第十一話 大胆不敵過ぎる敵
「もう心配ございませんよ。まだ傷口が痛かったりしますか?」
患部にかざしていた手から温かな光が溢れ、たちまち傷口が元々なかったかのように消える。
宗士郎達が魔物と戦闘繰り広げて始めて、疾うに二十分は経った頃…………。
避難所となっている横須賀町の堅牢な地下シェルターにて、和心は重症自衛隊員達の治療を行っていた。場所を移動したのは、宗士郎達の邪魔になる上、魔物に狙われる危険性があった為だ。
彼女について来ていた楓や柚子葉は、地下シェルターに保管されている救急箱を使用して軽症の人達を処置をしている。
「ぅぅ……いや大丈夫だ。それよりも、仲間はっ……?」
ボロボロの迷彩服を着ている隊員は、コンクリートの床に横たわりながら尋ねた。
「……残念ながら、もう…………」
「そうかっ……」
広く、静かな空間ではよく声が響く。
目を伏せる和心に、隊員は左腕で目元を隠した。その腕は……震えていた。和心の声を耳で拾った他の隊員達も目尻に涙を滲ませて嘆いた。
撤退する際、自衛隊員達の懇願もあって、柚子葉と楓は異能をフル活用して、命を落とした隊員達の亡骸を地下シェルターへと担ぎ込んでいた。命を落とした隊員達の身体は冷たく重かった。
和心は、冷たいコンクリートの床に安置されている人々を見やる。
「あなた方は、立派に役目を果たしました。市民を守るという、立派な役目を……」
横たわる自衛隊員の遺体。酷く冷たく、そして重くなった身体。もう既に魂はなく、仲間達の嗚咽の音さえ、彼等に届く事はない。
「君は幼いのに凄いな……異能力が俺達にもあれば、あんな結果にはならなかったのかもしれない」
「……とんでもございません。あなた方の勇気が、あそこにいる方々を救ったのですよ」
目の前の隊員は、和心が人間の……それも異能力者だと勘違いしている。今の姿は狐人族の身体的特徴を隠した人間の姿だ。下手な事を口走れば、必ず墓穴を掘りそうと思った和心は、その話に乗っかる事にした。
「先に逝った仲間達も報われるだろうか」
「ええ、きっとでございます……」
「――和心ちゃん、終わった~?」
そこで、処置を終えた柚子葉と楓が和心の元へと歩いてくる。処置は既に済んだようで、救急箱は手元にない。
「はいでございます。ここの方達は置いて行っても宜しいのですか?」
「ここのシェルター、はわからないわよね。地下要塞は滅多な事じゃ壊れないように建造されているのよ」
「そうなのでございますか?」
『異界』からこの地に迷い込んだ和心には、シェルターの意味は解らなかった。楓が解釈を変えるとようやく理解できたようだが、耐久性の良さはわからないようで、和心は脳裏に疑問の漫符を浮かべる。
「うん、建造されてから十年近く経ってるけど壊れてないから大丈夫だよ。それにさっき端末で魔物の数を確認して、数が減ってたから――って、あれ!?」
と、和心の疑問に答えようとした柚子葉が取り出した携帯端末の画面も見て固まった。その血相を変えた取り乱しようを見て、楓は端末の画面を覗き込んだ。
「反応が複数も!? どうして……!?」
「この反応……! 危険度A以上の魔物だよ、楓さん!」
魔物が体内に内包している魔石。端末の反応はその魔石から発せられる波動の強さを検知して表示しており、表示される円の大きさが大きくなるにつれ、危険度E~Sへと上がるようになっている。
カタラの幾千もの魔物を相手取った時の教訓を活かして、情報局から反応や現在位置を送らずに、端末のアプリとして反応を見れるようにしたのだ。
「それは……つまり危険だという事ですか?」
「お兄ちゃん達なら大丈夫だと思うけど……」
「士郎の顔色が悪かったのも気になるわね。危ないという事はないけど、戻る事に越したことはないわね…………」
