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作品作り  作者: 詩海青登
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死と美を求める少女。

 6月下旬。今年の梅雨入りは例年より遅いが、降りしきる雨に変化を感じない。長時間に渡って降り続ける雨水が建物の隙間に容赦なく入り込み、水溜まりを作り、下の階にも滴ってくる。ただし、ここには水溜まりだけでなく、血溜まりもある。

「被害者は、富田浩一(とみたこういち)、38歳。仲英社の雑誌記者です」

 今は昼時。連日の雨から逃れようと忍び込んだホームレスの男性から、男性の死体があるという通報を受け、捜査一課の刑事や鑑識たちが駆けつけてきたのだ。

 今回駆けつけたのは、署内で「捜一のトリオ」と呼ばれている三人だ。

 丸い眼鏡が特徴の木下和也(きのしたかずや)巡査長。

 スポーツ刈り気味の短髪の手塚昌(てつかあきら)巡査部長。

 オールバックと背広姿が似合う田村義博(たむらよしひろ)警部補。

 被害者の身元確認を終えると、田村警部補は後輩二人を連れて、今度は鑑識を尋ねた。

 岸田米蔵(きしだよねぞう)警部補。

 田村警部補の同期だ。

「どうだ?」

「詳しいことはこれから調べるが、被害者は背中を刺されている。死因は大量出血による失血死。死後半日は経っている。現場には足跡が残されているが、被害者のじゃない」

「犯人は被害者を拉致した後、ここで殺害したと?」

「かもな。血の量を見るに、ここで殺されたことは確かだ」

 鑑識の報告を受けている田村警部補を見ながら、手塚巡査部長は考える。

(何故犯人は被害者をわざわざここに運んだんだ?死体の発見を遅らせるためか?立ち入り禁止の柵のせいで中に入れるのは大変なんだから、それを見られたり、服に指紋や皮膚片がつく可能性もあるのに?だったら袋に入れるなり、ごまかす手段はあるはずだ)

 犯人はアホなやつなのかとも考えていた手塚巡査部長に、田村警部補が呼び掛けた。

「手塚。お前は木下と一緒に周囲の聞き込みをしてくれ。俺は仲英社の方をあたってみる」

「分かりました」

 短い挨拶と共に、三人は現場を離れた。


 それから数時間後。

 手塚巡査部長と木下巡査長の聞き込みは夕方まで続いたが、芳しい情報は得られず、雨が降ってきたこともあって、二人は一旦本部に戻ることにした。

 戻る途中、田村警部補から遺留品の整理が終わったため、鑑識課に来てほしいと連絡があった。

「どうだ?」

「ダメでした。近くに住宅地とかがなかったためか、昨晩近くにいた人は見つかりませんでした。死亡推定時刻あたりに、もう一度当たるしかなさそうです」

「そうか・・・。こっちも芳しい情報はなかった。特に変わった様子はなく、いつも通りに退社したそうだ」

「岸田さん。遺留品はこれらですか?」

「ああ。被害者の服のポケットやカバンに入っていたものは、これで全部だ。指紋等も調べてみたが、犯人に繋がる手がかりは見つからなかった」 

 机の上には、ビニール袋に丁寧に入れられた物品が並べてあった。

 財布にハンカチ、ポケットティッシュ、被害者の血が付いた布マスク、家の鍵、折り畳み傘、資料を纏めたクリアファイル、ボールペン、ノートパソコン。

 一見特に変わった様子はないように思えるが・・・

「携帯と、手帳がありませんね」

「ああ。記者なら普通持ってるはずだ。犯人が持ち去ったのだろう」

「つまり犯人は、被害者と連絡したと」

「近くに呼び出した後、犯行に及んだと考えるべきだろうな。そして、証拠を持ち去った」

「それじゃあ、手帳にも・・・」

「手がかりがあるかもしれないな。岸田。死亡推定時刻と凶器については?」

「先ほど検死が終わった。死亡推定時刻は、昨日の21時から23時。凶器についてだが、少し妙なものだった。」

「妙なもの?」

 顔をしかめる田村警部補に、検死結果の資料を渡した。

「死因は、出血多量による失血死。被害者を背中から刺した凶器は心臓にまで達していた。凶器は、遺体の横に転がっていたナイフなのだが、柄の部分に五芒星が彫り込まれていてな」

「海外のメーカーということですか?」

「いや。犯人自らが彫ったものだったよ。理由は分からんがな」

「変な奴だ」

 資料を読み終えた手塚巡査部長が呟いた。

「後、被害者のみぞおちには、蹴られたような打撲痕があった。特徴的な凹凸から察するに、プロテクターの類を、膝に仕込んでいたんだろう。被害者を気絶させるためにな」

「計画性のある殺人とみて良さそうだな・・・。パソコンの中身は?」

「被害者がこれまで関わった事件について、手帳の中身が画像データとして保存されていた。恐らく、盗まれた手帳以外全ての分が」

「良し。聞き込みの時間まで、それらの事件について洗い出すことにしよう」

「「了解!」」


「何とか見つかりましたね。目撃者」

「ああ。被害者に肩を貸しながら歩いていた、黒い雨合羽を着込んだ男が一人。酔っ払いを運んでいたと思えば、不審がらないな」

 夕方からずっと降り続けている雨の中、聞き込みを終えた木下巡査長と手塚巡査部長は、帰路についていた。雨脚が強いため、聞き込みを終えたら報告を電話で済ませて、そのまま帰っていいという、田村警部補の配慮だ。

「しかし・・・分からないな」

「何がですか?先輩」

「犯人は被害者を、何故わざわざ廃墟に移動させてから殺したんだ?被害者が警戒しないよう、別の場所に呼び出したとして、その場で殺さなかったのは何故だ?」

「人に、見られたくなかったんじゃないですか?」

「なら、その辺の橋の下で殺したとしても可笑しくないし、雨で増水した川に遺体を投げ捨てることだってできたはずだ。なのに、犯人は人気のない立ち入り禁止の廃墟を殺人の場に選んだくせして、死体を隠そうともしてなかった」

「変なところで抜けていたんじゃないですか?」

「いや・・・。俺にはどうもそうには思えない」

 前方の信号が黄色になったので、手塚巡査部長は余裕を持って、ブレーキペダルを踏んだ。

 こういった雨で濡れた路面で事故を起こさないコツは、無理せず、急な操作をせずだ。

 手塚巡査部長が運動している四駆のスポーツカーとて、濡れた路面でも比較的安定はするものの、過信は命とりだ。

「凶器に彫り込まれた五芒星も気になる。ただ殺しただけなら、自分でナイフに細工をしたりしない。」

「何か他に理由があるということですか?」

「恐らくな」

 信号が青になるタイミングを見計らってクラッチを繋ぎ、シフトノブを操作し、ゆっくりとアクセルペダルを踏む。今時マニュアル車に乗ってる人は珍しいだろうが、手塚巡査部長はちゃんと乗りこなしている。

