覚醒
私は兄上を見つめる。目は血走っており肌も痩せこけている。まさに不健康そのものだ。
こんな姿をしていたのか。私の知っている兄上の姿ではない。
私は兄上を見てそんな感想を抱く。今の今まで気づかなかった。兄上の姿をしっかりと視界に収めたのは久しぶりだ。
いつ以来だろう?いつから兄上のことを見なくなった?
でも今はそんなことはどうでもいい。倒すべき敵の余計な情報は要らない。
「イラつく……なんなんだよその目はァ!」
兄上の剣をよく見る。さっきまでは速いと感じていたのに今では余裕で対応できる。それだけじゃない。まるで時の流れが遅くなったように感じる。
「やあ!」
私は兄上の剣を弾く。時の流れが遅くなった中で私だけ元の速さで動けていると錯覚する。それに身体が軽い。魔力の流れがいい。この現象は何となくわかる。七豪剣スベルーニャの権能だ。私はまだ『三段解除』までしか正確に御せれていない。でもこの力は明らかに『三段解除』の能力を超えている。
確かガル殿は言っていたな。『三段階目と四段階目、七段階目と八段階目で能力の差が大きく違う』と。だとしたらこれは『四段解除』なのかもしれない。
今までは失敗続きだったが『三段解除』では不安だったこの状況で成功するとは願ったりかなったりだ。それに戦いの中で強くなるってちょっとワクワクする。
「なんだ、その力は?」
兄上は急に強くなった私が不思議みたいだ。
「しいて言うなら、愛の力かな?」
私は少しお茶目にウインクしてみた。……冷静になるとめっちゃ恥ずかしい。今の私はきっと耳まで真っ赤になってるかもしれない。
何やってるんだろう、私……こんな場面で……
でも愛の力って言うのも間違ってない。だってスベルーニャをくれたのはガル殿だし。それに私が覚悟を決めれたのだってガル殿を悲しませたくないからだし。
心の中でも恥ずかしいわ!何考えてるの!?
「ははは……何を言っている?こんな状況で愛だと!?笑わせるな!」
兄上は私の答えが気に入らなかったのか激昂する。
なんでそんなに怒るのかな?……うん、まぁわかるけど。私も少しふざけた部分はあった。でもそこまで怒ることないじゃん。兄妹なんだから笑ってくれてもいいのに。やはりもう戻れないのだな。
そのことに寂しさを感じてしまう。でももう大丈夫だ。私の手で決着をつけるって決めたのだから。
「今度は私から行きます!」
私は上から斬りかかる。兄上は受けとめようとするが無駄だ。今の私には止められない。手首に力を入れて強引に振り下ろす。
「うぐっ」
兄上はくぐもった声を出す。返り血が顔にかかってしまう。血は赤い。それはどの生物も変わらない。まだ兄上は人間なのだ。
そういえば私は人間を相手にしたことがなかったな。これが人を切る感触か。動物と魔物を切るのとは違う。でも魔族を切る感触に似ている気がする。
しかしそんなことを考える暇なんてなかった。
「くそ、クソクソクソクソ!クソガァ!」
兄上は私に傷つけられたからか怒りがさらに膨れ上がる。
「貴様ァ!俺の身体によくもよくもよくもォ!」
兄上からはもはや理性のかけらも残っていないように見える。だんだんと魔物化していっている感じがする。
兄上からさらに強大な魔力が溢れるのが視える。
もしかしたら力が強まるごとに理性がなくなっているのかもしれない。それならばできるだけ力が強まる前に倒したい。殺すと決めていたとしても殺さない選択肢があるのとないのとでは全く違う。
まだ兄上が人間であるうちに、倒す!
「ウガアアアアアアアアアアアアアアアア!」
兄上のそれはもう動物の叫び声だ。理性をなくした獣に負けることなどない。
兄上、すまない。
私は心の中で兄上に謝罪する。
「秘剣『翔天堕獄』」
剣は不規則な軌道を描く。剣先だけ見れば変幻自在に動く蛇のようだ。上に下に右に左に。兄上の剣を弾いたと思えば今度は兄上の足を切りつける。そして左肩を、右わき腹を、右手首を、次々と斬りつけていく。兄上はだんだんと血まみれになっていく。
「ウガァ!」
兄上は怒りに任せて無造作に剣を振るう。その剣は偶然私の剣に当たり、私の技が止められてしまった。
それを機に兄上は私から距離を取る。
しかしすでに兄上の身体はボロボロだ。もう長くはないだろう。
「兄上、終わりにしましょう」
私は剣を構える。きっとこれが最後になる。
兄上もそれが分かったのか力をためている感じがする。
闘技場にピりついた雰囲気が漂う。
死ぬのは私か、兄上か。勝負は一瞬だ。気は抜けない。
そんな私の覚悟は予想外の形で裏切られた。
初めに異変に気付いたのは黙っていた兄上の急な疑問の声だった。
「な、なんだ?」
兄上は剣を握っている右腕を注視する。すると剣から黒い靄のようなものが兄上の腕に絡みついた。
「……え?」
あまりに予想外の出来事に混乱してしまう。その一瞬が致命的だった。
黒い靄は腕からだんだんと兄上の身体全てを蝕むように覆っていった。
「なんだよこれ!?離れないし気持ち悪りぃ!」
兄上は何とか黒い靄を振り払おうとしているがまったく剝がれる様子がない。このままでは兄上が飲みこまれてしまう。
そう考えた瞬間、私は手を伸ばしていた。特に何も考えていない。一種の本能だった。ただ目の前の人を助けたいと思っただけ、のはず。
「助けてくれ!リーゼ――――」
兄上の声は最後まで聞けず私の手を空を切った。
黒い靄は兄上をすべて飲みこむと黒い剣に戻り、黒い剣は闘技場にカランと音を立てて落ちた。