二人が次の方針を相談している。
和心には、端末の画面を見ても内容が全く分からないので、今後の方針は楓と柚子葉に任せて辺りを見渡した。
その時だ。
「――あなたは確か……ぐぅっ!」
「ふぇっ?」
神力で隠蔽している狐人族特有の三角耳がぴくッと動く。
何処からか、聞えた苦痛を思わせる声に和心は周りに首を巡らせると、遠く離れたシェルターの角に背を預け、痛々しい生傷を晒している女性を発見した。
何故、目に付かなかったのか。いつの間にかそこにいた女性に、和心は目を引かれた。ただし、それだけではない。その女性は…………、
「貴方様はっ、あの時のおねえさん!」
「そう、よぉ……はぁ、はぁ…………」
シェルターの端に駆けていった和心が、驚愕に目を見開いた。その女性はスタンピード警報が発令した際に、和心の前に現れた人だったのだ。母親の話をしていたので、より鮮明に覚えていた。
「――あれ? 和心ちゃんは?」
端末を覗き、方針を決めていた柚子葉が顔を上げて呟いた。
「え? しまったわ……目を離した隙にっ、急いで探すわよ!」
「でもお兄ちゃん達は……!?」
「放っておきなさい! 今はいなくなった和心が優先よ」
妹分の言葉を一蹴し、楓は辺りを見渡し始める。
「和心ちゃん、というのか……あの子はさっき、あっちへ行ったぞ」
「恩に着るわ!」
和心に治療してもらった自衛隊員が、シェルターの端を指差す。朗らかな笑顔を浮かべた楓は礼を言って、柚子葉と共にその方向へと走った。
「この怪我はどうしたのでございますかっ」
女性に駆け寄った和心は胸元にパックリと開いた傷口を見て尋ねた。女性の上着は、胸元を中心に赤く染まっており、酷い怪我だという事がすぐにわかる。何故誰もこの人に気付かなかったのだろう、と和心は複雑な気持ちになった。
「ちょっとね……唾付けとけば、すぐに治るわよぉ」
「なりません!」
苦笑する女性に和心は声を荒げた。
「神に仕える巫女として! それは看過できません!」
「っ……何の話かしらぁ?」
「あ、いえ……! 忘れてください。ともかく放置は駄目です」
「貴方には力があるものねぇ。放っておくのは許せない、ってことねぇ~」
ニヤリ…………。
気が立っている和心は、女性が作った微笑には気にも留めなかった。そのまま妖狐の身に宿る〝神力〟を使い、自衛隊員と同じく治療し始める。
「もっと、近付かないとやりにくいんじゃなぁい?」
女性は何を思ったのか、力を行使している和心を胸元に引き寄せた。
「わっぷっ……危険でございますよ! 力が暴発します!」
「危険、危険ねぇ~」
ふふふと笑みを漏らした女性が、更に和心を強く抱き締める。
と、その瞬間――。
「!?」
「危ないのは和心ちゃん……貴方の方よぉ!」
床に闇色に光り輝く魔法陣が描かれた。女性を中心に拡大していき、和心をも包んだ魔法陣は徐々に回転し始める。
「つ・か・ま・え・たっ……我が主への供物、神天狐の娘ぇ!」
「な、なにを! ……ブクブクっ!?」
魔法陣の中へと沈むが如く引きずり込まれていく。闇のように黒い水の牢に閉じ込められ、和心は踠き酸素を吐き出す。
既に視界は闇一色。真上を見上げると、微かに光の残照が目に焼き付いた。そのまま和心は意識を深淵へと落としていった。
「(ふ、ふふ……フハッーハッハッハ! やりましたよぉ、我が主! 少々手こずりましたが、このアルバラス! 見事、命を果たしましたぁ! これで少しでも、私にぃ~興味を持って下さると嬉しいわぁ)」
心の奥底で、女性――アルバラスは吠えた。目的を果たし、主君に褒められるのを期待して。
「(あの坊やを置いて行くのは気が引けるわねぇ。個人的にも私の好みに、どストライクだったしぃ~ついでに攫っていっちゃおうかしら、ふふふっ……)」