「嫌な予感がするな。近いうちに、似たような殺人が起きるかもしれねえ」

「えぇ・・・」

「なんにせよ、一刻も早く犯人(ほし)を挙げる。それが俺たち刑事の仕事だからな」


 同じ国の同じ県の同じ町の何処かで殺人が起きようとも、それが日々の仕事を休む理由にはならない。

 今日も町は人で溢れ、各々のために動き、働いている。

 それは恐らく、誰かを探すように、辺りを見渡している一見不審な男にも。

 それは恐らく、全身を黒い雨合羽で覆い、黒いペストマスクを被った男にも。

 路地裏からのそりと出てきた黒づくめの男は、少し焦ったような表情で顔をせわしなく動かしている男に近づき、右手に持っているものを突き刺した。

 空気の抜けるような声と共に、男は崩れ落ちた。

 しかし、黒づくめの男は逃げることもせず、懐からハンマーを取り出し、それで男に刺したものを打ち込み始めた。

 カン!カン!という音と共に、男の胸に金属の杭が刺さり、着ているシャツが赤く染まる。

 その凶行に通りすがりの人々が怯え、悲鳴を上げ、あるいは、おもむろに携帯端末を向けようとも、黒づくめの男は気にせず、杭を叩き続けた。

 時間にして一分前後。黒づくめの男はハンマーを懐にしまい、路地裏へと立ち去った。


 黒い雨合羽を着た男が人を刺しているという通報が殺到してから数十分。現場には青いビニールシートが張られ、多くの野次馬が集まっている。

「むごいな・・・」

「ああ。どれだけ苦しかったか、顔を見ただけで分かる」

 険しい顔をしている田村警部補と岸田警部補のところに、手塚巡査部長と木下巡査長が戻ってきた。

「田村さん。野次馬に聞き込みをしたところ、犯人は身長170センチほどで体格は平凡。黒い雨合羽を着ていて、黒いペストマスクを被っていたそうです」

「ご苦労。今鑑識が、遺留品を調べている」

「田村警部補」

 噂をすれば、岸田警部補の部下が名刺と運転免許証を持ってきた。

小野田正司(おのだまさし)35歳。神ヶ丘高等学校生活指導担当か・・・少し借りても?」

「でしたら、写真にとって、その場で渡します」

「ああ。頼む」

 名刺と身分証明書を返すと、田村警部補は少し考え、口を開いた。

「岸田。凶器に五芒星は彫り込まれていたか?」

「星ならあったぜ。ほれ」

 岸田警部補が凶器である金属製の太い杭を携帯ライトで照らすと、側面に五芒星が刻まれていた。

「え・・・じゃあ・・・」

「田村さん。まさか・・・」

「どうやら、そういうことみたいだな。移動しながら話す。手塚。木下。神ヶ丘高等学校に向かうぞ」


「神ヶ丘高等学校暴行致死事件?」

「二人とも覚えているだろう。半年以上前に起きた事件だ」

「ええ。それが、今回の事件に関係していると?」

「まだ、可能性がある程度の話だが」

 三人は手塚巡査部長が運転する四駆のスポーツカーで、神ヶ丘高等学校へ向かっていた。助手席に座っている田村警部補は何かに感づいたらしく、後輩二人に説明した。

「先日殺害された、富田記者が残した記録を調べてみたら、事件発生当時に尋ねていたその事件の関係者をつい最近、再び尋ねていたことが分かった。肝心な情報は、残念ながら、盗まれたほうに書かれていたみたいだが」

「今回の被害者はあの高校の生活指導を担当していた教員。担任や校長も含め、尋ねそうな人物ですね」

「犯人は、あの事件の関係者を襲っているということですか?」

「断言できないが、だとしたら早急に手を打たねばならないな。富田記者が殺害されて、まだ二日しか経っていない」

「う・・・」

 関わりたくないと言わんばかりの呻き声だが、手塚巡査部長は無理もないと思った。若手の木下巡査長にとっては、少なかれトラウマになった事件だ。

 去年の10月。神ヶ丘高等学校で起きた事件だ。被害者は、三年生でサッカー部の楠田弘樹(くすだひろき)。加害者は、二年生で陸上部の佐鳥江美(さとりえみ)

 部活後のグラウンドで、倉庫から不審な音を聞いた体育教師が倉庫に入ったところ、頭から血を流して倒れていた上裸の被害者と、血の付いた金属バットを持って放心していた加害者がいたという。被害者は病院へ緊急搬送されたが、間もなく死亡が確認された。三人が担当した取り調べに対して、佐鳥容疑者は、胸をつかまれるなどされ怖くなり、必死に抵抗したと供述。実際、彼女が着ていた体操服には、被害者の指紋や掌紋がべっとりと付着していた。その後、佐鳥江美は家庭裁判所に送られ、審判の結果、正当防衛が認められ、彼女は不処分となった。

(審判に対して今更どうこう言うつもりはないが、あの子は取り調べでどれだけ揺さぶっても、終始落ち着いていたからな。今まで泣きじゃくったり、キレたりしていた容疑者しか知らなかったあいつにとって、ああいう子供は不慣れを通り越して不気味だったんだろうな・・・)

「分かってるよ、木下。俺も田村さんも同じ気持ちさ。あの子の供述からは罪悪感らしきものを感じなかった」

「そういえば、お前は彼女に殺意があったと考え続けていたな」

「状況証拠から察しただけですけどね。今思えば、物的証拠を見つけられなかったことが悔やまれますよ」

「あの状況では、そう簡単なことではあるまい。だが、今度は彼女が命を狙われるかもしれない。念のため、彼女のことも聞いておこう」


 そうして三人は、神ヶ丘高等学校を尋ねた。

 三人は応接室に案内され、しばらくすると、教員が現れた。この学校の教頭先生らしい。

 田村警部補は、遺体から拝借した名刺と写真を見せた。

「間違いありませんか?」

「はい・・・。ウチの学校の、小野田先生です」

「小野田正司さんは、雛田(ひなだ)区三丁目の喫茶店付近で発見されましたが、何か、心当たりはありますか?」

「午後5時頃に、本校の生徒が喫茶店で問題を起こしていると通報があったんです。小野田さんは正義感が強い人なので、早いうちに確認したかったんでしょう。ここ最近は、生徒への束縛も強まってました」

「と言いますと?」

「・・・。神ヶ丘高等学校暴行致死事件」

 その名前に、田村警部補は眉をひそめ、手塚巡査部長は目の色が変わり、木下巡査長は目をそらした。

「トラブルを避けるために、佐鳥さんに対して我々は、一定期間の停学処分を言い渡しました。その間、彼女には課題と一緒に、反省文を書いてもらうことにしたのですが・・・。内容が少し・・・」

「はっきり言ってください」

「手塚」

 問いただそうとした手塚巡査部長を、田村警部補が(たしな)めた。

 ややあって、教頭は口を開いた。

「学校の備品を壊したことと、我々に迷惑をかけたことへの謝罪は書かれていたのですが、遺族への謝罪が書かれていなかったんです。それで小野田先生は、佐鳥さんを厳しく問い詰めていましたが、結局彼女の態度は変わりませんでした。酒の席で、佐鳥さんをどうしようもないクズだと、罵ったほどです。それ以来、小野田先生は、生徒を倫理的な面で厳しく指導するようになったんです。」

「佐鳥江美さんが謝罪を表明しなかった理由は、分かりますか?」

「いいえ」

「そうですか」

 これ以上は追及しないほうが良いと、田村警部補は判断した。

「では、最後に一つ。佐鳥江美さんは今、どうしてます?」

「冬休みに入る前に自主退学して、今は、通信制の高校に通っているそうです」

「では、彼女の住所を教えてもらえますか?」

「刑事さん?」

「我々は、先ほど話された神ヶ丘高等学校暴行致死事件が、何かしらの形で関与していると考えています。捜査のご協力を、御願い致します」

 田村警部補に続いて、手塚巡査部長、木下巡査長も頭を下げた。

「・・・。少々お待ちを」

 教頭は一度退室し、10分もしないうちに戻ってきた。

「お待たせしました」

 教頭は、佐鳥江美の個人情報をまとめた名簿のコピーを持ってきた。

「それと、こちらも」

 教頭はもう一枚、紙を渡した。ファックスのコピーのようだ。

「これは?」

「亡くなられた、楠田弘樹君のお母様が、本校の体育館を借りて講演をしたいとのことで、その旨を伝えたファックスのコピーです」

「記者団を招くとありますが、よろしかったのでしょうか?」

「ええ。流石に、楠田君のご遺族が気の毒でしたので。後、その講演会では小野田先生も演説される予定でした」

「では、楠田君の住所の方も御願いできますか?」

「はい。こちらになります」

 教頭が持っていた最後の紙には、楠田弘樹の個人情報が纏められていた。

「では、我々はこれで。捜査へのご協力、感謝します」

 三人は一礼して、応接室を出た。


「田村さん。これからどうします?」

「そうだな・・・。二手に分かれよう。俺は木下と楠田夫人の自宅へ向かう。手塚は佐鳥江美の方だ。途中まで送ってくれ」

「分かりました」

 検索したところ、佐鳥江美の自宅へ向かう道の途中に、楠田弘樹の自宅へとつながる道があった。そこで二人を降ろすことにした。

 車から降りるとき、田村警部補は、手塚巡査部長に一つ注意した。

「手塚。さっきもそうだが、せっかちなのはお前の悪い癖だ。相手の話を聞く以上、相手の気持ちもきちんと汲み取れ」

「分かりました」

 手塚巡査部長は素直に答えた。


 こうして手塚巡査部長は、佐鳥江美が住むアパートにやってきた。

 近くにパーキングエリアがあったので、車はそこに停めた。

 インターホンを数回鳴らしたが、返事がなかった。

 しかも・・・

「弱ったな―。雨が降ってきやがった」

 梅雨の空は、雨が降ったり止んだりと忙しい。

 一度車に戻って傘を取りに行こうとしたその時。

(うち)に何か用ですか?」

 真後ろから、警戒するような声をかけられた。

 振り向くと、白い傘を差し、白いマスクをつけ、トートバックを持った少女がいた。

 少女は最初険しい目をしていたが、手塚巡査部長の顔を見ると、一気に和らいだ。

「久しぶりだね。江美ちゃん」

「お久しぶりです。手塚巡査部長殿」


 佐鳥江美が住んでいるアパートの一室は、一家で暮らせるほどには広いが、簡素なテーブルや椅子、水色のタイルで敷き詰められたキッチンなど、内装は少し古い家庭を思わせる。

