第一話
人々の生活を脅かした魔王メルバを『婚活の勇者アンジェ』が討伐して一年、この世界『オーランド』には平和が戻っていた。魔王によって分断された北と南の流通網も徐々に整備され、日常と――そして活気が、人々の生活に戻って来ていた。
「……何故だ」
「……」
「……何故……何故だぁ!!」
「……やかましい、アンジェ。騒ぐな」
「これが慟哭せずに居られるか、オラトリオ!! なぜ……なぜ!!」
そんな平和なオーランドの北方にある国、ミスタリア王国の王都に『勇者庁』がある。魔王メルバは討伐されたと言っても、魔物自体はまだまだオーランドには残っており人々の安全の為に『勇者』と呼ばれる警護官が護衛の任務を司っているのだ。
「なぜ……カトリーナ……ううう……」
そんな勇者庁の長官を務めるのが我らが英雄アンジェリーナ・スタロフ。魔王メルバを討伐した『勇者』であり、オーランドに住まう民、全てが憧れる勇者である。そんな勇者アンジェリーナ、通称アンジェは勇者庁長官室で手紙を握りしめたまま机に突っ伏していた。そんな情けない姿に『授ける神』であり『記録する神』であるオラトリオが小さくため息を吐く。
「……つうか、そんな事で一々大騒ぎするなよな? 別に初めてじゃないだろ?」
「何を言う! カトリーナとは昔から誓いあっていたのだ!! 絶対に、絶対に――」
手紙を握りしめたまま立ち上がるアンジェ。
「――絶対に、結婚はしないと!!」
バンっと叩きつけた手紙には、『私たち、結婚することになりました』と書かれていた。アレである。結婚の御報告である。
「……いや、そうかも知れんが……」
「何故だ! 何故私は結婚出来ない、オラトリオ!!」
「なんでって……」
「自分で言うのはなんだが、そこそこ見れる顔立ちだろう!! 地位だってある!! お金だって持ってるだろう!! スタイルだって悪くない筈だ!!」
「……まあな」
実際、アンジェは美しい女性ではある。女性ではあるのだが。
「……流石に『世界を救った勇者』って肩書が重すぎるんじゃないか?」
これだ。言ってみれば世界の英雄、釣り合う男なんてそうそう居ない。
「私が『勇者』になりたいと言った訳ではない!!」
「おま、『授ける神』の前で何てこと言うんだよ」
「そうだ! 私が結婚できないのはオラトリオ、全部お前のせいだ……お前のせいだぞ!! 責任を取れっ!!」
「……んな事言われても……」
「そもそもなんだ、『勇者庁』って!! 『まだまだ人々の往来には不安がある』? 『我々には勇者アンジェリーナの力がまだまだ必要なのだ』? なんだよ、それ!」
「必要なんじゃね? 魔王は狩ったけど、まだまだ魔物多いし」
「はん! 知るかっ!! 自分の身は自分で守れ! そもそもだな? 私、今二十連勤だぞ!? 休みは? 私の休みはいつの間にデリートされたんだ!! 毎日毎日、執務室に籠ってハンコを押す仕事をして出逢いなんてある訳ないだろう!! 有給を! 有給を申請する!!」
「有給って……っていうか、世界を救った勇者様が流石に知るか、は不味いんじゃね?」
「自らの家庭の平和も守れないのに、世界の平和なんか守ってられるかっ!」
「いや、お前……守るべき家庭、無いじゃん」
「あー! 言ったな!! オラトリオ、言っちゃダメな事言ったな!!」
「いや、事実――うわ! 出すな!! 光の剣を出すなっ!」
「お前は斬られても死なんだろうが!」
「死なねーけどいてーのはいてーの!」
わーわーと騒ぐ二人。と、執務室のドアがコンコンコンと、三度ノックされた。
「……入れ」
「失礼しま――どうしましたか、オラトリオ様? その様に頭を抱えられて」
「どうしましたかって、サラ、見れば――」
そう言って視線をアンジェに向ければ、先ほどまで鬼の形相で『神代の武器』光の剣を振りかざしていたアンジェの姿はなく、執務室の椅子に座って書類を片手に持っているアンジェの姿があった。腐っても伝説の勇者、その辺りの切り替えは巧いのである。
「……おかしなオラトリオ様ですね」
「気にするな、サラ。オラトリオが変なのは今に始まった事ではない」
「……ひでぇ……」
オラトリオ、不憫。そんなオラトリオにちらりとも視線を合わせる事なく、アンジェはサラ――勇者庁勇者長官公設第一秘書であるサラ・リグレットに視線を向ける。
「それで? 今日はどうした、サラ?」
「財務卿から決裁の書類が回ってきております。内容は勇者庁の予算案との事で……決裁権限は次長で構いませんが、長官の目を通した方が良いかと思いまして」
「また削減か?」
「正確には『もう少し、国事行事にも顔を出して欲しい。それが叶えば削減案は撤廃、それどころか予算の増額も約束する』だそうですが」
「……これ以上、私に仕事をしろ、と?」
「長官は我が国の顔ですので。他国に対する示威行為にもなりますし……何より、民は皆、長官のお顔を見たいのですよ」
「……」
「愛されていますから、長官は」
「……嬉しく無いとは言わないが、一人の愛が欲しいんだ、私は」
「はい? なにか仰いましたか?」
「……なんでもない」
「そうですか。それでは、これを――ああ、そうでした。私、今日は早上がりをさせて頂きます。一週間前に申請しておりましたが、一応」
「……そうだったな。そう言えばそんな申請が来ていたな。分かった、もう帰るのか?」
「もう少ししたら、ですかね。待ち合わせもありますし」
サラの言葉に、アンジェの眉がピクリと動く。
「ま、待ち合わせ……だと? そ、それは何か? で、デートか何かか? そう言えば、今日はいつもよりオシャレに見えるな? な、なんだ? サラに、そ、そんな想い人がいたのか?」
サラ・リグレットは黒髪ボブカットの美女である。年は二十一歳、才媛として名高く、感情表現が豊かでないことを除けば、十分庁内でも人気がある。彼氏の一人や二人、居てもおかしくは無い。
「あ、いや、せ、詮索している訳では無いぞ? 無論、羨ましいともズルいとも思ってないからな! た、ただ、ぶ、部下の動向は上司としてだな? は、把握しておく必要があると思ってな!!」
「……はぁ」
なんとも胡散臭い弁明に、困惑した様な表情を浮かべるサラ。いつもは凛々しく、一本筋が通った、同性のサラから見ても魅力的なアンジェだがごくたまに、こういう訳の分からないことを言い出して困ることがある。まあ、そんなちょっとポンコツの所も魅力ではあるとサラは思ってはいるのだが。
「私に想い人はいません。今は仕事が恋人、という所でしょうか」
「そ、そうか」
あからさまにほっと息を吐くアンジェ。アンジェとて、有能な部下の恋路ならば応援したいという気持ちはあるにはある。あるにはあるのだが……流石に、先を越されたら悔しいし悲しいのだ。
「では、友達と待ち合わせか?」
「まあ、そうですね。友達と待ち合わせなんですが……」
「? どうした? 歯切れが悪いが……」
アンジェの言葉に、面倒くさそうな表情を浮かべて。
「――合コンなんですよ、今日」
そんな爆弾を投下した。