あの時、神天狐の娘の前に現れた男を想起する。異国の剣を腰に下げ、自分に懐疑的な視線を向けてきたあの男を。アルバラスは口惜しく呟くと、恍惚とした表情で頬を押さえた。
「――へぇ……楽しそうね。何か良い事でもあったのかしら?」
「!?」
…………時が止まった。
事象そのものの動きが停止した訳ではない。
闇の中で聞えた女の声に、アルバラスが思考を止めたのだ。だがしかし、そこは暗中ではなかった。
「な、なぜ……ここはさっきの……」
アルバラスは瞠目する。
眼前に広がったのは、先程いたシェルターの外壁と大勢の人、そして軍服を着用した女の姿だった。魔法陣の闇の中で声が聞えた――というのは間違いであり、本当の所はシェルターの中でだったのだ。
「何で元いた場所にいるかわからない顔ね」
「な、なんの事かしらぁ?」
アルバラスは核心を突かれたが、誤魔化す事にした。目の前の女の子が、先程の一部始終を見ているとは思わなかった故に。
「惚けても無駄よ。間に合うかどうかは賭けだったけど、私の力が及ぶ範囲の時間で良かったわ」
楓が目の前の女性――アルバラスを睨み付ける。
およそ十秒前。
自衛隊員に話を聞いた楓は念の為に『戦闘服』を着用して能力強化しながら、急いでシェルターの角っこへと駆け付けていた。周辺にいた市民の目撃情報もあって、魔法陣が描かれた大体の場所を特定。そして、その場所を強化した異能力の時間逆進で〝十秒〟時間を巻き戻して、現在に至る訳だ。
「和心を狙った……という事は、貴方は魔人族――それもカイザルの手下ね」
外見はただのOL。しかし、魔法陣を使ったとなれば、『異界』の者である可能性があると踏んだ楓は、答えないだろう事も承知でアルバラスに質問を投げ掛ける。
これで間抜けにも情報を漏らしてくれれば、万々歳。
と、軽く考えていたが――、
「――お前如きが我が主の名を口するなどッ、おこがましいにも程があるぞぉ!!!」
「っ!? …………えっと?」
「あっ…………」
アルバラスはブちぎれた。激おこぷんぷん丸(死語)並に怒り心頭だ。
だが楓が驚いたのは、眼前の女性が〝激怒〟した事ではなく、男の野太い怒声に驚いたのだ。女性だと思っていた人の口から、突然男の声が飛び出すなど、誰が予想できただろうか?
楓が危険だからと、事前に遠ざけていたシェルターにいる市民達も何事かとこちらを凝視している。
「(しし、し、しまった……! 主に侮辱を働いた小娘の所為で、つい素が出てしまったわぁ!?)」
しまったとばかりに、ダラダラと脂汗をかいているアルバラスは軽く咳払いをして……、
「――ゴホン。貴方如きが我が主の名を口にするなんて、おこがましいにも程があるわよぉ!?」
「私が言うのもなんだけど、言い直すのそっちで良かったの?」
カイザルの話を訂正するのではなく、口調の訂正とはこれまた予想外。
思わず素が漏れてしまい、改めて女性の口調に戻したアルバラスに、楓も素に戻って聞き返した。これでは、カイザルの配下である事を白日の下に晒しているも同然だ。
「フ……バレてしまったのならしょうがないわね!」
「貴方がただ墓穴を掘っただけなのだけどね」
「謀ったわねぇー!?」
「(面倒だわ、コイツ)」
敵かもしれない奴の意味不明な挙動に、楓は頭を抱える。早く片づけてしまおうと、そのままアルバラスの後ろにいる者にアイコンタクトで合図を送る。
「ともかく……貴方が何の目的で和心を狙うのかは知らないけども、返してもらうわよ」
「だが断る! って、言ったらぁ?」
「殺すわ、今ここで。私の妹分が躊躇なく、ね」
「!?」
楓が問いに答えた刹那、アルバラスの首に〝何か〟が突き付けられていた。細く平たい、光を放ちながらスパークする刀――柚子葉の『雷斬』が。
「――和心ちゃんを返して」
「(い、いつの間に! この私が、一度ならず二度までも小娘達に不意を突かれるなんてっ)」
