば難波組を日本最大のヤクザ組織にだってできる。あの薬を売ることさえできれば。


「朱里夏はああ言ってるけど、あんたたちはどうするの? まさかこの儲け話を蹴るってことはないよね?」

「確かにその儲け話が本当なら乗りたい。けど姉ちゃんがなぁ……」


 そう言って幸隆は水木へ視線をやる。


「ええ。お嬢は先々代と同じで普段はおとなしいですが、怒らせると手が付けられませんからね。お嬢がダメだと言うなら従うしか……」

「なに言ってんだいっ」


 あたしは2人を叱咤するように声を上げる。


「大の男2人があんな小娘1人にびびっちまって情けない」

「そうは言うけどよ、うちの組じゃみんな姉ちゃんにびびってるんだぜ。いや、姉ちゃんのこと知ってる奴はみんなびびってる。喧嘩は恐ろしく強いし、やるってなったらめちゃくちゃだ。本当、じいさんにそっくりだよ。じいさんのことを俺よりよく知ってるあんたなら、そっくりな姉ちゃんがどれだけヤバいかわかるだろ?」

「……」


 喧嘩となればポン刀1本担いで、何十人何百人もいる相手の組へひとりで乗り込んで行くのがお義父さんだった。そして平気な顔をして帰って来る。

 あれにそっくりだとしたら、確かにこいつらがびびるのもわからなくはない。


「まあ、こういうこともあろうかと、中華マフィアから用心棒を借りて来たよ」

「用心棒?」

「入って来な」


 あたしが呼ぶと、隣の部屋からドシリと音をさせつつ地面を揺らし、金色の指輪を嵌めたでかい手が襖が開く。


「お、おお……」


 3メートルはあるんじゃないかという巨大な男がくぐって部屋に入って来たのを前に、幸隆が目を剥いて見上げた。


「こいつはウェン・シャオユーって言う中華マフィアの用心棒さ。カンフーの達人で、虎10頭を片手で殺したこともある怪物だよ。こいつに朱里夏の相手をさせる」

「おい灯、まさか俺にさっきのチビをやれって言うのか?」

「そうだよ」

「ガキの相手なんて冗談じゃねぇ。俺は保育士じゃねーんだよ」

「金は払うんだ。言う通りにしな」

「ちっ」


 ウェンを舌を打ちつつ、あたしから顔を逸らして庭のほうを向いた。


「確かに強そうだけどよ、本当に大丈夫なのか?」

「なんだとてめえコラ?」

「い、いや、あんたを疑うわけじゃねぇけど……」

「そんなに朱里夏が怖いのかい? しょうがないね。ちょっと水木、500円玉をできるだけ多く持って来な」

「500円玉? そんなのどうするんだ?」

「いいから」


 幸隆が目配せすると水木は立ち上がり、やがて500円玉を持って戻って来る。


「30枚ほど持ってきましたけど」

「よこしな」


 あたしはそれを両手で持って掴み、ウェンの前へと放り投げた。すると、


「うおっ!?」


 恐ろしい速さで伸びたウェンの拳が空中の500円玉を次々と掴む。そして……。


 ゴロン……。


 手の中で握り潰され、ひとつの塊となった30枚の500円玉が畳の上に落ちた。


「な、なんだこれ? マジかよ……」

「これなら安心だろ?」

「あ、ああ。けど、さすがにこれは姉ちゃんが殺されるんじゃ……。いいのかよ?」

「あたしが産んだ娘だ。生かすも殺すもあたし次第。あんな親不孝な娘なんていらないしね。あいつもヤクザな生き方してるなら、覚悟くらいできてるだろうさ」


 そう言うあたしを幸隆はゾッとしたような表情で見ている。


 敵になるならば血を分けた家族だって容赦はしない。それがあたしのやり方だ。


「やるのは明日だ。朱里夏は他の場所へ呼び出してこいつに始末させるから、そのあいだにガキを誘拐するんだよ。いいね?」

「わ、わかったよ」


 幸隆を頷かせたあたしはニッと笑う。


 これで日本のヤクザ社会はあたしを中心に回すことができるようになる。サツなんかこわかない。サツだって金は好きだ。札束でひっぱたきゃおとなしくさせることはできる。


 わざわざ中国に渡ってマフィアに媚を売ってきた成果がようやく出る。


 お義父さんが間違っていたことをあたしは証明してやるんだ。

 難波組をあたしの手で日本最大のヤクザ組織にすることで……。

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