 佐鳥江美はそんなキッチンでインスタントコーヒーを淹れていた。

「ご両親は?仕事中?」

「親父は仕事。母さんは小さい頃に逃げた」

「逃げたって・・・。なんで?」

「さあ?」

 そっけない返事だった。

 というか、部屋を案内された時から、敬語を少しも使っていない。

 佐鳥江美はマグカップに淹れたインスタントコーヒーを、手塚巡査部長に差し出した。

「それで、今日は何の用?」

「ちょっと、捜査でね。この人を知ってる?」

 手塚巡査部長は、雑誌記者・富田浩一の写真を出した。

「ああ、この人ね。二週間前から、しょっちゅう家を訪ねてたわ」

 写真を一目見ただけで答えた。その目に表情と言えるものは無い。

「要件はやはり、例の事件?」

「ええ。遺族に対する謝罪はないのかとか、しつこく聞いてきたわ。あからさまな性善説を語ったり、報道の自由だなんだ言ったり、あの手この手でね」

「質問には答えたの?」

「全く。今更何も言いたくないわよ」

「それもそうか」

 手塚巡査部長は苦い顔をしながら、コーヒーを飲んだ。

 あの事件について、佐鳥江美は不処分となったが、事件の後、彼女が過去に行ったとされる非行や彼女の住所がSNSに投稿され、マスコミが一時期大騒ぎしたことがあったのだ。結局その騒ぎは長くは続かなかったが、彼女にとっては、思い出したくもない思い出だろう。何しろ、マスコミの質問を無視し続けてきた彼女に腹を立てたのか、彼女の家のドアを強く叩いてまで自白を強要しようとした記者までいたほどだ。

 手塚巡査部長は、コーヒーを半分飲み、質問を続けた。

「美味しいコーヒーだね。普段から料理とかするの?」

「親父は遅くまで仕事だから、自炊しないと飢え死んじゃうのよ。マスコミが集まったせいで、会社内での信頼関係が危ういから、必死に取り返しているんだって。それで今は、親父との接点が生活費だけになったわ。それで、スーパーで数日分の食材を買ったりするってわけ。スーパーはここから歩いて二分の距離にあるデリデリマーケットよ。高校の課題はオンライン上でやり取りしているし、今はどこかに遊びに行く気もないから、外出時はそこにしか行かないわ」

「一気にしゃべるね。自分が疑われてるって、自覚があるの?」

「よく言うわね。私が意図して楠田君を殺したと思ってたくせに。疑いが晴れるならこれくらい言うわよ」

「あれ?もしかして恨まれてる?」

「別に。マスコミの罵声の渦に比べれば、取調室で手塚さんが言ったあの一言の方が説得力があったからね」

「取るに足らないような、小さなことだったけどね」

「でもその小さなことが、真実に繋がる重要なことだと思っていた。あなたは現場を直に、細かく見て考えた。都合の良い事を真実に仕立て上げようとしたマスコミとは違う」

「あれはあれで、君の自白を促す側面もあったけどね。実際、物的証拠にはならなかった」

「もし私を殺人犯に仕立て上げたいなら、私の過去でもえぐり返せば良かった。でもそれをしなかった。私には、あらゆる可能性を考えた上で、私を疑ったようにしか思えなかった。それと・・・」

 一度会話を区切ると、佐鳥江美は柔らかい頬に手を当て、頬杖をついた。

 長いまつ毛に縁取られた澄んだ瞳が、仏頂面のせいで細まる。

「お世辞や冗談でしゃべらせようとするのは嫌いだって、取調室でも言わなかったかしら?」

「はは。これは失敬」

 愛想笑いをしながら、手塚巡査部長は残りのコーヒーを飲んだ。

 田村警部補にこの会話を聞かれたら、また怒られるなとは思いながらも、ついそうなってしまうことを自覚する。

 刑事はその仕事上、人に疑いの目を向けることが多く、そのことに嫌悪感を抱かれることも多い。少なくとも、一度は疑った人間の取り調べはもっと慎重に言葉を選ぶべきだ。ただ、手塚巡査部長は、佐鳥江美はそれには当てはまらないのだろうと考えている。佐鳥江美は表面上はぶっきらぼうに言っても、拒絶することなく話してくれる。どこか、自分のことを信頼しているのではないかと思うのだ。

「じゃあさ。江美ちゃん」

「何?」

「楠田君の遺族に謝らなかった理由を聞いても良いかな?」

「・・・」

 一瞬和らいでいた眉間のしわが、さらに深まった。

 やがて彼女は頬杖に使っていた右手を頭にあて、溜め息をついた。

「私にしてみれば、楠田君の遺族は、私を襲ったやつの家族。襲われた私が謝罪するなんて可笑しい。ただそれだけよ」

「そうか・・・。最後に、一つ聞いていいかな?」

「今度は何?」

「ここ最近、変わったこととかある?怪しい男を見かけたとか、誰かの視線を感じるとか」

「無いわね」

「そうか」

 手塚巡査部長は、一連のやり取りを手帳に書き込んだ

「捜査の協力ありがとう。それと、コーヒー御馳走様」

「外はまだ雨でしょ。傘を貸しましょうか?」

「いいよ。車はすぐ近くに停めてあるし」

 手塚巡査部長は玄関のドアを開け、小走りで出て行った。


 同時刻。楠田弘樹の自宅。

 田村警部補と木下巡査長は、楠田弘樹の母親である、楠田雅子(くすだまさこ)から話を聞いていた。

 少々高めの紅茶をほんの少し頂いた後、田村警部補は小野田正司の写真を見せた。

「この方を、ご存じでしょうか?」

 楠田雅子は驚いた様子で写真を手に取り、まじまじと見た。

「はい・・・。小野田先生が、どうかされたんですか?」

「先ほど、遺体で発見されました」

「え?遺体・・・」

 楠田雅子の手から、写真が落ち、足元のカーペットの上に乗った。

「まだ捜査中ですので、詳しいことをお教えすることはできませんが、話を聞かせて頂いてもよろしいですか?」

「・・・。はい」

 震えながら、楠田雅子は答えた。

「三日後、あなたは神ヶ丘高等学校の体育館で、講演会を行うことを、学校側にお願いしていました。その講演会には、小野田正司さんも、講演する予定だったと聞いております。彼とは、どのような関係でしたか?」

「小野田先生は、あの事件で息子を亡くした私たち家族の悲しみを、一緒に受け止めてくれました。明るくて、頼もしくて、私たち家族の自慢の息子を突然失った悲しみを受け止め、この悲しみを全世界に広げ、二度とこのような悲劇が起きない社会を作ろうと、そう訴えてくれました。講演会では、江美ちゃんに誠意ある謝罪を求めると同時に、私と同じ思いをしている少なくない人のため、社会を変えるための演説を行う予定でした」

「佐鳥江美さんはやはり、一度も謝罪をしなかったのですか?」

「はい。息子が亡くなって、四十九日が過ぎるまでに、一言遺骨の前で謝ってもらいたかったです。でも、あの子は少しも謝ろうとしませんでした。あの子の家を訪ねた時の、あの怒りに満ちた目は忘れられません」

「怒り・・・。ですか」

「何が怒りよ。傲慢じゃない!」

 不意に、田村警部補らの後ろから、声が聞こえた。

 振り向くと、ラフなTシャツを着た短髪の少女がいた。

(あの子は・・・確か・・・)

真名子(まなこ)・・・!」

「兄ちゃんを殺しといて、被害者面で開き直ってるだけよ!私たちの気持ちを考えようともしないで!昔からそう。自分が良いと思ったら他人のことなんてまるで気にしないんだから!」