アルバラスは背後から突き付けられる雷の刃に、冷や汗をタラリと流す。
首元に迫る、〝死〟の感覚。二人の小娘が放つ、不相応な殺気。
心臓の鼓動が鮮明に感じられる程に、脈動していた。
「(流石の私も、分が悪いわねぇん。せっかく得た獲物を失うのは残念だけど、ここは一時撤退ねぇ)」
「さあ、どうするの。おとなしく殺されるか、和心を引き渡すか」
楓が一歩詰め寄る。
「そうねぇん、ここで殺される訳にはいかないからぁ――」
アルバラスは、おもむろに足元に寝転がっている和心の上着の襟首を引っ掴み、
「逃げさせてもらうわねぇん!!!」
「和心!?」
眼前の少女へと投げ捨てた。楓は、存外強い力で吹っ飛んできた和心の身体を抱き留め、後ろ向きに倒れた。
「このっ!?」
変な動きをしたアルバラスに、柚子葉は『雷斬』の刃で斬りつけようとする。
『あらぁ? 斬ってもいいのかしら、その一般人を』
「っ、これは!?」
と、その時。
先程まで喋っていた女性の身体がまるで魂が抜けたかのように倒れる。その直後、身体の穴という穴から無数の蜂が飛散していく。
突然の現象に柚子葉は斬る動きを止め、蜂に狙いを定めて何度も刃を振るう。だが、その攻撃は網にすり抜ける水のように、蜂には当たらない。
『中々楽しかったわぁ。ひとまず、その狐人族は返してあげる。また、会いましょう。ふふふ…………!』
「待て……!」
蜂の群体から聞こえる声に、柚子葉は雷心嵐牙で引き続き電撃を放った。どの攻撃も一部の蜂が身代わりになるだけで、致命傷には程遠い。蜂となったアルバラスは、群体を引き連れてシェルターの出口へと逃げて飛んでいった。
「くそ~逃がしちゃったか」
「仕方ないわ、和心の無事が第一よ。それにしても、本当に魔人族の方からやってくるなんて……驚きだわ」
「ほんとだね~お兄ちゃんの言っていた通り……あ、この女の人もなんとか無事みたい」
証拠集めをする事になった時に、宗士郎が言っていた事が現実となった。更に驚くべき事に、楓達がいる場所に単騎で乗り込み、和心を攫おうとしていた。ただ誤算があったとすれば、和心を狙ってきた事だろう。
気になる事といえば、宗士郎達が変死体を見た際に聞えた声と出現した蜂なのだが、その情報は楓と柚子葉には知らされていない。だからこそ、どのような関連性があるのかさえも彼女達には知る術もないのだ。
「んっ……んにゅぅぅ……」
「……気持ち良さそうに寝てるね」
「何もされてなさそうで安心したわ。和心が起きて事情を聴いたら、士郎達の元に向かうわよ」
アルバラスに連れ去られてから今まで目を覚まさなかった和心だが、可愛らしい寝息を立てながら小さな手で目をゴシゴシと触っている。起こそうと思っていた二人は、余計に毒気を抜かれるのだった。
『いたたた……雷魔法の使い手だったのねぇ…………。とっさに防御したけど、さっきから激痛が……あ、また痛たたっ』
蜂となったアルバラスは街の上空へと退避していた。雷の刃を振るう小娘に斬られた傷が、逃げ延びた今頃になって痛覚を刺激する。アルバラスにとって、彼女達に止められた事は予想外だった。一番の謎といえば、何故かシェルターの中へと戻ってきていた事だ。
『もう一人の子も何かの魔法を使ったのかもしれないわねぇん。もう少し、事前に情報を仕入れて来るんだった。次はもっと良い依り代にしないとねん…………』
大胆不敵にも敵陣へと単騎で乗り込み、和心を攫おうとした女性――アルバラス。その正体は楓の問いかけによって、明らかになった。不覚にも逃がしてしまったが、攫った理由は攫われた和心本人がよくわかっているだろう…………。
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