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ロイヤルポストの守護者  作者: 神崎裕一
プロローグ
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第一話 消えゆく命と郵便配達員

 その街は、今日も前に進んでいた。


 歴史が長く、街という形を形成してから何年と経った街の空気は埃っぽい。レンガでできた街の景観は観光地にふさわしいものだ。その街を歩くのは、そこに住む人々。


 幸福。不幸。愉快。辛辣。様々な表情をした老若男女が街を歩いていく。

 進行方向も違えば向かう場所も違う彼らが進むのは自身の日常。それぞれの生。


 その人生の道を、遠くから眺める男がいる。男がいるのは裏通りにあるゴミ捨て場。


 衛生的ではない環境に抱かれるであろうかの地にて、その男は虚ろげな瞳を浮かべる。

 腰を据え、通りを見つめる彼の周りには、異変が起きていた。


 光の玉。丸く。それでいて小さな光の玉が男性の体内から現れては消えていく。


 男は自分の手を。三〇年と共に過ごしてきた自身の手を目の先まで上げてみる。すると手が透け、ゆっくりと消えていくのが確認できた。時間が経つ度に光が現れ、その度に体が透けていく。この事実に最初は失望し、混乱したけれど今は違う。


 ――いったいどれだけの日数が経ったのかは、覚えていない。思考もしていない。


 覚えているのは、目が覚めたら母国に帰ってきていたということ。砲弾の雨。木霊する機関銃の猛火。死屍累々の戦場にいたかと思えば、気が付いたら自分は母国にいた。


 最初は混乱した。混乱したけれど嬉しかった。だから帰ると約束した妻の下に向かった。


 でも、世の中はそう甘くはない。


 妻には逢えた。見慣れた玄関を開け、明るい声で妻を呼びかけた。返事がないので部屋に行った。そこで俯く妻がいたので後ろから抱きしめようとして――知った。


 手が。体が。自分の体が妻の体を貫くのを。触れる事が出来ず声を掛けても反応がないのを。


 その事実が彼に突きつけた。ある事実を。変えられない現実を。


 そうだ。俺は死んだんだ。あの戦争で、あの大陸戦争で戦死したんだ。


「……神様。あんたは酷い人だ。なんで俺をこんな風にした」


 絶望の沼に抱かれた男は、空を見上げながら笑みを浮かべる。

 瞳を閉じた彼は、逢うことのできない妻への思いを、空に向けて吐露する。


「ユリア。俺は、俺は――君に」


 男の手が下がる。全てが諦めに繋がろうとしたその時だ。


「――ッ!」


 その手を握った者がいた。その事実に男は驚愕の眼をし、目の前の少女を見る。


 長髪の、キャスケット帽をかぶった娘だ。人懐っこい顔立ち、白い肌、上下黒の衣類に肩掛けバッグ。それらの特徴からわかるのは、目の前にいるのは郵便配達員の少女という事。


「――やっと見つけましたよ、マニラさん」


息を切らし、彼女が嬉しそうな顔をした。肩で息をする彼女の様子と真っ直ぐな瞳がこちらを見ている。間違いない、彼女は彼を探していたのだ。ずっと、ずっと探していた。


「私はアイリス。アイリ・スターランド。アーリントン支部の郵便配達員です」


若い娘はそう名乗り、男の手を強く握り締める。触れられている、その事実に男は狼狽する。


「き、君は何故。俺に触れられるんだ」


「私達には特別な力があるんです。それより聞いて下さい。もう時間がないんです」


 アイリスという少女は焦るように、グイッと顔を近づけてある事を告げる。


「今すぐ。今すぐ私と奥さんの所に行きましょう。私の頭にはこの街の地図が入ってます。近道は全部知ってます。私がいれば、奥さんと話せます。触れ合う事も出来ます。だから早く行きましょう? せっかく神様がくれた唯一の機会なんですから」


 彼女が述べたのは、男が叶えたいと思っていた内容だった。

 思わず目を大きくする彼に、郵便配達員の少女はにこやかな顔をする。


「無駄にしたら、勿体ないじゃないですか。私が必ず、連れて行きますから」


 その瞬間、男は。ようやく理解した。この少女は希望を持ってきたのだ。


 そうだ。この国の郵便配達員というのはいつもそうだ。妻に恋文を頼んだ時も、戦地で妻の手紙を持ってきてくれた時も、郵便配達員の少女達は笑っていた。この国の郵便を請け負う少女達はいつも俺達に希望を与えてくれた。その少女の一人が、家族の下へ連れて行ってくれる。


「……はは。はははは。変わらねえなぁ、郵便配達員ってのは。でもいいんだ」


少女の提案を、男は首を振って断った。しかし少女が黙っていない。


「な、何を言っているんですか! 早く行かないと!」

「いいやいいんだよ。ほら、行こうにも俺にはもう足がない」


 男はケラケラと笑い、自分の下半身を指差す。

 そう、男にはもう足がない。下半身はとっくに透けていて、力が入らない。もう、歩けない。


「おぶっていきます! 背負って行きますから!」

「いいんだよ。君は最後に、俺に夢を見せてくれた。あぁそうだな、これだけは頼む」


 男は懐から一通の手紙を取り出す。少女にそれを託し、彼は微笑む。


「これが最後の、手紙だよ。いざという時の為に用意しておいたんだ」


 そう告げると、少女が涙で潤んだ瞳を見せた。今にも泣き出しそうな顔をして、彼女は言う。


「……必ず、必ず届けます。必ずっ」

「ありがとう。よろしく頼むよ、アイリス」


 それが、先の大戦で死亡した男の最後の言葉であった。

 もはやそこに、マニラという男の姿はない。彼の体は光の玉が全て連れ去ってしまった。

 だからアイリスの目の前にあるのは、確かにいたはずのマニラがいないという事実のみ。


「……約束します。必ず、送り届けます」


 その事実を突きつけられた娘は静かに立ち上がる。涙を孕んだ視線を下げた娘は、新たな世界へと旅立った男のために先へと進む。近くに住む、彼の妻の下へと向かって。

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