「落ち着いて真名子!すみません。ちょっと席を外します」

 楠田雅子は、少女を連れて部屋を出た。

 残された田村警部補に、隣の木下巡査長が尋ねた。

「田村さん。あの子って・・・」

「ああ。事件当時、佐鳥江美さんについて色々と話してくれた子だな。被害者の妹というのは、本当だったみたいだな」

「本当に色々でしたね。幼稚園児の頃の話までして。スズメバチをオブジェにしたと聞いたときは、血の気が引きましたよ。」

「よほど嫌いだったんだろうな。事件に直接関係のない話ばかりだったが」

 あの事件の審査から程なくしてSNSに広まった彼女の非行らしきものは、大企業の幹部と援助交際をしている等、ほとんどはデマだったが、どうやら楠田真名子が言っていたことは本当だったらしい。審議はどうあれ、田村警部補らは事件に直接関係のある情報とは思わなかったが。

 しばらくして、楠田雅子が戻ってきた。

「すみません。ウチの娘がご無礼を・・・」

「いえいえ」

 田村警部補は、軽く返した。

「楠田雅子さん。こちらの方は、ご存じですか?」

 田村警部補は、富田浩一の写真を取り出した。

「ええ。確か、仲英社の富田さんでしたよね・・・。まさか・・・」

「はい。二日前に、遺体で発見されました」

「そんな・・・。富田さんまで・・・」

「富田浩一さんはここ最近、あなたや小野田正司さんを尋ねていたそうですが、間違いありませんか?」

「はい。あの事件を含めて、少年少女の犯罪についての記事を書きたいと。私と小野田先生のスピーチの内容についても、色々とアドバイスをして頂きました」

「そうですか。では、ここ最近で、あなた、もしくは娘さんに何か変わったことはありませんでしたか?例えば、見知らぬ男を見かけた、周囲の人物の態度が変わったとか」

「いえ・・・。思い当たる節はありません」

「分かりました」

 田村警部補は少し考え、立ち上がった。

「捜査のご協力。感謝いたします。我々は、これで」

 二人は一礼して、楠田邸を後にした。


その後、三人は県警本部の一室で情報を纏めていた。

 時刻はもう21時を過ぎていた。

「殺害された富田浩一さんと、小野田正司さんは、神ヶ丘高等学校暴行致死事件を介して知り合った。目撃者の情報や、残された星のマークも合わせると、神ヶ丘高等学校暴行致死事件を基にした計画的な連続殺人の可能性が高い。となると次の標的は、件の事件の被害者・楠田弘樹君のご両親か妹さん、加害者の佐鳥江美さんが考えられるな。手塚。佐鳥江美さんからは何か情報を得られたか?」

「富田記者は、二週間前から江美ちゃんを尋ねていたそうですが、彼女は最後まで黙秘していたみたいです。それと、江美ちゃんはそれ以外で特に変わったことはないと言っていました。今の生活も、買い物以外は自宅にいるそうです」

「犯人がどうやって、被害者二名の関係を探ったかだが、恐らく、これだろうな」

 田村警部補は、机に置いていた資料を手に取った。楠田雅子から話を聞いた田村警部補らが、仲英社に頼んでプリントアウトしてもらった記事で、神ヶ丘高等学校暴行致死事件が起きた頃に発行された雑誌に載っていたものだ。勿論、書いたのは富田記者だ。

「富田記者が、小野田正司や楠田雅子から聞いた話が事細やかに書かれてますからね。まさか、あの二人の名前が載っていたとは」

「加害者の佐鳥江美さんに関しては、未成年であったことから、名前は伏せられているが、彼女であることを仄めかしているな」

「確か、この記事が発表されてから、江美ちゃんの住所はSNSに広まってしまっていましたよね。犯人はそれで」

「確信を持ったのだろうな」

「でも、犯人の動機は何なんでしょうか?単なる愉快犯ですかね?」

「その可能性もあるが、現状では断定できない。それに、星形のマークも妙だ」

「殺害された現場にも、疑問が残ります。一件目が深夜の廃墟であるのに対して、二件目は夕方の通り。もし一件目で死体を隠したかったのだとすれば、大勢の目撃者を生み出しかねない二件目は不自然です」

「奇怪な犯人だな。一体何を考えているんだ?」

「もしかして、二件目の犯人は、一件目の事件の模倣犯ですかね?」

「それはないだろう。一件目の事件は公表していない」

 三人以外の、別の人物が声をかけてきた。

 三浦岩司(みうらがんじ)警視。

 白いメッシュの入った髪に薄いベージュ色のスーツと一見可笑しな格好だが、田村警部補らが所属する刑事部捜査一課の課長である。

「とは言え、今回の事件に関して、明日にでも公表せねばならん」

「何か、あったのですか?」

「二件目の事件には大勢の目撃者がいてな。犯行を捉えた映像が、既にSNSで広く拡散されている。明日にでも取材が殺到する。田村。捜査が難航しているところ悪いが、現段階で分かっていることで構わないので早急に報告書を作ってくれ」

「分かりました」

「では」

 言うだけ言うと、三浦警視は自分のデスクに戻っていった。


 翌日。

 県警は記者会見を開き、小野田正司及び富田浩一が殺害されたことを発表した。被害者の中に仲英社の記者が含まれたためか、三浦警視やその部下らは執念深い程の質問攻めにあったが、二つの事件の関連性や黒い雨合羽の男についての言及は避けた。

 その後、一連の殺人事件の捜査本部が立ち上げられ、田村警部補の報告書やこれまでの捜査の記録から、今後の捜査方針が決められ、集められた刑事には、二つの事件の犯人と思われる黒い雨合羽の男の捜索や殺人現場付近の聞き込み捜査や神ヶ丘高等学校暴行致死事件の関係者や事件を担当した家庭裁判所の職員への聞き込みを始めとした犯人と思われる人物のピックアップ。そして、第三の標的と思われる、楠田雅子や佐鳥江美の住宅付近の張り込みが命じられた。


 手塚巡査部長は数人の刑事と共に佐鳥江美宅の張り込みをしていたが、今現在、彼女の住むアパートから30分も歩く距離にある繁華街に来ていた。

 元々、手塚巡査部長ら「捜一のトリオ」は、楠田雅子への聞き込み及び、楠田邸付近の張り込みを命じられていたが、手塚巡査部長が佐鳥江美を一番よく知っているという理由で、田村警部補らとは別行動になったのだが、30分前、午後9時を回った頃、マスクをつけた佐鳥江美が、自宅のアパートから出てきたので、手塚巡査部長が一人で尾行したのだ。

 買い物かと思っていたのだが、スーパーはおろかコンビニにも行かず、繁華街にやってきたと思ったら、適当な街路樹の下で雨宿りでもするかのように、傘を閉じたのだ。

 そしてそのまま、行きかう人々をただ漠然と見るかのように、動かなくなったのだ。

 不審に思った手塚巡査部長だが、この状況で件の黒い雨合羽の男に襲われれば助けられないと判断し、一応仲間に連絡した後、佐鳥江美のそばにまで歩き、声をかけた。

「新型ウイルスが流行しているのに、こんなところにいていいのかい?」

「よくはないだろうけど、あんまり家に居過ぎるのもやだからね。たまにこうして散歩しているの」

「だからって、こんな繁華街に来なくても良いのに。感染症もそうだが、ナンパとかされたらどうするんだい?美人は尚更狙われるよ」

「その時は手塚さんが何とかするんでしょ?仕事なんだから」

「俺はボディーガードじゃないんだぞ」

 心配した自分があほらしいと言わんばかりに、手塚巡査部長は溜息をついた。

 佐鳥江美は、会話中にも関わらず、雨の夜景を眺めていた。

「何か面白いものでもあるのかい?」

「特にないわ。だけど、雨の夜景を見ていると、新しい作品のヒントが得られるかもしれないと思ったの」

「作品?」

「そう。作品。私はね、人がどうしたら私の作品に共感するのか知りたいの」

 今まで、行きかう人々や自動車を見ていた目が、遠い何かを思うように、視線を上に、空に向ける。

「罠に閉じ込められ、逃げられずとも、死ぬ直前まで生きようと抗う姿のまま作品と化した昆虫の王。人に愛されながら、死の直前まで安息のゆりかごの上で生きていた故に、死の瞬間でさえも苦しむことなく、安らかに眠ったペット。複数の女性を平等に愛する故に、同じ時間、同じルート、同じシチュエーションでデートをしていた男。これらの作品を見た人はみんな動揺し、悲観し、これらの作品は意味をくみ取ることもできない人に壊された。どれだけ作品に情熱を注いでも、誰一人として、認めてくれなかった」

