#0-2 4年前のある日 (2)
「クソジジイ、てめぇ…!」
「あっちのお客人の方が金払いが良かった、ただそれだけっすよ」
匿っていたはずの自分達をまんまと売り渡した店主の生意気な表情を、魔女の少年、楓は睨みつけた。
しかし「これは当然だ」とばかりに店主の男は言い放つと、それ以上は口を開かずに堂々とその場から離れていった。
「おい、てめえ!何処行くつもり…」
「楓、伏せて!」
その時ー
楓の横で怯える銀髪の少女、杏果の咄嗟の叫び声と共に、楓の視界に自分達へ銃口を向ける男の姿が映った…
ダァン!ダンッ!ダァン!
ーガリガリガリッ!
閑静な夜の港町の静けさを切り裂くように、三発の銃声と地面を抉るかのような爆音が響き渡った…
ーーーーー
「こ、これは…」
目の前の異様な光景に、男たちは唖然としていた。
2人の魔女が潜んでいた花屋の形跡は一瞬にして跡形もなく消え去り、代わりに彼らの目の前には、突如として現れた真っ白の構造物が地面や周辺の建物を抉り、禍々しく聳え立っていた。
手に持つマスケット銃の銃口から漂う火薬の匂いが、彼らをさらに戦慄させる。
「お客人、もしかして魔女の異能を見るのは初めてっすか?」
そんな中、花屋のあった場所からいつの間にか避難していた店主の男は、再び新しい煙草に火をつけると、自分の店を地面ごと粉々にした構造物を前に独り言を呟く。
「あの少年、銃を向けられた僅か一瞬でこれだけの力を出せるとは…なかなか恐ろしいっすねぇ。とはいっても、これだけの高出力をいきなり出した分、消耗はだいぶ激しそうっすけど」
その時、店主の独り言を小耳に挟みながら男の1人が目の前の真っ白の構造物に触れた。
コンクリートのように硬いそれは、男が触れると僅かに細かい粒が崩れ落ち、男の指にくっくいた。
「これは…塩か?」
「あ、追加料金分のアドバイスっすけど…追いかけるなら早く行った方がいいっすよ。さっきの銃弾、1発だけは無駄にならなかったっぽいんで」
その時、空から1粒の雨粒が降り注ぎ、店主が咥えていた煙草の炎を濡らした。
すると、それが合図であったように晴天の夜空に真っ黒な雨雲が立ち込め、バケツを逆さにしたかのような豪雨が男たちへと襲いかかった。
ーーーーー
一方、楓と杏果の2人は動乱に乗じて人気のない港の貿易エリアへと逃げ込んでいた。
大粒の雨が降りしきる中、楓に手を引かれるまま走る杏果は、鮮血の滴る左腕から響くように感じる痛みに耐えかねていた。
「…いたぞ、あいつらだ!あっちの方に逃げ込んでいったぞ!」
「…もう来たのかよ…!杏果、こっちだ!」
2人の背後から男たちの怒声と銃声が雨音に混じって響き渡り、逃げる楓たちを標的に無数の銃弾が雨粒を切り裂きながら横切っていく。
1発の銃弾が彼の頬を掠めた。擦り切れた箇所から血が流れ出るが、そんなことを構っている暇など無かった。
杏果の手を引き、追っ手たちを撒くために一心不乱に走り続ける。
その時、立ち並ぶ倉庫の中の一つに扉が開かれ明かりが付けられた倉庫を見つけた。
「しめた…!」と楓は内心思った。
こんな朝方に倉庫に人がいるということは、丁度漁から帰ってきた船が市へと魚を仕入れようとしているのだろう。
そして、もしその仮定が正しければ、近くに漁から帰ったばかりの漁船があるはず…!
「…よし!杏果、あと少しだ…」
楓がそう言いかけた、その時…
ズシャッ。
「ぅあっ…!」
肉を引き裂くような生々しい音に混じり、杏果が悲鳴を上げて突然倒れ込んだ。
驚いた楓が振り返ると、背後から飛んできた銃弾の1発が彼女の左脚へと命中し、貫かれた太腿から赤黒い鮮血が流れ出ていたのだ。
「…杏果!」
ーダァン!
足から血を流し倒れる杏果に手を伸ばそうとしたその時、新たに撃たれた銃弾が今度は楓の肩へと直撃した。
「…よし、男に当てたぞ!」
「ぐっ…!」
まるで重りで殴られたかのような衝撃と鋭い激痛に、楓は思わずよろめいた。
足と左腕を銃弾に貫かれ、身動きの取れない杏果。
追い詰められた2人を目前に、銃弾を再装填しながら距離を詰めてくる男たち。
…最早、逃げることは不可能だと楓は考えた。
5人の男たちが歩み寄ってくる中、左肩の激痛に顔を顰めながらも、楓は最後の力を振り絞って彼らに立ち向かおうとする。
ー白い稲妻が彼の掌に集まり、荒波がざわめきながら港の防波堤を叩きつける…
だが、その時。
「…もういいよ、楓!」
苦痛に悶えながらも叫び声をあげ、杏果は今にも戦闘を始めようとする楓のことを静止した。
驚く楓を前に、杏果は歯を食いしばりながら答える。
「私はもういいから…楓だけでも逃げて!」
「…は?お前、いきなり何言って…」
その時、杏果は左の掌を楓に見せた。
そこには切りつけられたかのような傷が幾つも付けられており、滲み出た血液が腕を滴って流れ続けていた…
「その傷…お前、まさか…!」
「…うん。もう、全部使い切っちゃったみたいなんだ…」
ー追っ手の男たちは遂に2人の元へと追いついた。
その中の一人で、金属の槌が埋め込まれたハンマーを持った男が杏果の背後に立つと、彼は手に持ったそれを思い切り宙へと振り上げた。
筋骨隆々なその身体が振り上げた超重量のそれは、ブォンという轟音と共に小さな暴風を巻き起こし、杏果の銀髪を微かに揺らした。
「…女、その男を差し出せ。さもなくばこいつを、お前目掛けて振り落とす」
低く威圧感のある声が杏果へと語りかける。
だが、彼女はその男に何も答えなかった。
彼らの標的が自分ではなく、目の前の少年であることを知っていたから…
「…楓、あとはよろしくね」
その一瞬、杏果は、今まで感じていた苦痛と恐怖の一切を忘れることが出来た。
楓に向かって精一杯の笑顔を見せた後、杏果は男たちの方へ振り返ると、右腕に隠し持っていた小さなナイフを取り出し、それを宙へと振り上げた。
血で染められていた刃が宙へと上がり、刃先から鮮血が滴る。
…だが、未だ降りしきる大雨の中、その刃先が振り下ろされることはついに無かった。




