流星群
俺の横に座る凛は「その、結衣って、もしかして白石結衣さんのこと?」
俺はうなずいて答える。そして、その言葉で確信した。やはり凛は結衣の生まれ変わりだ。凛が白石という姓と結衣という名を結び付けられるわけがない。今回の報道も結衣は少女Aと報じられた。おそらく記憶は完全に戻っていないにしろ、少しずつ戻りつつあるのだ。これ以上、前世の会話を続けるのは危険かもしれない。でも俺は、結衣に伝えたいことがあった。未だ、語られていないあの日のもう一つの秘密。そしてもう俺に対して罪悪感なんて持つ必要はないということを。
俺がどこから話したらいいか考えていると、凛は不思議そうに言った。「なんで私が結衣さんなの?」
「分からなくてもいい。ただそうだとしか言えないんだ。そして、結衣、俺はお前に伝えたいことがある」
「意味が分からないよ。私は結衣さんじゃないよ」
「お前は生まれ変わったんだよ。だから今回の結衣の報道を聞いて、お前の心の深い部分が傷ついたんだ。でももう過去のことなんてどうでもいいんだ」
そう説明しても凛はぽかんとしたままだった。そして言った。「そもそもなんでリクちゃんが私のお母さんの妹のことを知ってるの?」
今度は俺がぽかんとする番だった。「お母さんの妹?」
「だってリクちゃんが話している人って、私が生まれる年に亡くなった、お母さんの妹、白石結衣さんのことでしょ?なんで私が結衣さんで、リクちゃんは白石結衣さんのこと知ってるの?」
混乱した。どういうことだ。「そう言えば、お前のお母さんの名前って」
頭に浮かぶ凛の母親の名前。それは確かに、ここのところ頻繁に連絡を取り交わしていた結衣の姉の名だった。結衣と結衣の姉は歳が離れている。結衣の姉の結婚式に出席する写真は秘密の日記帳にも残っていたし、年齢的に凛の母親が結衣の姉でもおかしくない。
「いや、それでもわからないな。凛はなんで秘密の日記帳を知ってたんだ。それに死にたいってどういうことだよ」
俺がそう唖然としながらいうと、凛はさも当然のように言った。
「昔からお母さんはあのサイトを眺めては、ここに結衣さんの自殺の理由が書かれているって話していたんだけど、パスワードがわからなくてどうしても開けなかったの。それがここにきて真相を知る誰かがパスワードを教えてくれたんだって。そしたら色々、過去のことがわかったみたいで。お母さんずっと泣いてたの。私には内容を教えてくれなかったけど、そんなお母さんを見てたら私まで悲しくなってきちゃって。おまけにリクちゃんは私と一緒にいてくれないし、メッセージ無視したり、意地悪するし。私だって死にたくなるよ」
俺はあっけにとられて言葉が出なかった。凛がスマホで秘密の日記帳を眺めていたのはそういうことだったのか。いや、まだ疑問は残っている。「結衣じゃないなら、なんでお前は俺に執着するんだよ。俺なんかと一緒にいる必要ないだろ」
凛は俺の手を握った。「なーに言ってんだか。知っての通り、昔からずっと片思いなんですけど」そう話す凛の目には涙が浮かんでいた。「リクちゃんはいつも振るけどね」
俺は何も考えられなくなって、芝生にばたりと体をうずめた。確かに凛の言うことが確かなら、全てつじつまが合う。でも、腑に落ちない。じゃあ結衣は今、どこにいるんだ。もう会えないのか。凛は空を見ながら言った。
「会ったことはないけど、この前、結衣さんが夢に出てきたなぁ」
「夢?」
「そう、この前、結衣さんの十七回忌の法要があって、お母さんの実家に泊まった時にさ」
そういえば俺と結衣が自殺したのは一六年前だから今年は一七回忌に当たるのか。
「お母さんの実家に泊まる時は結衣さんが使っていた部屋で私は寝るんだけど、その晩の夢に結衣さんが出てきたんだ。ちょうど私くらいの年齢の結衣さん。結衣さんは私の手を今リクちゃんと握っているみたいに握るの。それで、ヒロちゃんは弱い子だから私の代わりに守ってあげてねっていうんだ。私がヒロちゃんって誰?って聞くと、あなたの横にいる幼馴染のことだよって教えてくれるの。変な夢でしょ。リクちゃんと名前違うし、結衣さんは十六年前に亡くなっているんだから、リクちゃんのこと知っているわけないのに」
凛はそこで言葉を止めた。「それでなんでリクちゃんは結衣さんのこと知ってるの?お母さんから何か聞いたの?」
返す言葉がなかった。俺は凛とつなぐ手をぎゅっと強く握ることしかできなかった。
「今日のリクちゃんなんか変だよ」凛はそう言って優しく笑った。「それで、私に伝えたいことってなに?」
俺は何かを言いかけて、その言葉をそのまま飲み込んだ。
結衣に伝えたかったこと。それは、まだ語られていない、もう一つのあの日のことだ。
ラブホテルから高槻と結衣が出てきたあの時。俺がラブホテルを眺めていた理由、俺の隣にいた女子のこと。結衣に裏切られたと傷つき、そして結衣を裏切ろうとしていた自分自身に傷ついたこと。一人傷ついて、全てから逃げ出して、自殺という卑怯な方法を選んだ自分のこと。俺は幼馴染が信用できないばかりか、自分すら信用できないこと。でもヒロと結衣という二人の幼馴染の物語はもう終わったのだ。互いに前世を忘れて前に進もう、そう伝えたかった。
また光が夜空を流れると、隣の凛は「見て!すごいね今夜は!」と声をあげた。そして俺の顔を覗き込んだ。「リクちゃん、泣いているの?」
俺はいつの間にか涙を流していた。なんで涙が出るのかもわからないけど、ただただ涙がこぼれた。凛は俺の顔を胸で抱きしめた。「私は泣いてばかりだけど、リクちゃんが泣く姿なんて見るの初めてだよ」
確かに俺は生まれ変わって泣いたことがない。泣くには二度目の生はあまりにも空虚で、心に響くものがなかったからだ。前世の俺は違った。いつもいつも泣いてばかりいて、その度に結衣になぐさめてもらっていた。凛が今してくれているように、優しく抱きしめてくれた。なんであんなに仲の良かった二人はうまくいかなかったのだろう。その答えを俺は知っていた。全ての過ちはあの日以前に始まっていたのだ。
抱きしめる凛の腕から離れ、幼馴染の瞳を見つめた。
「凛、伝えたいことがある」
凛は目をつぶった。「はい、どうぞ。気持ちの整理はできてます」
俺は一呼吸置いてから言った。それは前世で決して口にすることがなかった言葉だ。
言い終えると、凛は目を見開き、ぎこちなく笑った。やはり目には涙が浮かんでいる。「ずっとずっと、ずーっと昔からその言葉待っていました。私なんかでよかったらよろしくお願いします」
僕らの頭上を2001年の流星群と言わないまでも、たくさんの星が過ぎていった。
人は皆、二面性を持っている。隠し事だって持っている。それは純真な目で空を見つめる凛だってそうだ。誰だってそうなんだ。でも少なくとも、自分からこの繋いだ手は二度と離さない、そう俺は決めていた。