「完全に倫理観の違いだね」

「でも・・・。歴史上の多くの画家たちは、その死後に作品が認められ、偉人とされた。何かあるはずなのよ。時代と共に価値観が変わろうとも、人々が認める芸術には、人々を夢中にさせる魅力があるはず。必ずそれを見つけ出す。どんなことをしてでも」

「ていうことは、美大に進学するの?」

「大学ねえ・・・親父が何と言うか・・・。あ」

 佐鳥江美は突然傘を差し、繁華街の人々に混ざって歩き出した。

 すかさず、手塚巡査部長は後を追う。

 先ほどまで遠慮なく自分の価値観を語っていたが、その直後とは思えないほど、周囲に溶け込もうとしているように見えた。

 しばらく歩くと、佐鳥江美は手塚巡査部長がいる後ろの方を一瞥し、ビルの隙間の路地へと入っていった。

 手塚巡査部長は、慌てて引き留めようとする

「江美ちゃ・・・」

「失礼します!」

 不意に、手塚巡査部長の脇を、何者かが強引に通った。手塚巡査部長に引っかかった傘を放り捨て、路地裏を歩く佐鳥江美の腕を掴んだ。

(?あの子は?)

 黄色いラフなTシャツに、短髪。

 手塚巡査部長らに佐鳥江美の過去を教えた、楠田弘樹の妹、楠田真名子だ。

「何の用よ。真名子」

「質問に答えなさいよ。くそビッチ」

 不届き者にぶっきらぼうな口調で言う佐鳥江美に、楠田真名子は開口一番に罵った。

「あなたでしょ。小野田先生を殺人犯に売ったの」

「売った?」

「そうよ。あんたは殺してないでしょうけど、売ったのはあなた。共犯者!」

(おいおい・・・。なんなんだよ・・・。)

 楠田真名子が落とした傘を拾いながら、手塚巡査部長は目を細めた。

 刑事としては、止めるなり仲裁に入るなりしたいところだが、まずは楠田真名子の言い分を聞くことにした。

「教頭先生から聞いたわよ。ウチの学校の生徒が問題行動を起こしているって通報があったって。それも、女性の声で」

「・・・」

「小野田先生は生徒指導担当だけど、通報を受けて真っ先に飛び出すような人であることを知っているのは、学校の関係者しかいないはず。小野田先生は厳しいし、当たりは強いけど、憎まれるような人じゃないの!いるとすれば、小野田先生から嫌になるほど正論で説教されたことを恨むような自己中のクズ。あんたしかいないのよ!黒い雨合羽の男の共犯者は!」

(共犯者って・・・)

 まくしたてるような暴言を聞きながら、手塚巡査部長は考えるが、答えは出ない。

 楠田真名子の言っていることは憶測の域を出ておらず、僅かな状況証拠から、事の顛末を自分に都合の良いように捉えているだけのようにさえ思える。

 それで問い詰めたところで、しらを切られるのがオチだろう。

 実際、佐鳥江美は微塵も動じていなかった。

 しばらく黙った後、荒く息を吐いている楠田真名子の腕を振り払った。

「いつもそう。私の作品を散々壊して、私という存在すらも否定し続けてきた。やっぱり、富田さんにあのことを言ったのは真名子ね」

「何の話よ・・・」

「富田さん。私を追い詰めるつもりなのか、私の過去を掘り返して詰め寄ってきたのよ。私が今までに作った作品のことも、それらを壊されて怒ったせいで、学級崩壊を招いたことも」

「何よ・・・。全部本当じゃない」

「そう。全部本当。本当のことしか言わなかった。あの時SNSで最も拡散されたのは、援交だの売春だのといったガセのはずなのに。SNSから情報を得たのなら、他のマスコミのようにガセの方を疑ったはず。なのに、富田さんはガセの方は微塵も聞いてこなかった。ガセだと分かっていたように」

 佐鳥江美は、口調を荒げない。だが、話を進めるごとに詰め寄り、顔を近づける。

 楠田真名子は少しばかり後退ったが、話が終わると佐鳥江美を突き飛ばした。

「ええ、そうよ!私が教えたの!ついでに言えば、援交や売春のデマを発信したのも私!本当は男狂いだったことにして、あんたの証言がデマだったことを証明するつもりだったけど、真実だけを並べることで、相手を逃げられない状況に追い込めるって、富田さんに言われたから仕方なくね!」

「おい!お前らいい加減に・・・」

 見かねた手塚巡査部長が止めようとした直後、

 ザクッ!という音が聞こえたかと思ったら、楠田真名子の頭にスコップが深々と刺さっていた。

 何者かが、路地のビルとビルの隙間から襲ったのだ。

 頭にスコップが刺さったまま、楠田真名子は倒れ、動かなくなった。

(なっ・・・!クソ!)

 今すぐ全速力で襲撃者を追いたい気持ちをどうにか抑え、死体を踏まないようにしながら、携帯を許可された拳銃を構え、路地裏を窺う。

「動くな!」

 そこにいたのは、人。黒い雨合羽、黒いグローブ、黒いペストマスク。

 路地の出口から差し込む光だけでも分かる。

 二件目の殺人を通行人に撮られた時の姿、そのままだ。

 男は拳銃を構える刑事を目の前に、右手に持っているものを放り投げ、腕で目を覆う。

 コツン、という音と共に転がってきたのは、円柱状の何か。

 手塚巡査部長がそれを認識した瞬間、ブシュー、という音共に白い煙を発した。

 至近距離から襲う煙に、手塚巡査部長は目を抑え、身動きが取れなくなる。

(ガッ・・・!スモークグレネードか・・・!)

 ピンを抜いた数秒後に煙を噴射し、目くらましや信号を送るための手榴弾。その存在は知っていても、初めて経験するその兵器に順応できるものはいないだろう。視界は閉ざされ、激しく咳き込み、一直線の路地の中でも、跳弾を恐れて引き金を引くことができず、手塚巡査部長の視力が回復した頃には、犯人の姿など何処にもなかった。


 楠田真名子が襲われてから一時間後。

 手塚巡査部長ら「捜一のトリオ」は県内にある大きな病院にいた。

 楠田真名子はここに搬送され、死亡が確認された。

 佐鳥江美は、県警で事情聴取を受けている。

 手塚巡査部長は、念のために検査を受け、異常なしと判断された。

「犠牲者はこれで三人目だ。凶器には、五芒星が彫り込まれていた。しかし、何故犯人は、楠田真名子さんを襲ったんだ?」

「富田記者は江美ちゃんの過去について、楠田真名子から聞いたらしいです。そのことが盗まれた手帳の中に記されていたとすれば、説明がつきます。しかし・・・」

「やはり、納得がいかないな」

 田村警部補は腕を組み、眉間にしわを寄せた。

「自分の姿が世間に知られたというのに、昨日の今日で犯行に及んだ上に、万が一に備えたのか、煙幕手榴弾まで使った。初めからこうなることを予期していたとしか思えない・・・。楠田雅子さんに尋ねたところ、楠田真名子さんは一年前から、現場付近の飲食店で毎週水曜日はアルバイトをしていたそうだ。ここまでのことをしてくれた以上、犯人は標的のことを徹底的に調べ上げ、綿密に計画し、実行したとみるべきだ」

「楠田真名子は、小野田正司をよく知る人物の中に共犯者がいたと睨んでいました。あの時は、あくまで可能性だと思っていましたが、もしかしたら本当に・・・」

「だとすれば、次の標的は・・・」

「待ってください!楠田さん!」

 静かな病院の中、木下巡査長が誰かを引き留める声がした。

 振り向くと、遺体確認のために来てもらった楠田雅子が、小走りで駆けていた。

「講演会を中止にしてください!危険です!」

「いいえ。やります。私は、あの殺人犯を許しません!」

 何が起きたのか、手塚巡査部長らも見当がついた。

 引き留めるように、田村警部補は前に出た。

「楠田さん。落ち着いてください。次に狙われるのは、あなたの命かもしれないんですよ」

「小野田先生も娘も惨たらしく殺されておいて、我が身の可愛さに閉じこもるわけにはいかないでしょう。家族や、その死を悲しんでくれた人を奪われた悲しみを、世間様にも理解してもらうためなら、なんだってします」

