第131話 朱里夏に弟子入りしたい優実ちゃん
ともかく家に入ってもらい、居間で話を聞くことに。
「はあ、なるほど。そういうことだったんですね」
女の子……名前は優実ちゃんと言うらしい。
優実ちゃんのお母さんが話すところに依ると、酔っ払い運転の車を朱里夏が受け止めて2人を救ったとのことだ。
「そちらのかたに助けていただかなければ、今ごろどうなっていたか……。お礼はいらないと言われましたが、やはりそういうわけにもいきません。それで、失礼とは思いましたがあとをつけさせていただいてご自宅がわかったのち、お礼の品を用意して伺わせていただきました」
「あ、いや、ここは朱里夏さんの家じゃなくてですね……」
「まあ、あたしの家みたいなもんだし、間違ってはいない」
「100%間違いだろうがっ! このシロアリ女っ!」
と、兎極が朱里夏へ掴みかかる。
「お、お客さんの前なんだから……」
そう言って俺が止めようとしたところ、
「ハーティンいじめちゃダメっ!」
「えっ?」
ハーティン?
そういえばインターホン越しでもそんなことを言っていたけど……。
「ハーティンって……もしかして朱里夏さんのこと?」
「うんっ。お姉ちゃんはハーティンでしょ?」
そう聞かれて朱里夏はキョトンとする。
もちろん朱里夏さんはハーティンではない。
しかし目を輝かせて聞いてくる女の子を前に、なんと答えたらいいか迷っている様子であった。
「あ、あのね、この人はハーティンじゃなくて、難波朱里夏さんっていう普通の女性なんだよ?」
たまらず俺が代わりに答える。
夢を壊して悪いが、やはり正直に教えるべきだろう。ハーティンだと信じて、朱里夏さんがするような危険なことを真似でもしたらあぶないし。
「嘘っ! だってほらっ!」
「うん?」
女の子はスマホで動画を見せてくる。
そこにはバイクに乗って現れ、敵を倒すハーティンが映っていた。
ハーティンは小学5年生の女の子が変身して戦うアニメだ。確かに主人公のハーティンは朱里夏に似ており、幼稚園児の女の子が勘違いするのもしかたなかった。
「そのハーティンってのは、敵の生爪を剥がしたりするの?」
兎極が呆れたように言う。
そんなエグイ攻撃する正義の味方なんて嫌だなぁ……。
「あのね優実ちゃん、このちっこいお姉さんはハーティンじゃないの。人の男を平気で横取りしようとする極悪人なの」
「いや、極悪人は言い過ぎじゃ……」
「うるさいっ! おっぱいのおばけっ!」
「お、おおおおおっぱいのおばけっ!?」
「コラ優実っ!」
優実ちゃんをお母さんが叱る。
「ごめんない。失礼なことを言ってしまって。ほら優実も謝りなさい」
「だって……」
「大丈夫です。この女は本当におっぱいのおばけなので」
「この野郎……」
「まあまあ……」
朱里夏を睨む兎極を、俺は肩をポンと叩いて宥めた。
「あ、それでお礼なんですが……」
「いりませんって」
「いえ、命を助けていただいてそれでは申し訳ないので、些少ですが……」
と、お母さんはぶっとく膨らんだ茶封筒をテーブルへ置く。
中身はお察しである。
「これと言ったお礼の品が思いつかなかったので、どうぞこちらをお礼としてお納めいただきたいです」
「……現ナマ。出されたなら受け取らないわけにもいかないか。わかりました。こちらは頂戴いたしますが、返却が希望ならいつでも言ってきてください」
「そのようなことはありませんので、ご心配なくお使いください。むしろ足りないようでしたら、追加で用意いたします」
中身は100万円くらいだろうか?
爪弥の父親から取った1億円以上の金がある朱里夏さんにははした金か。
「ああ、それとこの子が難波さんにお話があるようで」
「話? なにかな?」
「うん。優実ね、ハーティンの弟子になりたいの」
「で、弟子?」
「うん。ハーティンの弟子になって、わたしもハーティンになりたいの」
優実ちゃんはふたたび目を輝かせて朱里夏さんへ訴える。
もちろん朱里夏さんに弟子入りしてもハーティンにはなれない。
なれるとしたら女極道だろう。
「悪いけどあたしはハーティンじゃないの。だからあたしに弟子入りしてもハーティンにはなれないよ」
「優実はもうハーティンだってわかっちゃってるから隠さなくても大丈夫だよ。だって普通の人が走ってる車を受け止められるわけないもん」
まあそれもそうである。
俺はさっき朱里夏さんを普通の女性と言ったが、それも正しくはない。ハーティンではないが、この人は普通でもないのだ。
「本当にハーティンじゃないって」
「ハーティンだもん。優実はわかってるから隠さないで」
「うーん……」
朱里夏さんは珍しく困ったような表情をして唸る。
どうしたら自分がハーティンでないと信じてくれるのか?
そんな様子で唸っていた。
「ほら優実、お姉ちゃんが困ってるでしょ。こちらのお姉ちゃんはハーティンじゃないの。お礼を言ってそろそろお暇しましょう」
「嫌だっ! ハーティンので弟子になるまで帰らないっ!」
「優実っ」
「嫌っ!」
テーブルにしがみつき、優実ちゃんは断固として帰ろうとしない。
これは困ったなぁと、俺は兎極、朱里夏さんと顔を見合わせた。
「と、とりあえず今日のところは帰ったほうがいいんじゃないかな? ほら、ハーティンならお母さんを困らせたりしないだろう?」
「うん? うーん……」
俺の言ったことをわかってくれたのか、女の子はしぶしぶといった様子でテーブルから離れた。
「それでは失礼いたします。もしかすれば主人がお礼に伺うこともあるかもしれませんが、そのときはよろしくお願いいたします」
「ハーティン、ありがとう」
優実ちゃんは手を振り、お母さんと一緒に帰って行った。
「しかしてめえが正義のヒロインか。とんでもない勘違いをされたな」
「退治してやろうか? おっぱいのおばけ」
「ああ?」
「まあまあ……」
優実ちゃんとお母さんが帰ったら、また争いを始めようとしてしまう。
「あ、五貴君、このお金でなんかおいしいものでも食べに行こ」
「えっ? いやでも悪いですよそんな」
「いいから。ね?」
「じゃあ……」
「おにいが行くならわたしも行く」
「お前は呼んでない。来るな」
「じゃあおにいも行かない」
「五貴君は行くの。行くよね?」
「あ、あの俺は……」
「行かないの。ねっ?」
「黙れおっぱいのおばけ」
「ああ? てめえが黙れ乳無しチビ女」
「やっぱり退治してやる」
「上等だ。表に出やがれ」
「まあまあ……」
睨み合う2人のあいだへ入って止める。
行けば兎極が怒るし、行かなければ朱里夏さんが怒る。
どっちを選んでも角が立ち、選択が難しかった
……
次の日、学校から帰って来た俺が取っ組み合う兎極と朱里夏さんを止めていると、
ピンポーン
「あ、誰か来た」
それを理由に2人の喧嘩を制止し、インターホンのカメラを確認する。
「あっ」
と、玄関の前に見えたのは優実ちゃんだった。