「犯人は、あなた自身のことまで知り尽くしている可能性があります。恐らくは、講演会のことも」

「そうだとしても、私は止まりません。でなければ、死んだ息子やその死を一緒に悲しんでくれたあの二人に、あの世で顔向けができません」

「ではせめて、教えてください。あなた以外に講演会のことを知っているのは、誰なのですか?」

「許可を頂いた教頭先生や、富田さんの知り合いの記者、手紙を送った江美ちゃんを除けば、それを知る者はみんな殺されました」

「手紙?」

「テレビ局に生中継で映してもらえるよう、富田さんが交渉してくれたので、その旨を伝えたのです。私の言葉を聞いてくれれば、あの子も改心してくれると、思ったんです」

 言うだけ言うと、田村警部補らにはもう目もくれず、去ってしまった。


「田村さん・・・」

「講演会は明日の午後だ。嫌な話だが、説得を聞き入れるだけの時間はないだろう。本人の決意も固すぎる」

 去っていく楠田雅子を、二人は眺めることしか出来なかった。

「講演会の件も、富田浩一さんから聞いた人が漏らしたのかもしれないが、断定はできない。課長に頼んで、講演会には警備をつけてもらわねば」

 二人の言葉を聞きながら、手塚巡査部長は、今さっき自分が言ったことを思い返す。

(共犯者・・・。この場合は、情報提供者か?二人が持つ情報を共有して、この連続殺人事件を起こしているのか?・・・。まさか・・・)

 楠田親子の言葉を思い出したためか、手塚巡査部長が思い浮かべたのは、佐鳥江美だった。

 楠田真名子のバイトのことも、元とは言え、同級生なら知り得る。

 小野田正司の性格も然りだ。

 富田浩一を、独白を餌におびき寄せることもできた。

(だが証拠がない。こうなったら、講演会の会場で何としてでも捕らえてやる。今度は逃がさない!)


 こうして、講演会を迎えた。

 会場の体育館の周囲を複数の刑事が張り込み、記者に紛れて、会場内も警備している。

 新型ウイルス感染拡大を受け、記者団のための椅子は少なく、間隔も広い。

 換気のため、全てのドアと窓が解放されている。

 午後一時、楠田雅子が壇上に立った。

「本日は、新型ウイルスの感染が拡大する中、お越しいただき、ありがとうございます。これより、講演会を始めます」

 楠田雅子は深々とお辞儀をした。

 記者がカメラをストロボを焚く音と光の嵐が、それを追う。

 ややあって、楠田雅子は語りだした。

「半年前、私は息子を失いました。原因はこの学校の生徒とのトラブルでした」

 両手でマイクを握りしめ、丁寧に、響くように演説する。

「息子の命を奪った生徒は、息子に襲われたと言っていました。その真偽について、今更問いただすつもりはありません。しかし、あの子は我々遺族に対して、一度たりとも謝罪をしませんでした。襲った息子の親族への謝罪は死んでもできないと、生活指導の先生に話していたそうです。あの子は正当な理由を盾に、自らの行いでどれだけの人が悲しんだかを分かろうともしなかったのです」

 ストロボを焚く音と光が、一段と強くなる。

「この日本の刑罰は、犯罪者の更生のためにあるものです。家庭裁判所の審議の結果、不処分となりましたが、あの子から誠意を示されないまま、半年も過ぎてしまいました。SNSではあの子を非難する声が相次ぎましたが、我々遺族の、行き場のない悲しみを受け止めてくれる声はありませんでした。日本は先進国だからと、犯罪者は更生させる社会を目指している方も多いようですが、法律も社会も、人の気持ちをくみ取ってはくれませんでした。先日亡くなられた富田浩一さんによれば、このようなケースは少なくなく、被害者遺族の会がいくつもあるほどだそうです。私は、例え未成年であろうと、己の罪を悔い、自分のしたことにケジメをつけるだけの誠意を見せられない人の更生は望みません。ここが人の世を法律によって統治する国家であるというのなら、人の気持ちを無下に突き放す法律も望みません。全ての人が平等で、全ての人の喜びも、悲しみも、怒りもくみ取り、助け合える社会を望みます」


 手塚巡査部長は体育館の外で、警備についていた。

 例の黒い雨合羽の男の襲撃を一度は受けたからこそ、あの男を一歩たりとも会場に入れないための役割を受け持ったのだ。相手は煙幕手榴弾さえ使ってくる男。どこから仕掛けてきてもおかしくない。

(鑑識によれば、手榴弾は海外製らしい。ここまで準備しているとは、想像以上に厄介だ)

 とは言え、警察も対策を施してきた。

 防犯カメラのチェックは勿論、校舎の屋上の刑事が周囲を見張っているし、説得に時間がかかったが、体育館内にいる全ての記者にボディチェックを行った。敷地内にやってくる車を検査するための検問も張った。既に潜んでいる可能性も考慮し、体育館のカーテンの裏側に至るまで、刑事を配置している。

 煙幕手榴弾も対策済み。煙幕の中でも人を見失わないよう、熱を感知するサーモスコープを懐に忍ばせており、刑事だと間違えないよう、体育館の外側を警備する刑事には、複数のホットカイロを忍ばせ、スコープで見た時、温度の高い箇所が複数表示されるようにしたのだ。初夏の、晴れの日の昼間にも関わらずだ。

(いつでも来い。万が一侵入されても、防刃ベストを着込んだ刑事がいる。お前の魔の手が届くことはない)

 しかし、どれだけ綿密に作戦を立てようとも、不測の事態は起こり得る。

 例えば、不意に音を立てたマンホールの蓋のように。

(何だ・・・?マンホール?まさか・・・)

 直後、マンホールの蓋が外され、宙に放り投げられた。

 放り投げられたマンホールの蓋は、やや横にずれ、手塚巡査部長めがけて落下する。

 命の危機を感じた手塚巡査部長は、間一髪のところで避けた。

(あっぶねぇ・・・)

 だが、安堵している暇はない。

 空いたマンホールの穴から、円柱状の物体、例の煙幕手榴弾が二つ投げられ、勢い良く煙を吹いた。

 すかさず手塚巡査部長は立ち上がり、サーモスコープを構える。

(来やがった。あんにゃろう・・・)

 サーモスコープが映し出すのは、マンホールの向こう側にいる刑事と、化学反応で熱を帯びる煙幕手榴弾。

 そして、煙が周囲を覆いつくした頃、マンホールの穴から人が出てきた。

 刑事よりも明らかに温度が低い。

 黒い雨合羽の男だ。

(よっしゃー!)

 穴から出て立ち上がってばかりの黒い雨合羽の男が次の行動に移る前に捕えるために走る。濃い煙の中でも構わない。取り押さえ、何としてでも無力化するため、刑事は体を張って止めようとする。

 しかし、黒い雨合羽の男は持っていた物を、手塚巡査部長の頬に叩き込んだ。

 直撃を食らった手塚巡査部長はタックルの軌道をずらされ、運悪く、マンホールの穴へと落ちた。


「何だよおい!何が起きているんだ!?」

「マジかよ。テロ事件か!?」

 体育館の内部にまで広がった煙に、記者団はうろたえ、煙から遠ざかろうと逃げていく。

 講演を行っていた楠田雅子も、駆けつけた二人の刑事に誘導され、避難しようとするが、突然、目の前に煙幕手榴弾が投げられ、噴射された煙が道を塞ぐ。

「田村さん・・・これ・・・」

「まずいな・・・」

 体育館の入り口付近に張り込んでいた田村警部補と手塚巡査部長は、慌てて逃げ出す記者団を押しのけながら駆けつけたが、既に襲撃者に先手を打たれた後だった。

 サーモスコープで煙の中を窺うと、楠田雅子は護衛の刑事二人に背中を支えられながら、煙の中、ゆっくりと壇から降りていた。

 会場の椅子が邪魔で動けない田村警部補らは、何者かが走ってくる音を聞いた。

(マズい・・・。奴か!?)

 サーモスコープに新たな人影が映り、猛ダッシュで楠田雅子の方へ向かう。 

 田村警部補は煙の中、椅子を避けながら進むが、間に合わない。

 護衛の二人はサーモスコープで人影を捉え切れず、人影が背後から正面に回り込んだことに気付くのが遅れた。

 人影はそのまま、楠田雅子の前に立ち塞がり、持っていた何かを構えた。

 直後、バンッ!!という音と共に、楠田雅子は飛ばされ、煽りを受けた護衛二人も倒れた。

(散弾銃だと!?)

 小さな弾丸を大量に詰めた実包を発射し、仕込まれた弾丸をばら撒く銃だ。

 至近距離で、ほぼすべての弾丸を受けた人間がどうなるかなど、言うまでもない。

(逃がすか・・・!)

 反動で動きが止まった襲撃者の背中を、田村警部補が捕らえた。

「d・・・!n・・・!」

 しばらく抵抗した襲撃者は後ろに飛んだ。

 背中にしがみついていた田村警部補だけが、折り畳み椅子に頭をぶつけた。

「田村さん!」

 襲撃者は田村警部補の拘束を力任せに解き、今度は出口に向かって走り出す。

 しかしその時には煙も薄れ、サーモスコープがなくとも、木下巡査長は襲撃者を追うことができた。

 襲撃者を逃がすまいと、木下巡査長は体育館を飛び出した。


 標的を仕留めた黒い雨合羽の男は、高校の敷地内をを走り回っていた。

 当初は体育館から正門へ逃げるつもりだったのだろうが、講演が始まる頃に、校門が全て閉じられていたために、逃走ルートを変更したらしい。

 後ろで木下巡査長や他の刑事が追いかけながら、制止を求める声を出しているが、それで止まるわけもない。

(この先は、西門がある駐車場・・・。そこに追い込めれば、校門と刑事軍団の挟み撃ちだ・・・)

 逃走する黒い雨合羽の男は、分かれ道を左に曲がり、駐車場の方へ向かった。

 校舎の屋上にいる刑事たちが指示したらしく、分かれ道の右側からも刑事の集団が迫ってきていた。

 散弾銃を持っているとはいえ、刑事軍団を全滅させることでは、この状況を切り抜けられないと分かっていたためだろう。

 黒い雨合羽の男は、西門が閉まった駐車場に入った。

(いける・・・!)

 しかし、黒い雨合羽の男は立ち止まるどころか、止めてある記者団の車のボンネットへ、そしてルーフへと飛び乗った。

「な・・・?」

 テレビ局のロゴが張られたワゴン車の上を器用に渡り、西門の近くの車のルーフに乗って、跳びあがった。

 ワゴン車の高いボディを利用して、学校の塀を飛び越え、住宅地へと逃げ込んだ。

 校門を閉めたことが仇となり、刑事軍団はそれ以上追えなかった。


 「捜一のトリオ」は、県警本部に戻ってきた。

 もう日の光がわずかしか見えない。

「先輩たちは大丈夫だったんですか?」

「多少腕が痛むが、なんともねぇ。マンホールの手すりを掴めたから、体を打たずに済んだぜ。田村さんも軽い脳震盪で済んだそうだ。今は上と掛け合っている頃だろうな」

 噂をすれば、田村警部補が戻ってきた。

「田村さん・・・」

「体は大丈夫だ。それより木下、あの後の犯人の足取りは追えたか?」

「いえ・・・。住宅街に逃げ込んだ後、路地のマンホールへ入ったのが目撃されていましたが、それ以上の足取りはつかめませんでした。足跡もなかったので、下水に入って移動することで痕跡を消したのかと」

「そうか・・・」

 田村警部補は溜息をつき、懐から写真を取り出した。

「楠田雅子はほぼ即死だったらしく、緊急搬送された病院で死亡が確認された。現場には、例の星のマークもあった」

 取り出した写真に写っていたのは、空になった散弾銃の実包だ。赤い五芒星も描かれている。

「スモークグレネードに加えてショットガンまで準備していたなんて・・・。でも、実包と手榴弾から、購入者を割り出せますよね?」

「今、別の班があたっているそうだ。とはいえ、しばらく時間はかかるだろう。それと、明日から俺たちは、佐鳥江美さんの監視の任務にあたることになった」

「え・・・。犯人の方はどうするんですか?」

「楠田弘樹さんの妹さんまで狙われた以上、佐鳥江美さんが狙われる可能性は高い。これも大事な仕事だ」

「はい・・・。でも・・・」

「俺たちは犯人を二度も取り逃がした。だが、今は反省はしても、悔いる時ではない。失った命は取り戻せなくても、失われようとしている命を守ることはできる。今はそのことを胸に秘めて、職務を全うするしかない」

「はい・・・」

 木下巡査長だけでなく、「捜一のトリオ」のみんながつらい。

 犯人を二度も取り逃がし、四人もの犠牲者を出してしまったのだから。

 これほど悔しく、惨めなことはないだろう。

 だが、それでも、もうこれ以上は犠牲者を出さないよう、前を向くしかない。無理やり自分に言い聞かせてもだ。

 それは、先ほどから考え込んでいる手塚巡査部長も同じだった。

 今一度、事件の全容を整理する。

 犯人に繋がる手がかりはあるか。

 自分がこの事件の何処に不自然さ、疑問を感じているか。

 そして、何かを見落としてないかを。

(高い身体能力や刑事の追跡を振り切った機転は見事だ。しかも、黒い雨合羽やペストマスクで姿を隠し、犯行に必要なものなら兵器さえも取り寄せるほど、用意周到な殺人犯。だが、だとすれば、何故奴は遺体を隠さないどころか、人前で二度も殺したんだ?一件目の殺人で被害者をわざわざ廃墟まで運んだことを考えれば、あまりに不自然・・・。連続殺人事件の犯人は普通、自分が犯人だとバレないように立ち回るのに。それとも、何か別に優先すべきもの、自身の犯行スタイルか?だが、だとすればそれは何だ?)

 ふと、ホワイトボードに視線を向ける。

 四つの事件がいつ、どこで起きて、誰が亡くなって、現場からどんな情報が得られたかを書き込んだ地図を。

(一件目の廃墟。二件目の人通り。三件目の路地裏。四件目の学校)

 順を追って辿る。市の南東から北西へ、北西から北東へ、北東から南西へと、不自然なほど等間隔で移る現場を。

「・・・」

 寸分の狂いもなく対称性を描く、現場を結ぶ線によって作られた図形を。

「・・・。まさか・・・」

 手塚巡査部長は地図をホワイトボードから外し、定規と赤ペンを使って現場と現場を順番に、線で結ぶ。

 浮かび上がるのは、底を取った砂時計のような、記号のような図形。

(まさか・・・。まさか・・・)

 定規を使い、仮説に従って、導き出す。犯人の手の内を。次の犯行現場を。

「先輩・・・?これって・・・」

「ああ。そういうことだ」

 定規と赤ペンを置き、手塚巡査部長は立ち上がる。

 同時に、解ける。

 手塚巡査部長がこれまでに感じていた不自然さ、疑問、その全てが。

「全てが、繋がった」


 翌日。

 「捜一のトリオ」は佐鳥江美の家の付近を張り込んでいた。

 午前中は佐鳥江美の部屋に変化はなく、午後になっても変化はなかった。

 やがて、日が見えなくなる時間になって、トートバックを持った佐鳥江美が家から出てきた。

 手塚巡査部長は田村警部補と木下巡査長に指示を出し、佐鳥江美に合流した。

「散歩かい?江美ちゃん」

「普通買い物だと思わない?実際そうだけど」

 二人は、歩き出した。

 佐鳥江美の住むアパートから北へ、二人は歩く。

 途中のコンビニで、佐鳥江美はミネラルウォーターを購入し、模様付きのペットボトルカバーを被せた後、一口飲み、トートバックに入れた。

 そのまま二人は北へと向かう。

 30分ほど歩き、二人は市内にある公園にやってきた。

 犬の散歩やジョギングによく使われる場所だが、時間が時間なためか、人はほとんどいない。

 二人は公園内を進み、木々の間の道を通る。

 奥へ奥へと進み、人目の付かない、池の上の橋の途中で、佐鳥江美はトートバックに手を入れ、ペットボトルを手に取り、蓋を緩め、中の水を飲もうとする。

「江美ちゃん、ストップ」

 不意に、手塚巡査部長が声をかけた。

「そのペットボトルカバーを、見せてもらえるかな?」

 佐鳥江美はしばらく不審な目で手塚巡査部長を見ていたが、何も言わずに渡した。

 佐鳥江美のペットボトルカバーは、学校の美術の授業で作ったものらしく、市販のものとはかけ離れたデザインだった。

 ベージュ色の下地を、鮮やかな赤や青、黄色などの色で塗られた図形が彩っており、どの図形もむらなく塗られており、数学の教科書のものと見分けがつかない程正確だ。

 そして、その中には、赤い五芒星もあった。

 手塚巡査部長は五芒星が見えるように、ペットボトルカバーを佐鳥江美に見せた。

「このタイミングで確認したということは、分かってたのね。私がここに来ることが」

「ああ。ずっと引っかかってたんだ。あれだけ用意周到な犯人が、何故人前で殺人を犯したのかってね。自分が捕まる可能性を考慮していないなら、スモークグレネードなんか使わない。刑事に追われることを考慮して、確実に逃走ができるよう、装備を整え、下水道を使った。だが、なぜそこまで準備をして、この恐ろしい連続殺人を犯したのか、それがまるで理解できなかった。だが、地図を見たら分かった。犯人のこだわり、スタイルがどこにあったのか」

 手塚巡査部長は、写真を取り出した。

 昨夜、赤ペンで幾つもの線を引いた地図の写真だ。

「現場と現場の間隔が不自然なほど等間隔で、二件目と三件目を結ぶ直線が見事に水平だった。そして、この事件における図形は、凶器に残された五芒星。自分がやったことを示す、一種の自己顕示欲の表れでもあったみたいだが、犯人はご丁寧にも作ったわけだ。神ヶ丘高等学校の校章である五芒星を。そして、これに従えば、最後の現場はここ。市立公園の池の真上ってことさ」

「じゃあ、ここで殺されるのが私だと思ったのは、何故?」

「ヒントは三件目。楠田真名子が殺害された事件だ」

「というと?」

「簡単さ。犯人は、殺害する場所に拘った。だが、三件目は繁華街の幾つもある路地裏の一つ。被害者の楠田真名子は、君を追いかける形でそこに入った。君に誘導されるように。後は、楠田真名子が言ってたこととほとんど同じさ。富田浩一に狙われていた君なら、特ダネを餌におびき寄せることができたし、小野田正司の性格も知っていた。楠田真名子のバイト先やシフトも知っていて、あれほど過剰な反応をされるのも君以外思い当たらないし、楠田雅子から手紙を受け取った君なら、あの講演会のことも知れた。物的証拠がなくても、疑うなって言われても無理なくらい、共犯者にこれほどふさわしい人物はいない。だから、君の監視を続けることにした。犯人へと繋がる、これ以上ない近道だとね。それを犯人が予期して、君の口を塞ぎに来ることは、容易に想像できる。今田村さんたちがこの辺りを捜索している。直に見つけて、お縄につかせる」

「ふふふふふふふふ」

 突然、佐鳥江美は笑い出した。

「残念だけど、あの人は来ていないわよ。というより、ここには来ない。そういうシナリオだから」

「認めるんだな、共犯者であることを」

「正確には、私が黒幕。この連続殺人事件、作品を描いた張本人。あの人は単なる実行犯よ」

 佐鳥江美は後ろ、池の方を向いた。

「手塚さんには話したよね。私がこれまで作ってきた作品のこと」

「まさか、この連続殺人事件が、作品だとでも言うのか?」

「そう。作品のタイトルは、『失望の星』。ただの変質者として世間に認知されそうになった私の失意の表れ」

 わずかに紫色を残す空を見上げながら、佐鳥江美は語る。全てを。

「私の価値観を全否定し、謝罪を強要した富田さんと小野田先生。私の作品を見ただけで、壊し続け、作品の存在自体を否定した真名子。遺族の気持ちを世間に認知させることが、私を変質者として世間に認知させたいマスコミの関心を引き寄せることだということに気付かなかった雅子さん。そして、事の発端である不出来な作品を作ってしまった私。それらに失望した私の気持ちを、作品にするつもりだったの」

「不出来な作品だと?楠田弘樹の件は正当防衛ではなく、殺人だということか?」

「襲われたのは本当よ。体育倉庫で後片付けをしていた時、いきなり胸を揉まれた上に押し倒されてね。馬乗りになった途端に脱ぎだしたし。今思えば、私って結構プライドが高い女みたいね。股間を蹴り飛ばした後、思わず金属バットで殴ったのよ。それも、一番太くて長いやつで。手塚さんが疑った通り、あれは偶然じゃなかったのよ。怒ってたくせに、冷静だった私にとっては、必然だったのよ」

「取り調べでは、正当防衛が認められるよう、上手く立ち回っていたのか」

「あれが作品だなんて、認めたくなかったからね。動かなくなった楠田君は、今までに作った作品とは比べるまでもない程醜くて、おぞましかった。だから、何としてでも不可抗力を装いたかった。証拠不十分だったのが幸いしたわ」

「お前・・・」

「だから・・・」

 握り拳を作り、近づいてくる手塚巡査部長の気配を感じたのか、佐鳥江美は手すりを掴み、身を乗り出した。

「もう私は、不出来な作品を作りたくない。死体を作るからには、そいつにふさわしい仕上がりでなければいけない。私は、私を世間の晒し者にしようとしたあの四人とは違う。ハチも、ハムスターも、私も、その死体に生き様が表現される形であってこそ、美しく、生きている時よりも尊いのだから」

 カリッ・・・という、何かを噛み砕く音が聞こえた。

 直後、身を乗り出していた佐鳥江美は手を滑らせたかのように、頭から池へと落ちていった。


「できる限りの処置は施しました。直に目が覚めます」

 病院で医者が、手塚巡査部長に話していた。

「睡眠薬を服用して、飛び込み自殺を図ったことには驚きですが、現場での処置が適切なのが、功を奏しましたね」

「そうですか。良かったです」

 先程とは違う服を着た手塚巡査部長は、安堵した。

 あの後すぐに、飛び込んだ佐鳥江美を追うように飛び込み、溺れかけていた佐鳥江美を助けたのだ。

「あの子は、いつ頃目が覚めますか?」

「一日はかからないでしょう。面会謝絶を解いたら、直ぐに連絡します」

「ありがとうございました」

 手塚巡査部長は一礼して、その場を去った。


 手塚巡査部長は戻る途中、病院に停めてた愛車に乗り、ふと、考えた。

 佐鳥江美の言葉を。

 彼女が作品と呼ぶもの。それは、彼女の美意識によるものだった。しかし、それを追い求める執念には、人命さえも素材にする危うさも持ち合わせていた。

 法律も、世間も、彼女を決して許さない。

 楠田雅子が言う通り、法律は人の価値観、ひいては気持ちさえも、考慮しない。

 平和な社会を求めるための法律。故の法治国家。しかし、人の価値観次第では、変わることもある。変わらないこともある。

 しかし、同情の余地などない。彼女のしたことは、仁義や死者の尊厳を傷つける、鬼畜の所業だ。

 その悲劇を繰り返さないために、起こさないために、警察がいる。

「さて・・・。次の仕事に行きますか。田村さんたちが待ってる」

 エンジンをかけ、クラッチを繋ぎ、ギアを入れる。

 どれだけ悲惨な事件が幕を閉じようとも、警察の仕事に休みなどない。

 今日もまた、社会の平和のために、正義のために、働く。


 夜中。

 月明かりと街頭だけが、光を生み出す世界。

 佐鳥江美はベットから起き上がり、窓を開ける。

 初夏の湿った空気が、肌を撫でる。

 空気の流れを感じる程度の風の中、佐鳥江美は口を少し開いた。

 特に何か言うわけでもなく、歌うわけでもなく、そのまま1分、口を開け続けた。

 喉が渇いてきたころ、病院の塀の向こうから、人がよじ登ってきた。

 黒い雨合羽。黒いペストマスク。

 男は、佐鳥江美のいる病室を確認すると、その下で、両手を緩く広げた。

 それを見た佐鳥江美は、身を乗り出し、今度は足から飛び降りる。

 黒い雨合羽の男は、落ちてくる佐鳥江美を受け止める。

 そして、少女を一人抱えたまま、塀を飛び越え、去っていった。

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